二人で半分
私は、いつものように本を持ってジジイの本屋へ訪れた。この頃には、なるべく人と会わない秘密の近道なるものを見つけていた。いつも、この時間は高揚する。
しかし、店先には休みの札がかかっていた。誰かいないのかと何度かノックしてみたが、返事は帰ってこなかった。
なんだ、今日はいないのか。無駄足だったななどと考えながら、来た道を引き返そうとした時、どこからか声が聞こえた。見ると、頭上の……古本屋の屋根の上にクラリスが座っていた。
「おーい! 今日はおじいちゃんが、遠くまで本を仕入れに行くことになったからお休みだってさ」
「あ、そうなんだ……てか、なんで屋根の上にいるの?」
「日向ぼっこ。ミリもやる?」
「私はいいや。つまらなそうだし。それよりクラリス、そこに座るときは気をつけたほうがいいよ」
クラリスは満面の笑みを浮かべ、手招きした。
「もしかして怖いの? 大丈夫、落ちたりしないから!」
「いや……そうじゃなくて」
「ん?」
「見えてるよ、パンツ」
「なっ……!」
クラリスは顔を真っ赤にして、両手で白いスカートを押さえた。先程までの余裕はどこへいったのか。
なるほど。彼女は掴みどころのない、不思議なヤツだとは思っていたが、こういった側面もあるんだな。なんだか親近感が湧いた気がする。いや、パンツが好きなわけではないぞ?
「じゃあ、もう帰るね。さよなら」
「あ、待って! ミリ。今日はおじいちゃんの代わりに私と遊ぼうよ!」
「いや、遠慮しとくよ。帰って勉強しなきゃだから」
「いやいや、遠慮しとくのを遠慮するから! ほら、パンツ見せた分のお返しだと思ってさ」
それはお前が勝手に見せてきたんだろ。そう言いたいところだったが、やめておいた。
クラリスは屋根から、積まれていた木箱を伝って綺麗に地面に降り立った。そして、駆け寄ってくるなり、キラキラした目で、私を覗き込んだ。これは断っても聞かないヤツの目である。
「ね、いいでしょ?」
「はぁ……いいけど、日が暮れる前に帰るからね」
そうして私は、大嫌いなあの街へと連れ出されることになった。やけに騒がしくて、人だらけの不快な街だが……クラリスに手を引かれている今この瞬間だけは、雑踏は消え、少しだけ楽しみな気持ちがあった。
青一色の空は、私の暗い心とは裏腹に清々しく気持ちよかった。
孤独だった私は、誰かと遊ぶという行為を知らなかった。しかし、もしかすると悪くないのかもしれないとさえ思える。
そして、私とクラリスはとあるパン屋の前まで辿り着いた。街の一番栄えているところにあり、外観は入るのに躊躇するほどに豪華な装飾がなされていた。そして、店の外にまでパンの焼けた匂いがしている。
「なぁ、クラリス。私は貧乏だからパンなんか買えないぞ」
「大丈夫だから! ちょっと来て」
「大丈夫って、何がだよ……」
おいおい、盗むつもりじゃないだろうな。流石にそれは容認できないぞ……もしそうだったら全力で他人のフリをしよう。そう思いつつ、クラリスに背中を押されて入店した。店内は、バターらしき甘い匂いに包まれた小綺麗な空間だった。棚の上には、きつね色のパンがずらりと並んでおり、私の食欲を無理矢理に掻き立てた。
すると、カウンターの奥にいた店員の男がクラリスに話しかけてきた。
「クラリスちゃん、久しぶりだね。この間は店番を手伝ってくれて助かったよ」
「うん! また困ってたら呼んでよ」
どうやら二人は知り合いみたいだ。それにしても、クラリスはこの店の手伝いをしていたのか。どうりで躊躇いもなく入店できるわけだ。
クラリスはカウンターの前でぐっと背伸びをして、店主に言った。
「前回お手伝いしたからさ、代わりにパンをくれない? ミリの分も」
「ほう! そうだな。あの時は本当に助かったからな。じゃあ、お友達の分も合わせて四つ、好きなの持っていっていいぞ」
なんだと? パンをタダでくれるのかコイツは。正気かよ。この世の全てはお金であり、タダで何かがもらえるなんてありえないはずなのに。
クラリスが貰えるのは百歩譲って分かる。しかし、私は店の手伝いすらしていないぞ……。
私は理解が追いつかないままパンの入った袋を渡され、そのままクラリスと共に店を出た。
さっきまでの道を遡っている間、私は警戒していた。きっと、これは弱みを握るための作戦なんだ。裏があるに違いない────。
そしてまた、古本屋の前に戻ってきた。その後、定位置なのかクラリスは屋根の上に登ってしまった。私は登るのが面倒なので、入口の段差に座り込んで、温かいパンにかぶりついた。一口かじると、外側の生地がカリッと音を立てた。内側の生地は驚くほどにフワフワで、口の中で溶けてしまいそうなほどだった。見た目通り、甘くて美味しいパンである。
「どう、ミリ? ここのパンは美味しいでしょ?」
頭上からクラリスの声が聞こえた。
「うん、まぁね……」
「どうしたの? 口に合わなかった?」
「ううん。美味しい。でも、何かこう……タダでパンをもらっていいのかなって。なにかこう、私に見返りとかを求めてたりするの?」
「えっ?」
「なんたって、この世の中はお金がすべてだからさ」
クラリスはフフッと笑って、空を見上げた。
「世の中はお金じゃなくて、助け合いだよ」
「ふぅん。そうなのかな……」
私はもう一口、もう一口とパンを食べ進めた。正直、美味しすぎるくらい美味しい。こんなに香ばしくて、お菓子みたいなパンは食べたことがない。
私は二つのうち一つを、もう一度紙袋にしまった。
「あれ、もう一個は食べないの?」
「あぁ、これはお母さんにあげようと思って」
「ミリは優しいんだね!」
「……そういうクラリスも、私にパンを二個も分けてくれたじゃん」
「そう。それが助け合いね」
「そっか……じゃあその、ありがとう」
その後も色々話をし、やがて日が暮れた。街はあっという間に色を変え、朱色に染まりきった。しばらくの間、日が沈む水平線と、遠くに見える港町を眺めていた。
そしてふと、クラリスがつぶやく。
「私はこの街が好きだな」
「私は嫌いだ」
自分にとってこの街は敵であることに変わりはない。父を見捨てた街だ。例えパンをタダくれようと、それは変わらない。
「ミリはさ、推薦入学したらこの街から出ていくんでしょ?」
「そうなるな。魔法学園には寮があって、そこで生活することになるから」
「そっか……」
クラリスは始めて、寂しそうな顔を見せた。どうしてだろう。もしかして、離れ離れは寂しいとか思っているのか? だとしたら、少し……。
「ねぇクラリス……私達って友達?」
「そりゃあそうだよ! 友達!」
「そっか、そうだよな」
私は、確認するかのように、心の中で何度も「友達」と呟いていた。
◇
その後は、本格的に辺りが暗くなり始めたので急いで帰宅した。沢山歩いて疲れてはいたものの、早くこのパンを味わってほしいと思い、足取りは軽かった。
家に着くと、すぐさま紙袋に入ったパンを母に渡した。まだ少し温かいので、冷めないうちに食べて欲しかったからである。
「あら? これ、どうしたの?」
「えっと……友達? にもらった」
「ならあなたが食べていいのよ、わざわざ私なんかに気を遣わなくても」
「ううん、美味しすぎるから味わってほしい。せめて半分だけでも」
「なら半分にしましょうか」
母はパンを二つに割って、少し大きい方を私にくれた。やはり、少し冷めてしまっていたものの、心は温かい。友達とする食事、家族とする食事……なんだか幸せすぎるくらい幸せだった。
そしてふと、クラリスの言葉を思い出した。
『世の中はお金じゃなくて、助け合いだよ』
だとすれば、私はクラリスに対し、何か助かるようなことができるのだろうか。そもそも、世の中は本当に助け合いでできているのだろうか。いや、違うな。お金があればパンも沢山買える。なんでも手に入るんだ。
なんでも……友達とかはどうだろうか。きっと、お金では手に入らないものだよな。ならば、クラリスの言っていたことは間違っていないのか?
私は、残りのパンをゆっくりと、味わって食べることにした。
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