第一章 #4
机に突っ伏したまま眠っていた昴が目を覚めると、朝になっていた。
時計は7時12分を指している。
立ちあがった昴が、うーんと背伸びをすると、背後から「お兄ちゃんおはよ」と声がする。
振り向くと、綺羅が布団から起き上がっており、その顔は昨日よりもむくみ、目が腫れあがっていた。
昴が扉を少し開けて台所を見ると、食卓にカップ麺は置かれたままだが父親の姿は無かった。
(大丈夫だよ)
振り向いた昴がコクンとうなづくと、その合図で綺羅が先に部屋をそっと出て行き、後に続いた昴は食卓椅子に座った。
だがすぐに綺羅は小走りで戻り、昴にしがみつく。
「どうしたの?」
「お父さんが」
「お父さん?」
昴は綺羅を自室へ入れると洗面所へ向かった。
少しだけ開いているトイレの扉の隙間から中を見ると、そこに洋式便所に覆いかぶさり、いびきをかいて眠る父親の後ろ姿と、異臭が充満し、便器には流されていない嘔吐物があった。
昴はすぐに便器を流して換気扇を回すと、父親はそのままにして扉を閉めた。
そして外に漏れた異臭を消すために台所の窓も開けて父親の部屋を覗くと、中には大量のアルコールの缶が転がっていた。
昴が自室に戻ると、綺羅は小さくなってベッドの上で足を抱えて座っていた。
「トイレ、少し我慢できる?」
昴の問いに、綺羅は黙ってうなずく。
「じゃぁ着替えて公園に行こう。あそこにトイレがあるから」
昴が公園のベンチに座っている。
公衆便所からトイレットペーパーを持った綺羅が出てくると、昴は綺羅の元へ行きトイレットペーパーを預かる。
そして公衆便所の近くの水道で手を洗い終えた綺羅にタオルと渡すと、昴は用を足しに便所へ入って行った。
アパートへ帰る道々、並んで歩く綺羅は下を向いて黙っている。
「あのさ、まだ休みは残ってるけど、学校、行く?」
昴の提案に、綺羅は大きくうなづいた。
アパートの洗面所で綺羅が顔を洗っている間、昴はいびきが聞こえるトイレの扉の前に立った。
そして昴が顔を洗っている間、綺羅は台所の棚から買い置きの食パンと2Lのお茶のペットボトルを2本、自室へ持って行った。
昴と綺羅は、何も塗っていない食パンをそのまま食べ、ペットボトルのお茶もそのまま飲むと、急いで学校へ行く支度を始めた。
昴がスマホを綺羅に持たせようとしたが、「学校にスマホを持って行くのは禁止なの」と言われ、仕方なく昴が持って行くことにした。
登校する小学生たちの中に、並んで歩く昴と綺羅の姿があった。
小学校が見えて来たので、学校が終わったら公園で待ち合わせる約束をして、綺羅は小走りで校門へ向かった。
昴はその後ろ姿を見送ると、踵を返して歩き出した。
誰も居ない中学校の校門と誰も居ない廊下を歩いて、昴は2年1組の教室の後ろの扉に着いた。
小さく深呼吸をしてから扉に手を掛けてそっと開けると、授業中だった先生と生徒たちの視線が昴に集まる。
「おはようございます」
小さく会釈をしながら昴が中に入ると、先生が心配そうに声を掛ける。
「おはよう。学校に来て大丈夫か? まだ忌引き中だから休んでいいんだぞ」
「ありがとうございます、でも大丈夫です。それよりも遅刻してすいません。そして、あの、……みんなもお葬式に来てくれてありがとうございました」
昴は扉の前で改めて一礼をすると、自席に座った。
先生は授業を再開した。
授業が終り、中学校を出た昴は急いで公園へ向かった。
昴が公園に着くと、ランドセルを背負った綺羅がブランコに座っている。
数時間ぶりに見る綺羅の顔は、むくみが取れ美少女に戻っていて、昴は安心した。
アパートへ向かう道々、昴は綺羅に小遣いの残金を聞いた。
「お小遣い? それはちょっとしかないけど、プリペイドカードになら何千円かあるよ」
「プリペイドカード?」
初めて聞くその存在に、昴はキョトンとする。
「お母さんがスマホに入れてくれたじゃん。お兄ちゃん知らないの?」
昴は慌ててスマホの画面を見ると、アプリを見つける。
「……気が付かなかった。僕、ほとんどスマホを使わないから」
「確かに。このスマホ、ほぼ綺羅のダンス用になっちゃってるもんね」
「ここに何千円か残ってるの?」
「うん。私、みんなみたいにいっぱい買わないからあるはずだよ」
昴からスマホを受け取った綺羅が、アプリを確認して昴に見せる。
「ほら、7921円あったよ」
「そんなにあるの? じゃぁしばらくは何とかなるかな」
途端に綺羅の顔が沈んだ。
「……お父さん、……まだトイレかな」
「流石にもういないんじゃないかな。二日酔いで部屋で寝てるかもしれないけど」
「だったらいいけど」
「お父さんが元気になってたら、これからご飯をどうするか相談するよ。綺羅は部屋で待ってて」
綺羅は不安そうな顔で、コクリと頷いた。
アパートの扉の前に着くと、綺羅は昴の後に隠れた。
昴は綺羅を気にしながら扉のノブに手をかけると、ノブは回らず扉も開かなかった。
「あれ?」
昴がガチャガチャと何度もノブを回すと、不安そうに綺羅が顔を出して覗き込む。
「どうしたの?」
「ごめん。……なんか開かなくて」
「え!?」
驚いた綺羅が手を伸ばしてノブを回したが、扉は開かなかった。
「……何で?」
昴は何度もインタフォンを鳴らしてみた。
だが中からの応答はなく、綺羅が昴の左腕にしがみついてきた。
昴も不安でいっぱいだったが、妹のために強がって平気な振りで声を上げた。
「お父さん、ただいま、昴です。いたら開けて下さい」
だが中から返事は無い。
戸惑う昴に、綺羅が背後から昴を見上げて言った。
「電話してみたら?」
「あ、そ、そうだね」
昴は学生服のポケットからスマホを取り出すと、父親に電話を掛ける。
すると部屋の中から着信音がした。
父親は中にいる!?
昴と綺羅が顔を見合わせる。
「もしかしたら倒れているのかな」
綺羅が不安そうに呟くと、昴が、扉をドンドン叩きながら大声で叫んだ。
「お父さん、中にいるの!? 大丈夫!? お父さん!」
すると中から、父親の怒鳴り声が聞こえた。
「うるさい!」
扉を叩く昴の手が止まる。
そして中から扉をバゴン! と叩く衝撃音が響き、昴と綺羅がビクッとすると、父親の怒鳴り声が続いた。
「お前らが勝手に出てったんだろ! 知るか!」
昴と綺羅は、その場で立ちすくんだ。
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