診療所の天使

私の宝物

 私が向かった先は、海の向こうにあるディスト王国だ。船に乗って半日、向こうの港から五日かけて向かう長い旅になる予定だ。ちなみに、旅費は向こうのギルドの負担らしい。なんでも、そこでは医者の存在は希少で、とても尊敬されているからだそうだ。

 私みたいなガキが行って、ナメられないだろうか。心配である。


 しかも、心配なのはそれだけではない。ディスト王国の最北端にあるその町は、屈強な冒険者だけが集まる過酷な土地らしい。筋骨隆々のゴリゴリマッチョが、毎日のようにボコボコにされているであろう場所。普段から皆が殴り合いとかしていたら流石に嫌だな。


 筋骨隆々な冒険者、略して「筋」と呼ぶことにしよう。筋達はきっと、クエストが終わるとキンキンに冷えた酒をキンキン飲むのだろう。そんな奴らが、私の前に現れて「治療してくれ」とせがむ────。


 条件はクソ。しかしそれでいい。筋肉フェチだからではないぞ? クソに金は付き物。給料は他の診療所の三倍ほどと聞く。



 その最果ての地に赴くべく荷物とサファイアを背負って、港までやってきた。私が今から乗るのは、安心感のある大きな船だった。それも、見上げるほどに。これなら半日の船旅でも心配いらないな。

 私は船に乗り込むと、受付の青年に許可書を見せた。


「私と、後はサファイアを」

「えっと……申し訳ありませんが、猫は乗せることができません。この船には、すでにネズミ駆除のために猫が乗っていて、その子と喧嘩してはいけないので」

「えっ……は? サファイアは友人なんだぞ! 大人しいから喧嘩なんかはしないって。いいから乗せろよ!」

「いえ、決まりなので……」


 青年は困ったような表情を見せた。しかし、困っているのはこっちだ。猫同士の喧嘩? ふざけるな。今からお前と喧嘩してもいいんだぞ!

 しかし、いくら説得しても彼は折れなかった。思い出した。そういえば、そうだったな。この世界には私を助ける人なんていないんだ。サファイア以外は……。


 日も落ちて、出港は間近となった。

 流石に受付のモブ青年も、イライラし始めている。私は説得を諦めて、引き返そうとした。が、その瞬間、私の腕からサファイアが逃げ出した。

 そしてそのまま、船を降りてどこかへと消えてしまった。


 今まで、サファイアが自ら私から離れていくことはなかったのに。

 ……もしかして見捨てられたのか? 私が? サファイアに?

 私は理解できないまま困惑していると、出航の汽笛が鳴らされた。そして、錨が上げられ、港から船が出航した。私は「下ろしてくれ」と何度も言ったが、青年は「危ないから、もう出航してしまったから」と言って聞いてくれない。


「なぁ、サファイアがまだ港にいるんだ! 私も行かないと!」

「そんなことを言われても、向こうが勝手に何処かへ言ったんでしょう? まぁ、愛想つかされたんじゃないですかねぇ」

「なんだとっ!」


 私はその受付の男を勢いよく引っ叩いてから、その場を去った。


 昨日から少しだけ楽しみにしていた船旅は、もはや地獄そのものだった。甲板の端に座り込み、うずくまって考えた。何故サファイアは行ってしまったのだろう。私のことなんか、最初からなんとも思っていなかったのだろうか? それとも、本当に今回の件で見捨てられたのだろうか……?


 などと考えているうちに、いつのまにか眠っていた。出発の疲労が溜まっていたのか、それとも現実逃避か。深い眠りだった。


 次の日の昼頃、船が止まってからようやく目が覚めた。そこで、枕元にサファイアの温もりがないことを思い出した。

 到着したからと、船を無理矢理下ろされ、見知らぬ土地へと降り立った。やけに栄えた、うるさい港町だった。通り過ぎる人達が皆、楽しそうなことにさえ腹が立つ。


 話し声がうるさい。人も邪魔だ。ここにいるのは、不快だ。


 私は半泣きになって脇道にそれた。人気のない暗い通路に座り込んで、耳をふさぐ。


 ……ふと、足元に何かの感触があった。なんだかモフモフとしていて、温かい。見ると、そこには……いたのだ。


 それは暗黒の毛を纏い、心の奥底をも覗けそうな青の瞳。チャーミングなお耳とキュートでグッドでフワフワな尻尾を持つ獣。

 ……要するにサファイアだ。サファイアがいたのだ! 首輪には、母がくれた赤色の宝石が輝いている。


 私はそのまま、サファイアを抱き上げた。


「なんでここにいるの!? 昨日は船を降りたはずなのに……?」

「にゃ?」


 最初は幻覚かと思った。しかし、確かにサファイアの温かい感触がある。何故だろうか……。


 そして気がついた。初めて会った日、私の家まで追いかけてきたサファイアが、私を見捨てるわけがないと。

 そして、その黒い毛を見て理解した。サファイアは夜の闇に紛れて船に乗り、私についてきたのだ!


 流石は暗黒の毛を纏い、心の奥底をも覗けそうな青の瞳。チャーミングなお耳とキュートでグッドでフワフワな尻尾を持つ獣! 流石はサファイア!


 私はサファイアを沢山撫で回し、毛並みをチェックした。そして数時間ほど遊び倒してから、再び診療所を目指すために出発した。

 今日のことで目的を忘れそうになっていたが、まだ旅の途中である。



 のどかな風景が、延々と流れている。


 馬車に揺られて五日目。絶え間ない緑が、右から左へと流れてゆく。魔物が凶暴だと聞くが、まさかこんな緑にあふれる土地だったとは。

 てっきりどす黒い沼に死体が浮いていたり、そこら中が燃えて灰だらけだったり、あるいは金で全てを解決する金バトルロイヤルが開催されているのかと思っていた。蓋を開けてみれば、ディスト王国はただの田舎である。


 サファイアは、膝の上でスヤスヤと眠っていた。願わくば尻尾を触りたいし、何なら食べたい。にゃんにゃんと抵抗するサファイアだが、飼い主の目を見て諦める……。

 そして、だんだんと身を委ねて────。


 …………やめておこう。寝てるしな。


 もし、この馬車が猫ちゃん禁止! とかだったらキレて引っ掻いて、蹴り飛ばしてから別の馬車を探しただろうな。まぁ、猫禁止の馬車なんて聞いたことないが。


 目的地までまだかかりそうだ。私はそのまま、サファイアと一緒に寝た。それはもう、密着してね!


 ……大丈夫。サファイアは清楚だよ?

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