第一章 #15
「……え?」
綺羅の話と言われ、昴は困惑した。
そんな昴を見て、羽木は慌ててグラスを置くと顔の前で手を振る。
「やだ、変な話じゃないからそんな顔しないで下さい。これからの事を、少しお兄さんとお話したかっただけだから」
「これからの事?」
昴が訝しむ様に羽木を見ると、羽木はテーブルに肘を置いて身を乗り出して、口角を上げながら昴を見る。
「お話の前に、もう一度ちゃんと自己紹介をさせてもらおうかな。私は、はねきけいって言います。鳥の羽に草木の木、けいは木偏に土ふたつ、かつらって読むあの字ね。そして見た目は20代前半に見えるけど、こう見えて31歳でちゃんと大人です。ダンスのお陰で年齢不詳なだけ(笑)」
自己紹介を終え、羽木は昴をじっと見て反応を待ってみた。
だが昴は、黙って羽木を見たまま何も言わない。
(……もしかして、ツッコミポイント伝わらなかったかな……)
羽木はバツが悪そうに小さく咳ばらいをすると、気持ちを切り替えて話を続けた。
「じゃぁ次はお兄さん、歳と名前? 教えてもらえますか?」
「……清永昴、14歳です」
「え、昴君に綺羅ちゃん!? なんて素敵な名前なの! 私も子どもに素敵な名前をプレゼントしたいのよ」
突然興奮し出した羽木を見て、昴はまたもキョトンとする。
「……先生は、結婚してるんですか?」
「ううん。ずっと一緒に住んでる人はいるけど、入籍する勇気が出ないのよ。仕事は旧姓を使うとしても、戸籍の名前が桂木桂になっちゃうから」
「桂木桂だとダメなんですか?」
すると羽木は、この質問を待ってましたとばかりに身を乗り出して力説を始める。
「ダメじゃないけど、面白くなっちゃうの」
「面白い?」
「桂木桂を漢字で書くとね、3文字しかないのにかつらとけいが同じ字なの。だからパッと見だとかつらぎかつらになっちゃうの。さらに言えば、その3文字も木と土だけで出来てるのよ。どう思う? 漫画に出て来そうな名前にしか思えなくない?」
昴は言われた文字を頭に浮かべてみた。
「……確かに。かつらぎかつらさんは面白いかも」
「でしょぉ。だから大問題なのよ」
少し大げさにも見える困ったような羽木を見て、昴はクスっと小さく笑う。
羽木はそんな昴を見て、少し安心したように話を続けた。
「14歳って事は中学3年生?」
「いえ、中2です」
「じゃぁ2人は4つ違い? 中2と小4の兄妹なのね。昴君は趣味とかあるの?」
「いえ、特には」
「じゃぁ困ってる事とかは?」
「困ってる事?」
昴が眉間に皺を寄せた。
「ごめんなさいね、こんな話をして。スタッフから聞いたんだけど、お母様が亡くなられたそうで、お悔やみ申し上げます」
「……はい」
「ちなみに、綺羅ちゃんからは何も聞いてないの。だから先にお兄さんとお話がしたいと思って」
そこにウエイターが「お待たせしました」とケーキセットをテーブルにセットした。
「さ、どうぞ。食べて食べて。このケーキ、しっとりだけどさっぱりしてて美味しいのよ」
促されても、昴の手は太ももの上から動かず、羽木から「砂糖は?」と聞かれても、頭を小さく振るだけだった。
羽木は心配そうに話を続けた。
「綺羅ちゃんは頑張り屋さんですね。ダンスもすごく上達したし、みんなからも大人気ですよ」
「……ありがとうございます」
昴は下を見たまま、顔を上げない。
(まどろっしい話だと、困らせちゃうだけかな)
羽木は背筋を伸ばすと、まっすぐ昴を見た。
「綺羅ちゃんはアイドルを目指してるって聞いてます。それで、単刀直入に聞いちゃうんですけど、レッスンは続けられそうですか?」
昴の体に力が入り、肩が上がる。
「……通わせたいと思っています。今父と、口座変更の相談中で……」
「お父さんはOKしてくれました?」
「……」
(やっぱりね)
「あのね、もしもの話だけど、もしお父さんとのお話で困った感じになってたら、私が説明に行きましょうか?」
「……え?」
昴が少しだけ顔を上げて羽木を見ると、羽木はテーブルに肘を置いて身を乗り出した。
「たまにね、ダンスに理解が無くてレッスンに通うのを良く思わない親御さんがいるの。だから昴君のお父さんももしそんな感じだとしたら、ダンスの魅力や綺羅ちゃんの将来性を私からお父さんにお話させてもらえないかな」
「でも、父は今……ちょっと違う人みたいになっていて。だから話も出来なくて」
「大事な人が亡くなったんだもの。それは仕方ないわ。きっと……時間が必要よ」
「でも、待っていたら引き落としが間に合わないかもしれなくて……」
不安そうな昴に羽木はニコっと微笑むと、手を取って指にフォークを握らせる。
「心配しないで大丈夫。綺羅ちゃんがここに通える方法をみんなで考えましょう。だから安心してケーキを食べて。ここのケーキは綺羅ちゃんも大好きなんですよ」
「綺羅も、ここに来た事あるんですか?」
「もちろん。ここはうちの生徒みんなの行きつけのカフェなんだから。お母さんも来たことありますよ」
「お母さんも……」
羽木が優しい笑顔でコクリと頷くと、昴はケーキを一口食べた。
「美味しい」
「でしょ」
昴はもう一口ケーキを食べると、俯いて鼻をグスっとすすった。
羽木は、そんな昴を見守りながら紅茶のカップを口に運ぶ。
「あ、やだ。紅茶冷めちゃったみたい。話が長かったみたい。ごめんねぇ」
昴は顔を上げ、目に涙を浮かべながら小さく微笑んだ。
「大丈夫です。僕猫舌だから」
羽木は昴の潤んだ瞳を見て、胸が締めつけられた。
母親の死で悲しみの涙を流している小さな兄妹に、嬉し涙が流せる日が一日でも早く来て欲しいと、心から思った。
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