47 愛する世界へ

『サイカ・パラレルよ、聞きたい。我々は植物だろうか、それとも人間だろうか』


 サイカはアダマス・ヒュランデルの問いかけに沈黙した。植物としての様相を示す人をヒトと呼べるのか。彼が知性を持ち、ヒトとしての挙動を示しているのも事実。それはヒトであることの証左だ。でも。


「わたしには答えることが出来ません。あなたの抱える虚しさも後悔も、到底はかり知ることは出来ないものだと想像します。ただ、あなたが世界に与えたものの大きさを我々は知っています。科学技術が力強く羽ばたく世界にはあなたの功績が確かにあった。切り開いた道を閉じるというのも一つの選択肢です、ですが真に世界に願うのは閉塞ばかりではないでしょう」

『おお……おお……』


 嘆き苦しむ声が聞こえた。ヒュランダル博士とは別人物のようだった。


『この上わたしが世界の躍進を願っているとでもいいたいのか』

「それを信じてここまで進んで来たはずです。少なくとも二十歳の小娘だったわたしはそうだった。プランティアは美しい、初めて見たときに感銘しました。多くの科学者が夢を抱き、人類の可能性を信じて時を過ごしている場所です。同じ科学者であれば未来に願うものはそう遠くないはずです」

『プランティアが美しいか』


 静かに目を閉じるとヒュランダル博士の描いたイメージが伝わって来た。純白のクジラの尾が天空に輝いている。見渡せるのはアマゾンの下流域、蘇った広大な森が見える。静かにヒュランダル博士が言葉を添えた。


『……伝えたい思いがある』


 次の瞬間、夜の眠りについたプランティア全域に力強い声が響き渡る。突然のことに驚き論文を書く手を止めたものもいれば、眠りの淵から目覚めて録音を始めたものもいた。ほとんどのものが何事か理解できぬままに言葉を捉えていく。科学者としての性を一刻忘れ、非現実的なことに耳を傾けた。理解を超えた奇跡が訪れる。



『愛する世界へ。


 愚かな老人の嘆きが届いているだろうか、わたしは科学者アダマス・ヒュランデル。かつて緑化手術という技法を生み出し世界へ伝えたものだ。かつてわたしは正しさのもとに緑化手術を生み出したと信じていた。ヒトの可能性を信じ、世界が正しき方向へ進むと信じて。だが、願いに反して手術は人々の分断を生んだ。


 人がヒトでないものに変わり果て、異物を憎しむように殺し合う。血潮を持ち、涙を流すものがなぜヒトでないといい切れる。世界の端々で失われゆく命の尊さを知っているかな、決して数で数えることの出来ない大切なものなんだよ。世界のためを思って身を捧げた人々がなぜ蔑まねばならぬ。生きることを絶たねばならぬ。少なくとも進む未来は優しい思いをくじく世界であってはならない。手を取り合えずとも、話し合うことを忘れてはならない。


 科学は愚かだという考えもあるだろう。だが、科学には未来をつくる力もある。科学の罪は科学の功績で。恨むというならばこの老人を責めよ、わたし一人に責がある。もうこの体では懺悔しようもないことだが。償いとして世界へ永遠の祈りを捧げる。


 哀しみのこの場所からは壊れゆく世界が見える。すでに地球環境のゼロ期という暗黒の時代から抜け出し、人は未来へと歩み出した。だからこそ分断されゆく世界へ今、伝えたい。互いの顔を見て、愛し合うことを忘れずにゆきなさい。互いに触れて、命の温もりを感じなさい。

 憎む側も憎まれる側も、どちらも失われてはいけない地球の子らなんだよ』



 サイカは偉大なる科学者の言葉を心で受け止めた。彼はずっと悔いてきたのだ、己の長い人生をかけて。

 言葉が止まったと思ったら、ヒュランダル博士のそばの装置が急に警告音を上げだした。


「ダメだ、博士! くそ、意識が」


 慌てるホワァン部長にサイカは寄った。


「どうしたというのですか」

「この間から不安定だったんだ。だから様子を見に来たというのに」


 ケインがホワァン部長に訴えかけた。とても切迫した顔だった。


「死なせてあげましょう! 医師としてもボク個人の想いも入っています」

「いえ、彼らに今すぐネオレデプシンを投与してください」

「サイカさん!」

「緑化抑制剤など今頃……」


 サイカはホワァン部長の腕をつかみ、目を見て伝えた。


死なせてあげましょう」

「くそっ!」


 ホワァン部長は近くにあったステンレスのチェストから緑化抑制剤の点滴を引っ張り出すと点滴スタンドに吊るして、木質化せずに残っていた腕のわずかなところの針を刺す。


「今さら効くわけない」

「それでもいいんです」


 静かな刻のなかで警告音だけが鳴っている。動揺した他の緑化病患者の不安がる声がしていた。それも虚しい。彼らは同胞の死に直面して自らもそうなるのではないかとひたすら怯えているのだ。


 伝えるべき言葉も持てないままヒュランダル博士を囲んでいた。何の変化もない、もう発症して何年も経っているのだ。回復の見込みはないだろう。ヒュランデル博士の意識はすでに落ちている。やはり緑化抑制剤は無駄だったかと思い始めたときに掠れるようなテレパシーが聞こえた。それに耳を傾ける。彼の鮮緑の肌にそっと触れて目を閉じると念じた。


(聞こえています)


 ふっと笑うように息を吐くのが聞こえた。


『サイカ……パラ……レル。あり……がと……う』


 偉大なる科学者アダマス・ヒュランデルは最期にすっと一筋の涙をこぼした。

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