第10話尻穴令嬢の将来

 エリザベータ8歳の誕生日パーティーは、個展からまもなくのことだった。

 是非にと贈られてきたアレクセイの魔法陣が縫い込まれたドレスに身を包んで、パーティーをこなす。冷静に考えて婚約者ではない男性から頂いたものを身につけるのはどうかと思うが、エリザベータがアレクセイを芸術家へと押し上げたことは、この会場の皆が知っていることなので問題ないと、ジェイソンに笑顔で言われた。


 会場に出された食事に手をつけた瞬間、尻穴から放出されるのがわかっているので、水分だけとっている。緊張から少し摂取量が多くなってきているので気と尻穴を引き締めなければならない。


 一度挨拶したはずのアレクセイが初老の男性を引き連れてこちらにやってきた。


「エリーちゃん改めておめでとう!やっぱりそのピンクのドレス、遠目から見ても綺麗だったよ。エリーちゃんの魔力が清らかだからかな」

「アレクセイ様ありがとうございます。素敵なドレスまで送っていただいて恐縮ですわ」

「このドレスを、僕色に染め上げる栄誉をいただいても?」

「光栄ですわ」


 手を差し出せば、アレクセイは軽く口付ける。瞬間、ブワッとアレクセイの魔力が広がって、ドレスを藍色に染め上げた。辺りから歓声が沸く。

 このドレスは、初めからピンクか藍色かで色が決まっている。左手から魔力を倒せばピンクに、右手からだと藍色に染まるようにできている。これもアレクセイの売り込みの一環である。これも売れ筋になりそうだ。

 現在アレクセイの芸術作品はアナール商会を通してのみの販売になっている。しかしアナール商会には芸術品を売り込むノウハウがないため、アラントイン子爵に下すべきかとの議論が出ているところだ。


「今日はご紹介したい方がいてね。こちらがマウス男爵。僕の個展を見に来てくれていたんだよ。君にお礼が言いたいそうだ」


 先ほどから後ろに控えていたマウス男爵が一歩前に出て一礼する。見覚えはないけれど、さてアナールウォッシュの件だろうか。


「エリザベータ・アナール様、お初にお目にかかりまする。ロナウド・マウスと申します。アレクセイ様の個展の際、うちで預かっている娘がおせわになりました」

「まぁ、もしかしてドレスを真紅に染め上げたあの少女の?」

「左様でございまする」


 深々と礼をするマウス男爵だが、あいにく礼を言われる覚えはない。目線だけでアレクセイに問うと、アレクセイがマウス男爵の肩に手を添えて、頭を上げるよう促した。


「あの子は平民の出でして、魔力が強いので将来的にうちに養子に来る予定の者でございまする。しかし、実親と行き違いがあったようで、売られたと勘違いして申しました。それ故に自分の強い魔力を憎んでおり、勉強もろくにせんかったのです」

「まぁ、それはお可哀想に…。今は誤解が解けて?」

「はい。あの時あなたなら様のドレスの美しさにいたく感銘を受けたそうでしてな。魔力は悪ではないならなぜ私は捨てられたの?と泣いて訴えてきて、初めてあの子の胸中を知り申しました。今は実家で静養しています。あなた様がいらっしゃらなければ、今後どうなっていたか…」


 言いながら再び頭を下げるマウス男爵。

 貴族に養子予定の平民に兄弟がいると、たまに聞く話ではある。私は勉強しているのに、どうして弟たちは遊んでいるの?どうしてお姉ちゃんと違って私はママと一緒にいられないの?そんな不満が爆発してしまうのだ。大抵貴族の家では丁寧な扱いを受けるので、小規模な爆発で済むものだが、魔力を憎むところまで行くのは珍しい。思い詰めてしまうタイプの子だったのだろうか。

 エリザベータはマウス男爵に頭を上げるよう声をかけた。


「わたくしはモデルをしただけですわ。お礼ならアレクセイ様にされれば十分でございます」

「そのアレクセイ様を引き立てたのがアナール様と伺っております」


 その瞬間、パッと光が差し込んだ気がした。

 わたくし、やっと自分のやるべきことを見つけましたわ。


 見る人の心を慰める芸術。アナールウォッシュのように大勢に役立つものではなく、傷ついた誰かを癒す「特別な一品」。それこそがエリザベータが本当に売りたいものなのだ。


「お礼をいただくことではありませんが、そのようなご事情でしたらお受け取りいたしますわ。お嬢様も、心安らかな時を過ごされるようお祈り申し上げますわ」


 アレクセイのように、自分の持つ力を大したことないと認識している人たちを引き立てて、慰めを必要とする人々との橋渡しになる。それこそが自分の使命だと、エリザベータははっきりと感じ取った。


「お優しきお言葉まことに感謝いたします」


 顔を上げたマウス男爵は晴々とした表情だ。


「いやはや、噂通りのお人柄でいたく感服いたしました。なんでもアナールウォッシュはアナール様が使用人を気遣って産まれたものだとか。商才もあり、人格もすぐれていて、アナール商会のますますの発展が期待できますな」


 エリザベータは、ジェイソンのような人になりたいと思っている。もうだめだと思った時、踏ん張れる土台を与えられるのがジェイソンなら、最後の力を振り絞るお手伝いをするのが、自分でありたいと思う。そのためには、「後継」ではだめなのだ。


*****


 会場からバルコニー連れ出されて、アレクセイと2人きりになる。夜風が少し冷えるな。お腹をさすりつつ、アレクセイに向き合った。


「その、大事な話があって」

「ええ、なんでしょう」


 恐らく婚約を申し込まれることは、大方予測がついていた。恐らくもうアスタリスク侯爵とジェイソンの間では話がついている。そうでなければ、このドレスを着て良いと言われなかっただろう。

 アレクセイのことはかわいいと好意的に思っている。正直今のところ前世の20数年の意識があるので、恋愛対象としては見られないが、この先一緒に年を重ねていく相手として申し分ないと思う。

 打算的ではあるが、己の使命にアレクセイが必要なのも確かだ。


「僕、エリーちゃんのおかげで、文字通り人生が変わったんだ。アナールウォッシュのおかげで、尻穴が切れなくなって、不定期に痛みを堪えて周囲と険悪になることがなくなった」

「わたくしはあくまで原案者ですわ。アナールウォッシュの完成は開発部の皆様とお祖父様のおかげですことよ」

「それでも、エリーちゃんが声をあげてくれたから、僕の尻穴に安らぎが訪れたんだ」


 やっぱり夜風が冷えるな。というか水分を摂りすぎた気がする。いやでも今めちゃめちゃいい雰囲気でめちゃめちゃ真面目な話しているんだよな。

 お腹をさすりながら少し前屈みになる。頑張れわたくし!頑張れ尻穴!もう少しの辛抱ですわ!


「この先僕の尻穴が切れることがあっても、エリーちゃんとの縁は切りたくない…そう…、おもう、んだ…」


 気のせいかアレクセイも心なしか前のめりになっている。いや、婚約の申し出なのだから前のめりになるか。でもお腹をさすっているように見えるのは気のせいではない。


「その、何だっけ、そう、尻穴が切れることのないようにと」

「アレクセイ様の、尻穴は、わたくしが守りますわ…」

「じゃあ、その、うっ…」


 ぎゅるるるるるるる


 どちらのかわからない、腸が激しく動く音が、バルコニーに響き渡った。


「ごめん…大事な話、なんだけ、ど…ちょっと、お手洗いに」

「い、いえ、わたくしも、少し水分を、…取りすぎたようで…」


 解散!とばかりにバルコニーから会場に飛び入って、2人揃ってアナールウォッシュめがけて腹を押さえながら競歩した。

 バルコニーから鬼気迫った顔で出てきた2人に、周囲が暖かい目を向けていた。

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