第一章 #1

中学2年生で14歳の清永昴は、教室ではいつも本を読んで過ごしていた。

大人しく優しい性格なので自分から行動を起こすタイプではないが、それなりに友達もいて、穏やかな学生生活を送っていた。


昴には4歳年下で小学4年生の妹の綺羅がいた。

綺羅は校内一番の美少女な上に人を思いやる事が出来る優しい性格で、校内ではちょっとした有名人だったが、綺羅のビジュアルは、両親譲りだった。


両親は近所でも評判の美男美女夫婦でとても仲が良く、2人とも施設育ちで身内がいなかったせいか、家族への愛情がとても深く、父親は母親が大好きで、母親は、昴と綺羅をとても大切にしていた。


歌う事が大好きな綺羅は、推しの女性アイドルグループの曲を完コピして家族にミニコンサートを披露するのが、毎晩の日課だった。

綺羅のミニコンサートが終わると両親はいつも「これで明日も仕事が頑張れる」と幸せそうで、その言葉を聞いた綺羅も嬉しそうで、このお決まりの合言葉みたいな3人のやり取りを呆れながら聞いていた昴も、内心では綺羅の歌を楽しく聞いていた。



9月のある日、母親はパートを休んで昴の学校に向かった。

来年の受験に向けて、担任との三者面談に出席するためだった。


「昴君は成績も学年トップで生活態度も問題ありません。ぜひ良い高校に進学して、一流の大学を目指して欲しいです」

担任からの言葉を聞いた母親は、とても喜び、その姿を隣で見ていた昴も嬉しくなった。

自分にも、綺羅みたいに母親を喜ばせてあげられる事を見つけられた気がした昴は、もっと喜ばせてあげたいと思い、その瞬間、将来の目標を決めた。


「僕は医者になります」


母親も担任も一瞬驚いていたが、すぐに「昴君なら目指せますよ」とノリノリになり、残りの面談時間は、進学先の話で盛り上がった。




その日の夜、家族4人で食卓を囲んでいる中、母親は父親に嬉しそうに三者面談の報告をした。


「担任の先生が昴をとても褒めてくれたの。良い大学を狙って下さいって言われたわ。昴はお医者さんになりたいんだって」

「医者? ……昴は医学部に入れるくらい頭がいいのか?」

父親の的外れな言葉を聞いて、「何で知らないのよ」と母親は呆れた。


「いつも成績表見せてるでしょ。学年でトップクラスよ。それに学力だけじゃなくて、体育も美術もそこそこちゃんとした評価なんだから、家の昴はすごい子なのよ」

「でも、しょせん中学生レベルの話だろ」

「だから! そのために医学部を目指せる高校に進学させましょうって話じゃないの。もう、ちゃんと話聞いてる?」

バツが悪そうな顔になった父親は、缶ビールを一口グイっと飲んだ。


「……じゃぁまぁ頑張れ。でも私立は無理だから、行くなら公立だぞ」

「そうよねぇ。だとしたら塾にも行かせてあげたいし、パートを増やそうかしら」

「そこまでして良い高校に行かせなくてもいいだろう。ランクを下げればいいんだから」

その一言で、昴の塾行きは中止となった。


子育てにはほぼ口を出さない父親だが、母親が絡むと別人のように意見を出してくる。それに反対すると面倒な事になる事を知っている母親は、それ以上何も言わなかった。


少しだけ緊張感が走った食卓の空気を、綺羅の一言が変えた。

「お兄ひゃん、おいしゃはんになるの?」


隣に座る綺羅の片方の頬が、から揚げで膨れている。

「まだ分からない。目指してみようと思うだけ」

すると綺羅は急いでから揚げを飲み込むと、食卓近くの棚に常備されているおもちゃのマイクを持ってきて、家族の前に立つと、キラキラした目で昴を見た。


「じゃぁ綺羅が応援歌を歌ってあげます。お兄ちゃん、リクエストありますか?」

この目はリクエストを待つ目で、こうなると歌わせないと場が収まらないのを分っていた昴は、妹に1曲お願いすることにした。

「じゃぁ頭が良くなる曲をお願いします」

「分かりました! リクエストありがとうございます! それではお聞きください!」

綺羅は肘を上げ両手で顔を隠してポーズを取ると、イントロを歌いながら全力で踊り始める。


これは綺羅が大好きな4人組の女性アイドルグループの大ヒット曲で、もう何回見たか分からないくらい、十八番で一番のお気に入りの曲だった。


曲が終わると、綺羅は3人分の拍手の中、満面の笑みで昴を見た。

その顔は、いつもの言葉を期待している顔だ。

いつも両親が言っているお決まりの言葉を、昴の口から出るのを待っている目。


「……これで明日からも頑張れるよ、ありがとう」


綺羅は「ありがとうございました!」と言うと、元気よく一礼した。


その言葉を初めて口にした昴は少し恥ずかしかったが、綺羅の幸せに満ちた満足げな顔がとても眩しく、両親がなぜ毎日この言葉を言っていたのか分かった気がした。

すると、ふと無意識に、一言が口から出た。


「綺羅、本当にアイドルになれるんじゃない?」


その一言が、綺羅と母親をその気にさせてしまった。


渋る父親を説得し、母親は綺羅をダンスレッスンに通わせるためにパート先を1つ増やす事にした。

選んだパート先は家族が住むアパートからは少し距離があったが、時給が良かった事もあり、母親は自転車で通い始めた。


そして12月になり、天気予報が今年の冬は寒くなると言っていた通り、まだ上旬だというのに雪が降り始めた日の夕方、昴と綺羅がアパートで6時を過ぎても帰らない母親を待っていた。


「ねぇお兄ちゃん、お母さん遅くない? いつもならもう帰って来てるのに」

「師走になって忙しくて残業かもしれないよ」

「しわす? 何それ?」

「しわすは12月の事で……」


昴と綺羅が話しをしていると、2人が共有で使っているスマホに父親から着信があった。


「お母さんが死んだ。今病院に向かっているからお前たちも来い」

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