第15話
その後、気が付くと十七時半を過ぎていた。
入店したのが十三時半頃だったので、四時間もいたことになる。決して短い時間ではないはずの四時間があまりに早く、あっという間であった事への驚きが先に立ち、何を話したのかあまり覚えていない。
話のきっかけは、全て佐藤が作ったように思う。難しい顔をしていた郁の気を逸らせる為か、非常に他愛もない話から始まったように思うのだが、定かではない。
郁は、学校の話をした。学校の何を、と聞かれたら困るのだが、佐藤が実にうまく質問してくれるので、応じている間に志穂の事や、得意不得意教科、苦手な先生の苦手な部分まで愚痴っていたように思う。
同じドラマの感想戦が始まった日には、話は尽きなかった。サスペンスミステリーの、それぞれの思う犯人が違ったので、推理合戦に花が咲く。どちらが正解であるかは、二ヶ月後まで分からない。
佐藤がお腹すいたよね、と言ったので、そこで漸く時間を確認した。十七時半、確かに夕食の事を考え始める時間ではあった。
「夕食は家で食べるんでしょ?」
佐藤は言う。そのつもりではあったが、既に空腹と思しき佐藤に、郁との解散の時間、即ち二十時が近くなるまで夕食を我慢させるのはあまりに酷で、郁は切り出す。
「連絡すれば大丈夫だから、一緒に食べよっか? 食べたいものあるの?」
「コンビニでおにぎり買うよ。ちょっと摘んだら、八時まで全然保つし」
佐藤はキャラメルフラペチーノを一滴すら残さず飲み干し、時計を見る。
「んー、場所移動するにしても微妙な時間だよね。他に行きたいとこなかったっけな」
「普段、休みの日って何してるの?」
「だらだらかな。撮り溜めてる録画消化したり。君は?」
「彼氏がいる週は、相手に合わせてそれぞれ。カフェ多いけどね。いない週は、私もだらだらかな」
「友達と遊ばないの?」
「志穂は彼氏いるからねー。空いてる休みが合う時は遊んだりもするけど、基本は学校以外では会わないなぁ」
ふーん、と佐藤は頬杖をつく。少し眠そうに見えて、郁は苦く笑う。
「疲れてない? 大丈夫?」
「んー? 休みの日にこんな早起きしたの久しぶりすぎて、ちょっと眠い」
彼女を目の前に、眠いとは。相変わらず正直な佐藤だが、嫌な印象を抱かないのだから人柄なのだろうか。
「もうちょっとしたら、帰る?」
ぽそりと、郁は言う。
明日休みの郁とは違い、佐藤は明日も朝から仕事だ。しかも他府県にとなると、もしかするといつもより朝も早いのかもしれない。
郁にとっては、まだ宵の口ですらない。放課後デートの時は、むしろこの位の時間からが始まりであるし、もう少しのんびりと佐藤と話をしていたいという気持ちもある。だが、疲れている様子の佐藤を見ていると、思いとは裏腹に、ぽろりと言葉が口を突いていた。
佐藤は頬杖をついたまま、じっとこちらを見ている。その目を見返すのが恥ずかしくて、すっと逸らした郁を見て、佐藤は可笑しそうに言う。
「君ってさぁ。割ととんでもない彼氏システム採用してる割に、結構純情で男慣れしてないよね」
「そう?」
「あれ、慣れてると思ってる? お触り禁止は、君の可愛さを思えば順当な契約内容だとは思うけど、実際の所、触んの恥ずかしいっていうのもあるんでしょ? 頑なな信念みたいなものがあるっぽいけど、割と柔軟な部分もあったり」
血が昇ってくる郁を眺めながら、佐藤は今なお可笑しそうだ。
「こういう言い方は失礼かもだけど、顔だけじゃないんだね。なんとなく、眺めてるの面白いっていうか、もてるのも分かって来た。表情が正直」
郁は熱い頬を両手で冷ますように押さえながら、佐藤を上目遣いに睨む。
「正直な、表情って?」
「分かりやすい。あはは、まだ帰りたくないんでしょ? 気を遣ってくれてありがと」
そう言って笑う佐藤に一言言ってやりたくて、真っ赤になったまま郁は言う。
「佐藤、君は。女ったらしだよね!」
「……えっ」
佐藤はぎょっとしたような顔をして、身を乗り出す。
「え、ほんとに? 初めて言われた。どの辺が!?」
「笑顔が狡い!」
「笑顔に狡いとかあるの!?」
佐藤は携帯の画面をインカメに切り替えて、自らの顔を改めるように見ながら、一人で笑顔を作る練習よろしく口角を上げる。
「え、なに? どんな笑顔? 顔批判は止めてよ、どうしようもないんだから」
郁の言葉に動揺する姿が可愛いらしくて、郁は溜飲を下げる。
「いやらしい笑顔とかって意味じゃないから安心して」
「気になるわ」
佐藤は肩を竦め、苦くではあるがやはり笑った。その笑顔だとは思ったが、口にはしない。
「でも君、そんなに可愛いと、別れ際揉めたりとかないの?」
可愛い、はさっきの今で二度目だ。郁は気持ちを上げながら、四時間前に購入したチーズケーキの最後の一口を食む。いつまで残ってんの、と言われて、その話は一通りもう終えた。
「揉める、という程では。このままどうって言ってくれる人はいたけど、延長する気にはならなさそうっていうか」
「延長っていう概念、あるんだ?」
「一応、ちゃんと相手と向き合って、相手を好きになろうと思って付き合ってるもの。好きになったら、そのまま正式にお付き合いに移行するつもりは、勿論ある」
「そうなんだ。でも確かに、相手を好きになろうと努力してる感じはする」
「あ、感じる? 例えば、どの辺りに?」
「よく観察されてる感じというか。ちゃんとお洒落して来てくれる辺りとか、期待するよね、そりゃ」
「……期待する?」
「普通するんじゃない。君に相手をよく知って、本当に付き合う気があるっていうのなら男にとっては十日間もアピールタイムを貰ってる事になるけど、結果振られる事を思えば、実際にこうして君と会話をした事のない人間にしてみると残酷な話かもね。周りに誤解されないの」
「はっきり言うよね」
飄々と、言う。本来聞きづらいであろう事も、佐藤は言う。ただし、声のトーンを変えないせいなのか、あまりにも事もなげに聞いてくるので、嫌な感じがしない。いつもそうだ。尋ね方が上手い上、重い空気になりそうになるとさらりと話題を転換するのも上手い。話をしていて安心できる事が、佐藤と一緒にいられる大きな理由のように思えた。
「やってる事だけ見てたら風変わり過ぎるからさ」
あははと笑われて、郁は口を尖らせる。
「それは、認めるけど。決して、遊びのつもりはないのに」
「そこを分かって貰えないと、美人の気紛れによる、貴族様の遊びだよね」
「分かる人にだけ分かって貰えてたら、別にいいの。実際、友達は少ないし」
「もったいないね、面白いのに。延長戦に突入する本物の彼氏が早く出来るといいね。そしたら、本気で付き合うつもりあったんだって、思ってくれる人もいるかも」
そうなるといいね、と優しく笑う佐藤に、郁は言葉がない。郁自身もそれを心から望んではいるが、ここまでの結果として、システムにやはり改善が必要かと思わされる程に成果がない。
「単刀直入に聞くけど、恋ってなんだと思う? どんな風に思えたら、延長してみたらいいと思う?」
「なんで俺に聞くの?」
「色々、思い当たる節のある事言われたから。佐藤君も、私の事割と見てくれてるなって思ったから?」
「なんで疑問系?」
佐藤は破顔して、頬杖をついたまま、こてんと頭を横に倒す。
「他の人とがどんな感じか分からないから何とも言えないけど、義務じゃなくて連絡したいって思えたら、とりあえず延長してみたらいいんじゃないの。延長したからって、長く付き合わないといけないってことはないでしょ」
軽く付き合う割には、考え方が重いかも、と佐藤は続ける。
「高校生なんだからさ。別れる事は視野に入っていたとしても特に問題はないと思うけど」
それはそうだが、と郁は考え込む。延長を申し出ることは、相手に期待させる事だ。それに、契約に近い約束期間を過ぎた場合、郁から提示する条件は適応外にもなる。手を繋ぐ事も、往々にして行って行く必要があるだろう。逆に言えば、それを行えそうな相手でなければ、郁としては延長に踏み切る事は出来ない。お付き合いを延長し、期待させて「触らないで」は流石に、ない。
郁は佐藤を見遣りながら、思う。
(延長戦に突入しても、相手の事を理解して合わせようとしてくれる人間なら、大丈夫ってことか)
郁のお金に関する考え方や、過度な接触を今はまだ恥ずかしく思う心情をきちんと理解し、郁に合わせようとしてくれると思しき相手なら、あるいは。きっと無理強いはしないと思える、相手なら。
「んー?」
まじまじと眺める郁に、佐藤はやはり少し眠そうに言う。
「最初に条件を伝えないっていうのはありかな。私の事を知ろうとして知った上で合わせてくれようとする人が、多分延長線に突入できる人かなって思ったんだけど」
「君が十日をかけて行っているのは、言わばお試しだからね。十日でリコール可能な、条件付きの。それを最初に提示してあげる事は、相手にとっても必要な事だと思うけど。もっとこう、直感でさ。若いんだから」
佐藤は言って、へにゃりと笑う。
「俺も若いんだけど? 何言わされてんのこれ。相手に合わせようとする気持ちって、まあ、付き合おうかってなる段階で普通は育まれてるもんだと思うけど、んー、君の場合はねぇ」
佐藤は考える素振りを見せこそしたが、直ぐに言葉を繋いだ。
「付き合い始めが特殊だけど、条件をのんだ上で相手も付き合ってる訳だから、それでいいんじゃない。困るでしょ、条件つけないで急に当然のように襲いかかってこられても。だからちゃんと条件はつけて、合わせる合わせない云々はお試しの間に見極めて。あとは、もう少し一緒にいたいっていう直感でいきなよ。延長は」
なんて言ってる間に、と佐藤は自らの時計を郁の方に向けた。その仕草に、一瞬目を奪われる。
「もう直ぐ十九時です」
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