お隣の植物くんと地球を科学する
奥森 蛍
『生命の系譜』
太陽が海に射し込んで水泡を照らした。
光を帯びた薄青と白い飛沫のなかには無数の呼吸があって酸素を産出している。シアノバクテリアだ。この原始の海にヒトはおらず静か。そもそもヒトとは何であろうか。
シアノバクテリアは小さな思考の片隅で遥かなる夢を見ていた。酸素分子の一つ一つが大気という大きな層を作り世界を席巻する夢だ。
小さな意識は大海原を駆けて、次第に未来へと拡散してゆく。
シアノバクテリアは植物という生命のなかで葉緑体としての道を選び、ただひたすらにこの地球の空と海と広大な森に生きる物たちを見守ってきた。
遠い未来、アマゾンの奥地に声が響いていた。タマリンの赤ん坊が母の乳房にかぶりついてきいきいと鳴いている。突如、母が危険を察知した。母は子を抱えて森の奥へと走り去る。雨の神ジャガーだ。ジャガーはまだらの体を左右に振って隆起した根を飛び越えると堅強な体を落とし、大きく躍動して獲物を狩る。水際で捕えられたワニの子が抵抗して尾でまだらの腹を叩いた。命の慟哭が森に響き渡る。
雨季の訪れはアマゾンに様々な生物種の繁栄をもたらす。ピラニアはマングローブの間を泳いで繁殖と産卵のために移動し、陸地ではコケが木陰に生え始め、雨とともに植物が溜めた大地の栄養素が海へと渡り海峡を越えてゆく。
ブラジル沖には南極海域からやってきたシャチの姿があった。二十頭ほどの群れはマッコウクジラの親子を限界まで追い詰める。命の攻防はこの地球で絶えず繰り返されてきた。
これらの事象を摂理という言葉で著せば、地球はどんなにドラマティックに映るだろう。
植物のもたらした酸素はこの惑星の運命をも変えた。
そして今、『共生』という名のもとに一つのドラマが始まろうとしている。植物のなかで小さな器官として生き抜いてきた葉緑体が主人公となって世界を変えていく進化のドラマだ。
葉緑体は植物から抽出されて培養され、ステンレスの管を通って皮膚を破り一つの生命のなかへ侵入する。なんと細微な機構をしているのだろう。酸素にあふれすごく温かい。きわめて穏やかな心地がする。
葉緑体は揺蕩いながら波打つ命の鼓動を感じていた。
——ヒト、これがヒト?
小さな声とともに酸素があふれ、荒廃した大地に広がってゆく。植物人間が誕生したすべての発端だ。わたしが誰か。その疑問もあるだろう。だが、まずは選ばれたわずかな言葉と限られた時間を使って小さな細胞の行く末を静かに語りだそう。
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