第2話 そして、少女は産声をあげた

 目を開けたら異世界だった、なんて、そんな都合のいい話、あるはずもないと思っていた。



 午睡を誘う木漏れ日が差し込む部屋の中。寝具から起き上がった私は見覚えのない豪奢な空間に思考が停止していた。燦然と存在を主張する高価そうな家具も、其処らに散らばっているごてごてとした悪趣味なアクセサリー類も、何もかも見覚えがない。何なら、身を横たえていたはずの寝具のふわふわとした感触も馴染みがない。

「…………どこ?」

 引き攣った声が、零れ落ちる。それすら聞き覚えのないもので眩暈に襲われた。

 いったい私は、どこにいるのだろう。そもそも、どうして寝ていたのだろう。わからない。何もわからない。わからないことだけがわかっていて、混乱は深まるばかりだ。

 その混乱に終止符を打ったのは、身を横たえていた寝具の近くに置かれていた立派なアーチ型の全身鏡だった。其処には茫然とした表情ではあるものの、類稀と評するに相応しい美貌が映っていた。

「…………これが、私?」

 震える足を叱咤して、全身鏡に近づきまじまじと鏡面を覗き込む。

 歳の頃は、十五、六、といったところか。真っ向から見返してくる高貴な輝きを秘めた紫水晶の瞳は大人びているが、全体的な印象はどことなくあどけなさが残る。一方で、きら、きら、と双眸が輝く様は近寄り難く、涼やかな目元は冷たそうな印象を与える。とは言え、それらが少女の美しさを損ねることはなく、睫毛の一本一本に至るまで光を弾き煌めく様は筆舌に尽くしがたい。

「きれい……」

 薄く色づいた蕾が解けて、凛とした張りのある声が響いた。恐る恐る手を上げて、仄かな桜色に染まった頬へ当ててみる。それから白雪の肌を覆う髪を梳いてみた。上質な射干玉の髪は腰まであるにも関わらず、毛先に至るまで引っかかることもなかった。

 どこからどう見ても、完璧な美少女だった。

「落ち着け。冷静になれ私」

 こつんと鏡に額をつけて、深呼吸をする。

「思い、出すんだ」

 まずは、名前。千早奏。性別は女。年齢は三十路を過ぎて数年余り。父母から継いだ容姿はそれなりに整っていたし、それなりに勉強もできた。家庭環境も悪くなくて、笑い声が絶えなかった。友達もたくさんはいなかったが、そのぶんお互いに気兼ねなく付き合える人たちに囲まれていたと思う。特に変わり映えもなく繰り返される毎日は単調ながらも愛おしいもので、ぬるま湯に浸かるような心地よさがあった。仕事をこなし、家事を手伝い、家族と笑う。そんな他愛のない日々を昔から過ごしていた。世間一般から見ても平凡極まりない普通の人生だったと断言できる。

 しかし、今置かれているこの状況は明らかに異常だ。知らない部屋、知らない身体、知らない声。私を私たらしめる要素が、ここには何もない。

 これは夢だろうか。それにしてはいやに意識がはっきりしている。では、少し前からライトノベルを中心に流行っていた転生と言われる現象だろうか。だがあいにく死んだ覚えはない。白昼夢という線も考えられたが、それにしては意識は明瞭だ。そこまで考えて、突飛な現状に散漫とする思考は意志とは裏腹に考えることを放棄した。

 溜息をついて目を閉じる。真っ暗になった世界に、鳥の囀りが跳ねる。蒼穹を切り裂く音は鋭くも優しい。張り詰めた神経がほんの少し緩んだ。

「(焦っても仕方ない)」

 もう一度、今度はより意識的に大きく息を吸い込んで吐き出す。アロマでも炊いていたのか、鼻をくすぐる香りは仄かに甘かった。

 暗く閉ざされていても、優しい世界。

 反面、体温の移った鏡面は生ぬるく、間近で反射される吐息は不愉快な熱を帯びている。鬱屈とした気持ちが体の奥底から湧き上がるのは、現状の意味不明さに心が追い付いていないからかもしれない。

「ようこそ、フレンデリカへ」

 不意に声がした。はっと息を呑んで目を開ける。

 視界を、銀が躍った。それが髪だと気づくまでに時間を要したのは、想定以上に目の前の存在が小さかったからだ。全長、およそ二十センチ余り。月光の冴え冴えとした色を思わせる髪を泳がせて、琥珀色の切れ長な双眸を細めて、それは美しく笑っていた。

「おやおや、わたしが見えているのですね。実に善きことです」

 先ほど聴いた、テノールが詠う。真っ向からぶつかった視線に大げさなほど肩を竦めて男は首を傾げた。少しも崩れることなくわずかに口端を上げて象られた芸術品に近い微笑みは筆舌に尽くし難い。彼が放つ異彩に圧倒されて返事もできない。一度見たら網膜に焼きつくほどの一点の曇りもない美貌はそれほどまでに壮絶だった。

「おはようございます、シャルディナ。いいえ、千早奏」

 にこやかに男が言う。妙なる調べのように心地よく鼓膜を震わせ心を慰撫する声だ。不安と困惑にささくれ立っていた神経が落ち着いていく。

 深呼吸を一度、二度。意を決して私は彼に言葉を返した。

「おはよう、で、あってます?妖精さん」

 妖精さん。その呼び名に相応しく、小さな男は背中に透き通った羽を背負っていた。


 

 


 フレンデリカ。それはマナと命を司る世界樹ユグドラシルによって富と繁栄を極める世界であり、創造神アレクシアによって生み出された、生きとし生けるもの全てが役を羽織る世界でもある。魔物も人も、精霊も、ともすれば世界を創った創造神ですら例外なく役割に縛られている。誰もが産声を上げると共に舞台に上がり、息を引き取る瞬間まで与えられた役を演じ続ける。脚本も監督も不在の舞台には降板表が存在するのみだ。当然カーテンコールはなく、クランクアップもない。理不尽な役だろうが光栄な役だろうが、誰もが役割に殉じるために生き、『演じ切った』という誇りだけを胸に死という名の幕を下ろす。

「それが唯一絶対の御褒美なんです」

 創造神の使いだと名乗った妖精が柔らかく笑う。

「役は、そう、あなたの世界で言う宿命ですね。それを知っているか知らないかの違いだけ。千早奏は知らず、シャルディナは知っていた」

 彼の説明によると、身体の持ち主の名前はシャルディナというようだ。歳は十六。由緒正しい公爵家の次女ではあるが、直接的な血のつながりがあるのは父だけらしい。というのも、シャルディナは御者の男と駆け落ちした父の妹が産み落とした子で、十年前、二人が流行り病で没した際にふらりと公爵家に訪れそのまま引き取られたのだという。お父様と呼び慕っているが、関係性的には伯父にあたる。どうして突然現れた少女を妹の子どもだと確信を持てたかと言うと、生前彼女の母――シャルディナから見た祖母――より受け継いだ家宝のネックレスをその手に持っていたからだそうだ。兄妹仲は悪くなかったらしく、以降、妹の忘れ形見である彼女は実子と変わらない待遇で大切に育てられた。

「ですが、シャルディナは過酷な宿命を背負っていました」

 必死で現状を理解しようとする私を知ってか知らずか、妖精は流れるように説明を続ける。

「先ほども述べた通り、この世界に生まれ落ちた住人は、誰もがこなすべき役割をもって生まれてきます。悪人なら悪人、善人なら善人。理念も、思想も、職業も、何もかも定められていて、道筋が示されているのです」

 それは命の天秤を壊さないためだ。死と生が釣り合うように、決して死者と生者の数が狂わないように、世界が末長く脈動するように。この世界を創造した神によって管理されている。

「とはいえ、演じる器は脆き生命体。故に、神は過酷な使命を持つ者ほど意図的に役を羽織る瞬間を――使命を悟る時を遅らせました」

 決して心が壊れないように、舞台を降りてしまわないように。最後まで役を演じ切れるだけの心の成熟を待つ方針を執った。

「ですが、稀に神の慈悲を以てしても終幕に辿り着けない命があります」

「……それが、この子?」

「ええ。彼女は神からの啓示を受け、悲嘆に暮れるだけではなく自死を選ぼうとした。ですので、創造神から遣わされた妖精たる私が規則に則り、打開策として最も魂の形が似ている貴女を異世界から探し出し、器を交換しました」

「優しいね」

 役から解放するなんて。

 率直な感想を伝えれば、ふるりと首が振られる。

「まったく。寧ろこれは宿命から逃げたシャルディナへの罰と言えるでしょう」

 お前のせいで死ぬ者がいるのだと。

 お前が他の者の未来を奪ったのだと。

 そう知らしめる意図が込められているのだと。

 妖精は笑う。綺麗に、美しく、優しく笑う。どうしたって人の痛みがわからない人外の微笑みは、それ故に自由で眩しく映った。

「この子の、シャルディナの役ってなに?」

「世界に波乱を呼び起こし、単調な歴史に起伏を刻むこと。言うなれば、アリステラを葬らんと志す魔王になり、平和のために討ち取られることです」

 アリステラ。その名前には、覚えがあった。正確には、体の持ち主であるシャルディナが朧げに覚えていた。

 それは、義姉の名前。闇色を纏って生まれ落ちたシャルディナとは正反対の、清らかな金糸にとろりとした蜂蜜の瞳を持って生まれた光色の可憐な美少女。

 そして、世に蔓延る魔物に苦しめられる人々を導く「救世主」の役割を担い持っただけではなく、世界樹と創造神を崇め奉る神殿からも「いずれ来る災厄から世界を救う」という神託を下された、聖なる力の使い手。

 シャルディナが世界を滅ぼす魔王となる定めを背負って生まれ落ちたのだとすれば、アリステラは世界を救う使命を背負って誕生した存在だった。

 とは言え、一般に神子と言う名からイメージする人物像と記憶の中にある彼女は少々かけ離れていた、何故なら、彼女は護られることも、弱くあることも厭うのだ。なよやかな乙女として癒しや浄化の力を使い微笑むだけで褒めそやされる存在なのに、自ら護身術を学び、剣をその手に魔物たちと相対する。況してや彼女を庇って傷を負おうものなら、「わたしを人殺しにするつもりですか!」と叱り飛ばしてきさえする。可憐な面立ちをきりりと引き締めて凛と背筋を伸ばす姿はとても清らかな神子には思えないものの、全てを護ろうと努力するその姿を好ましいと、確かにシャルディナは思っていたのだ。

 そう、シャルディナは、アリステラが好きだった。突然できた妹にまっすぐ柔らかな微笑みをくれた日から、惜しみなく優しく接してくれた日から。

 彼女が大好きで、大切で、世界で一番愛していた。

 父や義母、使用人も皆シャルディナに対して親切で優しかったけれど、どこか壁があったのは否めなかったから、余計に嬉しかったのだ。

 アリステラの愛情を一身に受け止めたあの日あの瞬間、シャルディナはこの笑顔を守るのだと誓った。世界の全てを敵に回しても、彼女に嫌われても、この人の幸福のために生きるのだと決めた。

 だから、耐えられなくなった。魂に刻まれた定めを思い出して、義姉の敵となり不幸となりその魂を傷つける道を選ばなければならないのだと知って、心を壊してしまった。とても演じられないと、宿命を放棄して死のうとした。

「(知れば知るほど、愚かで愛しくて、可哀想な子)」

 それほどまでに誰かを愛せることは、羨ましくもあり不幸でもあるなと哀れみが募る。

 とくとくと鳴る心音はシャルディナのものだったはずなのに、もう私のものとして機能してしまっている。そして今頃、私の身体に入ったシャルディナは同じ状況下に置かれて途方に暮れている頃だろう。

 宿命から逃げた罰だと妖精は言った。魂が相似している者を巻き込み破滅の運命を押しつけた後悔を抱えて生涯を終える。想像力を働かせるまでもなく、それは確かに想像を絶する贖いの道だった。

 情報として知るシャルディナは、心優しい少女だ。伯父夫婦とその娘の愛情を一身に受けて健やかに育った。だからこそ、役のない世界で、手の届かない場所で最愛の姉が苦しむ姿を思いながら、誰にも言えない秘密を抱えて平凡な日々を送るのは身を切るよりつらいはずだ。

「貴女は冷静ですね」

 興味深げに妖精が言う。ズレた発言だ。勝手に魂を入れ替えて、理不尽な役を押し付けて、出てくる感想がそれとは人外らしすぎて嗤いたくなる。

「泣き喚いて欲しかったの?」

「いいえ。ですが、今まで同じ境遇に立たされた方々は烈火の如く怒り狂うか、慟哭するか、茫然とするかでしたので。少々意外でした」

 不思議そうに首を傾げる妖精に頭痛がする。彼は人間の理の外側を生きる存在で、妖精の価値観しか持ち合わせていないのだろう。悪びれなく語られる経験談に込められた熱が否応なく伝えてくる。

 千早奏は前例に当てはまらないのが不思議ですと、ただそれだけのひどくシンプルなデリカシーに欠けた感想を。

 しかし、妖精が不思議がるのも無理はない。普通なら食ってかかっていい状況下で、私の心は恐ろしく凪いでいた。死が確約された道を強制的に用意されたと理解しても、怒りは湧かなかった。

 理由は明白だ。私はずっと退屈していた。飽いていた。それだけだ。

 別に、元の世界に不満があったわけじゃない。富豪でこそなかったものの一般的な家庭よりは裕福な家に生まれて、何不自由なく暮らしていた。親ガチャという言葉に眉を顰めるぐらいには、恵まれていたと思う。学生時代も社会人生活も人間関係は概ね良好で、文句を言ったらそれこそバチが当たると断言できる。

 大きな失敗も挫折もない人生は、側から見たらさぞ勝ち組だっただろう。

 だけど、運命の悪戯は、そんな私をかくも数奇な道へと導いた。それならば。

「事情は理解したよ、妖精さん。私は世界を救う神子のために、シャルディナに与えられた悪役を精一杯努めると誓います」

「本当ですか!」

 踊ろう。その果てにあるのが滅びだとしても、息絶える間際に後悔を味わうことになったとしても、その瞬間までは悪役の仮面を被って踊り切って見せよう。

 ――私には、知りたいことがある。

 決意を固く宣誓した瞬間、ぱっと妖精の顔が輝いた。

 彼が人と異なる感性の持ち主なのは間違いないが、それでも根本的に性根がいいのだろう。疑うことを知らない目はどこまでも真っ直ぐで、無垢で、穢れなくて、人ならざる者なのだと納得する。言動や行いがどうであれ、彼の心はあまりに真っ白すぎた。私に少しでも後ろ暗いところがあったなら、裸足で逃げ出していたかもしれない。

「この世界で生きるためのサポートは徹底的にさせてもらいます。それから、貴女の望みも出来得る限り叶えましょう」

 それが規則なのだろう。恐ろしいことをさらりと言った妖精に逸る鼓動を抑えつける。

「二言はない?」

 声は、上擦らなかっただろうか。怪しまれなかっただろうか。

 はらはらしながら見つめた先で、妖精はあっさりと頷いた。

「ええ」

「そう。言質はもらったから、さっそく対価を一つ要求させて」

 等価交換だ。世の中タダより怖いものはない。

 成果には報酬を。褒美には実績を。他人の命運を託されるからには、相当の対価を支払ってもらう必要がある。過不足なく均等に、互いが潤うように。利が釣り合ってこそ、取引は成立する。

「私に恋を教えて」

 しん、と場が静まり返った。虚をつかれた様子で笑顔のまま固まった妖精の隙を逃さず畳み掛ける。

「誤解のないように伝えておくけど、恋人にはならなくていい。そうじゃなくて、私はただ、誰かを特別に思う『恋』という感情がどんなものなのか知りたいだけ」

 元の世界での私は、満たされた人生を送っていた。何も不自由なんてしていなかった。だけど、家族以外の誰かに特別愛されたことも、愛したこともなかった。いつかは恋に落ちるかもと淡い期待を抱いた学生時代も、結婚が視野に入り出した社会人になってからも、分からなかった。

 結婚適齢期云々といった面での焦りはなかった。ただ知らないというその一点で、単純に『恋』に関しての興味だけが強くなった。

 だから、無償に注がれる愛の中でも、生物が子孫を残すために獲得したとも言える『恋』という感情の味を、色を知りたい。種の存続を賭けるにはリスキーで不確かな人生のスパイスを手に入れて潰えたい。

 異世界転移の現実を受け止め無情な役を引き受けた理由は、たったそれだけの好奇心だった。

 そもそも私が知る異世界ものは、召喚された先や成り代わった先、転生した先で必ず誰かと恋に落ちていた。どれほど鈍感なヒロインも、冷たいヒーローも、悪役令嬢も、ともすれば人間でなくなってすら、運命の相手を獲得していた。互いに情を持ち、愛し合う仲になった。千差万別の物語の結末も、波瀾万丈な旅路の果てにあるものも、皆同じ。その過程にあるのは永遠に変わらない愛だった。

 それならば、異世界に連れてこられた今、いくら恋を知らない私だって、恋というものを理解できるに違いない。

「私に『恋』を教えること。それが、悪役を引き受ける唯一の条件」

 たとえその代償に、多くの人から嫌われることになったって構わない。仮初の家族から嘲弄されたっていい。世界全てが敵になって、最後には殺されると決まっていても、後悔はしない。

 一生分の無償の愛は、もう貰っている。茨の道を歩んでいけるだけの幸せは、既に経験している。

 あの世界で、千早奏が知り得なかった心を知ることができるのであれば、何を恐れることがあるだろう。

 ――姉を想う体の持ち主の意に反することには、罪悪感を覚えるけれど。

「わかりました」

 難しい顔をして黙り込んでいた妖精が、ふわっと穏やかな微笑みを広げた。

「約束します。シャルディナの代役として貴女が役目を全うするのと引き換えに、『恋』を教えましょう」

「うん。よろしく」

 なんの強制力もない、相手の誠実さだけが頼りの口約束。世界を正常に回すために連れてこられた代役の望みなど、反故される可能性だってある。

 それでも、信じなければ何も始まらない。疑っていても私は私に戻れるわけでもないのだから。

「信じてる」

 信頼を言葉に。信用を響きに。どうか裏切らないでと冀う。

 ぐっと妖精が息を呑んだ。片時も外されなかった美しい瞳に漣が立つ。

 動揺。憐憫。それからほんの一匙の決意。

「わたしとしても、貴女が役を全うできると信じます」

 ゆらゆらと揺蕩う感情の波は雄弁だ。妖精の彼に課せられた役を推し量ることはできないが、その葛藤を生み出した優しさを私は尊重する。

 きっと、彼が裏切ることはない。如何なる手段を使ってでも、願いを叶えてくれるはずだ。

 だから、滅びの道の最果てに、最も望んだ褒美は強く光り輝くだろう。

「…………あ」

 肩から力が抜けた。同時にくるくるとお腹が鳴る。窓の外は陽が沈み始めていて、遠く空を舞う鳥の囀りが耳をくすぐる。

 夕食の時間だと、ぼんやり思う。程なくしてメイドが呼びにくると、シャルディナの残影が囁く。

 くらりと視界が揺れた。妖精が額に触れたのが仄かな温もりでわかる。

「まだ意識の同調が不完全みたいですね。一度睡眠を挟めば解消されますが」

「無理。たぶん、もうそろそろ呼ばれるので。体調不良だとか適当に言い訳して、ボロが出る前に戻ってきます」

「わかりました。……これからよろしくお願いします」

 空中で優雅に一礼した妖精に、私も鮮やかな微笑みを返した。

 


 扉が閉まる。メイドに呼ばれるまま艶やかな黒髪を揺らして夕食に向かったその背を見送り、妖精は嘆息する。

「…………困りました。恋に関しては、無知なのに」

 決して彼女には伝えられなかった真実を、途方に暮れながらぽそりと呟いたのだった。

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