第一章 #9
「お兄ちゃん!」
レッスンを終えた綺羅が、稽古着姿のままスタジオから出て来た。
「退屈じゃなかった?」
「全然。見てるだけでも楽しかったよ。みんな体柔らか過ぎないじゃない?」
「なにそれぇ。綺羅のダンスの感想は?」
「もちろんそれが一番びっくりしたよ。家で見てたのと全然違うから」
綺羅は、でしょー、と得意げな顔になった。
「わー、近くで見た方が似てるじゃん」と言いながら、ニコニコした男女4人が昴たちの元へやって来た。
レッスン着の上にコートを羽織っているが、その顔は綺羅と一緒にレッスンを受けていた人たちだ。
昴は慌てて立ち上がると、腰を曲げて頭を下げる。
「ど、どうも、こんにちは! 妹がいつもお世話になっています」
「こそらこそです。綺羅ちゃんが入ってくれてこっちもまじ嬉しいで」
「綺羅ちゃんめっちゃかわいいもんね。ガチで芸能人になれるレベルだって」
言われ慣れているはずの綺羅が、顔を赤くして照れた。
「私たちコンビニ行くけど、綺羅ちゃんは?」
ボブヘアの少女が財布を見せながら綺羅に声を掛ける。
「今日はお弁当持ってきたから、お兄ちゃんとここで食べます」
「え、お弁当!? もしかして綺羅ちゃんの手作り?」
小柄な少年が興味津々に食いつくと、ポニーテールの少女が、「アホか!」と足に軽いキックを当てる。
4人はじゃれ合いながら「じゃぁまた後でねー」と言うと、連れ立っ階段を降りて行った。
綺羅と昴が並んで長椅子に座る。
綺羅はリュックからコンビニ袋に入った手づくりおにぎりを2つ取り出すと、1つは昴へ渡し、もう1つは自分で持つ。
そして巻いてあったサランラップを半分むくと、パクっと食べた。
「あ、美味しい。お兄ちゃん、これ美味しいよ」
握った本人なのに、大きな目をパチクリさせて驚いている。
昴も、少し小ぶりで微妙な三角形のおにぎりを一口食べると、綺羅を見た。
「ほんとだ! おいしいね」
口に入れたおにぎりは、ほどよい硬さでふっくらとしていて、白米の旨味と梅干しの塩加減が絶妙のバランスで、想像を超える美味しさだった。
昴の顔を見て、綺羅はドヤ顔で親指を立てた。
あっという間に4個のおにぎりが無くなると、昴は水筒の水を飲みながらこの後の予定を確認する。
「自主練だよ」
「自主練? 何やるの?」
「先生無しの生徒だけのグループ練習。綺羅ね、さっきの4人と同じグループなんだ」
綺羅がグループに入っていたことを初めて知り、昴は驚いた。
「え、そうなの? じゃぁもっとちゃんと挨拶すれば良かったかな」
「大丈夫だよ、みんな良い人だから。グループはね、自主練オプションを付けてる子を先生が割り振ってくれるんだ。綺羅がいるグループはダンスが上手な人ばかりだから、綺羅がもう少し踊れるようになったらイベントに出る計画があるみたい」
「イベント!? 大丈夫なの? 綺羅、ついていける?」
思わず昴は、本音が出てしまった。
「あー、ついていけるってひどくない? まぁでも綺羅も最初は不安だったんだけど、ビジュアル担当だから普通くらいに踊れれば良いんだって」
「……すごいな。想像してたよりも全然本格的だ」
「だからレッスンが続けられて嬉しいの。お母さん、綺羅がアイドルになるの楽しみにしてたから」
綺羅が満面の笑みで昴を見る。
昴はその笑顔を見て、心がズキンとした。
昴は自主練に向かった綺羅と別れ、駐輪場へ向かうため1Fの受付を通り掛かる。
すると「清永さぁん」と呼ぶ声が聞こえ立ち止まると、さっき話したスタッフが小走りでやって来た。
「すいません。先ほどお伝えし忘れたんですけど、もし何かしらの事情で引き落としが出来なかった時でも、救済システムとして翌月に2か月分まとめて引き落とす手続きをすれば、レッスンにはそのまま通ってもらえますから、心配しないで下さい」
話を聞いて、昴は「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。
(2か月分だと4万円か……)
猶予は嬉しいが、結局は支払う金額が大きくなる事に、昴の心配はぬぐえない。
そんな気持ちを察したのか、スタッフはさらに説明を続けた。
「ちなみに、オプションを外したり回数を減らしたりレッスン内容を見直せば費用も抑えられますから、パンフレットに料金が詳しく書いてあるので良かったら読んでみて下さいね」
(内容の見直し?)
そんな方法があったのかと思いもよらない提案を受け、昴は手に持っていた封筒を見た。
アパート近くの公園に着いた昴は、自転車を駐めてベンチに座ると、パンフレットを開いた。
料金表のページには、様々なコースが記載されレッスン代もまちまちだったが、オプションの自主練用スタジオ利用は月額4000円となっていた。
「綺羅が言ってた自主練オプションってこれの事かな」
もしこれを解約すれば、月謝は若干節約出来るが、グループ活動は中止で初心者レッスンのみとなる。
あんなに嬉しそうにグループの話をしていた綺羅に、今更オプションを解約したいとはとても言えないと思った昴は、内容見直しは一旦保留にする事にした。
だが12月20日まであまり日が無い。
(やっぱりお父さんに相談しないといけないかな。でも綺羅には聞かれたくないな)
夕方近くのぴゅぅっと吹く冷たい風が、昴の頬と手を通り過ぎて行く。
もしかしたら、そのタイミングは今じゃないか?
そう思った昴は急いで自転車に乗ると、アパートへ向かって走り出した。
アパートに着いた昴は、自転車を駐めると部屋へ急ぎ、首元の鍵を使ってそっと扉を開けると玄関を覗いた。
するとたたきには父親のサンダルがある。
昴は(よし!)と思うとわざと大きめの声で「ただいまぁ」と言って玄関を上がった。
そして自室へ行ってリュックからダンススクールの封筒を取り出すと、父親の部屋へ向かった。
父親の部屋の扉をノックしようと上げた昴の右の拳が、小さく震えた。
昴は胸の前で左手を右手に添えると、目をギュッと閉じて心の中で叫んだ。
「大丈夫、勇気を出せ、僕たちは家族なんだ」
そして目を開けると右手を握り直し、鼻から吸った息を胸に大きく入れると呼吸を止めて、扉を3回ノックした。
コン、コン、コン。
そしてふぅぅと口から息を吐いてもう一度息を吸うと、「お父さん」とキリっと呼びかける。
だが、数秒待っても中からは何の反応も無かった。
昴はもう一度、今度は少し早めに3回ノックをし、一泊おいて、お父さん、と呼ぼうと口を開けた瞬間、扉が開いた。
そこに立っていたのは、髪が乱れてヒゲも伸び、顔色も目つきも悪い別人のように父親だった。
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