第9話尻穴令嬢は満足する

 ついに、ついにアナールウォッシュ廉価版の販売が始まった!市民にとってはそれなりに高級品なため、初回生産分はゆるやかだろうと思っていたが、市民のネットワークを舐めていた。コーモン家の口コミ、それに貴族宅に仕事で出入りしている使用人などの平民たち、魔力を持った養子予定の子供たちなどから、アナールウォッシュの評判は届いていたらしく、まさしく荒波のように客が殺到し、瞬く間に販売終了。次回生産分をお待ちくださいの状態になった。みんな尻穴の不具合抱えて生きてんだな。

 アナール伯爵領の学校などの公共施設には、寄付の形で2台ずつ送っている。が、アナールウォッシュ設置のトイレの順番待ちができて逆に問題になってしまったらしい。正直すまんかった。

 魔力充填装置については、アナールウォッシュだけでなく、全自動洗濯機、冷蔵庫との合わせ技で、魔力充填の定期契約は瞬く間に市民に広がることになった。

 医療機関には「清めよう、尻穴」のポスターが貼られ、今後もますますアナールウォッシュの発展が期待できる。

 エリザベータとしては、原案者として充分満足した。このまま技術が進めば、全世帯アナールウォッシュ化だって夢じゃない。施設もこぞってアナールウォッシュの導入を進める。エリザベータの尻穴は守られたのだ。


 腹をさすりながらトイレを出る。

 エリザベータが企画したアレクセイの個展がようやから開かれることになった。個展はアラントイン子爵所有の美術館の、イベント会場で開かれることになった。たった今その関係者用の裏のトイレから出てきたところだ。

 アナールウォッシュ廉価版が発売してからわずか半年。貴族所有の施設には、魔力充填装置のついたアナールウォッシュが標準装備されているまでになった。ありがとう開発部の皆様。おかげでどこで下痢しても安心安全になりました。


 アレクセイの個展は3部構成になっている。入ってすぐのエリアには、アレクセイが今まで作ってきた素朴で優しい、弟妹たちをあやすために作った魔法陣を。次のエリアには、芸術を学んだアレクセイが作った、宝飾品に魔法陣がしこまれたエリアだ。最後のエリアはグッズ販売。飛び出す動物園や、メッセージの浮かぶベビー服はもちろん、絵葉書やおもちゃなども売っている。これらはアナール商会との共同開発だ。他にも、オーダーメイドの魔法陣が入れられる指輪の予約受付がされている。

 このグッズ売り場が大人気で、特にオーダーメイドの指輪はすでに1年待ちまで予約が入ったそうだ。


 エリザベータは集まる人々に戦々恐々とする。宝飾品を飾るエリアで、夜7時、メインディッシュであるドレスの発表がなされるからだ。


「エリーちゃん大丈夫?」

「大丈夫…ですわ!出すもん出して参りました!」

「良かった。そろそろ準備の時間だって。僕は少し休憩入っていいって言われた」

「朝から皆様のご対応されてましたものね。おつかれさまでこざいますわ」


 アレクセイは少しよろっとしているように見える。エリザベータがアナール商会と結託して、今回の個展を売り込みまくったおかげで、朝からずっとアレクセイは賓客対応に追われていた。

 貴族がこぞって繋がりを持とうとする。それだけの価値がアレクセイの魔法陣にはある。


「エリーちゃんのドレス姿、楽しみだな。それだけを糧に今日まで頑張ってきたんだよ」

「まぁ、アレクセイ様お上手になられて…。今のはアスタリスク侯爵そっくりでしたわよ」

「…ここでお祖父様の名前を出すのは、卑怯じゃないかな」


 ちょっと拗ねたような顔をするアレクセイがかわいい。アレクセイはアスタリスク侯爵をとても尊敬しているので、きっと照れているのだろう。


「では、私準備して参りますわ」

「うん、またね。エリーちゃん」


 チークキスをかわして、アレクセイと別れた。


*****


「さて、今回のアレクセイ・アスタリスク侯爵御令孫の目玉、あの国を傾けるデザイナー、リドカイン氏とのコラボ企画!天使のドレスのご登場です!」


 司会の声と共に、ステージに舞いでる。ただ歩くだけなのに、足が震えた。目の前ど真ん中にいるジェイソンとミッシェルが見えて、少し笑う。

 会場がざわつく。それはそうだ。だってなんの装飾もされていない、真っ白なAラインドレスなのだから。

 ステージをぐるっと回って、なんの装飾も、柄もないことを見せつける。中央に跪き、神に祈るように手袋をした両手を組んだ。


「モデルはアレクセイ様とご懇意のエリザベータ・アナール伯爵御令孫。さぁみなさま、まばたきなどは御法度です。エリザベータ様が天使に変わる瞬間を、その目にしかと焼き付けてくださいませ」


 あおる司会。会場が暗くなって、エリザベータだけにスポットライトが当たる。

 手袋を伝って、ゆっくり、ゆっくりと魔力を通していく。


 ワァッと歓声があがった。


 エリザベータの魔力は、無色透明の光の粒となり、エリザベータの周りを舞い踊る。背中には、魔力で作られた大きな羽根。

 立ち上がり、ドレスを見せつけるようにもう一周ステージを歩く。すごいでしょう。アレクセイの魔法陣は。この魔法陣は、魔力を通しやすい特殊な糸で直接縫い込んでしあげてあるのだ。だから、魔力を通さなければ質素なドレスに、魔力を通せば天使に大変身である。


「驚くのはまだ早い。アレクセイ様のご登場です!」


 アレクセイがステージ上にやってきて、スポットライトと共にエリザベータの前に跪く。


「さぁ、みなさま。しかとご覧くださいませ。天使が、恋に堕ちる瞬間を」


 アレクセイがエリザベータの手を取り、口付けた瞬間。ブワァッと魔力が広がっていき、着ているドレスも、舞い踊る魔力の粒も、大きな羽根も、黒く染め上げた。


 大歓声に、今日の個展が大成功に悟った安堵の笑みを浮かべたのは、2人同時だった。


 アレクセイの個展のモデルにエリザベータが選ばれたのは、単純に気安いからだけではない。

 エリザベータの魔力が、無色透明だったからである。対するアレクセイの魔力は黒。まさに対比させるのに丁度いい魔力の色だった。

 再びエリザベータの魔力を通して天使に戻ったエリザベータとアレクセイはステージ上で司会のアナウンスを聞く。


 司会が魔力の色の説明を終えて、10歳以下の女子1名のみ、客の中からエリザベータに触れて魔力を通すチャレンジをしてみないかと司会が提案する。

 実はこれ、アレクセイはめちゃめちゃに渋った企画だった。淑女に気安く手を触れるのはダメだろうとのこと。なので10歳以下の女子1名という厳しい制限がついた。

 正直勇気を出して名乗り出てくれる子はいないのではと思ったが、募集に前のめりで手を挙げた女の子がいた。

 貴族にしては珍しく短い髪なので、もしかしたら平民出身の子かもしれない。強い意志を感じる瞳は、司会者を無視して、エリザベータの両手を掴んだ。


 瞬間、エリザベータのドレスは真っ赤に染め上がった。あまりにも、つよく、情熱的な魔力に、一瞬ふらついてアレクセイが腰に手を伸ばしてきた。


「めがみさま…?」


 女の子が、惚けたように呟く。


「美しい、なんと美しい魔力でしょう。勇気ある淑女に、皆様大きな拍手を!」


 拍手の大歓声を聞いて、少女はあたりを見渡した。そして、ポロリと涙をこぼす。


「えっ」


 どうかされましたか?と聞く前に、少女は走ってステージから降りて、そのまま出口へと走り去っていった。慌てて追いかけて行った夫妻がいるので、恐らく大丈夫だとは思うが。


「あれだけの大歓声に包まれたならば、驚いてしまうのも無理ないでしょう。素晴らしい魔力の淑女でした。彼女にもう一度拍手を」


 司会がフォローして、会場が拍手に包まれる。確かにびっくりして逃げ出した感じだったもんな。可哀想に、お腹下してないといいけど。


 司会の合図で、アレクセイにエスコートされながら舞台から引っ込む。割れんばかりの拍手に、やっと終わった、と一息ついた。ついでにずっと緊張しっぱなしだった尻穴も緩んだ。

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