46 未来への対話
歌が聴こえていた。緑化病に侵された人々が神秘のメロディを奏でている。まるで神のために作られた子守歌を、自分自身へ届けるかのように。それをサイカは目を閉じて静かに聴いていた。緑の光は部屋全体を右から左へさざ波のように流れ、それを見ていると生命のなかに脈々と流れゆく血液を想像した。
『我々の血は褐色をしている。赤とクロロフィルの緑、すでに血液中に葉緑体が入りこんで不鮮明な色をしている』
「それは……」
『その通り、人の形を保てぬほどにクロロフィルによる緑化が進んでいるからだ!』
ケインの言葉の先を読んで、一人の老人が答えた。
「アダマス・ヒュランデル。あなたは悲しいと仰った。何を嘆いているのですか」
サイカの問いかけに歌が止まる。景色にノイズが走ったかと思うと、脳裏に暴力的な映像が流れた。銃器を持った人々が殺し合う映像だ。緑化手術を受けた緑色の腕の子供が殺された。男性がリンチされ、血を吐いている。女性が髪をつかんで引きずりまわされて挙句の果てに銃殺された。老人が道淵に座りこんでおびえたように肌を隠している。
『世界の分断は目を反らせるようなことではない。彼らが予見していたことだ。地球の安寧を願い、為した行動が人類の存続そのものを窮地に追いやっている。わたしはそれをこの場で嘆き悲しむことしかできない』
「それは大げさだ。緑化手術の功績には明暗があることも事実。けれど、地球温暖化から脱出できたのは間違いなくあんたの研究が存在したからで……」
『プランティアにいると様々な事実に愚鈍になる。わたしが長い間、成功を信じて疑わなかったように』
マフィアスはその言葉に黙った。
『プランティアの科学者はプランティア以外のことを知らない。世界がどんな気持ちでいるか、争うことにどれほど疲弊しているか。科学ばかりが正義ではないのだよ』
「科学が正義ではない? 少なくともわたしはそうは思わない。人々の思考に触れて、あなた自身の考えが変わったというのですか」
『ヒトが植物になるということの意味を考えたことはあるかな』
「緑化手術はヒトを植物にする手術ではありません。光合成能力を持ったヒトを作り出す技術で……」
と、いいかけてサイカは言葉を止めた。そうかと思考する。
『そう、緑化手術とはヒトと植物の境界線を曖昧にする手術だ。緑化病の存在に気づいたときにわたしは初めて恐ろしいと思った。自身の開発した手術がヒトの領域を超えた異形の人間を作り出していることを。人がヒトであることを選択して生きるというのは誰しもが有する最低限の権利だ。その権利をわたしは彼らから奪い去ったのだ』
『おお、罪深きヒュランデル。お前さえいなければ』
『死ねない人々の魂はどこへゆく』
『許して欲しい、ただわたしにはその言葉しか発せない』
『許さない、許さない、許さない』
サイカは言葉を無くして思考した。緑化手術についてこの世界に生きるものならば一度は悩んだことがあるだろう。正しいのか、あるいは間違っているのか。
「わたしはその答えを出せぬまま科学者になりました。母校を出てこの地に渡り、たくさんの人を救うこと、それが正義だと信じて……」
サイカは言葉の続きを理解して話すのを止めた。自分の為すべきことは。
『世界の片隅で起きている分断はやがて世界を二分する。人か植物かで争うようになる。その前にわたしはこの世界を去りたい』
「それはわたしへの苦言ですか。病理医学としては精一杯の処置をしてきたつもりです」
ホワァン部長の言葉に老人どもが嘆いた。破れるような悲鳴が聞こえている。
「あなた方の悲劇は計り知れるものではありません。それでもここにいる彼は、植物くんは、世界のためを思って緑化手術を受けた。その彼の気持ちを間違っているとかすべきでなかったとかいうふうにはしたくないんです」
「サイカさん。オレから話す」
イツキは前に進み出るとまっすぐに哀れな老人の顔を見て言葉を紡いだ。
「ウラガ・イツキといいます。オレはこの地に来るまで何者でもありませんでした」
「植物くん……」
「ちょっと勉強が出来て、でもそれだけで。身の回りには頼れる人もいなくて、もしかしたら地球のことについて思ったほどに考えて無くて。でも、あんたの開発した緑化手術を受けて、それから生きることを知った。考えて悩んでいる科学者の本気を見たら協力したいという気にもなった。こんなオレでも地球の役に立てたのならオレの人生には意義があって。それを間違っているとか正しいとか誰が判断するというものでもないでしょう」
『後悔していないというのか』
「してない」
呻くような声が聞こえて鎮魂歌が奏でられ始めた。まるで極北のオーロラのように壮大なメロディだ。生命維持装置の警告音が鳴って、ホワァン部長が慌てたようにする。
「いかん、容体が急変したものがいる」
「どうすればいいんです」
ケインが近くによって処置を手伝い始めた。慌ただしい様子を見てリリンも遠慮しながら言葉を吐いた。
「なんかおかしいよ、こうやって生かされているのも」
「そうね」
中央に座していたヒュランデル博士はしばらく考えている様子で言葉を発しなかったが、静かに脳に問いかけてきた。
『サイカ・パラレルよ、聞きたい。我々は植物だろうか、それとも人間だろうか』
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