第一章 #6
息を切らした昴たちがアパートの部屋の前に到着しドアノブを回すと、カチャっという音と共に、扉が開いた。
「開いた!」
昴は綺羅を中に入れると、周りを気にしながら扉を閉めた。
そして、つい鍵とチェーンを掛けそうになるったが、施錠はせずに中に入って行く。
自室に戻った昴たちは、ランドセルや学生カバン、コンビニの袋を机に置いて椅子に座った。
「良かったぁ」
昴がふぅと一息つくと、綺羅が不安そうに昴を見る。
「でも、お父さんが帰ってきたらまた追い出されるかも」
「大丈夫」
昴は机の横にぶら下がっている魚のキーホルダーが付いた鍵を手に取って、綺羅に見せた。
「これからは鍵を持って出るから」
しばらくして、ガチャ、バタンと、玄関の扉の開閉音がする。
その音にビクっと反応した昴と綺羅は、椅子に座ったまま自室の扉を見た。
玄関では、缶ビールが何本も入った重そうなコンビニ袋を抱えた父親が、たたきに子供達の靴があるのに気付くが、ガチャンと施錠してサンダルを脱ぐと、奥へと入って行った。
台所に来た父親は、食卓にコンビニの袋をガシャンと置くとトイレへ行き、戻るとコンビニの袋を持って部屋へ入って行った。
自室で外の音を気にしていた昴と綺羅は、扉の向こうから何も音がしなくなると、昴がそっと少しだけ扉を開けて台所を覗いた。
そしてそこに父親の姿が無い事を確認すると、ホッと息をついて扉を閉めた。
昴は綺羅に、自室で食べかけの肉まんを食べる事を提案する。
「冷めちゃったね。チンしてこようか?」
綺羅は、「ううん」と首を横に振った。
昴が肉まんを食べながらペットボトルのお茶を飲むと、綺羅のお茶がほとんど減っていない事に気付き、何気なく「お茶飲まないの?」と聞くと、綺羅が伏し目がちにボソっと答えた。
「……トイレに行きたくなると困るから。公園のトイレは怖いもん」
昴はゴクンと肉まんを飲み込むと、椅子をクルっと回して綺羅の方を向き、自信満々な口調で話した。
「大丈夫だよ。またお父さんがトイレで寝てたら、次は僕が運ぶから」
「……お父さん重いけど運べるの?」
綺羅が不思議そうに昴に聞く。
「運べるよ。今度はちゃんと起こすからね」
その言葉を聞いた綺羅はゴクンと一口お茶を飲み、机の引き出しから、綺麗に畳まれた黄色い星が書かれた赤いリボンを取り出して、昴に渡した。
「リボン?」
「あげる。クッキーの箱に付いてたんだけど可愛いから取っておいたの。これでネックレスみたいに鍵を首からぶら下げたらかわいいよ」
「へぇ、ありがとう」
昴は、リボンを通した鍵を首から下げて綺羅に見せた。
「どう?」
綺羅は一瞬嬉しそうな顔をしたが、すぐに悲しそうな顔になる。
「どうしたの?」
「鍵が合ってもチェーンされてたら入れないよね?」
(気づいちゃったか……)
昴もこの事に気付いてはいたが、あえて今まで黙っていた。
「お父さん、綺羅たちの事もう要らなくなっちゃったのかな」
綺羅の目から、涙がホロポロと流れ出す。
「そんな事無いよ。この鍵は今までと一緒で、お父さんが仕事の日に使うんだ」
「……うん」
昴はティッシュを1枚取ると、綺羅の元まで行くとそっと目元に当て、涙をぬぐった。
机で勉強をしていた昴がふと時計を見ると、19時22分になっていた。
綺羅は二段ベッドの下の布団の上で、壁にもたれてスマホを見ている。
「綺羅、何見てるの?」
立ちあがって腰のストレッチをしながら、昴が綺羅に聞いた。
「バラレボのダンス動画」
バラレボとは、綺羅が大好きな4人組の女性アイドルグループ<バラ色レボリューション>の略だ。
今までは、毎日のように綺羅はバラレボのパフォーマンスをしていたが、そう言えばもう3日は見ていない事を、昴は思い出した。
「お腹空かない?」
「……よく分かんない」
「僕が何か食べたいから一緒にどう?」
スマホから目を離さずに話していた綺羅が、昴を見る。
「……じゃぁカレーにする?」
昴が台所にある炊飯器の蓋を開けると、中には三日前の白米が保温状態で残っていた。
昴は漂ってきた香りに思わず顔をしかめる。
「このご飯、何か変なにおいがするけどまだ食べられるのかな」
しゃがみ込んで棚を物色中の綺羅が即答する。
「多分ダメだよ。お母さんが炊いたご飯は次の日までって言ってたから。あ、あった。見つけた」
立ちあがった綺羅の手には、レトルトの白米とカレーがあった。
「食べるのはこっちだよ」
昴と綺羅は、自室の机で皿に盛られたレトルトの白米とカレーを食べていた。
「おいしいね。綺羅がこんな事出来るなんて知らなかったよ」
「たまにお母さんがやってたから、真似したの」
昴は、へぇと感心して、真面目な口調で話を続けた。
「これからは僕も出来るようになりたいから、綺羅先生教えて下さい」
すると綺羅も、真面目な口調で話に乗って来た。
「いいいですよ。じゃぁカレーを食べたらさっきのご飯は捨ててお皿と一緒にお釜も洗って下さい。パンはもう無いから明日の朝ご飯用はご飯にします」
「綺羅先生はご飯も炊けるんですか?」
「もちろんです。それもお母さんのを見たことがあります」
「すごいですね。綺羅先生はお母さんの一番弟子ですね」
弟子と聞いた綺羅が笑顔になる。
「じゃぁお兄ちゃんは二番弟子?」
「……と言うより綺羅の一番弟子かな。まだ皿洗いの見習いだけどね」
昴が皿洗いをしている間に綺羅はシャワーを浴び、昴がシャワー中に綺羅は洗面所で歯を磨いた。
パジャマ姿の昴と綺羅がシンクで米を研いでいる。
すると、酔った父親が部屋から出て来て台所へやってきた。
綺羅の体が一瞬で強ばった。
それを察した昴は「大丈夫だよ」と、綺羅を守るように肩を抱いて小声でささやく。
父親は昴たちを無視してトイレに入って行き、済ませるとそのまま部屋へ戻って行った。
緊張していた昴と綺羅は、肩の力が抜けてホッとした。
自室のニ段ベッドの淵に腰を掛けた昴が、綺羅の寝顔を見ている。
「僕がいるのに怖い思いをさせちゃってごめんね」
そして、ふと明後日の日曜日が綺羅のダンスレッスンの日だと思い出す。
「絶対に行かせてあげるからね」
昴の首元からは、黄色い星が書かれた赤いリボンが見えていた。
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