第一章 #20
「鼓膜って破れるの!?」
「……みたいだね」
昴が綺羅にスマホを返しながら、呟いた。
「と、とにかく病院に行こうよ。どこの病院に行けばいいの? 調べるから教えて」
「……調べなくていいよ。大丈夫だから」
「だいじょばないからダメだよ!」
綺羅はスマホをポチポチ触って検索を始める。
昴は綺羅に背を向け、ベッドに横になった。
「あ、分った! お兄ちゃん耳鼻科だって。耳鼻科なら小学校の近くにあるからすぐ行こうよ」
だが昴は、黙ったままで何も言わない。
綺羅は二段ベッドの下段の淵に足を掛け、上段の昴の傍に顔を近づける。
「歩かなくても大丈夫だから。お兄ちゃんは自転車に乗って。それを綺羅が押すから、ね、これなら行けるでしょ」
「ありがとう。でもほんと大丈夫だから。ごめんね」
「何で? 血も出てるし病院に行かなきゃダメだよ!」
すると昴は体を綺羅の方へ向き直すと、真面目な顔で話を続けた。
「……病院に払うお金はどうするの?」
「お金? お金ならプリカにあるし、お兄ちゃんのお小遣いの残りもあるじゃん」
「それを使っちゃったらご飯代が無くなっちゃうよ。それに保険証を持って行かないと病院はものすごく高いんだよ。僕たちの保険証がどこにあるか、綺羅知ってる?」
綺羅が首を横に振った。
「僕なら大丈夫だから。きっと明日には良くなってるよ」
綺羅が不安そうにポロポロと涙を流す。
「……綺羅が、……お父さんからお金と保険証を貰ってくるから、病院に行こうよ……」
自分を心配して涙を流す妹の姿にいたたまれない気持ちになった昴は、起き上がると綺羅の頭にポンと手を置いた。
「じゃぁ明日になっても治ってなかったら病院に行くよ。だから綺羅にひとつお願いしてもいい?」
綺羅がコクリと頷く。
「鎮痛剤を飲みたいから持って来てくれる?」
綺羅は服の袖で涙をぬぐうと、「分かった」と言って自室を出て行くと、すぐに薬箱を持って戻って来た。
「えっと、お兄ちゃんは14歳だから……1錠だね」
綺羅は、薬箱から取り出した鎮痛剤の箱の注意書きをまじまじと読んで、鎮痛剤を一錠取り出す。
そして胃腸薬と水の入ったグラスも一緒に、上段のベッドであぐらをかいて座っている昴に手を伸ばして渡した。
受け取った昴が水と薬をコクリと飲む。
すると胃が逆流する感覚が起こり、目をギュっとつぶってグッと我慢をした。
そしてほどなくして落ち着くと、ふぅぅぅっと一息ついて綺羅を見た。
「お父さんには言わなくていいからね」
綺羅が困惑した顔になる。
「だって……もし明日病院に行くならどうするの?」
「お父さんが何で怒ったか分からないし、今は誰も近寄らない方がいいと思うんだ。明日の事は明日また考えるよ」
綺羅は下を向いて「そうだよね」とポツリと呟くと、また昴を見た。
「……ご飯は? 食べれそう?」
「お腹は空いてないから……」
「でも食べないと、もう薬飲めないよ。おかゆさんで良かったらすぐに作るよ」
「……じゃぁ、少しだけ。あ、でも綺羅のご飯はどうするの? 食べたい物があれば買い物に行っていいからね」
「綺羅の事は心配しないでいいから、お兄ちゃんは寝てて」
昴は綺羅にグラスを渡すと、横になって目を閉じた。
起き上がって会話をしていたからか、閉じた瞼の中がグルグル回るような感覚がする。
(うわ、なんだコレ)
昴は、目を閉じたまま眉間に皺を寄せた。
綺羅は薬箱の中に鎮痛剤と胃腸薬を戻していると、以前、自分が風邪をひいて母親と病院に行った時のことをふと思い出した。
(そう言えばあの時、お母さんはバッグから保険証が入ったカードケースを取り出してたよね?)
綺羅が台所で冷蔵庫の扉を開けると、缶ビールが数本減っていた。
(お父さん、酔っぱらってお兄ちゃんを叩いたのかな)
綺羅は食卓椅子を持って来て冷蔵庫の前に立つと、中にある調味料や食材を取り出しって食卓に並べ始めた。
「無駄遣いしないためにも、ちゃんと調べておかないとね」
食卓には、シーチキンやコーンの缶詰や調味料、ふりかけ、インスタントの味噌汁やスープ、芽が出たジャガイモ、5キロの米袋が並んでいる。
綺羅はジャガイモを手に取ると、まじまじと見た。
「これってまだ食べれるのかなぁ」
すると、ガチャっと扉が開く音がして廊下をペタペタと歩く足音がした。
綺羅の体は恐怖で硬直し、ジャガイモを持つ手だけがガタガタと震える。
だがその足音は台所から遠ざかり、ガチャ、バターンと玄関の扉の開閉音とともに消え、父親が外出したと分かった綺羅は、ホっとして全身の力が抜ける。
だがすぐにハッとした綺羅は、ジャガイモを食卓に置くと、寝室へ向かった。
綺羅は、扉をそっと開けた。
その隙間から漏れ出た異臭まみれの熱く重たい空気に顔をしかめる。
「うぇ、何のにおい、これ?」
綺羅は気を取り直し扉を開けると、そこには、空き缶やコンビニ弁当の容器等が無造作に入れられた数袋のゴミ袋や、あちこちに何本もの空き缶が転がる散らかった部屋が広がっていた。
「ひどい……」
母親が居た時とは全く別の部屋のような惨状に一瞬躊躇したが、我慢して中に入ると、床に転がるゴミを踏まない様に気を付けながら、キョロキョロと部屋を見渡した。
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