才能

 あれから毎日勉強した。言語に関しては、家にあったボロい子供向けの本(近所の人にもらった)を繰り返し読んだり、直接ジジイに教わったりもした。


 それでも知らない言葉だらけの本は、ページを開くたびにイライラした。日常で使う言葉ならまだしも、魔法の用語なんかはもうサッパリだ。

 なので、私は「クソだな」と呟いて気持ちを整理することにした。いわゆる魔法の言葉ってやつだ。なんと、文字にして書くこともできる。すごいだろ。


 私は毎日、朝から晩まで本をめくる────。


「……ミリ? 聞いてる?」


 母の声がした。ずっと本に集中していたので気が付かなかった。

 目をやると、栗色の長い髪がなびき、その隙間から覗く優しい瞳は私の方に向けられていた。農家らしいボロボロのエプロンは、ところどころほつれている。


「何、お母さん?」

「いやね、勉強捗ってるかなって」

「うーん、全然」

「そ、そう」


 母は寂しそうな顔をした。父が死んだ日から、何度もそういう顔を見せるようになった。銅貨を渡された時もそうだ。

 理由はなんとなく分かる。私が少しも笑わなくなったからだ。父が亡くなる前の私は、どうやら元気一杯の少女らしい。今となっては、あれは別人だったのではと疑ってしまうがね。


 しかし、母には心配をかけたくない。何か気の利いたことでも言おう。


「まぁ、でも。勉強は楽しいよ。夢もできたし」

「ほんと? なら良かったわ! ……何か手伝えることはあるかしら?」

「うーん、紙とかある?」


 母は申し訳無さそうに首を振った。



 とはいえ紙がないと文字を書く能力が身につかない。それにメモも取れない。大変な事態だ。


 私はそんな「紙がない問題(厠のことではない)」を打破すべく、家の庭で勉強することにした。


 太陽の下でお勉強するは気持ちいいね! ……という理由ではない。庭にある木の枝を拾ってきて、土の地面にガリガリと文字を書くことにしたのだ。残念ながら、書いた文字は期間限定なので、次の日になったら半分くらい消えていたりする。また、雨天延期は必然だ。

 それでも、他に方法がないので我慢するしかないのだが。



 勉強を始めてから二ヶ月経った。庭の草木は色を変え、気温はぐんと上がった。それに伴って、私は薄着になり夕飯にはみずみずしい野菜が出るようになった。ちなみに私は野菜が嫌いだ。


 この期間で言語はそこそこ身についたので、次のステップとして「魔力」の扱いについて学ぶことにする。


 魔力とは万物が持つエネルギーで、それらを人の手でコントロールすることこそが魔法なんだとか。医者が扱う回復魔法も例外ではないらしい。

 他にも、何も無いところから火を出す魔法、水を自在に操る魔法、地面から土壁を作り出す魔法など色々ある。それらは主に冒険者と呼ばれる者たちが、魔物狩りや洞窟探索などに用いるのだとか。



 私は庭に出て、木の葉をひたすら拾い集めた。本によれば、回復魔法を学ぶ第一歩として千切れた木の葉を元の姿に戻す練習をするのがいいらしい。うまく行けば三時間ほどでコツがつかめるとのことだ。


 私は手のひらに一枚の裂けた葉を乗せ、目を瞑った。本に書いてあった通り、深く呼吸をしながら全身の意識を手に向けた。集中する……時間を忘れるくらい、身体の感覚が無くなるくらい。


 そしてそっと目を開ける。

 しかし、少し眩しい視界に映し出されていたのは、先程とおなじく二つに裂けたままの葉だった。本には「これで葉が元通りになっていたら成功」と書かれていた。


 私はめげずに、もう一度目を瞑った。心配しなくとも、日が暮れるまでには習得できているだろう……。



 ────夜になった。暗くなるにつれて、徐々に天気も悪化し、強い風が吹くようになった。それによって、昼間私が集めた木の葉のほとんどが風に飛ばされてしまった。

 降りしきる雨の中、私は必死に魔力の感覚を探った。しかし、とっくに集中力は切れており、喉は乾ききっている。お腹も空いた。


 しびれを切らした母が布を持って飛び出してくるまでの約六時間。私はたったの一枚も、葉を元通りにすることはできなかった。


「ミリ、今日はもうやめておきなさい。さぁ、家に戻って水浴びの時間にしましょう」

「ねぇ母さん、私才能無いかも」

「そんなことないわ。私が保証するから」

「うぅ……」


 その発言には微塵も根拠が無かったが、少しだけ救われた。そして、母は明日まではちゃんと休めと言った。少し冷めたご飯を食べ、水浴びをし、やがてランタンが消える。


 布団に入ったその後も、ポケットにこっそり入れておいた葉を使って何度も挑戦した。しかし、結果は芳しくなかった。





 あれから色々な方法を試してみてわかったことがある。やはり私は、魔力を扱う才能がないらしい。

 四肢を動かす感覚と似ている……と本には書かれていた。なので、集中すれば自ずと感覚は掴めると思っていた。

 それがわからないから困っているというのに、いくら読んでも本には『魔力を感じる』と書かれているだけだった。本というものはいつも私に厳しい。


 盲点だった。魔力を扱えないとすると、私はただ本を読めるように言語を習得しただけになってしまう。それでは駄目だ。


 私にはなす術もないのでジジイに相談することにした。彼は魔法のことならなんでも知っているし、とても優しい。

 私みたいなガキにクソジジイ扱いされても顔色一つ変えないし。ただし、孫のクラリスが興味津々で話しかけてくるのは集中力が削がれて良くないがな。


 私は本を抱え、急いで家を出た。



 古本屋はいつ来ても静かである。陰気だが、勉強するのには丁度いい環境だ。若干埃っぽいことには目を瞑ろう。


 私は店内に入るなり、カウンターの前にある脚の細い椅子に座った。大人用の椅子なので足が地面につかないという不便さはあるものの、家に比べれば勉強に適した良い空間である。

 ジジイに出されたココアを飲みながら一息つくと、世間話もなしにすぐさま本題に入った。


「なぁジジイ。私、魔法の才能が無いのかも」

「まずはこんにちは、でしょう? で、何故そう思うんだい?」

「私には本に書いてあるような『魔力を感じる』って感覚が全然分かんないんだよ。ちっともね。あーあ、私の夢もこれまでか……」

「ミリ、それなら大丈夫だから。まず、落ち着いて」


 私はひとまず話を聞いてみることにした。


「恐らく君は、生まれ持った魔力量が人よりも多い。それも圧倒的にね」

「はぁ」


 確か魔力量は、訓練すれば一生涯増え続けるらしい。もちろん、生まれつき魔力が少ない人や逆に多い人もいる。


「私はミリから、その年齢には見合わないほどの魔力を感じるよ。だから、君自身の膨大な魔力にかき消されて、植物などの小さな魔力に気づかないんじゃないかな」

「ほんとか、それ?」


 嘘くさい。気休めはやめてくれ。


「本当さ。試してみるかい?」

「試す……どうやって?」

「ちょっと待っててね」


 ジジイは、カウンターの奥にある壁のように積み上がった木製の棚から、小さな箱を取り出した。

 その中には、光る綺麗な石が入っていた。比喩ではなく、わずかだが本当に発光しているのだ。


「なにこれ」

「これはね、魔石だよ」

「ほう」


 魔石か……そういえば本に書いてあった。魔力に強く反応する自然の鉱石で、触れた者の魔力によって光量が変化するのだとか。しかし初めて見たな。相当高価なはずだが。


「これに触れろ、と?」

「そう。変化する色や強さによって、君の持つ魔力の性質が分かるからね。例えば私なら……」


 そう言ってジジイが魔石に触れた。すると魔石の色は、強い緑色と弱い青色に変化した。

 どうやらこの反応、回復魔法を極めた結果の緑色と、潜在的な水魔法の才能の青色……ということらしい。つまり、ジジイは回復魔法の基礎である生命を司る魔力の量が豊富だということだ。


 次は私が魔石に触れることになった。お願いだから、少しだけでいいから緑色に光って欲しい。ここでこれからの運命が決まるかもしれない。


 息を呑み、ゆっくりとその石に触れた────。


 その瞬間、あまりの眩しさに目を細めた。

 魔石は、視界を覆う程の強さで七色に光ったのだ。太陽のように眩しく、虹のように綺麗だ。ギラギラと、私の視界をあっという間に埋め尽くす。

 もちろん、緑色の光も見えた。


 私は魔石から手を離す。すると、いつもの薄暗い書店に戻った。


「すごいぞ、ミリ! やはり君は天才だったんだよ」

「……そう? まぁなんでもいいけどね。それより勉強しなきゃ」


 私はいつも通り、本の続きを開いた。早く勉強の続きを教えてくれというアピールだ。なにより、不適合ではないことが分かったのだから、後は勉強するのみだ。

 しかし、ジジイはまだ不思議そうにしている。


「嬉しくないのかい? 私が出会った中でも一番の魔力量の持ち主だったんだよ?」

「別に。魔力量が欲しかったわけじゃないからね。使えなかったら意味がない」

「そうかい」


 ジジイは微笑んだ。微笑むのはいいが早く! 一秒でも早く医者になりたいんだ……なんて考えていた私は、自分でも可愛げのないガキだなと思う。


 ……ただし、褒められたことに関しては、ほんの少しだけ嬉しかった。これは秘密だ。


 すると、クラリスが何処からともなく現れて駆け寄って来た。


「私も触って良い……?」


 ジジイは「いいとも」と言って魔石を差し出した。その様子を見ていると、やはり孫なんだなと思う。私の祖母と祖父は何処か遠くの土地に暮らしているとのことなので、こういった関係は少し新鮮だ。


「緊張するなぁ……よし!」


 クラリスがそっと魔石に触れると、小さな青色の光がほんの一瞬だけ……それだけだった。なるほど、ジジイの言う通り私の魔力量はそこそこ多いんだな。

 彼女は悔しそうに頬を膨らませた。


「ミリは……才能があるんだね」

「嫉妬?」

「いや、そうじゃないけどさ……うん。羨ましいかも」

「嫉妬でしょそれは」


 クラリスは私の発言に、クスッと笑った。


「ミリは才能はあるけど、愛想は悪いんだね!」

「なっ……!」

「ミリは本当に面白いよ」


 それは悪口か……? 本当によくわからないヤツだな。

 私はひとまず勉強する手を止め、クラリスとしばしの水掛け論を楽しんだ。同年代の子供と話す機会などなかったので、これまた新鮮だった。決してサボっているわけではないから! これも勉強の一環だから……多分。

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