第6話
非常に心残りのある結果になってしまったが、負担になると言われたのでは、二の句が継げない。
帰路についた郁達はしばし、何を話して良いものやら、沈黙を持った。佐藤は郁が泣いた理由についても、そもそも病院が苦手である理由についても、何一つ尋ねては来ない。
(詮索をしない人だな)
人は一般的な世間話として、家族の話をする。
だが、両親のいない郁は、その手の話を振られる事が嫌いだ。あの絶妙にばつの悪い空気感が、嫌いだ。目の前の人物に当たり前に家族がいるとは限らない事を知っているだけに、郁もまた、その手の質問をしない。
例えば目の前の佐藤は、母親の事は流れで知る事となったが、他に兄弟はいるのか、父親はどうしているのか、疑問には思っている。思っているが、聞かない。仲の良い兄弟がいれば、存命で関係が良好の父親がいれば、そのうち自然と会話の中で登場するだろうと思うからだ。全く出てこないとなると、察するにあまりあるというものだ。
佐藤は、郁の家族の事も、病院が苦手とする理由も尋ねては来ない。彼もまた、郁のように詮索をしない事を敢えて心掛けているのではなかろうかと思う。母親があのような状況にある彼は、郁と少し近しい感覚を持っているのかも知れない。
「……ねえ」
郁が隣を歩く佐藤に対し、先に声をかけた。
「ん?」
「明日も病院、行くんでしょ?」
「うん」
なんで、と目で問いかけてくる佐藤だったが、突撃してやろうかと密かに企む郁はそれには答えず、話を変える。
「佐藤君は、今日は晩御飯何食べるの?」
努めてどうでも良い、ライトな話題を選んだ。辺りが暗い事もあって、沈んだ空気になりつつある。
「コンビニで何か買って帰ろうかな」
「またコンビニ?」
「じゃあ牛丼かな」
はは、と笑った佐藤に重々しい空気はなくて、郁は胸を撫でおろす。
「そういう君は? いつも結構遅い時間に食べる? それとも、昨日今日と俺の都合にあわせてくれただけ?」
「日によるかな。学校から直帰の日とかは早くに食べるし。出かけた日は今日くらいの時間にも全然なるよ。佐藤君は?」
「大体仕事終わりに食べに行くから、昨日今日は遅めかな。今日は君を送ってった帰りにどこかに寄る。近場で美味しい店ある?」
「一緒に食べる?」
「あはは、門限門限」
佐藤は笑って腕時計を指差す。覗き込んでみると、確かにそんな時間はない。帰宅すらぎりぎりだ。
「私の誘いを断る男は、まぁいないんだけどね?」
「それはそれは失礼しました。君みたいな可愛い子の誘いなら、普通はそうだろうけど」
そういえば自分から誘った事あったっけ、と思い起こしながら、郁は言う。
「でも、佐藤君はのってこない?」
「門限がある家庭のお嬢さんを遅くに連れ出して怒られるの、馬鹿馬鹿しくない? なんで自ら怒られに行く必要が?」
逆に問われて、言われてみるとそうかな、と郁は首を傾げる。
「うち住宅地にあるから、これといってお勧めできるようなお店はないかなぁ。佐藤君のお勧めは?」
「安いチェーン店回るから、特には。あ、でも、今工事手伝ってる店は美味しいよ。この前ご馳走してもらったけど」
「へえ、どこ?」
「三松っていう、うどん屋。チェーン店ほど安くはないけどね」
へえ、と郁は店名を頭に叩き込む。今工事を手伝っている、と佐藤は言った。つまり、ここ最近は日中、そこで仕事をしている、という事だ。どこで仕事をしているのか、後で調べてみる事にする。
「明日病院、来ないでね」
唐突に言われて、郁は目を丸くする。
「行こうかなって考えてるの、何で分かったの?」
「なんとなく。ほんっとに、気にしないで。十分過ぎるほどの事やって貰ったって思ってるからさ」
うん、と郁は仕方なく頷く。そこまで言われては、郁の気が収まらないという理由だけで勝手に押しかけることは出来ない。
信号を渡ったところで、美味しそうな匂いにつられるように佐藤が目の前の店に顔を向けた。そこには店内のみならず外まで客が並ぶラーメン屋がある。
「有名なのかな」
「あれ、知らない? この辺りだと結構有名だよ。店長が気まぐれで、割と閉まってるんだけど」
「まじ? 知らなかった。今度来てみよ」
「今日じゃなくて?」
「お腹空きすぎてあんな行列並んでられない」
お腹を押さえてみせる佐藤は、さっきコンビニで買って摘んだものは足しになっていないらしい。佐藤はまた今度、と笑って先に歩き出した。
「細いのに、結構食べるんだね?」
「力仕事だし」
「並ぶの嫌い?」
「いやー、そんな事はないけど。今日は早く食べてさっさと帰りたい気分が勝るかなっていう」
「そういえばなんか当たり前に送ってもらっちゃって、ごめんね?」
郁が手を合わせると、佐藤はあははと笑う。
「何言ってんの。付き合わせといて送らないとかないでしょ。危ないし」
「危なくはないでしょ。高校生だよ? まだ十九時台」
高校生にしては、郁の門限は早い方である。これに関しても、歴代彼氏達の中には不服そうな者がいた。
「時間の問題だけじゃない。女の子の一人歩きは、危ないの」
そうかな、と肩を竦める郁は、やはり歴代の彼氏達を思い出しながら、ぽつりと言う。
「本当に危ないと思って、みんな送ってくれるのかな。彼氏としての義務?」
「みんな? あー、歴代の彼氏?」
うん、と頷く郁に、佐藤は言う。
「義務感っていうか、君と少しでも長く一緒にいたいって気持ちからなんじゃないの」
「あー、そっか、成程。そう思ってくれるなら、嬉しいけど。佐藤君はどっち?」
「危ない」
「そこは両方って言うところ」
即答する佐藤に、郁は苦く笑う。
そんな風に他愛もない話をだらだらと続けるうちに、郁の自宅は近づいて来る。
こうして内容のない話をしている時が、最も彼氏彼女としての時間を過ごしているように感じるのだから不思議だ。
自宅の場所を知られたくない郁は、いつも最寄り駅まで送ってもらう。駅からもそう暗い道でもない為、不安はない。いつも通り、佐藤にも最寄駅まで送ってもらい、別れた。一人で歩く帰路はなんとなく物寂しいが、それも束の間、直ぐに自宅は見えてくる。
帰宅一番、郁はまず風呂に入った。いつもは着替えてからのんびりと過ごすのだが、今日は部屋着に袖を通したところで過ごす時間は僅かだ。さっさと風呂を済ませて着替えた方が効率が良い。
郁は風呂から出ると、晩御飯を食べながら早速「三松」を調べた。
平野公園から徒歩十五分程、あの公園が待ち合わせ場所に選ばれた理由も序でに判明する。とはいえ、他にも待ち合わせ出来そうな目ぼしい場所は幾つも散見された。神社仏閣や、それこそコンビニ、銀行前など、職場らしき三松から近しいより適した場所は沢山ある。
(今度待ち合わせ場所に平野公園を選んだ理由を聞いてみようかな)
思いながら、郁はアプリを開く。
(『結局、何を、食べてる、の』と)
メールを送信すると、直ぐに返信がある。タイミングさえ合えば、どうやら佐藤は即レス派のようだった。
(ふふ、結局牛丼か)
郁の指は、佐藤の返事を見ると同時に返信を打ち込み始めている。
(『こちらは、鮭と煮物だった。佐藤君は、仕事、何時から?』)
(『九時』か)
郁は一瞬携帯から目を離し、煮物を口に運ぶ。
明日は土曜日だ。郁は午前中で授業を終え、帰宅する。佐藤の方はおそらく十八時頃まで仕事かと推測される。
(『明日、晩御飯、行かない?』)
会うとするなら十八時以降、そうなると必然的にこうなるよな、と思いながら郁は送信を押す。
(……『明日は無理』、と)
素っ気ない断りの返事があり、郁は苦く笑う。
随分とあっさり断ってくれるものだ。これまでの彼氏達とは違い、佐藤は郁が誘わなければ約束を取り付ける事が叶わない。それはそれで気楽だが、佐藤という人間に彼女としての時間を割く以上、もう少し彼から学びを得たい気持ちはある。学べる事が多いように思える上に、一緒にいる事が苦痛ではない部類の人間だ。最近割とはずれを引いていた郁としては、久しぶりに引いた当たりの感覚は大事にしておきたかった。
(とはいえ、無理というものを無理矢理というのもね)
何とかして時間を割いて貰うだけの説得をする。それはそれで、面倒だ。天秤にかけるとやはり、面倒は御免だと思ってしまう程度には、郁の恋愛観は穏やかなものだ。
(明日はドラマの続きでも見るか)
郁はアプリを一旦落とす。こちらからメールをしない限り佐藤から連絡がない事は分かっていたし、実際、佐藤からは何の音沙汰もなかった。寝る前にメールをとは思っていたが、結局面倒になって止めた。
自分に興味がない人間と連絡を取る事は存外疲れるのだと、郁はまた一つ、学びを得た。
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