第一章 #18

昴は、のぞき穴から目を離した。


誰だろうと思いながら、昴がのぞき穴から目を離す。

扉の向こうからは、男の声が続いた。


「朝早くから申し訳ありません。僕は木山建設で清永さんと一緒に働いている中山といいます。あの、学生服の方は清永さんの息子さんではないですか? 先日の葬儀でお見掛けしました」


(お父さんの会社の人?)

「……はい……」


昴が恐る恐る変事をすると、男性はホッとしたように話を続けた。


「やっぱりそうですか。あぁ会えて良かった。不躾にすいません。お父さんにメールやお電話もしてるんだけどお返事がいただけなくて、先週も昼間に一度来んだけど皆さんお留守だったみたいで、だから今日はこんな朝早くに来てしまいました」


(この人もお父さんと電話がつながらないんだ……)

「すいません。父は今、……体調が悪いんです」

昴は、中山にも言葉を選んで伝えた。


「という事は、御自宅にはいらっしゃるんだね。あぁ良かった」

昴は、中山がホッとしたのを感じ、不思議に思った。


「あぁ、良かったというのは失礼だったね。申し訳ない。君たちは大丈夫なのかな。確か妹さんもいたよね。不安ならチェーンはしたままでいいから、少しだけでもドアを開けてもらえないかな。顔を見ながら君とお話をしたいんだけど」

「……あの、僕と話してもよく分からないと思いますけど……」


戸惑う昴に、中山は「そうかもしれないけどね……」と言い、その後、意を決したように話を続けた。


「お父さんは今、無断欠勤状態なんだよ」

「……え?」


昴は驚きの余り、言葉が出なかった。


「だからどうしてもお話がしたいんだ。どうだろう、ドアを開けてもらえませんか?」


昴はチェーンをしたまま、少しだけ扉を開けた。

するとその隙間から、白髪が目立つ短髪で、父親よりも年上に見える中山の姿が現れた。


「ありがとう。無理を言ってごめんね。学校の時間は大丈夫なのかな?」

「……はい」

昴は伏し目がちに小さな声で返事をする。

「僕はお父さんと同じ部署で働ていて、怪しい人じゃないから安心して下さい」


昴は中山が隙間から差し出した名刺を受け取ると、肩書には営業部部長と記されていた。


「それでお父さんはどう調子が悪いのかな? 病院は行った? もし君だけで大変なら、僕も一緒に看病させてもらえないかな」

中山が心配そうに昴を見る。

「いえ、……病院には行ってないですけど、……家でずっと寝てます」

「そうか。急な事だったから色々大変だったんだろうね。君たちは大丈夫なの?」

「はい。あの、それよりもお父さんが無断欠勤って……。忌引きは無いんですか?」

「もちろんあるよ。うちの会社はね、配偶者が亡くなった場合は10日間お休み出来る事になっているんだ」

「10日間……?」


母親が亡くなってから2週間が経っている。


「じゃぁお父さんの忌引きはもう終わってるんですか?」

中山が静かに頷いた。

「その10日間が過ぎてもお父さんは会社に来てないんだ。それでみんな心配しているんだよ」

「そうでしたか。……すいませんでした」


昴が頭を小さく下げると、中山が慌てる。


「いやいや、君が謝る事じゃないよ。家族が亡くなるって事は大変な事なんだ。悲しい中でもやらなきゃいけない事も沢山あるし、体調を崩してもおかしくないと思う。だからね、忌引きが終わっても連絡さえもらえれば、お父さんはもう少し休んでくれても全然いいんだよ。ただ今回は連絡が無かったからちょっと大事になってしまったんだ」


昴は、以前、他クラスの生徒が無断で学校に来なかった時、生徒や先生たちが『誘拐されたんじゃないか』とか『どこかで倒れていないか』など、心配して騒いでいた事を思い出した。


「それで、もし今お父さんがいるなら、少しだけでいいから会えないかな。体調も心配だしね」

「それは……」

昴は困惑した。


「迷惑かもしれないけど、中山が会いたがってるってお父さんに聞いてもらえないかな。もしここまで歩けなかったら僕がお父さんのベッドまで行くから」


中山が父を見れば、きっとお酒ばかり飲んでいる事がバレてしまうだろう。

そうなると、無断欠勤をした父親は会社から怒られてしまうかもしれない。


(ダメだ。会わせられない)


「それはちょっと……難しいです」

「……少しでいいんだけど、……ダメかな?」


昴が「すいません」と頭を下げる。

すると中山は、「そうですか」と諦めたように言った。


「今日は息子さんともお話が出来たし、清永さんがご自宅にいる事も分かったから、ひとまず帰ります。だからお父さんに、会社は有給扱いにしておくから今はゆっくり休んでもらって、お話が出来るようになったら電話を下さいと伝えてもらえますか」

「分かりました。ありがとうございます」

「それと、これはバームクーヘンなんだけど、良かったら妹さんと一緒に食べて下さい」


中山は帰り際、包装紙で包まれた菓子箱が入った紙袋を、扉の隙間から差し出してきた。



昴は、中山の名刺とバームクーヘンが入った紙袋を持ち、父親の部屋の前に立った。


(まだ寝てるかな……)


昴は扉を3回ノックをすると、「お父さん」と声を掛けるが、中からは何の反応も無い。


昴は静かに少しだけ扉を開けた。


するとその隙間から、アルコール臭が混じった暖かくて重い空気がモワっと漂ってきて、昴の顔面を直撃した。

昴は、思わず眉間に皺を寄せると、手で口元を覆いながら息を止め部屋の中を覗くと、父親はだらしない寝相でベッドで眠っている。


昴は静かに扉を閉めた。


昴は台所の食卓の上に紙袋と名刺を置くと、自室へ戻った。

扉は外の様子が聞こえやすい様に、少し開けて置くことにした。


そして制服から私服へ着替えると、学習机に座って勉強を始めた。


暫くして、開けておいた扉の隙間から、部屋の扉がカチャっと開く音と、ベタベタと人の足音が聞こえ、人がトイレに入った気配がした。


(お父さんだ。起きたのかな)


時計を見ると、11時を過ぎている。

昴は台所の食卓椅子に座り、父親が出て来るのを待つことにした。


(中山さんが来た事を伝えて、あ、図書館で施設の近藤さんに会った事も伝えた方がいいかな)


そうこう考えている内に父親がトイレから出てくる。

昴は立ち上がって「お父さん」と声を掛けるた。


だが父親は、チラっと視線だけ昴に向けるとそのまま通り過ぎてしまう。

昴は慌てて中山の名刺を持つと、父親の後に続いた。


「あのね、さっき会社の中山さんって人が来てくれたんだよ」

「……中山?」


父親の足が止まった。


「……入れたのか?」

「え?」

「お前は勝手に他人を家に入れたのか?」


前を向いたまま話す父親の表情が昴には見えなかったが、その口調から怒っている様子が感じ取れる。

昴は、嫌な感じがして体が強ばった。


「入れてないよ。……チェーンはしたまま玄関先で少し話しをしただけだから。中山さんはお父さんと話したいって言ってたけど、僕が勝手に断ったんだ。ごめんなさい」


父親は黙ったままだった。


「そ、それで、お父さんが会社に来ないからみんな心配してるって言ってたよ。有休にしておくから電話を下さいだって」


父親は何も言わず、寝室のドアノブに手を掛ける。

昴は「それとね」と、慌てて話を続けた。

「昨日施設の近藤さんにも会ったんだ」


すると父親は顔だけ横を向け、昴を睨み付けた。

「……なに?」


その顔を見た昴は、無意識に一歩後ずさりする。


「何を話したんだ、お前は」

「何も話してないよ。だけど近藤さんも電話が欲しいって言ってたよ。お母さんにお線香あげたい人がいるんだって」


すると父親は、ドアノブから手を放して昴の前に立つと右手を振り上げ、昴の左頬に思い切り振り降ろした。


バシィッ! 


気味の悪い音と共に、昴の体は吹き飛ばされ、壁に頭や肩をぶつけて床に倒れ込んだ。


昴は、突然の衝撃と痛みで朦朧としながら目の前にいる父親を見上げる。

そこにはさげすむ様な目で自分を見下ろす父親の姿があった。


「部外者が俺たちの中に入って来るな!」


父親は、目の前で転がる息子に怒鳴りつけると、部屋の中に入って行った。

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