第18話
四月三十日、火曜日。
平日であるこの日、郁は通常通り学校へ向かう。
昨日、一人でにやけてはメールを見返し、写真を見返し、またにやける。そんな一連の動作を一体何度繰り返した事か、流石の郁とて、これは延長を申し出るべきと判断するに値する気持ちが芽生えているという自覚が生まれていた。
送られてきた写真を保存し、何度も見返した。
佐藤が食べていた別のおにぎりの種類を特定したし、よく見ると写真に写り込んだ看板に地名らしきものが見えて、どの辺りで仕事をしているのかも特定した。
「ストーカー気質があったとは」
志穂は呆れてそう言ったが、我ながら言っていて恐ろしいとは思う。
「食べれもしないおにぎりを追い購入しなかったし、どこにいるか分かったからって別に行こうと思った訳でもないけど」
ぼそぼそと言い訳をする自分が見苦しく、郁は両手を上げるようにして降参を示す。
「認める、認めるよ。落としてやろうと思って、逆に興味を持っちゃってる事は、認める」
「落とされたって言いなよ」
「まだそこまではいってない」
郁はそれだけは認めないと、断言する。
「落とされるようなムーブ、されてない。落としたいって思われてないのに、落ちてやる訳にはいかなくない!?」
「意味分からん」
志穂ははっきりと言って、例にもよって郁の卵焼きを食べる。
晴れた昼下がり、いつものように志穂と二人で外で昼食をとりながら昨日の報告をしているところだ。
「それは両片思いの時に発生し得る事で、郁の片思いの場合、郁が行動を起こして落としに行かないと恋人にはなれないよ? 惚れた方が先んじて行動しないと、落としにいかないと、その先はない」
「え、私片想いしてるの?」
「こっわ。それ片想いじゃなかったら、何が片想いなのか私には分からんわ」
興味関心がある事は認める。もっと佐藤を知る為の期間を得る為に延長を申し出たいと思っている事も認める。メールや電話を待っている事も、認める。今までの彼氏達とは違う気持ちの乱高下を学んでいる事も、認める。
「あー、これが、……そうなんだ」
郁は急に照れ臭くなって来て、顔を両手で覆うようにして呟く。
「やっと郁が人並みの恋をしたねぇ」
あははと笑う志穂だが、どこか嬉しそうだ。
「ここからが本番でしょ、郁。冗談じゃなくて、本気で落としにかからないといけなくなった訳でしょ。しかも、期限は明日」
「それは無理でしょ」
結局、昨日は会えなかった。それ自体は覚悟していたが、昼に一日分のメールは済ませたとばかりに、夜は素っ気ないものだった。
十九時頃、何を送るべきかと悩みに悩み、郁は夕食の話を振った。昼に食事の話で返信があった事を踏まえ、また話が膨らむのではと期待した。だが、そもそも佐藤からの返信があったのが二十二時を回っており、『夕食を食べる暇がなかった』と来られては返信を考えざるを得ない。そして考えている間に、『悪いけど疲れたから今日はもう寝る』と言われ、あっさりと今日になってしまった。
「今朝だって。今日は送ったのよ? 『おはよう』って。でもまだ、返事なし!」
郁は携帯の画面を志穂に向かって差し向ける。ロック画面を向けただけだが、郁が来ていないというのだから、志穂がそれを疑う余地はなかろう。
「今日も、会う約束はしてない訳ね?」
「今日も引き続き滋賀ですー。明日は空けておいてくれるって、言ってたけど」
「学校休んじゃえば」
志穂は悪戯心を笑顔に混ぜて、にやりと茶化すように言うが、郁は肩を竦める。
「それはない」
「そこで休みたいって言い出したら本物なんだけどねぇ。まだもうちょいか」
「どういう事?」
むくれる郁に、志穂はいやいや、と笑って話を戻す。
「でも実際問題、どうする? 明日お別れで、明日がラストチャンス。言うつもりはあるんでしょ? 延長したいって」
あるけど、と郁はもそもそと卵焼きを食む。
「うんって言ってくれる気が、正直しない」
綺麗だと、佐藤は言ってくれる。面白いとも、言ってくれる。だが、好意を持たれている気はしない。歴代彼氏達から享受してきた、あの熱い視線を、必死になってくれる熱量を、感じない。
「多分今まで付き合ってくれた人達のそもそもの感情の入り口は、やっぱりこの顔で。佐藤君にはそれが、嵌まらなかった訳で。どうしたらいいか、分かんないよね」
「みんなそこからスタートすんのよ、郁。どうしたらもっと近づけるかなって考えて、距離を縮めていく訳。郁はあちらから距離を詰めてきてくれたから、それが分からない。それを今、学ぶんだよ」
どうやって、と郁はまた同じ疑問を胸の中で投げかける。
「メールってさ、ブロックが出来るんだよ郁」
「うん?」
「郁は佐藤君の連絡先も家も、知らないんでしょ。連絡手段はそのアプリだけ、相手がアプリを消したらもう、連絡とりようないんだよ? 明日約束がっていうけどさ、何ぞやのきっかけで何もかも面倒になって佐藤君にアプリ消されたりしたら、終わりだよ?」
考えた事もない可能性を示され、郁の目から鱗が落ちる。ひやりと、血の気が引くようだった。
「佐藤君は、この学校の人じゃないんだよ。校内で探せばいいやって話じゃ、ないんだよ?」
刺されたように、胸が痛んだ。
アプリを消すと、消した側は当然メールを見る事も返信を行う事も出来なくなる。送った方は、返事がないなと思うばかりで、読まれてもいない事に気がつけない事実を前に、郁は握りしめた携帯画面に目を落とす。真っ黒なロック画面が見返してきて、情けない顔をした郁を映していた。
時間は、もう直ぐ十三時、昼休みの終わりを告げる。佐藤もまた、通常であれば今は休憩をとっている時間である筈だが、何故返信がないのだろう。
(アプリ、消されてるなんて事は)
いや、かなり仕事が忙しい様子であった。昼休憩が遅れているだけかも、休憩がとれない程忙しいだけかもと自分を必死で慰める間に午後の授業は始まる。
授業など耳になど入って来なかったのは、言うまでもない。
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