第2話尻穴令嬢はウォシュレットを作りたい
さて、この伯爵家であるアナール一族は、商才に長けていた。祖父であるジェイソン・アナールは発明家として名が知れており、数々の便利な魔法陣と生活魔法具を開発してきた猛者である。
微量の魔力を込めると熱を発し、専用の腹巻きに入れてお腹を温めるホカッパラはエリザベータも愛用している冬の主戦力商品だ。熱くなりすぎるのが玉に瑕だが、微量の魔力で済むのが平民たちに大好評で、特に主婦たちに好まれているらしい。使い捨てだが大量生産による安価な価格も魅力である。
そんな祖父に面会の時間を頂けた。多忙な祖父ではあるが、エリザベータが開発したい商品がある、という申し出に興味を持ってくれたらしい。
いいや、恐らくまだ6歳の孫に期待はしていないだろう。孫への愛情が大半。片隅に何かネタにでもなればいいかな、程度の思いのはずだ。
だが、エリザベータにとっては、己の尻穴の命運をかけた一世一代のプレゼンである。
「エリザベータでございます」
「入れ」
祖父ジェイソンの書斎はごちゃごちゃとしていた。まさしく開発者の部屋である。ジェイソンはデスクに腰を据え、客を呼ぶのであろうソファーには祖母のミッシェルが座っている。
祖父母共に破顔し、ソファーの方へ座り直して、エリザベータを対面へと促した。
「おお、大きくなったなエリザベータ。どれ顔をよくお見せ。ふふ、あの頃のお前にそっくりだ」
「あらいやだあなた、どちらかといえばあなたにそっくりよ」
「お時間を頂き誠に感謝しておりますわ。…お祖父様お祖母様、わたくし、生涯をかけた商品の開発をお願いしに参りましたの」
よくある祖父母と孫の逢瀬に終わらせるつもりはない。その意思が伝わったのだろう、孫に見せる祖父母の顔から、アナール伯爵夫妻の顔へと変貌した。
聞けば開発案には点数がつくらしい。59点以下が不可、60点で可、80点で良、90点以上が優とのこと。大学かな?
手書きで書いたプレゼン資料を、祖父によく見える位置に差し出す。
「今回アナール伯爵にお願い申し上げる商品は、『尻穴を清潔に保つためのトイレにつける魔法具』ですわ」
「は?」
「まぁ…」
ジェイソンはあっけに取られた顔をし、ミッシェルははしたないとばかりに顰めた顔を扇子で隠した。
「はぁ、子供の考えそうなことだ。さぁクッキーを」
「恐れ多くも伯爵夫妻、現代はストレスが多くありますわ。違いませんこと?」
「…それと尻穴になんの関係が?」
「先の大戦が終わり、この国は大きな革命期にありますわ。女性は家を守るものから、社会に出るもの。武力や魔力ではなく知力がものを言う。そんな世の中の移り変わりに、前時代に慣れきった方々はついていけないのではないのかと、危惧しているのですわ」
ジェイソンとミッシェルは顔を見合わせる。それから視線だけで先を促してきた。どうやら子供の戯言ではないと思ってくれたようだ。
「わたくし、とても民の皆様、いいえ、貴族も含めこの国、この世界の方々が心配ですの。ストレスはお腹の調子に支障をきたすと申しますでしょう。その、はしたない話ではございますが、不浄のものの具合によっては、痛めることもあるのではと。実際、メイド長のマーガレットさんはドーナツ型クッションでないと座れないとおっしゃってましたわ。そこまで酷くなる人は少なくても、不具合を抱える人は大勢いらっしゃる。わたくしそう思いますの」
身近な人の話題を出してみる。マーガレットがいつも小脇に抱えるドーナツクッションを知らないとは言わせない。
興味深そうにこちらを見つめる秘書のガーランドに視線をやる。おどおどと視線を逸らしたそれを、ジェイソンは見逃さないだろう。
「そこで考えたのがこちらの『アナールウォッシュ』でございますわ。使用の際に魔力を込めると、そこを通る水の一部を沸騰させ、冷水と交わり最適な温度にし、ノズルから発射することで尻穴を清潔に保つのですわ。不浄の後でこの洗浄をすることによって、紙で拭く回数を減らし、尻穴を健常な状態に保つ。大まかな構想ですが…」
「だがノズルが清潔でなくては意味がない。そこはどう考える?」
「尻穴に当たった水が、ノズルに触れない角度と長さを考えますわ。またノズルは位置移動魔法陣により出し入れするものとし、使用時以外は魔法具の中にしまっておくこと。ノズル使用後にはお尻にかからない程度の水で洗浄、及び医療機関で使われているという微生物や菌を殺す消毒の魔法陣の自動発動を考えておりますわ」
「ふむ。しかし一般的に普及させるには魔力コストがかさみすぎる。それについてはどう考えている」
そうなのだ。これを一般に、どの公共施設でも採用されるようにするには、魔力コストがかかりすぎる。
「そこでもう一つ開発を頼みたいのが、安価で小型の魔力充填装置ですの。潤沢な者からの魔力を留めておける装置。王宮に巨大なものがございますでしょう?あちらをダウングレードさせたものを作っていただきたいのですわ」
「ふむ」
「そして定期契約で貴族が魔力の提供をする。資金繰りに困っている方々なら尚更飛びつくのではありませんこと?」
調べてみると、魔力はあるものの他の能力が凡庸で、貧困に喘いでいる貴族は多い。魔力の存続から考えると貴族籍を抜くことは避けたいが、王宮としても支えきれない状態になってしまうこともあるという。
「なるほどな…本命はこちら、というわけか。なるほど、気を引くプレゼンの仕方がわかる賢い子だ」
「お褒めに預かり光栄ですわ。この充填装置が市民に広がれば、アナール商会の発展にきっと役立てますの」
まぁ本命は尻穴洗浄魔法具なんですけどね!
さもその通りといった笑顔を作れているだろうか?
「お祖父様もご存知の通り、人は不快を避けるための行動の方が、起こしやすいと言われておりますの。最初に尻穴を清める魔法具を提示したのは、『人に言いたくない不快なこと』だからですわ」
「…なぁガーランド、需要があると思うか?」
急に話を振られたにも関わらず、動じた様子を見せずにガーランドは頷く。
「恐れながら御当主様、尻穴の不快に悩む人の数は、御当主様の想像よりはるかに多いかと」
「ふむ…」
ジェイソンは魔力充填装置の資料を読み込む。原理は大型のものと変わらない。変わるのは材料だけだ。
魔力にも電気と同じく正負の魔力因子が存在する。正極に負の魔力因子が移動することで魔力が流れ魔法陣が発動する。銀白石と呼ばれる宝石に魔力を混ぜた化合物を作ると、銀白魔力因子が正極に移動することで魔力が流れる。充電時は銀白魔力因子が負極に移動する。
簡単に言えば、リチウムイオンバッテリーと同じ理論で充電が可能になるのだ。昭和の文明の中で、リチウムイオンバッテリーに近いものがあるのはありがたい。
とはいえ銀白石は非常に高価で希少価値が高い。なので代替案として、悪銅石を使う案を提出した。悪銅石は銀白石より重い上に魔力充填量も下がるが、ウォシュレットを使う10数秒であれば、1ヶ月は充分にもつ。スイッチとして微量の魔力を流せば、あとは自動的に充填装置から魔力が流れる。
充電が0になっても、軽度の浮遊魔法がかけられる魔力は残し、充電時の持ち運びの負担も減らすことを考えている。
更にこの開発が上手くいけば、今まで魔力コストの問題で家庭用は困難とされていた商品にも手が出せる。
アナール伯爵としても悪くない話だと思う。
さぁどうだ?少しは興味が出たのではないか?
「まぁ正直言って」
ジェイソンはしみじみと髭を撫で付ける。
「甘いな」
「そんな…!」
必死で考えてきた資料をぽいと置かれてお腹がきゅるりと音を立てる。
「悪銅石を使う発想はいいが、私なら負極に白銀黒を使う。その方がコストを抑えられるからな」
「ですがその場合充電できる魔力量が」
「そもそもこのアナールウォッシュだったか?無駄が多すぎる。何故ノズルを出すのにわざわざ位置移動魔法陣を使う?ちょいと押してやれば済む話だろう。それに」
慌ててメモを取り出してジェイソンの話を書きとる。ジェイソンがふはっ、と息を吐いて笑った。
「1番赤ペンを入れたいのはこの開発費とランニングコスト、見込み利益の部分だな」
「…はい」
自信のないところをつかれて、思わずお腹が痛む。お腹をグッと押さえながら、ジェイソンの発言を待った。
「お前さんは最初から安価な家庭用を考えているようだが、私ならまず高級品として王に献上し、金のある貴族に売り捌く。そもそも貴族たちに売るなら魔力充填装置はいらんからな」
「なるほど…」
「魔力の定期売り付けをチラつかせれば、出資する貴族はおるだろうな。開発費はもっと下げられるし利益はもっと上がる」
これはもしや、いけるのでは?前のめりになって祈るように指を組む。
「よって、29点で却下だな」
そ、
「そんなぁ…」
さよならわたくしの清ケツ…。
「まぁこれが部下なら出直せというところだが、6歳の孫から、の可愛げで30点」
「わたくし可愛くてよか…って結局不可ではありませんこと!?」
59点は不可で変わらないではないか!恨めしそうに睨むエリザベータの前で、ジェイソンはウィンクをした。
「あと祖父として孫の尻穴の危機は可哀想に思う同情心で1点あげよう」
「なんでわたくしの尻穴ヤバめ辛めをご存知でいらして!?」
思わず豚骨ラーメン脂多め硬めみたいな単語が口から出てきてしまった。何故?何故知られている!?
「そりゃこんな熱弁されたらなぁ」
「あはははは!エリザベータの腸の不調は屋敷全体の議題ですもの」
今まで黙っていたミッシェルがサムズアップしてくる。待って私の腸内環境、一族で問題になってんの?
ジェイソンは机越しに頭を撫でてくる。恥ずかしい…。
「お前さんが1人で悩んでこの資料を用意したのはわかるよ。親や教師に確認しながら作っていれば、こんな詰めの甘いもんはできん」
「お恥ずかしい限りですわ…」
色んな意味でな。
「エリザベータ。魔力充填装置に関しては認められないが、アナールウォッシュの商品開発を許そう」
「…っ、ありがとうございます!」
「ただし条件が2つある」
「はい!」
ジェイソンは座り直して真剣な眼差しをこちらに向けた。思わずごくりと唾を飲み込む。
「1つはあくまで私の管理下で行うこと。進捗報告を必ずしにきなさい。例え何も開発が進まなくても、だ」
「ありがたいお言葉です」
アナール伯爵としての祖父が多忙なことはよく知っている。同じ屋敷にいてもなお、出会う時間はほとんどなかったのだ。それをわざわざ時間を取ってくださるというのは、目をかけてくれるという優しさでしかない。
「もう1つは、完璧でなくて良い。どんどん商品として世に出し、改良版を作っていけ。どうもエリザベータは抱え込んでしまうみたいだからな。世の意見、人の意見を受け止める覚悟を持ちなさい」
「耳が痛いですわ…」
「腹は痛くないか?」
「とっても痛いですわ!」
「はっはっはっ。お前さんはもう少し考えを外に出して、発散なさい。そうすれば腹も強くなる」
「耳も腹も痛いですわあああ!」
この時のエリザベータの叫びは屋敷中に聞こえたとか。
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