第11話

 その日の夜。

 郁は早々に食事と風呂を済ませ、自室で机に向かった。宿題と向き合いながらも携帯が気になって気になって、一向に捗らない。

 三十分ほどで終わる予定をしていた宿題は九時半前までかかり、郁の予定していた時間にはなんとか間に合った。九時頃の心積もりをしているであろう佐藤の中では、連絡が遅い筈である。

(やきもきしているかしら)

 直ぐにでも電話をしたい気持ちを堪え、郁はアプリを立ち上げては、閉じる。電話が遅い事に関して何等かのメールが届くだろうかと期待していたのだが、残念ながら佐藤は一切連絡を寄越さなかった。

(今か今かと待つ気持ちがもう、恋の始まりよね)

 うきうきとそんな事を考えながら、郁は九時四十分まで待った。待ちに待った瞬間に、郁はいそいそと電話マークに手を添える。

 ――コール音がした。

 携帯片手に今か今かと待つ佐藤を想像し、飛びつくように電話に出る姿を想像し、郁は胸を躍らせる。

(三、四、五……)

 ワンコールで出る事を想像していた郁は、コール数を唱えながら首を傾げた。どういう事だろうと考えて、あちらも郁に対して「じらし攻撃」を仕掛けているのかもしれないと結論付ける。郁だけではなく、佐藤もまた、ゲームを仕掛けてきている筈だ。

(十)

 流石に遅いのではと、郁は不満を滲ませる。一度切らせるつもりなのか、更に時間を開けてじらすつもりなのか。電話をすることが嫌になったのではと俄かに不安になってきた郁に応えるように、十数回目で、やっとコール音が途切れた。

『――っ、はい』

 佐藤は、慌てた様子で電話に出た。少し、溜飲が下がる。

「もう、遅いよ」

 そもそもわざと遅れたのは自分である事を忘れ、郁は電話越しに小言を漏らす。

『ごめん、もしかして何回かかけてくれた?』

 郁は呆気にとられる。その発言はまさか、携帯を側に置いていなかったと、そういう事だろうか。

「かけてないけど」

『良かった。寝室で充電してたの忘れてた』

「……忘れて、何してたの?」

『え? テレビ見てた』

 がっくりと、郁は我知らず肩を落とす。携帯を抱えて待つどころか、放置して忘れていた、と。それはつまり、郁からの電話がある事を忘れていたに等しい所業である。怒りがないわけでもなかったが、それよりは残念な気持ちの方が強かった。佐藤はまだ、郁からの連絡を楽しみに待つ段階に気持ちがない、という事である。

(まあ、勝負を始めたのは今日だし)

 そもそも、そこまで佐藤の気を引くような事もまだしていないだけに、これからこれから、と郁は自分を慰めて切り替える。

「何のテレビ?」

『バラエティ。それで、明日どうする? 帰りに見てみたんだけど、やっぱりあの洋食屋朝はやってないみたい。昼集合にする?』

 テレビに関して深く話すつもりはないらしく、佐藤は用件を単刀直入に問うてきた。

「え、それはない。朝からだよ。佐藤君、ただでさえ会う時間限られてるんだから」

 午前中を丸々投げる訳にはいかない。洋食屋は、また別の機会にでも行ける。

『おけ。そしたらまず、見る映画を決めよう。その時間に合わせて、前後の予定を立てる』

 うん、と郁はいそいそとパソコンを開く。実は見たい映画は既にピックアップしてあるのだが、一応、そこは応相談である。

「ちなみに、佐藤君は見たいのある? 前にアニメって言ってたよね?」

『うちパソコンなくて。今って他に何やってるのか、列挙してもらっていい?』

 郁は、上からタイトルを読み上げる。これは嫌だと明確に思えるものもあるにはあったが、選り分けず、一旦全てを読み上げた。佐藤の好みを知るいい機会である。

「どう、見たいのあった?」

 郁が問うと、佐藤は某有名アニメのタイトルを口にした。郁がピックアップした中にはなかったのだが、見られない事はない。小学生の頃は見ていた。

『君は? ちなみにどれ?』

「佐藤君の見たいのでいいよ」

『いやいや。見たいの、見繕ってたでしょ。どれ?』

 郁はぎくりとしながらも、冷静を装って聞いてみる。

「なんでそんな事が分かるの?」

『当てようか?』

 佐藤は郁の問いには応じず、可笑しそうに言った。やれるものならやってみろとばかりに挑戦に応じた郁だったが、佐藤が列挙した三つのタイトルは、全て郁がピックアップしていたもので間違いなかった。

「どうして分かったの!?」

『内緒ー』

 郁の反応が面白かったのか、佐藤はけらけらと笑いながら言った。既に郁の好みを把握しているという事は、郁に興味を持っているという事で良いのではと、郁はどきどきしながらも気を良くする。

『その中で言ったら、二つ目のやつがいいな。それにしよう。時間調べてくれる?』

 二つ目、と郁は佐藤の言葉を思い出す。洋画の探偵ものだ。流石に恋愛映画は一緒に見てくれないか、と郁は小さく笑う。想定内は想定内だ。

「えっとね。九時の次は、十一時半、次は十五時」

 その後はナイトである。郁の門限的に却下である。

『朝一の九時で見て、洋食行く? それかモーニング行って、十一時半? 十五時は中途半端かな』

「一応聞きたいんだけど、何時解散を予定してる?」

『今日くらいの時間でしょ?』

 言われて、郁はほっとする。早々に解散すると言い出しても、この男なら不思議はない。

『映画が無料で、ポップコーンは御礼として俺に奢らせてくれるんでしょ? モーニング行ってたら千五百円は無理だからさ、朝ごはん映画館で済ませようよ。そしたらランチで千五百円使える』

 千五百円と予算を告げた事を、覚えていてくれたようだった。それだけの事で、気持ちが上がる。

「ポップコーンが朝ごはん?」

『なんか色々あるじゃん? 食事っぽいものも。ポップコーンじゃなくても、映画館の飲食奢るって意味で言ったからさ』

「それじゃあ、お言葉に甘えて。それで映画を見て、洋食にする? ちょっと移動するけど」

『平気でしょ。どうしても食べたい』

「あはは、そんなに言うなら、そうしよう」

『その後の事は、昼ご飯食べながら考えるという事で。明日、君の最寄りの駅集合で。ええっと、時間は八時半』

 分かった、と郁が言いながら頷くと、佐藤は信じられない事を言った。

『じゃ、また明日』

 郁は絶句する。もう終わりかと突っ込みかけて、慌てて言葉を飲み込んでいる間に、じゃあねと今一度言って、佐藤はぷっつりと電話を切ってしまった。

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