千尋のクラスに季節外れの転校生がやって来た、という情報が咲希のクラスに入ってきたのは、朝礼もといホームルーム直後のことだった。遅刻してきた生徒が物凄い勢いで扉を開けるなりそう叫んだのだから堪らない。相当な美形が来たという噂にミーハーな女子はもちろんのこと、殆どの女子生徒が食いつき、ものの見事に躍らされて担任の話が終わり次第見に行く始末だ。

 廊下を通して聞こえた黄色い声が噂の信憑性を高めてしまったこともあるが、それにしたって思春期真っ盛り、色恋に興味のある年代の女子高生らしい行動力は物凄い。女子で興味がないのはほんの一握りだけで、それでも周囲の空気に呑まれて観に行っているあたり、騒がない方がおかしい流れになっている。

 今頃千尋の教室はごった返していることだろう。そして咲希ひとりが室内に残ったように、どこのクラスも似たような状態なのは推して然るべきだろう。

 広げていた文庫本を閉じて徐々に姦しくなる廊下を見やり、男子グループの中心で話している稀紗羅にそれとなく視線を向ける。

 何の話で盛り上がっているのかこの距離では聞き取れないが、楽しげな様子を装う彼の目は遠目にも笑っていない。寧ろ険しい。普通に怖い。

 味方ではないのだと、訊かないでも教えてくれる。

 噂になるほどの美形の転校生が神の一族であるのは昨日の今日なので予想できていたが、敵対勢力であるというのは芳しくない事態だ。

 彼ら――従者たちにとっては、だが。

「これでやっと、フェアなのに」

 ぼそりと悪態を吐き、嫌味にも似た言葉を吐いてしまったことに嫌悪感を覚える。

 わかっている。どれだけ拒んでも彼らの使命は咲希を護ることだ。その目的を阻んだり害を成したりする存在を、諸手を挙げて歓迎するはずがない。

 でも、と。思うのだ。

 咲希の味方が学生として学校にいるのだ。四面楚歌の状況下に千尋の従者が乗り込んで居座るのは従者の役目を考えたら起こって当然の事態だ。騒ぎを起こして乗り込んできたなら非難の向けようもあるが、転校生としての登場なら正式な手続きを踏んでいるので文句を言ってはいけない。第一、牽制するように現れたのはひとりだけであって、稀紗羅以外に桜祈も傍にいる咲希の方が安全で有利なのは揺るがない事実だ。

 彼は自らの役目を遂行するため、千尋のそばに馳せ参じた。非難される謂れはなく、同じ立場ならそうしただろうと至極尤もなことを言うだろう。

 だから、これでいい。多勢に無勢でなくなっただけではないか、とそう思う。

 そしてそれは正論だ。正しい考え方だ。稀紗羅の反応が間違っている。

 だけど、わかっていた。

 咲希が本当に安全なら、彼らは放っておいてくれた。護られたくないと言う咲希の言葉に傷つこうと、従者としての決意を蔑ろに扱われようと、咲希の意志を尊重してくれた。

 姫だから、主だから、越えられない壁がそこにはあるから。

 護りたくても、諦める。

 それが、たったひとつ向けられた、望みだから。

 だが、安全ではないから稀紗羅はぴりぴりとした雰囲気になっている。

 千尋の従者は強い、そう言ったのは彼らだ。警戒をしなければいけない存在なのだと彼らが教えてくれたのだ。

 それなのに、頑なに、頑固に、愚かしいほど強く。咲希が従者を拒み、護られるのを厭うているから警戒を解けない。相手がたったひとり――――されどひとりでも十分なのだと思い知っているからこそ、気を張っている。

 もしも咲希が折れさえすれば、素直に護られるだけのお姫様でいれば、稀紗羅も今みたいに気を張る必要がなくなる。余計な負担を強いないで済むし、安全は今よりも確実に保障される。

 それぐらい、わかっている。

 邪魔をするのはプライドか、虚栄心か。それとも、なけなしの優しさか。

 唇を血が出るほど強く噛み締めて、迸りそうになる感情を鎮める。それでも体の最奥で燻っている熱は治まらず、火照った頬を冷ますように咲希は机に突っ伏した。

 神の一族について、なぜその渦中に咲希と千尋がいるのかは従者の説明と雪の話から大まかに理解した。それが逃れられない呪縛であり絆なのだと諦めもついた。生死をもってしか終幕を迎えられないくだらない争いなのも、もう繰り返し聞かなくてもいい程度に頭に現実として刻み込んだ。

 子どものころから傍にあった御伽噺。悲しくて切なくてかわいそうな姉妹のお話。

 わが身に降りかかった災厄と忌むべき因縁は夢のようで。

 わが身を蝕む現実は氷の褥のように奈落へと突き落して。

 だけど、それがすべてではないのだろうと察せられないほど話についていけていないわけでもない。現実から逃げてもいない。思考を停止させていない。

 彼らに嘘はなくても、その覚悟が本物でも、両親が咲希を謀っていなくても。

 話してくれていないことはそれこそ山のようにあるのだろう。

「(それを責めるつもりは、ないけどさ)」

 桜祈以外の者は訊いたら答えてくれる。慧斗は咲希を姫として敬い、稀紗羅はクラスメイトのよしみなのか必要以上に気遣ってくれている。それは昨日の咲希に対する真摯な受け答えから推し量れる。

 訊かないのは甘えたくないからだ。

 護られることを頑なに拒んでおいて、都合よく情報だけ得ようとは思わない。

 千尋は、融通が利かないことで、と笑うのだろうけど。

「(それに考えないといけないことは他にもあるし。例えば――どこからきて、どこへと還る?とか)」

 神である証の最もたるもの。それは際立った美貌ではなく、常人が扱うのは到底不可能な異能だと咲希は考えていた。

 けれどそれは、その力は、何だ。

 神の血を引く証のようなものなのだとしても、具体的にそれはどのようなものなのか。

 こともなげに従者は使ってみせたが、そんな人並み外れた力が宿っていたのすら気づかなかった咲希がどうやってそれを使えるようにするというのか。使い方はおろか、内に力があることすら実感できていないのに、行使しなければならないなど無茶ぶりもいいところではないか。

 しかも、千尋の話からすると戦いは一般人のいないところのみ、神の一族しかいない場所でなければならないときている。昔ならばいざしらず、今時深夜ですら人が歩くこの世の中。田舎ならまだしも、どうやって人ごみあふれる土地から誰の目もない場所を探し出すというのだろう。

 問題だらけの矛盾だらけ。護る護られるでもめる以前に、解決しなければならないことの方が多い気がしてならない。

 机の冷たさに飽きた咲希はゆっくりと顔を上げる。そのついでに盗み見た稀紗羅は既に動揺も冷めたのか、馬鹿騒ぎをしている周りの友達との会話に集中している。

 そうしていれば、稀紗羅も普通の少年だ。人より少しだけ見目のいい、未来ある少年だ。

 もう咲希に構わないでほしい、そう思うほどに普通の姿をしている。

 咲希にさえ関わらなければ、笑って、泣いて、思い出を重ねて、世間一般でいうところのしあわせな人生を歩んでいくことだって、できるに違いない。

 その未来を奪うのは、神などではない。

 従者になるという愚かな使命などではない。

「そう、奪うのは――――」

 従者を受け入れて、夜翅を紹介してくれた千尋を思い浮かべる。

 他者を己の定めに巻き込むことに躊躇せず、切り捨てることも厭わないだろう決意は薄氷のように脆くて鋭い。迷いを胸の奥深くに沈めて前を見据える覚悟は、逆風に歯向かう硬い意志の表れだ。

 それが虚勢を張ってやっと前に向いているだけなのだと知っている。

 毅然としていても、そこに恐れがないわけではないと知っている。

 ずっと隣りにいた。誰よりも近い場所にいた。同じ時を同じように生きてきた。同じ物を食べて、一緒に寝て、遊んで、喧嘩して。お互いが一番の理解者だった。

 だから、千尋も知っている。咲希が見抜いているように、あちらも咲希が胸の奥に沈めた想いや決意や弱さを、何もかも見通している。

 だからこそ、千尋はそこを狙うだろう。従者を拒む理由を知るからこそ、想いを理解しているからこそ、正々堂々と挑んでくる。的確に急所を狙い、使えるものは何だって利用する。甘さなど見せず、情けもかけず、成すべきことを成す。

 双子は対等だから、そこに姉や妹と言う概念はない。

 ひっそりと呟いた言葉は最後まで音になることなく溶けていく。何もかもがやるせなくて、咲希は項垂れた。

 昨夜のうちにインターネットで御伽噺について検索してみたが、結果はやはり世界に数多あふれる神話のどれにも当てはまらない物語だと裏付けただけだった。粛々と語り継がれてきた神話伝承すべてを否定して、事実として君臨する話だということだけだった。

 世界全土を巻き込んで忌まれ続ける宿命の姫という肩書も、立ち位置も、夢物語では終わらない。おぼろにしかこの世に残っていなくとも、たくさんの神話に霞めされていようとも、一族にしか系譜の糸が見えなくとも、ここにある。この命が真実として繋いでいる。

「帰り、どうやってまこうかな」

 視界に揺れる前髪を払い、咲希は机の中から教材を取り出すと顔色を曇らせる。

 お前の意見は関係ないのだと言った桜祈。御身を護ると誓った慧斗。一途に護る意思を見せる稀紗羅。全員思うところは違うくせに、冷たくあしらう程度では到底役目を放り出してくれそうにないのだけは共通している。

 誰も素直にまかれてはくれない、一筋縄ではいかない者たちだ。放課後までに何か小細工を考えておかなければ、学校にいない慧斗はともかくふたりの目を盗んで下校するのは難しい。同じクラスの稀紗羅は特に。

「こんなの、がらじゃないのにな」

 考えるのは苦手だ。悩むのも嫌いだ。呑気に笑っていたいわけではないが、鬱々とするのは性に合わない。

 それでも咲希が望まれなかった命である以上、逃避はできない。望まれているのは未来が閉ざされる結末だけだと知っていても、何もしないではいられない。

 双子は罪だと、御伽話と信じた神話は語る。どちらかの死で生まれてきたことを一族に贖い、宿命を科した天と地の赦しを乞えと囁く。その時まで負の連鎖は決して途切れないと現実を突きつける。

 望まれたのは、片方が欠ける未来。

 望まれたのは、この命の終焉。

 どうしたって考えなければいけなくて、いい加減何もかも放り出したい気分だった。それでも従者を受け入れないと決めたのが咲希自身である以上、時間がある時はしっかりと悩まないといけなかった。

 思考を停止した先に待ち受けるのは、死だけなのだから。

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