第13話

 映画館で男をどきどきさせる方法とは。

 一応、郁は昨晩リサーチをした。するにはしたのだが、正直、手を握ってみるなどの接触型が多く、それを求めない郁にとってはなんら参考にならなかった。むしろ、佐藤が映画は集中して見たいタイプだった場合、気が散るようなムーブはむしろマイナスである。郁としても、折角久しぶりに映画を堪能できる機会である。ここは一つ、映画の最中はゲームの事は忘れて大人しく鑑賞しようと決めて臨んだ。

 しかしながら、事件は割と直ぐに起こる。

 ありがたくポップコーンに手を伸ばした郁の手が、同じタイミングで手を伸ばした佐藤の手としっかりめに、ぶつかった。軽く握ったと言っても良い。

「あ、ごめん」

 と言って、佐藤は直ぐに手を引っ込め、何事もなかったように映画を見始めた。郁はと言えば、触れた熱に驚き過ぎて、それきりポップコーンに手を伸ばすタイミングを計ってばかりで、さっぱり集中出来なかった。佐藤が食べている時が安全な時、とばかりに、前を向いているふりをしながらも、意識は常に、手元にあったように思う。

(何やってんだろ……)

 郁は映画を終え、昼食に向かう為に再びバイクに跨りながら、あまりの情けなさに愕然とする。接触禁止令はそもそも、思春期の男性の理性はあてにならぬとの助言と、我が身を守るための約束事として発令されたものだが、手に触れただけでこの為体とは、実は自分が恥ずかしいだけだからなのではと、最早自分を疑ってすらいる。

「掴まって。落ちるよ」

 言われて郁は、まじまじと佐藤の背中を見つめる。

(掴まるって言ったらなんか許されるみたいだけど、普通にバックハグだからね?)

 しかも、されるのではなく、郁はする側である。こんなもの、躊躇わない方がどうかしている。

「これさぁ、佐藤君」

「うん?」

「美人に抱きつかれてる! って、少しはドキドキとか、するものなの?」

「……うん? あー、うん」

「嘘つきー」

 郁は、一瞬佐藤の目に「意味が分からない」と過ったのを見逃さなかった。

「いやだって、バイクの二人乗りってこういうもんだし」

「女の子に引っ付かれてラッキーみたいなの、ない訳」

「あはは、ぶっちゃけ、ないかな。やばい、他人の命預かってる絶対事故れない! って気持ちが強すぎて」

 言われて、郁は黙り込む。確かにバイクに跨っている間、郁は赤の他人でしかない佐藤に命を預けている状態だ。佐藤が事故を起こしたら、郁とて命が危ない。

「……カッコいい事言うのね」

 素直に認めると、佐藤は笑う。

「免許要る乗り物に乗る者の常識でーす」

 郁はこれは素直に負けたな、と完敗を認め、佐藤の背中に巻きつく。恥ずかしいのなんの言っている時点で、これは郁の負けだ。しのごの言わずに飛びついて見せる事だけが、郁に出来る精一杯の強がりである。

 先程はあれ程までに怖かったと言うのに、慣れとは恐ろしい。郁の命を預かっているという自覚を持って運転する佐藤への安心感からか、安全運転をしてくれるに違いないという信頼から来るのか、来た道を戻る道中は何も怖くなかった。目の前で飛ぶ景色に魅入りすらする。

 郁の最寄駅まで戻って来ると、佐藤にとっては念願の、洋食屋へと入る。昼時であるだけに待つ事になったが、まだポップコーンが腹の中で幅をきかせていたので、むしろ幸いであった。

「何食べる?」

 一つのメニューを肩を寄せ合って眺める。

「どれも美味しそうだから、シェアしようよ」

 どうだカップルらしかろうと、郁は提案する。カップル然としていれば、自然とそれらしい気持ちになってくるものだと、郁は考えている。否、それ以外に相手を落とすという手段に検討がつかない。

「いいね。どれとどれで迷ってる感じ?」

「これと、これ」

「あー、確かにどっちも気になる。俺これも気になってるんだよなぁ」

「三ついっとく?」

「あはは、君が俺と同じくらい食べれるならそうするけど」

 無理でしょ、と暗に言われた。実際、ただの冗談である。そもそも現状そこまで空腹ですらない。

「これも気にならない?」

 佐藤は真剣にメニューを眺め、ああでもないこうでもないと、随分と悩んでいる。

「悩むタイプなんだ」

 郁が子供のような佐藤を見ながら、くすくすと笑うと、佐藤ははっと我に返った様子で、珍しく照れ臭そうに苦笑いを漏らした。

「いや、洋食とか、久しぶり過ぎて。つい」

「普段は悩まない?」

「君はどっち派? 俺は割と決まったもの食べる派。チャレンジ出来ないタイプ。美味しいって分かってるものだけ食べ続けるかな。ハズレ引きたくない」

「私もどっちかっていうと好みはっきりしてるから、割と同じようなものばっかり食べるけど。でも佐藤君、悩み過ぎだよ? 矛盾矛盾」

 メニューを指差して苦く笑う郁に、佐藤は子供のように笑う。

「初めての店はまぁ、悩むかな。どれも美味しそうだし。何度も言うけど、洋食久しぶりなんだよ。あれもこれも食べたい」

 先程映画館であれほど食べたというのに、佐藤は二人前でも平らげそうな勢いである。よく食べるんだなぁ、と微笑ましく眺める郁に、佐藤はハンバーグを指差した。

「あー、やっぱこれは譲れないわ」

「じゃ、私はエビフライ譲れないから、これで。交換してね?」

 うん、と佐藤はメニューを閉じる。眺めてたらまた迷っちゃうからと、佐藤はメニューを次に待つ人に回してしまう。

「さっきの映画、犯人自力で分かった?」

 問われて郁は、ぎくりと目を泳がせる。自ら考察を行える程集中して見れていない事を、佐藤には言えない。理由を聞かれるに決まっている。

「分からなかった。佐藤君は?」

 さらりと誤魔化す事に決めた郁に、佐藤は眉をへの字にして笑う。新しい表情だなと、郁はその顔に見入る。

「ぜーんぜん。推理もの好きなんだけど、頭悪いからさ。正直、トリックも然程腑に落ちてないというか」

「私もいまいち理解できなかったから、映画のせいにしとこうよ」

「おー、平和的解決」

 映画が詰まらなくても話す事がある。そんな佐藤は、客が一組出て行ったのを見て、目を輝かせる。

「次だ」

「そだね」

 くすくすと笑う郁を見て、佐藤はちらりと周囲に目を向けた。

「ん? なに?」

 郁が問うと、佐藤はポツリと言う。

「いや、可愛い彼女連れてるってこういう感じなんだな、って。君って立ってるだけで視線集めるんだね」

「そう?」

 見られ慣れている郁はそう特別な視線は感じないが、佐藤はしみじみと腕を組む。

「なんか、俺まで鼻高いもん。いいなぁ、あんな可愛い彼女、っていう心の声が聞こえてくるし。急に超能力でも身についたかな」

 可愛いと褒められれば、郁はふふんと胸を張る他ない。可愛い自覚はあるし、佐藤にそう言ってもらう為にお洒落してこの場に臨んでいるのだ。ようやく望む言葉を手に入れたという達成感すら湧く。

 次の方、と定員さんの案内があり、通された席は窓側四人席だった。対面でゆっくりと座れる。

(隣に座るべきだった?)

 郁は座ってからはっとしたが、歴々の彼氏達を思い起こしてみても、流石にこういった席で隣掛けは記憶にないので良しとする。それに、対面で座った方が佐藤の表情が良く見えた。郁に見えるという事は、佐藤も郁の容姿を眺める事が出来る、という事だ。

 既に注文は決まっていたので、直ぐにオーダーを通す。佐藤は水の入ったコップを両手で大事そうに抱えるようにして、そわそわと店内を見回している。シックな雰囲気で、ところどころに絵が飾られている店内はお洒落であったが、そこまで物珍しいものでもない。佐藤の反応を眺めている方が面白くて、郁は頬杖をつき、じっと佐藤を観察する姿勢に入る。

「そんなに面白いものがある?」

「一人で入りにくいでしょ、こういう店って。暫く入れる予定ないから、噛み締めておこうかと」

 外から見えていたのはここかぁ、と窓側に座った佐藤は、後ろを振り返って外の景色を確認する。確かに、昨日腰を下ろしていた街路樹の仕切りが見えていた。

「予定ないんだ?」

「昼ご飯は親方達と行ったりするけど、がつがつさっさと食べれる店に入るから、こういうとこは入らない」

「……次の彼女とか」

「目下、予定なし」

 探りを入れられている事に気が付いているのかいないのか、佐藤は即答しながらまだ外を眺めている。

「上から見ると、街路樹がほら、ジグザグに植え込んである」

 少し腰を浮かせて覗き込むと、確かに一直線に植え込まれているのかと思っていた街路樹は、前後にずらして生えていた。

「なんか意味あるのかな?」

「上から見た人にだけ分かる、ちょっとした遊び心とか?」

 佐藤はきらきらと目を輝かせる。小さな発見を喜ぶ姿は正に子供だったが、食べ物が届いた時の反応はもっと幼かった。余程楽しみにしていた事が窺える。箸を握る前に一頻り眺めていた。

 佐藤はハンバーグを一口、口に入れて幸せそうに唸る。食べたいものから食べる派かな、と郁は一人小さく笑う。

「どのくらい食べる? 半分でいい?」

 郁はエビフライに舌鼓を打っている時に話しかけられ、口元を手で隠す。

 シェアの話を忘れていた郁は、既に半分ほど食べたエビフライに目を落とす。一本しかない。佐藤を眺めるのに忙しくて忘れていた。先に切り分けておかなければならなかった事を思い出して困惑する郁の前で、佐藤はひょいと前から食べかけのエビフライを摘まみ上げた。あ、という暇もなく、そのままエビフライに噛り付く。

「あ、美味いね、これも。ハンバーグ、取ってっていいよ」

 ちゃんと半分に切り分けてあるハンバーグに目を落とし、再び佐藤を見遣る。郁の食べかけのエビフライが、綺麗にしっぽだけを残して佐藤の口の中に消えた。

「……食べかけ」

「もうちょっと食べる予定だった?」

「じゃなくて、食べかけ」

「あ、そういうの気にするタイプだった? ごめん」

 ごめんと言いつつ、佐藤は悪びれる様子もなくまたハンバーグに視線を落とした。

 郁はしっぽだけになって佐藤の皿の端にちょこんと置かれたエビフライの残骸を見つめ、沸々と動悸が激しくなってくるのを感じる。

 正直、その後分けて貰ったハンバーグの味は分からなかった。

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