第一章 #3

タクシーで火葬場からアパートへ戻ると、母親のお骨を持った父親は、兄妹を残して一人で夫婦の部屋に入り、扉を閉めた。


不安そうに昴を見る綺羅に、昴は優しく言葉を掛けた。

「大丈夫だよ。先に着替えておいで。お腹空いただろ、何か食べよう」

昴は不安を隠し、綺羅と部屋の奥へ向かった。

昴達が住むアパートは2DKで、食卓が置かれた台所とは別に部屋が2つあり、そこを両親と兄妹で使っている。

自室で綺羅が着替えている間、昴は台所で母親が買い置きしていたカップ緬を3つ出して食卓に置くと、ヤカンでお湯を沸かした。


「お兄ちゃん、このワンピースどうしよう。洗濯機に入れとけばいい?」

私服に着替えた綺羅が、ワンピースを持って台所へ来た。


「そうだな、いや、お父さんの喪服もあるし、クリーニングに出そう」

「クリーニング? 出し方知ってる?」

「知らないけど、とりあえず持って行くよ。あ、ご飯、カップ緬だけどこの中から好きなの選んで」

「うん」

綺羅は、食卓椅子の背もたれにワンピースを掛けると、カップ焼きそばを選んだ。


昴が台所から部屋にいる父親に向かって「カップ緬作るけど食べない?」と声を掛けるが、返答はなかった。


ヤカンからピーピーとお湯が沸く音がすると綺羅が火を止め、焼きそばと、当たり前のように大盛り味噌ラーメンのカップにお湯を注いだ。妹は兄の好物を知っていた。


昴はもう一度「お父さん、喪服をクリーニングに出したいから脱いでくれない?」と声を掛けると、着替えるために自室へ向かった。


そして着替えを終え台所に戻ると、綺羅が体をこわばらせて下を向いていた。

ふと父親がいる部屋の方に視線をやると、扉の前にバサっと喪服が投げ出されているのが見えた。

昴は喪服を拾うと綺羅のワンピースの上に重ねて掛け、「いただきます」と何事もなかったように大盛りラーメンを口に運んだ。

「うん、美味しい! ほら、綺羅も伸びちゃうから早く食べなよ」

綺羅は「うん」と小さくうなづいて、焼きそばを食べ始めた。



母親が利用していたクリーニング店は、アパートから歩いて10分位の距離にある近所のスーパーの横にある。

昴たちは店の場所だけは知っていたので、一緒に向かう事にした。


出迎えてくれた店員に昴が紙袋に入れた喪服とワンピースを「お願いします」と渡す。

店員はテキパキと仕分けると「スーツ上下とネクタイワンピースの4点で税込み5640円になります」と昴に告げた。


昴はドキっとした。

「あの、先払いですか?」

「そうですよ」

綺羅が心配そうに兄を見上げる。

「……すいません、財布を持って来なかったので、一度家に戻ってもいいですか?」


一瞬の間の後、店員から所要時間を聞かれ、「30分以内には戻れます」と伝えると、服は店で預かってくれる事になり、昴たちは今来た道を手ぶらで戻る事にした。


「ごめんね。先払いって知らなかったから」

「綺羅も知らなかった」

(5640円か)

昴がそう思いながら歩いていると、綺羅がポツリと言った。

「お父さん、クリーニング代くれるかな」

「大丈夫だよ。管理人さんに借りた服なんだし、ちゃんとして返さないといけないのはお父さんも分かってるって」

妹にお金の心配をさせたくなかった昴は、強がってみせた。



アパートに戻ると、食卓には未開封のカップ麺が残されていた。

昴は平気な振りをして夫婦の部屋の扉をノックし「クリーニング代が欲しいんだけど」と父親に伝えるが、しばらく待っても返答はなかった。


綺羅がまたもや不安そうに兄を見つめる。

「お父さんいないのかな」

「いるよ。靴があるじゃん」

昴がもう一度「お父さん」と声を掛けると中から足音が聞こえて、扉が開いた。


そして昴の目に、扉の奥に立つ父親の姿が見えた瞬間、左頬に激痛が走り、その衝撃で尻餅をついた。

綺羅は、その場で立ちすくむ

昴がズキズキと痛む頬に左手を添えながら前を見上げると、そこには眉間に皺を寄せ、見下ろして睨みつける父親の姿があった。


「人殺しにやる金なんか無い!」


そう言い放し、バン! と乱暴に扉が閉まると、綺羅は大声で泣き出した。

立ち上がった昴が急いで綺羅を連れて自室へ戻ると、二段ベッドの下の、綺羅の布団の上に一緒に入り込むと、綺羅は兄に抱きつき、「お父さんが、お父さんが」と泣きじゃくった。


「びっくりさせてごめんな。僕は大丈夫だから」

綺羅の背中をさすりながら、縛るはジンジンする頬の痛みに加え、唇にも違う痛みを感じた。そこをそっと触ってみると、指先に血が付いた。

それを見た綺羅は、もっと声を上げて泣き出してしまう。

「こんなの全然痛くないから大丈夫だって」

昴は枕元にあるティッシュを取って唇に当てると、綺羅を抱き寄せた。


アパートに着いてから30分は経っていた。

泣き止まない綺羅に「そろそろクリーニング屋さんに行かないと」と昴が伝えると、綺羅はティッシュを取って目元に当てながら「一緒に行く」と言った。

美少女なはずの綺羅の顔は、目と鼻が赤く腫れあがり、別人のようになっていた。



「いらっしゃいませ」

帽子を深くかぶり俯きがちにクリーニング店に入ってきた昴たちを、同じ店員が出迎えた。


「すいません。……さっきの服、キャンセルしてもいいですか」


申し訳なさそうに下を向く昴と綺羅を見て、店員は明るい声で「大丈夫ですよ、今準備しますね」と、持って来た時と同じ紙袋に洋服を入れ、無料券と割引クーポンも一緒に渡してくれた。


「ありがとうございます」

昴はプコリと小さく頭を下げると、綺羅を連れて店を出る。

店員は、心配そうに2人の後ろ姿を見つめていた。



アパートに戻った昴と綺羅は、自室に直行すると、綺羅はすぐに布団の中にもぐりこみ、昴は二段ベッドの横にある勉強机に座り、机に突っ伏した。


時々扉の向こうから聞こえる、トイレや冷蔵庫を開ける音に2人は恐怖を感じたが、父親は兄妹の部屋には入って来なかった。


その日、トイレとシャワー以外、昴達は部屋を出なかった。



夜になり、綺羅がやっと眠った。

二段ベッドの脇に腰掛けた昴は、布団から少しはみ出している綺羅の頭をなでる。

(僕が、もっとちゃんとしてあげられなくてごめんね)


昴はベッドから離れ、机の引き出しを開けて財布を取り出すと、中の現金を数えた。

(4691円か)


それは、小遣いの残りだった。

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