異世界診療所の卑屈な天使~農民の私が一流の医者になる話~

Hazai

最初の街が私に厳しい

医者になると決めた日

 一昨日父が死んだ。


 まだ幼い少女だった私は狂ったように泣いた。

 夕暮れ時の狭い部屋。小さな机の上には花瓶と一輪の花、そして雫が数滴だけ。やがてその花が枯れても、泣き止むことはなかった。


「母さん、なんで父さんは死んじゃったの?」


 ふと、私は聞いた。すると母は、震えた声でこう答えた。


「重い、重い病気だったのよ……」


 そして、ゆっくりと続けた。


「いい、ミリ? 大丈夫よ、これからは私があなたを守るから」



 言葉とは真逆の、か細くて頼りない声に私はまた泣いた。



 ラース王国の広大な大地を風が撫でるように吹き抜け、深緑の草木が揺れる晴れた日。


 港街はいつもと同じく多くの人で賑い、遠くの海には、商船が無数に浮かんでいるのが見える。平和で、それでいて退屈な昼下がりだ。



 うるさい街の中を、私は一人で歩く。手には銅貨三枚をぐっと握りしめていた。これは母が私にくれたものである。「何か好きなものでも買いなさい」とのことだ。

 故に、気晴らしも兼ねて街へ出てみたのだが、欲しいものなんて見つからなかった。


 父が死んでからどれくらい経っただろうか。私の心はボロボロだった。心に刺さった刃物が大きな傷を作り、そこから喜怒哀楽全ての感情が流れ出てしまったような感覚といえばいいか。とにかく、窮屈で空っぽの日々を過ごしていたのだ。


 そんな私の目の前を、小綺麗なローブ姿の男が横切った。手には分厚い本を二冊と、手には薬になる草を抱えている。彼は恐らく医者だ。まぁ、この国では特に珍しいものでもないが。


 ラース王国は、世間では医学の聖地と言われている場所だ。ここで生まれた者たちは、決まって回復術を学び、やがては大陸を渡って医者や冒険者パーティのヒーラーとして生きるそうだ。

 治せない病気など一つもない、そう自負する者も沢山いた。


 ……が、確かに父は病気で死んだ。


 我が家は貧乏だったのだ。治療には医者を雇う必要があって、それにはお金がかかる。ガキの私でも理解できる単純なシステムだ。


 私にとってショックだったのはそれだけではない。


 父が亡くなる以前、母が知り合いや友人に頭を下げて回っていた姿を偶然にも見てしまったのだ。

 色々な人の家を訪れ、「主人を助けてくれ」と言っていた。何度も、何度も。私はこっそりついて行ったが、母に手を差し伸べる者は現れなかった。


 やがて、ガラの悪そうな農民の男の家までたどり着いた。やけに広い庭の奥で、母が地面に跪いて必死に頼み込んでいる。

 私は庭に置かれていた樽の影にかくれて、そっと耳をすませた。すると、男の枯れた声が聞こえる。


「で、ちゃんと金は払えるのか? それとも諦めて身体を売るか?」


 幼い私には『身体を売る』という言葉の本当の意味を理解できなかったが、その異様な空気だけは理解できた。


 私はもう、その場を去る母の姿を追わなかった。



 ────そういった事情で、私はお金というものが心底嫌いになった。


 ポケットの中から、先程の銀貨を取り出してみる。価値でいえば、味のないパン2つ分。少なくとも、これで医者は雇えないな……。

 そんなことを考えながら苦笑してみる。が、やはり後味は悪かった。一つも楽しくなかった。試しにため息をついてみるも、心は晴れない。


「あーあ、何に使うべきなんだろ……こういう時って」


 私は誰にも聞こえないくらい小さな声でそう言った。遠くで聞こえる誰かの笑い声が、まるで私を馬鹿にしているかのように響いた。


 この街は書店が多い。ざっと見渡すだけで、四軒も見つかった。その多くは、回復魔法や薬学を学ぶための本を売る店だ。そして山の方を見れば、世界で名の知れた魔法学園の、城のようにも見える大層な建物が霞んで見えた。


「医学…………か、クソっ」


 嫌な記憶がよみがえり、少し目眩がする。そして私は、子供とは思えないような暴言を吐き捨てた。こういった最悪な状況を表すのに「クソ」という言葉はぴったりだ。


 やはりここは居心地が悪い。魔術師のローブ姿の人々が行き交い、店頭には薬草や本が並べられている。どこを見ても医学、医学、医学……あぁ、やっぱり来なければよかった。


 私は駆け足で大通りを逸れて住宅街の方へ向かった。少しでも静かなところへと、細い道に入る。

 そして、人気のない通りに出た。静かな場所だ。



 そこでひとつ、気になる店をみつけた。住宅地の真ん中にポツンと佇む古本屋だ。看板や木のドアは色褪せており、入口の横には申し訳程度の花が添えてある。なんだかくたびれているし、変な店だ。

 でも静かだ。なんだかここにいれば、少し落ち着ける気がする。


 そして、吸い込まれるように中に入ってみた。


 その本屋は、なんとも言えないツンとした匂いがする場所だった。何年かすれば、これはインクや紙の匂いだと知り、後で嫌というほど嗅ぐのだが。ま、それはいいとして。

 とにかく、驚くほど静かな空間だった。まるで、外の街とは別世界のようだ。


 棚には、かつて魔法学園の生徒が使用していたであろう古い教科書が並べられている。サイズや褪せ具合はバラバラだが、丁寧に整頓されていた。他にも、回復魔法や薬学に関する本らしきものが沢山ある。

 私は文字が読めないので、どれがなんの本なのかはイマイチ分からない。


 ここも、結局は医者とか回復魔法のことばかりか。少し残念だ。



 ────すると、後方から年老いた男の声がした。


「嬢ちゃん、魔法学園の生徒か?」


 振り返ると、恐らく店主であろう人物がカウンターに腰掛け、私を見ていた。白い髭を生やし、度の強い眼鏡をかけた老人だ。もう数年もすれば天寿を全うするであろう歴史の傍観者…………。

 まぁ、要するにジジイだ。年寄りのクソジジイ。


「私が魔法学園の生徒なわけないだろ、クソジジイ。あと、私は嬢ちゃんじゃなくて『ミリ』ね」

「はは……」


 ジジイはよくわからん笑みを浮かべた。あまりにも口の悪い少女に対して、一発殴ってやりたいとでも思っているのか? おいおい、相手はまだ子供だぜ、許してくれよ。

 しかし、私の顔面めがけて拳が飛んで来るようなことはなかった。


「ミリは魔法学園に入りたいのかい?」

「……金がないんだよ、クソクソジジイ」


 ただの暴言で突っぱねて見たが、否定はできなかった。ラース魔法学園、私の憧れであり、因縁の相手。丁度思い出した。父が「将来お前を入学させてやる!」と意気込んでいたんだっけ。

 まぁそれも、今思えば嘘だったわけだ。初めから農民には無謀な夢だったんだよ。


 気分が悪くなったので、黙って床の木目を眺めることに徹した。この人との会話から得られるものは何もない。そう判断したのだ。

 しばらくして、ジジイが続きを話し始めた。


「ミリは推薦入学の制度を知ってるかい?」

「は? 知るかよ、クソクソクソジジイ」

「優秀な者は、入学金が免除されるらしい。まぁ、知らないならいいんだ」

「え……?」


 入学金が、免除? 聞いてないぞ、ジジイ。

 私は身を乗り出した。


「なぁ! そ、それについて教えてくれよク……おじいさん!」

「はは……」


 ジジイはまた、よくわからん笑みを浮かべた。


「お願いだからさ!」

「心配しなくても教えてあげるから。あと、呼び方はなんでもいいからね」

「じゃあジジイで」



 それから、店主もといジジイは色々なことを教えてくれた。


 推薦を受ける条件は一つ、治癒魔法・五級の魔法が使えることだ。五級の基準は、冒険者パーティーのヒーラーの平均が五級、世で医者を名乗る者は三〜二級の実力を持っている


 それだけ聞くと簡単そうだが、合格者は一年に二人いるかいないかの高難易度らしい。まぁ、いわゆる無理ゲーなので何十年も努力し続ける覚悟で挑まないといけないらしい。


「それで、ジジイよ。具体的にはどう勉強すればいいんだ?」

「基本は本で学ぶことになるね。もちろん、私も時間がある時は教えてあげよう」

「本、買うのかぁ……えっと、銅貨が三枚あるけど。これ、足りそう?」

「もちろん。それだけあれば充分だ」


 そして私が持っていた銅貨三枚で、くたびれた四冊の本を買った。

 回復学入門、薬学入門、回復魔法四級、回復魔法三級…………。


 まぁ、ボロでおさがりでところどころシミがあってページも抜け落ちているクソジジイにお似合いの中古本だ。だが、これさえ学べば入学できるらしいのだから我慢だな。



「四冊って、クソみたいに重いんだなぁ。持って帰るのが大変だ」

「それだけ沢山の知識が詰まっているということだよ」

「ああそう。で、どうやって読むの?文字ってさ」

「…………読めないのかい?」


 ジジイは非常に驚いていた。すまんな、農民の家に生まれて。



 結局、週に一度この店に通って読み書きから順に教わることになった。家からは若干遠いが、それもこれも医者になるためだから仕方ない。


 私は重い本を抱え、「今日はひとまず家に帰る」と伝えた。ジジイが「また明日」と手を振るので、私も黙って頷いた。


 店を出ようとしたその時、扉が勢いよく開いた。その瞬間、飛び出してきた何かにぶつかり、私はその場へ尻餅をついた。


「痛っ……なんだよ、急に」

「ごっ、ごめん……!」


 目の前には、私と同じくらいの背丈の少女が、私と同じく地面に座り込んでいた。金色のくせ毛から覗く青い瞳は、なんだか涙目である。


「ちょっと……気をつけてよ」

「ごめん。おじいちゃんに会いに来るのが嬉しすぎてさ」

「なんだよそれ、子供かよ……」

「うん、子供だよ?」


 少女は立ち上がると、私に手を差し伸べた。私はそれを無視し、自力で立ち上がった。

 どうやら彼女はジジイの孫らしい。驚くべきことに、ジジイには孫がいたのである。


 まぁ、ここでまごまごしていても仕方ないので(孫だけに)、さっさと家に帰ろう……と思ったのだが、その少女に呼び止められた。


「ねぇ、君。名前はなんていうの?」

「え? ミリだけど」

「ミリかぁ、よろしくね! 私はクラリス。また……来てくれるよね?」

「勉強しには来るけど」


 不思議なヤツだな。そう思いながら、私は今度こそ店を後にした。


 ……余談だが、帰り際にこっそり今日買ったものと同じ本の値札を見てみた。すると、たった一冊で金貨二枚以上の値がついていた。つまり、本来は銅貨三枚でこの本は買えなかったということだ。


 それを知ったとき、心の中がぐしゃぐしゃになった。何故あの人は私に優しくするのだろうか。何故嘘をついてまで、私の背中を押したのだろうか。

 口には出さなかったが、ちゃんと感謝していた。



 帰り道、夕暮れ時の街はやはり騒々しかった。しかし、誰の声も私の耳には届かない。誰も視界に入らない。両手に抱えた「夢」のことで頭が一杯だったからだ。


 あんなに嫌いだったのに、恨んでいたのに、私は医者になりたいと本気で思った。そしてもしそうなったら…………父を見殺しにした奴らを見返すんだ。


 くだらない夢を描きながら、私は家路を急いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界診療所の卑屈な天使~農民の私が一流の医者になる話~ Hazai @Hazai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画