第一章 #5

「……お兄ちゃん」

綺羅が震えながら昴の左腕にすがりつく。


昴は唇を一瞬かみしめると小さく息を吐き、笑顔で綺羅を見た。

「綺羅、部屋の鍵持ってる?」

綺羅は首を振る。

「だよね。持って出れば良かったのに、僕も忘れちゃったんだ、ごめん。……ここにいても寒いから、どこか寒くない所で少し時間を潰そうか」

綺羅がコクリと頷いた。



昴は下を向いて歩く綺羅を気にしながら手を繋ぎ、並んで歩いている。

「綺羅、お腹空いてない? 何か食べようか?」

「……給食を食べたから大丈夫。それに駄遣いしちゃダメだから」

「綺羅のおやつは無駄使いじゃないよ」

「……」

「にしても僕より全然しっかりしてる。すごいなぁ綺羅は」

昴は、わざと明るく話を続けた。


「すごくないよ。お父さんを怒らせたのは綺羅だもん。……だって綺羅のせいでお母さんが」

「綺羅!」

言葉を遮るように叫んだ兄の声に、綺羅はビクっと驚いた。


昴は腰をかがめて綺羅と視線を合わせると、両手で腕を持ち、優しく微笑んだ。

「お母さんが死んじゃったのは綺羅のせいじゃないって言っただろ。お母さんは交通事故だったんだ」


綺羅の目から涙が溢れ出てくる。


「でも、でも、お父さん怒ってるもん」

「お父さんは怒ってるんじゃなくて、悲しすぎて混乱してるだけだよ。お父さんがお母さんを大好きだったのは、綺羅も知ってるだろ?」

綺羅は小さく頷くと、昴を見て呟いた。


「……綺羅だってお母さんの事大好きだよ」

その言葉を聞き、昴は思わず綺羅を抱き寄せた。


「ごめん。綺羅もお母さんが大好きな事はもちろん知ってるから」

昴の背中に回した綺羅の手に、ぎゅっと力が入る。

「綺羅もお兄ちゃんがお母さんを大好きな事知ってる」

昴の目からも、ポロポロと涙がこぼれる。

「じゃぁ僕が、綺羅の事も大好きな事は知ってる?」

「それは分かんない」

「ひどい。綺羅が生まれた時からずっと大好きなのに」

「ウソ。知ってるよ。綺羅も、生まれた時からお兄ちゃんが大好きだよ」

「もうびっくりさせないでよ」


昴がわざと力を入れて綺羅を抱きしめると、綺羅が笑いながら苦しがった。

「痛いって! 苦しいからお兄ちゃん離してよ」


すると突然「ちょっと、何してるの!」と厳しい声が響いた。


昴たちが声の方を見ると、そこには眉間に皺を寄せたクリーニング店の店員が、散歩中の犬と一緒に立っていた。

「あなた達、昨日の、……どうしたの!?」

店員は、昴と綺羅の泣いた顔を見て、心配顔で近寄って来た。



コンビニの前で、昴は犬のリードを持ち、綺羅はしゃがんで犬の頭をなでていると、中から小さなコンビニ袋を2つ持ったクリーニング店の店員が出て来た。

「犬がいるから寒いのにこんな所でごめんなさいね」

そう言いながらお茶と肉まんが入った袋を、2人にそれぞれ渡した。

「……ありがとうございます」

昴が小さく頭を下げると、綺羅も真似をしてペコリと頭を下げた。


クリーニング店の店員は、ホットのペットボトルを両手で挟み、暖を取りながら昴たちの話を聞いた。

「じゃぁ、お父さんに叱られて、家に入れなくなっちゃったのね?」


昴がうなづくと、虐待を心配した店員がさらに質問を続ける。

「これは……よくある事なの? お母さんはどうしてるの?」

「母は、亡くなりました」

「え? あ……」

店員は、昨日クリーニングに持ち込まれた喪服と黒いワンピースを思い出した。

「ごめんなさいね、変な事聞いちゃって」

「いえ」

「こんな寒空にずっと外に居て風邪でもひいたら大変だし、最近は物騒な事件も多いから心配なんだけど、他人が家族の事に口出しはしづらいのよねぇ。誰か近くに相談出来る人はいない? 親戚とか、ご両親のお友達とか」


昴は坂田児童養護施設の名刺を思い出し、ふと綺羅を見ると、綺羅も昴を見ていた。

だが昴は、首を横に振った。

「大丈夫です。その内許してくれると思うし、これ食べたら帰ります」

「お家は近いの? 良かったら送らせてもらえないかしら」

「この先の公園を曲がってちょっと行った所なので2人で帰れます。ね、綺羅」

「……うん」


不安そうな綺羅の顔を見て、店員は「ほんとに大丈夫?」と心配そうに話を続けようとすると、リードに繋がれた犬がクーンと泣いてソワソワし始める。


「あ、ダメ。ここでしちゃダメよ」

店員は昴からリードを受け取ると、慌てて犬を抱きあげた。


「それね、ここで食べるなら中のイートインコーナーで食べればいいわ。もし店員から何か言われたら、袋の中にレシートがあるからそれを見せなさい。じゃぁクリーニング店でも待ってるから、また洋服持って来てね」

そう言い残し、店員は犬を抱いて急いで去って行った。


「これ食べたら、僕達も帰ろうか」

綺羅は小さくうなづいた。


昴と綺羅は、コンビニ店内の窓際にあるイートインコーナーに並んで座り、肉まんを食べていた。


窓の外をぼんやり見ていた昴が、窓越しにコンビニに向かって歩いてくる父親

の姿を見つける。

(お父さん!?)


昴は慌てて自分と綺羅の食べかけの肉まんとお茶を袋に入れると、綺羅を連れて店の奥へ行き、体をかがめて棚に隠れた。


「お兄ちゃん?」

キョトンとする綺羅に、昴は、し! っと口元に人差し指を立てる。

「お父さんが来た」

綺羅は一瞬で顔が引きつり昴の左腕にすがりつく。


そして自動ドアが開く時に流れるメロディーと、店員のいらっしゃいませーという声が聞こえ、昴がそっと棚から覗くと、父親が昴たちの方へ向かってくる姿が見えた。


昴と綺羅は、父親から見えないように体をかがめて移動をした。

レジにいたコンビニの店員が、そんな2人の様子を訝しみながら見ている。


父親は、店の後方にあるアルコール棚の前に立つと、持っていたカゴに缶ビールをどんどん入れている。

昴たちはその隙に店を出て、思い切り走り出した。


昴たちに気づかなかった父親は、ビールとつまみでいっぱいのカゴをレジに出すと、店員は父親の顔をチラっと見て、ビールのバーコードを読み始めた。



昴と綺羅がひたすらに走っていると、公園の前で綺羅が転んだ。

「綺羅!」


昴が駆け寄り綺羅を抱えて立ち上がらせると、綺羅の目からは涙から流れている。

「大丈夫!?」

昴が心配して声を掛けるが、綺羅は何も言わずにコンビニの袋を拾い上げると、再び走り出す。


昴は、ランドセルを揺らしながら必死に走る綺羅の後ろ姿を見て、涙が出そうになるが、グッと堪えて綺羅に追いつくと、並走しながら声を掛けた。

「ランドセル貸して。僕が持つよ」


昴は右の肩にランドセルを掛けると、右手で学生カバンを持ち、左手は綺羅の手を取って走り出した。

綺羅は左手で、2つのコンビニ袋をしっかりと握った。


しばらく走ると、昴と綺羅の目の前にアパートが見えて来た。

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