発明者

月詠公園

メイクの発明者_ルーメルド・シュタイン

「や、やっぱりごめんなさい!」


 そう言って彼女はレストランの扉を開け、スタスタと歩いていってしまった。まただ、またこの光景だ。

 ここのところ、正直本気で思いを寄せていた人は一人もいない。だけども、あちらから誘ってきたのに対し、幻滅されてしまうのは分かっていても心に来る。


 相手を追いかけようとして足に勢いをつけた瞬間。テーブルクロスを踏み、滑ってその場で尻餅をついてしまった。


 衝撃でテーブルの上のワインが溢れた。今日の中で一番派手な溢し方だった。



 僕の名はルーメルド・シュタイン。自分では全くそう思わないが、いわゆるイケメンというやつらしい。

 小さい頃から周囲にかっこいいだの、顔が良いだの言われ、育ってきた。

 こんな状況下で育ってきたら、嫌でも自分のことをイケメンと自覚させられる。僕にとってこの顔は生まれながらの重荷なのだ。


 また、僕は昔から自分でも分かる不器用でもある。子供のことからよく怪我をしていた。

 それ以外でも、自分では好意で行動したつもりが、結果的には相手を傷つけてしまったことなど珍しくない。要領が悪いのだ。

 

 昨日の自分が、一昨日の自分が、生まれながらの自分が、憎い。


 今日も街で声をかけてくれた女の子に誘われ、食事に付いていった。

 何度も失敗しているのに、今度こそこの人は私の内面を認めてくれる人なのではないかと、いつも淡い期待を持ってしまう。



 次の日、ムスッとした顔で大学の講義を受けていると、隣のドルドが半笑いで話しかけてくる。


「昨日の女の子と、結局どうなったんだよ」


僕はため息を一つ、ドルドに返してやった。


「ですよねー」


 ハラルド・ドルド。こいつとは長い付き合いだ。住んでいた実家が近く、いわゆる幼馴染という関係で、今も二人で同じ大学に通っている。昔から、通う学校も同じで行動範囲も似ているためよく一緒にいることが多かった。


 講義が終わり、僕はドルドの背に隠れて教室を出る。そのまま誰にも見られずに外を出ようと思った矢先に、


「キャー!ルーメルド様よー!みんな来てーーー!!!」


 一人の女子生徒の歓声により、大量の足音が聞こえてきた。


「あー……シュタイン、見つかっちゃったみたい」


「これはまずい、早く逃げるぞ」


 僕達は勢いよくキャンパスから外へ飛び出した。


 大学内では僕のファンクラブが出来ている。構内で僕を見つけては大勢で追跡し、捕まえ、撮影会やらサイン会やら、挙げ句の果てにはデッサン会という意味の分からない催しまで独自に開催している。

 もちろん、僕がそこに出向いたことは一度もないけど。


「いた!!!ルーメルド様はあっちよおおお!!!」


 大学の正門を抜け、住宅街を駆け抜けた。声はまだ後ろから聞こえてくる。ここまでくると恐怖だ。

 僕達は更にスピードを上げて必死で逃げる。狭い路地を何回も右へ左へ曲がり、坂を登り、もう一つの坂を下り、そしてやっとのことで見えてきたアパートに駆け込み、すぐさま一階の角部屋へと向かう。ここがドルドの家なのだ。

 

 ドアの前に着くや否や、ドルドは慌てた様子でポケットから鍵を取り出し、軋む音を響かせ鍵を開けた。勢いよく扉を開け、二人で部屋に飛び込み、僕がすぐに鍵を閉めた。


「はぁ、はぁ、とり、とりあえず逃げ切った……」


 安心感からドアに背中をもたれる。僕の言葉にドルドが続ける。


「はぁ、はぁ、やばいね、もう正気じゃないよあれは」


 逃走劇がひと段落し、眼前に家の中の光景が広がる。やはり、ドルドの家は狭い。なんなら部屋自体はほぼ何も見えないほど真っ暗だ。

 ドルドによると、一人暮らしを始めたはいいものの、電気代を節約したいという理由から電気代を払っていないらしい。正直不便だが、住まわせてもらっている身としては何も言えない。

 

 そう、ここはドルドの家でありながら僕の家でもある。とは言っても家賃は払っていない。お金がないからだ。

 以前働いていた所はあったが、そこは人間関係が上手くいかず、2年前にやめてしまった。それも、この顔がなければ。

 それきり、どこかに働きに行くという行為自体もやめた。


 そんな僕は今ドルドに完全に命を繋いでもらっているという状態だ。ここに帰ってくる度に毎回どことない安心感を感じる。だがそれと共に、ドルドへの申し訳なさも重なる。


 短時間にそんな思考の流れを何度も繰り返し、自分の情けなさに嫌気がさす。無意識に眉をひそめ、吐く息の中にため息が混じって来た。

 

 息遣いがやっと落ち着いてきた時、ドルドは唐突に僕の顔を覗き込んで言った。


「その暗い顔も、なんか映えるねえ」


「はあ? からかうなよ」



 昨日ドルドを騒動に巻き込んでしまった贖罪の気持ちで、やんわりとドルドに何をしてほしいか聞いてみた。

 壮大な答えやハートフルな答えを期待したが、結果的に彼が放ったのが「おつかいをして来て欲しい」とのことだった。


 というわけで、僕は今家から少し離れた市場街に来ている。ここで指定されたものを数個買えば良いだけなのだが、そう簡単にはいかない。


 ただ街を歩くだけでも、僕は様々な女性から声をかけられる。

 街を歩いている人や市場の売り場の人、観光で来ている海外の人にも連絡先を交換しませんかと言われることは日常茶飯事だ。


 すれ違った人には毎回かっこいいと言われ、歩いている最中にプレゼントをくれる人もいたりした。

 まるで映画の主人公みたいな光景だが、僕はもう、ちっとも嬉しくない。みんなは僕の内面など、全く見ていないのだ。


 最初は、女性からのご飯や遊びの誘いを嬉々として受け入れていた。だが、行く先々で毎回僕はミスをしてしまう。

 食器を落としたり、行く場所を間違えたり、うまく話を展開出来なかったり、わざとじゃないのにうまくいかない。


 それを見た女性は、僕の顔と内面の間によりギャップを感じて去っていく。僕自身の人間を愛してくれた人は誰一人いなかった。


 いつからか高校や大学から、男友達も少なくなっていった。

 僕の周りに多くの女子が寄ってくるため、男子達は僕を一目置いた存在として見るようになった。

 そこから僕への嫉妬や怒りが重なり、気付いたら周りには誰もいなくなっていた。


 今僕のそばにいるのはドルドだけだ。ドルドは、いつも気ままに生きている。何も悩まず、自分のしたいように動き、認められている。

 僕は、そんな彼がずっと輝かしく見えて、羨ましかった。自分もそうなりたいと思ったことも何回もあった。何にも縛られず、自由に生きてみたい、と。


 そんなドルドがこんな僕のそばにいてくれる理由が自分ではわからない。ずっと、いつか見捨てられてしまうのではないかと考えたりする。だから、その理由は怖くてまだ聞けていない。まだ、聞けていない。



 足早に市場で買い物を済ませ、家へと帰路を急ぐ。すぐに考え過ぎてしまうのも僕の悪い癖だ。

 渡されたメモとバスケットの中身を確認しながら小走りで帰っていると、不用意ながら勢いをつけて石垣に躓いてしまい、そこで派手に転倒してしまった。


「うわぁっ! 痛った……」


 自分の考えに集中して、周囲の確認を怠ったことを転んでからひどく後悔した。こんなことばかりだ。

 地面に横たわりながら、転んだ際にバスケットを投げ出してしまったことを思い出し、自分で今のバスケットの状態を想像して眉間にしわを寄せた。


 そんな考え事をしていると、突然、頭の上から声がした。


「あ、あの……大丈夫、ですか?」


 目線を上げると、そこには可愛らしい少女が手を僕の方に出して立っていた。


「え?あ、ああ……ありがとう」


 彼女の手を掴み、立ちあがろうとした途端、着ていたコートの裾を足で踏んでしまい、生地が滑り、また転んでしまった。


「痛った!」


「きゃっ! えっ」


 僕が大きい声を出したのに驚いたのだろうか、2回目の転倒をした僕を、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で彼女は見ている。


「あ、あの全然大丈夫です、本当に気にしないでください」


 あまりにもフォローと言い切れない言葉を自ら発したことに悔いながら、早足で投げ出されたバスケットの方へ向かっていく。


 少女は呆然としたまま立ち尽くし、歩く僕に目線を移している。奇跡的にバスケットの中身は散乱していなかった。

 ここでさっきの失態を取り返せないかと考え、僕は、せめてもの彼女への謝礼として、先程買った商品の中からレモンを一つ手に取った。

 

 そのレモンを彼女にプレゼントしようと近づいた時に、


「あ」


 また同じ石垣に躓いた。


「ああああああああ!!!」


 転んだ拍子にバスケットが投げ出され、バスケットに入っていた商品ごと先ほど登ってきた坂にコロコロと転がっていって、見えなくなっていった。


「あ、え、あ」


 言葉を失っている僕を見て、少女が一言微笑みながらこう言った。


「なんか、かわいい」


「え?」


 僕はその時、今まで感じたことのない胸の高鳴りを感じた。




 あれからずっと、彼女のことを考えてしまう。目の前で講義が進んでいるのにも関わらず、教授の話している内容なんて一つも頭に入ってこなかった。

 ただ彼女に対しての思考を巡らせ続け、いたずらに時間が過ぎていった。


 その思考のループをする度に、名前も知らないあの人にもう一度会いたいという想いが募る。

 これが恋なのかと自分でも分かるぐらい、僕の気持ちは昂っていた。そんな僕を、ドルドは隣で不思議そうに見つめていた。


「おーい、おーいシュタイン?おーい!おーい!」


「……!あ、おう、どうしたドルド?」


「お前なんかずっとニヤけてるけど、なんかいいことでもあった?」


「いやー? 別に」


「……。もしかして、好きな人が出来たとか!?」


「は、はあ!?そんなわけねえし、なんだよ急に!」


「あ、その反応は完全にいるやつだな?え、大学の人?それとも……?」


「いやまじでそういうのじゃないから!僕もそんな知らないし!」


「え知らない?知らないってどういうこと?ねえねえ」


  唐突に教授の声が教室内に響き渡る。

 

「ん゛ん゛っ!えー、講義の邪魔はしないようになるべくお静かに願います」


「「う、うっす……」」



 講義が終わり、僕はすぐさま走って大学を去った。

 帰ったら先程の話の続きをするという約束で、ドルドにはファンクラブを一人でせき止める門番になってもらった。


 今日僕が足早に向かった場所は家ではなく、先日おつかいで訪れた中心街の市場であった。

 もしかしたらまたここであの時の彼女と会えるかもしれないと思ったのだ。確信は無い、ただそんな短絡的な理由だけでも、僕を強く突き動かすのには十分だった。


 市場街を小走りで散策する。いつもと違って商品には目もくれず、ただあの娘だけを探し求める。だが、いくら探しても見つからない。

 気づいたら街を一周しており、日が沈んできているのが分かった。僕はぜえぜえと息を切らし、無意識に噴水に腰かけた。


 少し休もうと天を仰いでいると、近くから何だか聞き覚えがある声がした。そう、彼女の声だった。


「せっかく来たのに酷いよ……。え、ちょっと帰らないで!ねえ!」


 そこには見覚えのある彼女とガラの悪そうな男がおり、去っていく男に彼女が声をかけているところだった。


「うぅ……。酷いよ……。」


 泣いている彼女を尻目にそのまま帰ることは出来なかった。僕はそこで勇気を出して近づき、声をかけようとした。


 が、またしても地面につまずいてしまった。


「あ」


 転んで少女の目の前に横たわる。


「痛った!あ、あぁ……」


 彼女は泣いている顔を上げて、私と目を合わせた。


「あ、あの時のいっぱい転んでた人……」


 彼女は僕の方を見てまた転んでいると分かり、ふふっと笑った。そしてあの時と同じように、また手を差し伸べてくれた。


 僕は照れ笑いをしながら立ち上がり、彼女の隣に座って色々な話をした。

 彼女の名前は、パール・アルシィというらしい。僕が住んでいる隣町の出身であり、たまに買い物をするためにこの市場に来ることがあるという。


 先ほどの男はこの市場で商人をしている者らしく、今日はこの男に会いたいと言われて噴水で待っていたのだが、急に仕事が入ったと言われ帰られてしまったとのことだったらしい。

 こんな可愛らしい子にそんな酷いことをするなんて、勝手に自分ごとのように悲しくなってしまった。自分だったら絶対そんな思いをさせないのに。そんなことを思いながら、彼女と会話を続けた。


 二人の話は弾み、気がついたら辺りは真っ暗になっていた。


「あ、もうこんな時間……。私そろそろ帰らないと」


 帰り際になり、別れの挨拶をしようとする前に僕は咄嗟に言葉を発した。


「あの……。今度、一緒に市場回ってみませんか……?」


 自分から思いを伝えるのなんて、久しぶりだった。彼女は少しびっくりした様子で、下を俯いている。返答に困っており、少し口を震わせている。

 そして頬を赤らめながら、しどろもどろにゆっくりと声を絞り出した。


「あ……、えっと……、わ、私なんかでいいなら」



 講義が終わり、早足で家に帰る。服装や髪型を少し整え、靴を選び、玄関を出た。緊張しながら、先週約束したあの噴水の場所へと向かう。


 予定の時間よりも三十分早く着き、噴水のへりに腰掛ける。流石に早過ぎたかと思ったが、アルシィはその十分後に来た。

 僕が既に着いているのに気がつくと、彼女は慌てた様子で近づいてきた。


「すいません!待たせちゃいましたかね……?もしかして私集合時間間違えてたり……?」


 僕は彼女の言葉に被せるように首を横に振り、立ち上がった。僕も早めに来てしまったのだと伝え、二言三言話した後、予定より早く市場へ向かうことにした。


 何をするでもなく、二人で話しながらただ街を歩き続けた。特に市場を巡ることに目的があったわけじゃない、僕は単純に彼女と一緒にいる時間が欲しかったのだ。


 彼女はよく笑う人だった。僕と会話をする時も、街で鬼ごっこをしている子供たちを見ている時も、買い物中商人に硬貨を渡す時も、彼女は向日葵のような笑顔をずっと咲かせていた。

 僕は彼女と触れ合ううちに、自分にはない明るさや純粋さをこの人に感じ、更に惹かれていった。


 しかし、僕が一番惹かれたのはそんな表面的なことではない。市場を回っている間、僕はいつものように何回も財布を落とし、水溜りを踏み、服にシミをつけた。

 結局僕は今日何度、彼女の前で失態を見せただろうか。


 極め付けは、彼女の肩についた虫を払おうとして、力強く彼女の肩に触れた瞬間。 

 僕は、彼女の服の装飾である真珠を千切ってしまった。その時は流石に血の気が引き、彼女に何遍も謝罪を繰り返した。


 だが、彼女はそんな僕に笑顔でこう言った。


「真珠、取れちゃったならこれルーメルドさんにあげます!せっかくだから旅の思い出みたいな……。」


 彼女は僕の手のひらに真珠を置き、僕はそれをグッと握った。それはとても温かったように感じた。


 彼女は続けてこう発した。


「ルーメルドさんといると、なんか、楽しいです……。自分だけじゃ見れない世界が見れて……。あとちょっと嫌かもしれないんですけど、失敗してるところとか見てもなんか面白くて……。」


 その言葉が、僕の心に染みついた。今まで外見しか見てもらえなかった僕の、人間としての内面、生きている姿を認めてくれる人がいたのだ。

 こんな僕をルーメルドとして認めてくれたのだと、そんな彼女の人間性そのものに僕は心を奪われた。僕は彼女が好きだ。



「今日は、ありがとうございました……。こんな私と一緒に過ごしてくれて」


 半日かけて僕達は噴水の前に帰ってきた。気づけば、あっという間に辺りは真っ暗になっており、商人達ももう閉め支度を始めていた。噴水で話していたあの日と同じだ。


 今まで、こんな経験をしたことはなかった。幼少期から、イケメンという不要なレッテルを周囲に貼られ続け、自分の内なる思いを認められなかった日々が頭の中で思い出される。

 彼女のような人と、もっと早く会っていれば。彼女が僕のそばにいれば。


「こちらこそ、今日は本当にありがとうございました」


 彼女への感謝の気持ちと共に、深いお辞儀をし、言葉を伝えた。少しの沈黙が生まれる。彼女は何か言いたそうにして、少し体を震わしている。僕はその沈黙を埋めるように、別れの挨拶をした。


「また、ここで会えたらいいですね」


 彼女は黙って頷いて、僕の方に背を向けた。そして、家の方向へ、建物に挟まれた真っ暗な闇の中へと歩き出そうとしていた。


 ここで彼女と別れてしまうのが惜しい。もっと一緒にいたい。僕は初めて僕の内面を見てくれ、認めてくれた人を手放したくないと感じた。自分の気持ちに正直になるべきだと、僕はここで決意を固め、歩き出そうとしている彼女に声をかける。


「あの!」


 僕は深く息を吸い込む。両手を強く握り、力を逃しながら、気づいたら僕は口を開いていた。


「良かったら僕と、付き合ってくれませんか」


 虚空に言葉が打ち上げられ、街全体に響く。そんな問いかけに彼女はゆっくりと振り返り、こう言った。


「ごめんなさい」


 僕は、一瞬が何が起こったか理解出来なかった。そして段々と、膝の力が抜けるのを感じた。唇を深く噛みながら、泣き出しそうになるのを抑えるので精一杯だった。

 さっき彼女に言われた言葉をなんとか理解しようと、頭に強く命令している間に、彼女はこの沈黙を申し訳なさそうに更に言葉を発した。


「実はずっと、言いたかったことがあるんです。私本当は好きな人がこの市場にいて、その人に会いたくて、ずっとずっとこの市場に通ってたんです」


 困惑する僕に追い討ちをするように彼女は続けた。


「その好きな人っていうのが、あのこの前あなたも見たと思うけど、会おうとしていた商人の人。名前はレオン。私ずっとあの人を探して、だから……!」


 そこで僕は糸が切れた。


「じゃあ僕はあんたの好きな人探しに付き合わされてただけだったの?僕のことをそんな良いように言ってそれも全部そのために……。」


 彼女は続ける。


「それは嘘じゃない、本当。本当にあなたと過ごしてて楽しかった。だから余計言いづらくなって、それで……。」


 彼女が言葉に詰まった時、僕は揚げ足を取ったように声を上げた。


「なんであんな男が好きなの?教えてくれよ。わざわざ自分で呼んどいて、女の子を置いて仕事に戻るとかありえないと思うけどね。僕だったら絶対そんな思いさせない。そんな人の気持ちがわからないような男のどこを好きになるんだよ!」


「それ以上言わないで!」


 彼女は僕の言葉に被せるように叫んだ。その声に驚き、彼女の方を見ると、目に涙を浮かべていることが分かった。そこで、僕は自分が言ってはいけないことを言ったことに気づいた。


「あの人は、レオンは、小さい頃私が貧乏で市場でずっと何も食べず、飲まずの生活をしていた時、いつもパンをくれたり、話し相手になってくれたりした!見ず知らずの私で、助けても見返りなんかないのに私にずっと寄り添ってくれた……。だから、あの人のことを悪く言わないで……。」


 僕は大きな間違いを犯していた。何も知らない癖に自分は救われた気がしていたのだ。自分のことしか考えず、僕を認めてくれた彼女を知らぬ間に傷つけていたのだと。


 彼女は僕を睨みつけるような顔で続けた。


「あなたがそんなことを言う人だと、思わなかった……。不器用だけど優しくて、人を思いやれるような、そんな人だと思ってたのに」


 違う。違うんだ。僕は、こんな結末を望んでたんじゃない。あなたを傷つけたかったんじゃ。


「さっきの私は少し建前が入ってた。正直、付き合うってことを考えた時、私はあなたの顔がタイプじゃないの、好きじゃない。だからもう会いたくない」


 そう言って彼女は、ゆっくりと振り向き、真っ暗闇に消えていった。


 僕はその場で崩れ落ち、誰もいない広場で泣き出した。彼女の言葉が頭の中で響きづける。


 あなたの顔がタイプじゃない。


 あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。あなたの顔がタイプじゃない。


 握っていた真珠は、もうすっかり冷たくなっていた。



 家に帰らないまま、朝を迎えた。今自分は市場街から少し離れた公園にいる。どうやって移動してきたのかは覚えていない。この顔がいけないのだ。

 この自分の顔が、全ての元凶なのだ。イケメンだとか、タイプだとかずっと。この顔さえなければ。こんな顔さえなければ。


 小さい声でうめき続けながら、公園を歩き回っていると、何かに躓いた。下を見ると、子供用バケツが倒れている。

 バケツの中には石灰が入っており、履いている靴を汚していた。ゆっくりとしゃがみ、そのバケツの中の石灰を手に取ってみた。手は粉により白く汚れ、拭いてもなかなか取れない。


 頭に電流が走ったような気がした。これだ。僕は手でお椀を作り、バケツの中へと手を入れた。

 そして、手に盛られている石灰を顔に塗りたくった。

 これで、これで、誰も僕の顔はわからない。顔のない、新しい人間に生まれ変われる。無心で顔を擦った。擦った。擦った。


 ポロポロと、粉が顔からこぼれ落ちる。水道に反射した自分の顔に満足し、僕はまた、市場街へと向かった。



「え、何あの人……。」


「何あれ……。怖いんだけど……。」


 周りの人々が口々にこう呟きながら、僕に冷ややかな視線を向ける。道の真ん中を歩くと、すれ違う人達が私を避けるように道を開けてくれる。

 僕を見た子供は泣き出し、目を逸らす者も多数だった。僕を怖がっている人の中には、大学で私のファンクラブを行っていた女子生徒の姿さえあった。これだ。

 

 僕が求めていたのはこれなのだ。外見なんかに縛られない、自由な人生。僕が、ルーメルドなのだ。

 一種の征服感に僕は酔いしれた。もう、僕には何も恐るべきものはない。

 

 そう考えながら、街の中心の大道路を歩いていた時、目の前から聞き覚えのある声がした。


「あれ?ルーメルドじゃん、こんなところで何してんの?」


 それはドルドだった。僕は激しく動揺し、我に帰った。その瞬間、こんなよくわからないことをしている所を見られたという、恥ずかしさで必死に顔を背けた。なんとか別人だと思われないかと無視をしていたが、ドルドは一人で勝手に喋り出した。


「今日の夕食どうしようか、迷ってるんだよねー。豆を混ぜた肉の炒めにするかー、茹でた魚にドレッシングをかけるやつかー、そもそも食うか食わないかとか……」


 何を言っているんだこいつは。僕の顔が見えてないのか。明らかに僕は顔を白に塗っている。普通の顔ではない。それなのに。


 僕が困惑している中でも、ドルドは気にすることなく、夕飯について何かずっと喋り続けていた。


 その後、僕はドルドに連れられるまま買い物に行き、そのまま二人でドルドの家へと帰った。



「ただいまー」


 やはり暗い。だけどどこか安心感がある。異様ながらも、見覚えのある風景だ。一晩冷たい空気に晒され、固い地面の上で過ごしていたため、ソファに座った時は思わず声が出てしまった。


 ドルドは帰ってくるや否や、厨房に立ち、いつものように夕食の準備を始めた。その間も、僕の顔には一切触れなかった。

 一日家に帰ってこなかった者が、外で顔を白くして街を歩いているという一連の流れに疑問すら投げかけずにいつものように得意な顔をしているのが、僕は不思議でならなかった。


 鍋がコトコト煮える音が聞こえる。僕は興味本位で彼に尋ねてみた。


「なあ」


「うん?」


「なんで僕だって分かった?」


 ドルドは鍋をかき混ぜながら答える。


「そりゃあ、君動きが特徴的だもん。見りゃわかるよー。いつも危なっかしい歩き方してるし。だから転ぶんだよ」


 ムカつく返答だ。僕が続けて質問する。


「いやでも顔が、その、違ったから別人だって思わなかった?」


「君の顔?あんま気にしたことないなー、うちずっと真っ暗だし、たまに君がドアに足ぶつけてるのとかはわかるけど」


 顔を気にしたことない、か。口角が上がりそうになるのを必死で抑えた。こいつの前で隙を見せたくない。


 この際だから、ずっと聞けなかったことも聞いてみようと思った。


「あのさ」


「はいー」


「なんでずっと僕と一緒にいてくれんの?」


 変な文脈にならないように必死に言葉を選んで、口から絞り出した。


 ドルドは、うーん、と少しの間を置いてから答えた。


「君の失敗が面白くて、それを間近で見たいからかな」


 思わず口から言葉が溢れた。


「なんだよ、それ」


 そして僕は、一拍置いて声を出さないように口を動かし、彼の背中を見て呟いた。





「ありがとうな」

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発明者 月詠公園 @hapiann

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