第一章 #13
「足! 位置! 横、後、揃えて!」
「もっと肘引いて! 体も斜めに!」
前面が一面鏡張りの広々としたスタジオで、インストラクターの羽木が前に立ち、檄を飛ばしながら15名の生徒達を指導している。
「綺羅! シャッフル! タタタン、タタタン、もっと肩入れて!」
「はい!」
綺羅は今、ダンスの基本ステップを学ぶ初心者クラスに通っていた。
好きなアイドルの曲は何曲も踊れるとはいえそれは、それは見様見真似のコピーだ。
プロのパフォーマンスを身につけるため、ダンスのステップを基礎から練習していた。
羽木は必死に踊る綺羅を見て、ふと初めて会った3か月前の体験入学の時を思い出した。
あの日、スタジオに入って来た美少女に生徒たちの視線は集中した。
綺羅を気にして集中力にかけてしまい、羽木はいつもより大きな声を張り上げる回数が多かったが、稀に見る美少女の登場なので仕方ないかと思った。
だが、気が付けば羽木も綺羅を追っていた。
初心者を気にかけるのは当たり前だが、そんな理由からではなく、つい視線が行ってしまうのだ。
(すごい存在感……)
羽木は、綺羅を見ながらそう思った。
そしてレッスン後の申し込み確認の面談で、綺羅から「アイドルになりたい」と聞かされて、羽木はストンと腑に落ちた。
恵まれた容姿に加え、可愛い声と漂う妹感。
それが嫌味に感じず、むしろ応援したいと思える空気感を醸し出している。
さらにダメ押しなのは、隣に座る綺羅とそっくりな母親だ。
今はまだ10歳のあどけない少女の将来を期待させるのに、十分すぎるほど美人だった。
(この子なら歌って踊れる一流のアイドルになれるかもしれない)
直感的に可能性を感じた羽木は、母親にオプションのスタジオ使い放題を提案した。
初心者クラスの基礎レッスンだけだと、どうしても進みが遅い。
だが上級者とグループを組ませて実践的な練習も平行すると、レベルアップとブラッシュアップのスピードが格段に速くなる。
そんな羽木の提案を、母親も綺羅も喜んで受け入れた。
あれはたった3か月弱前の事だったのに、あのお母さんが亡くなったなんて信じられない。
今日はお兄さんは来ないのだろうか。
羽木は、昴と会って、とにかく話がしたいと思った。
その頃、昴は手に紙袋を持ち、クリーニング店から少し離れた所に立って店を見ていた。
そして中にいた客が帰るのを確認すると、意を決して店の中へ入って行く。
「いらっしゃいませぇ。あら、こないだの」
中にいた店員は、昴の顔を覚えていた。
「こんにちは。あの、この前は色々とありがとうございました」
昴がペコリを頭を下げると、店員は笑顔で「いいのよぉ」と返す。
「前に頂いた無料券って使えますか?」
「無料券? もちろん大丈夫ですよ。まだまだ有効期限内ですからね」
ホっとした昴は無料券と一緒に、手に持っていた紙袋をおずおずとカウンターの上に置く。
「今日はワンピースだけなんですけど、お願いします」
「ありがとうございます。ちょっとお待ち下さいね」
店員は紙袋の中からワンピースを取り出すと、あっという間に手続きをして、レジから発行された引換券を昴に渡した。
「明後日の16時に出来上がるから、それ以降ならいつでもいいから、この紙を持って取りに来て下さいね。あと、これはここのチラシなんだけど、曜日別に割引があるから、もしクリーニングに出したい服があったらうまく利用してちょうだい」
「……ありがとうございます」
昴はペコリと頭を下げて引換券とチラシを受け取ると、店を出るとチラシを見る。
(割引を使っても父親の喪服はいくらになるんだろう)
そんな事を考えながら、隣接されたスーパーへ向かった。
昴は、スーパーに初めて一人で入った。
小学生の頃は何度も母親に連れられて綺羅と一緒に来た事があったが、その時は母親から許された消費税込みで100円以内のお菓子を必死に選んでいた事はうっすらと覚えている。
そして今日、何年かぶりに来てみると、そんなお菓子コーナーですら棚が変わっていて、いつもしゃがみ込んで吟味していたチョコレートコーナーもどこにあるのか分からなくなっている。
昴は懐かしさよりも新鮮さを感じながら、食材にばかり気を取られてカートを引いて歩く女性客の邪魔にならないように、遠慮がちに店内を歩いた。
「何を買ったらいいのかさっぱり分かんないな。やっぱり綺羅と一緒に出直そうかな」
昴は4割引きになっていた6枚切の食パンを1袋だけ買って、スーパーを出た。
アパートに着くと、昴はそのまま台所へ行き、マグカップに水道水を入れて自室へ向かう。
時間はお昼の2時過ぎだった。
「まだ3時間くらい大丈夫かな」
昴はマグカップと食パンを机に置き、ダウンジャケットを着たまま椅子に座ると、マグカップの水を一口飲んでから食パンをそのままパクっと食べた。
そして2枚だけ食べ終えると、残った水を一気に飲み干し、リュックを背負って自室を出た。
自転車に乗った昴が到着したのは、図書館だった。
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