第一章 #14
図書館の隅の席。
昴は高等学校卒業程度認定試験について書かれた本を読んでいた。
本には、独学でも指定の教科を合格出来れば、大学受験の資格はもらえると書かれている。
(これなら何とかなるかもしれない)
昴は出していたノートに、試験日と試験科目を書き写し始めた。
すると「昴君?」と自分の名前を呼ぶ声が聞こえ、ふと顔を上げると、すぐ近くに母親の葬式で会った、坂田児童養護施設の女性が立っていた。
「あぁやっぱり。こんな所で偶然ね」
女性は優しそうな笑顔で近寄って来る。
「こ、こんにちは」
昴は、読んでいた本とノートを隠すように閉じ、立ち上がって頭を小さく下げる。
「会えて嬉しいわ。あれから何回かお父さんに電話を掛けてるんだけど中々つながらなくてね。綺羅ちゃんとお父さんはどうしてる?」
(どうしてる?)
昴は今の父親の様子を正直に伝えるべきか、戸惑った。
母親が生きている頃、父親はあんなお酒の飲み方はしていなかった。
そう思うと今の様子が異常であって、近い内に元の父親に戻ってくれるんじゃないかと思えたからだった。
「……大丈夫です」
昴は、今の自分が思う一番無難な言葉を選んで口にすると、女性は真顔で質問を返してくる。
「どう大丈夫なの?」
この女性は何を心配しているんだろう。
急に怖くなった昴は言葉に詰まった。
何と答えればいいのか、本当の事を話したらどうなるのか、分からなくて不安で堪らなくなった。
一瞬の沈黙の後、女性の顔が優しく変わると、その場の空気も柔らかくなった。
「やだ、言い方が悪かったかしら。ごめんなさいね。ちょっと心配になっただけなのよ。お葬式に行けなかった昔の寮生達がね、お線香を上げたいって言ってるの」
「お線香……ですか」
「昴君からもこの事をお父さんに伝えて、折り返し電話をして欲しいって伝えてもらえないかしら。あ、それと、もし昴君も携帯を持っていたら番号を教えてもらえない?」
「伝言は伝えますけど、……電話は妹と共用だから……」
ためらう昴を見て、女性は申し訳なさそうな顔になる。
「あ、嫌だったらいいのよ。お父さんから折り返しが無かった時と思っただけだから。みんなを夏樹ちゃんに会わせてあげたくてね」
昴は母親が名前で呼ばれ、改めて不思議な気持になった。
目の前の女性は、自分が知らない『母親じゃないお母さん』を知っている人だ。
お母さんを育てて、僕と綺羅のお母さんにしてくれた人。
昴はコクリと頷いた。
「ほんと!? ありがとう、助かるわぁ」
女性は満面の笑みで喜んだ。
そして昴から電話番号を聞くと安心して「じゃぁまたね、お父さんによろしくね」と言いながら、昴の前から去って行った。
昴は女性の後ろ姿が見えなくなると、席に座って書き写しを続けた。
昴が図書館を出ると、まだ4時過ぎなのに辺りはすっかり薄暗くなっていて、頬をさす風もシュッと冷たかった。
昴はダウンジャケットのチャックを首元まで上げると、自転車で勢いよく走り出した。
「先生、今日はいやにゆっくりですね。この後の予定は大丈夫なんですか?」
羽木がスマホを見ながらロビーの椅子に座っていると、ダンススクールの受付スタッフが気遣いながら話し掛けた。
いつもなら午後3時までの初心者クラスのレッスンが終わるとすぐに帰っていた羽木が、4時を過ぎてもまだ残っていたからだ。
「うん。綺羅ちゃんのお兄さんを待ってるの」
「お兄さん? お約束してるんですか?」
「ううん、お約束はしてないけど、まぁちょっとね」
雇われインストラクターの身として、生徒から相談されない限り突っ込んだ話は避けた方がいい事を、羽木は重々承知していた。
だがなぜか胸騒ぎがして、綺羅の兄と話がしたいと思った。
だから元々あったプライベートの予定をキャンセルしてまで、今、ここで昴を待っていた。
羽木はスマホに目を戻す。
そこには綺羅を入れたグループのダンス動画が流れていた。
(うん、中々いいじゃない)
羽木の目論見通り、動画には順調にステップアップしている綺羅の姿があった。
しばらくして、入口に人の気配を感じた羽木が顔を上げると、そこには恐る恐るドアを開ける昴の姿があった。
「いらっしゃい! 良かったぁ、会えて。お待ちしてました」
「え?」
不意の羽木の出迎えに、昴はキョトンとする。
「まだ綺羅ちゃんが終わるまで時間あるから、カフェ行きません?」
「カフェ?」
「この近くにケーキが美味しいお店があるんです」
「え、でも、僕は綺羅を迎えに来ただけで」
「大丈夫。まだしばらく降りて来ないから」
羽木は受付スタッフに「じゃぁそういう事で」と声を掛けると、戸惑う昴を連れて入り口を出て行った。
カフェに着いた羽木は昴を窓際の席に誘うと、自分はその席に座り、慣れた手つきでメニューを手に取り昴に見せた。
「お兄さんはチーズケーキとチョコレートシフォンなら、どっちがいい?」
「……じゃぁ、チーズケーキをお願いします」
「コーヒーと紅茶なら?」
「紅茶を。コーヒーは飲んだことが無くて」
「そっか、そうよねぇ。私も中学生の時はコーヒー牛乳しか飲んだ事無かったわ。じゃぁ私も同じのにしよ。すいませーん、それ2つお願いします」
近くで羽木たちの会話を聞いていたウェイターがニッコリと頷くと、奥へ歩いて行く。
昴は両手を膝の上に置き、視線のやりどころに困っている。
羽木はグラスの水を一口飲むと、昴を見てニッコリ微笑んだ。
「そんなに緊張しないで下さいよ。お兄さんと綺羅ちゃんのお話をしたいだけだから」
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