遠い国の返事(完全完結通し)

KYO

遠い国の返事(完成版)









  遠い国の返事


第一部








                               作 KYO


 私は分厚いプラスティックのボトルに入れられた「手紙」。そして私を書いた人が私を海に流しました。その人は私が波間を漂うのをじっと見送ってくれました。私の相棒はボトルさん。ボトルさんがくるっと回って私を書いて流した人の方に向きました。ぼんやりとその人が見えました。私にどこに行ってほしいのかしら?私にはわかりません。けれどそれから私の長い長い旅が始まりました。

 

私は手紙。 波の上を ぷかぷかふわりふわりと漂ったり 海の中を ぐぐぐっともぐったり。 渦がいっぱい巻いている処を通ってくるくるくるくるって 回ってしまって目が回りそうになってしまった時もありました。

「ボトルさん、しっかりして。大丈夫だよ。がんばろうね。」

 私は私を入れているボトルさんを励ましたりしながら進んでいきました。

 

 しばらく行くと、二、三匹で泳いで居るとても綺麗な赤色をした魚に出会いました。

「こんにちは」

と声をかけると

「こんにちは。あなたはメールボトルね。どの辺りから流れてきたの?」

「分からないけど、海に流されてからまだそんなに長く漂ってはいないと思うの。」

「だったら、大きな渦があった?」

「はい、巻き込まれそうになって目が回りました。」

「だいたい分かったわ。あなたがどの辺りから流されたか。そしてこれから長い旅をするのでしょ。気をつけて行きなさいね。」


「ねえ、あなたたちは赤くてとっても綺麗。何というお魚さんですか?」

「私たちは鯛よ。この辺りに棲んでいるの。もっと違う海域にも仲間達は沢山いるけど、あの渦。あの渦で鍛えられて私たちはとっても美味しいの。だから人間達が喜ぶの。」

私はびっくりしました。人間に食べられてこの鯛さんたちは嬉しいのかしら?不思議に思ったので聞いてみました。

「そう、もちろん長く生きてはいたいわ。でもね、鯛って人間のお祝いの時に喜んで食べられるの。哀しい時には食べないわ。必ず何か幸せなことがあった時に食べられるの。それって嬉しいじゃない!だから私たちはこうやって泳いでいるけど、もし人間に捕まったらその時は、『ああ、喜びを一緒にお祝いできるのね』って思って、なんというかなぁ・・お役に立てて・・・・私たち生まれてきて良かったって思うの。」

私は感心してしまいました。鯛さんたち偉いなって。私も自分のお仕事を必ずやり遂げなくちゃと思いました。鯛さんたちと別れてかなり長く漂いました。

 

 たくさんの小さな魚の群れにも出会いました。

「 あなた達は誰?」

と聞くと

「僕たちはイワシだよ。いっつもみんなで泳いで居るんだ。この辺り。あまり海岸からは離れないよ。何故かって・・ああ、聞かれていないね、でも話すよ、海岸から離れるとフヨフヨがあんまりいなくなるんだ。それに大きな魚も多いしね。食われてしまう。まあ、海岸の近くにいたらそれはそれで人間に捕まってしまうんだけどね。」

 イワシさんは結構おしゃべりでした。フヨフヨってなんだろうと思ったけど話が長くなりそうだから私は聞きませんでした。

「君はどこへ行くの?」

 そう聞かれたけれど 私は自分がどこへ行くのか知りません。

「わからない・・・どこに行くのかしら?」

 そう答えるとイワシさんたちは、つまらないって感じでさっさと泳いで行ってしまいました。

 

 私たちは何日も何日も漂っていました。波に流されていたと言ってもいいでしょう。いったいどのぐらい流れていたのでしょう。もう日にちも分からなくなってしまいました。 最初は暖かい海だったのに だんだんと冷たくなってきました。 そしてとうとう 寒く寒く なってきました。


 私はこのまま凍ってしまうのかな? と、ちょっと怖くなりました。 凍ってしまったらこのボトルはパンと割れてしまうんじゃないかしら? パンと破れてしまったら 私が飛び出て私は紙でできているから水で濡れたらボロボロになって、もうどこへも行けなくなります。せっかく生まれてきたのに何もしないうちに終わってしまうなんて。

「すごく寒いね、冷たいね。割れないで我慢してね!」

 私はボトルさんのことがとても心配でした。ボトルさんがぶるぶるっと震えながら、それでも冷たい水の中で必死でこらえているのがわかりました。


 ブルブル震えながら漂っていると 大きな大きな黒い影が見えました。 一体何だろう と思ってよく見ると それはとっても大きな生き物でした。 そして優しい目をしていました。その大きな生き物は私に気がついてくれました。

「君は メールボトルだね。メールボトルは どこかに行かなくちゃいけないんだよね。でもこの海では 君は凍えてしまうよ。よく今まで無事でいられたね。そのボトルはとても強いのだろうね。さあ、私の口の中にいなさい。飲み込んだりしないから心配しなくていい。私の口の中はとっても大きくて広いから君がいても邪魔にならないよ 。」

 そう言って私をパクッと口の中に入れてくれました。私もボトルさんもほっと一安心しました。


 「助けてくれてありがとう。 あなたの口の中は本当に広くてとっても暖かい。この歯と歯の間にいていいかしら?」

「構わないよ。どこでもいいよ。君の居たいところに居てくれたらいいよ。」

 そう言ってくれました。

「あなたは誰?」

「私はくじら。 たぶんくじらの仲間の中で一番大きなマッコウクジラ。」

「大きなお魚さんなのですね。びっくりしました。今まで漂ってきてたくさんのお魚さん達に会いましたが、あなたみたいに大きなお魚さんは初めてです。」

「私は魚では無い。だからと言って鳥じゃない。極端に言うならば人間と同じ仲間だよ。

海の中には魚では無い生き物もたくさんいるのだよ。人間が私にPHR07と言う名前をつけた。」

「人間と同じ仲間?そして人間があなたに名前をつけたのですか?」

 人間と同じ仲間と言う意味がわかりませんでした。でもそれを聞いて私に理解できるのかどうか自信がなかったので尋ねることをやめました。

「そう、これは私たちを守ってくれる為の名前なんだよ。めちゃくちゃに捕まえてしまって私たちの仲間がうんと減ってしまわないように。人間が守ってくれる。だから私も何かお返しができたらいいなとずっと考えていた。君は人間が書いた手紙。どこかにたどり着かなくてはならないメールボトル。こんな冷たい海でかちんかちんに凍ってしまったらもうどこにも行けなくなる。君を助けてあげることができて、ほんの少し人間にお返しができたかもしれない。

 君は私が出会った19番目のメールボトルだからメールボトル19と名前をつけてあげよう。」


「くじらさんありがとう。 私を書いた人が私を海に流したの。 私はどこかに流れつかなくちゃいけないの。 ここで凍えてボロボロになってしまうわけにはいかなかったの。とても助かりました。ここはどこ?」

「ここは地球の随分北の方なんだよ。北極海と言う海。だからこんなに水が冷たいんだ。君はねきっと南の方から流れてきてオホーツク海を通ってベーリング海に入ってそこから北極海に流れて来たんだと思うよ。よくもまあ、こんな複雑なルートを通ったことだ。よくここまで頑張ったね。

海には海流というものがあってね。ただ水がいっぱいで波が起こっているだけじゃないんだ。そこここで、流れがあって、海の水はその流れに沿って動いている。君は北へ行く海流に乗ってしまったんだな。もし君が東へ流れていったらこんなに寒くは無く、人のたくさんいる国にもっと簡単にたどり着けたかもしれない。」

「そうなんですか?私は何も知らなくて。今まで海岸も見えたけれど、人がいるような海岸はなかったです。」

「うん、あまりに寒い地方だから人は住んで居たとしても、海岸の方には町などないだろうしね。

 私はこれから長い旅をして北海という所に行って、それから少し南に下がっていく。 南に下がったらもう少し暖かくなるからそれまでは私の口の中にいたらいいよ。」

 

 くじらさんはそう言ってくれました。私は『このくじらさんはとっても物知りだな』と思いました。くじらさんという生き物は北の方に棲んでいるのでしょうか?この冷たさもなんともないみたいだし。それを尋ねてみました。このくじらさんには何でも聞いて良いような気がしたからです。

「いや、そうではない。クジラの仲間にも北のほうは嫌で南の方を泳いで居る種類もいるんだ。みんな自分の居場所があってね。一番気持ちがいい処を住処としている。マッコウクジラはほとんど北の方に住んで居る。ああ。そうだ。こんな歌が・・・私が子供のころ流行っていてね。マッコウクジラたちがよく歌っていた。」

 そう言うとくじらさんは歌い始めました。少し照れているようで、ちょっと可愛いなと思いました。

「・・・オホン、しかしだな。いくらマッコウクジラと言っても全部が全部北が好きだと言うわけでは無い。個々で違いがあるんだよ。中には南が好きだと言うマッコウクジラもいる。そういうものを変わっているなぁとか変なやつだななんて考えてはいけない。それぞれの個性の違いを受け入れ合うのが大切なことなのだ。

 私は北海まで行ってそこから少し南に下がると言っただろう。南の海の好きな友達に会いに行くんだよ。私は少しぐらい南に行ってもなんてことはないが、南に住んで居るものが北に来ると凍えて死んでしまうこともあるからな。だから私の方から会いに行く。」

ああ、そうなんだ・・・と私は思いました。北に棲む生き物の方が強いのかもしれない。確かにこんな氷の海ではほとんどの生き物は生きられないだろうし・・・

「あなたの邪魔にならないのだったら、北海に着くまで 口の中にいさせてくださいね。 今外に出るのは とっても怖い。」

 私はそうお願いしてボトルさんにも

「良かったね。ここ暖かいね。優しいくじらさんに出会えて良かったね」

と言いました。ボトルさんもほっとしたように見えました。


 旅は長いです。マッコウクジラさんはいろいろなお話をしてくれました。私は生まれたての赤ん坊のようなものだからどんな話もびっくりしたり感心したりとても勉強になりました。

 「暑い地方には熱帯魚というのが居るらしい。私はまだ会ったことはない。君も南に行くことは無いだろうから多分会えないと思うが。色とりどりでとてもカラフル、綺麗な魚たちだそうだ。人間はそれらを家で飼う。家族の一員として家で飼ってその綺麗な色や形を楽しむらしい。」

「食べないのですか?」

「うん。家族の一員だから食べるための魚では無い。まあ、熱帯魚には少々失礼かもしれないが食べても美味しくないらしい。だが北の魚は違う。だいたい地味な色をして家で飼われるなんてことはまずないなぁ・・・・だがうまい!非常にうまい。荒海に棲んでいる魚たちは厳しい自然の中で生きるから、鍛えられて身が引き締まる。だからうまいんだよ。人間達はそんな魚を食べるのが大好きだ。」

「あ、私、旅を始めてすぐぐらいに赤い色の綺麗な鯛さん達にあいました。自分達は渦のある海で住んでいるからとても美味しいのだと自分で言っていましたよ。」

「ああ、鯛は私も知っている。鯛は結構あちこちの海で生きられる魚だから何度も会ったことがある。君が出会ったのは渦のある海域で棲んでいたのか・・だったらうん、非常にうまいだろうなぁ・・・」

おや?マッコウクジラさんは鯛さんを食べたいのかな?と私は思いました。鯛さんは誰にでも食べられたくなるぐらい美味しいのだろうなぁ・・・と思ったのです。

 あれこれ話を聞いてとても楽しく旅を続けていましたが、私やボトルさんは寒い海で疲れ切っていたのでそのうちうとうとし始め、それに気がついたくじらさんが眠っていなさいと言ってくれました。

 私たちは温かいくじらさんの口の中で久しぶりにぐっすりと眠りました。


突然くじらさんが大きな口を開けました。その途端にとっても冷たい水が一気に口の中に入ってきました。 ボトルさんは流されてしまわないように くじらさんの歯と歯の間に一生懸命挟まって 我慢しました。こんな大量の水に流されてしまったら大変。それになんと冷たいことでしょう。くじらさんが今は北極海だよと言ったけれども、 くじらさんに助けてもらわなければ、こんな冷たい水の中で私達の旅は誰に拾われることもなく終わってしまったかもしれない。本当にくじらさんの口の中に入れてもらえてよかった。私はそう思いました。


 くじらさんは口の中に入った海水を全部ピューと吐き出すと私たちに ごめんごめんと謝りました。

「驚いただろう。冷たかっただろう。 本当にごめんね。 いやね、仲間がいたんだよ。広い海だから仲間に会える事ってあまりないんだ。それで嬉しくなって話をしてしまった。話をしたから水が入ってきてしまった。大丈夫かい?」

「驚いたけど大丈夫です。くじらさんお友達に会ったんですね。それは嬉しいですね。お話ししたいですよね。私は友達がいませんがきっとたどり着いたところでいいお友達ができると信じています。」

「海はとても広い、地球は大きいんだよ。自分だけで泳いでいるのは気軽でいいんだがやっぱり寂しい時もある。だから知り合いに会えてつい。申し訳なかった。」

 くじらさんはそう言って謝ってくれたけど、私だってボトルさんとだけで流れているとやっぱり寂しいもの。くじらさんが友達に会えて嬉しかった気持ちはよく分かります。私にもいつもお話できる友達ができるといいなぁ思ったのでした。


 そうして旅を続けれているうちに 真っ白な大地が見え始めました。

「 あれはアイスランドだよ。そして向こうに見えるのがグリーンランドだよ。もうすぐだよ。もうすぐ北海にたどり着くよ。」

 くじらさんが教えてくれました。


 北海に辿り着くのは嬉しいけれど 仲良くなったくじらさんとお別れするのは寂しかったのです。それでもここまで連れて来てもらったんですもの。 くじらさんに感謝感謝。


 やがて北海に着きました。あちこちに入り江が見えています。この辺は島が多いのでしょうか? それとも土地はずっと繋がっているのでしょうか? 私には分かりませんでした。


 「さあメールボトル19、北海に着いた。ここで君とはお別れだよ。ここから先は海流に乗って流れていけばバルト海というところにたどり着くよ。

 バルト海の周辺にはとても素晴らしい国々がたくさんあるんだ。その中のどこかに辿り着くといいよ。きっと君は素敵なお友達に巡り合えるよ。」

 そうくじらさんが教えてくれました。


 「くじらさんありがとう。くじらさんのこと絶対に忘れません。またどこかで会えたらいいけど。ずっとずっと一緒にいたいけど私はどこかに辿りつかなくちゃならないからこれでお別れします。本当にありがとう。くじらさんも元気でね。」


 マッコウクジラさんは思いっきり高く高く潮を吹き上げました。それは私たちへのエールでした。黒い巨体がすごくかっこいいなぁと私は思いました。


 くじらさんと別れた私たちは 流れに乗ってまたぷかぷかふわふわと海を漂って行きました。 しばらく行くとまたまたたくさんの魚の群れがやってきました。


 「あなたはだあれ?」

「 私は手紙。 メールボトルって言うの。」

「あーそれだったら 人のいるところにたどり着かなくちゃいけないわね。 私たちはニシンの群れよ。この辺にはたくさんの国があるの。 でも海岸にたどり着いても誰もいないところもいっぱいあるのよ。 人のいるところにたどり着かなくちゃね。私たちが良い所にあなたを連れて行ってあげる。人間は私たちを捕まえるのが好き。だって私たちって美味しいらしいからね。でも私たちは人間の住んでいる近くまで行くのよ。」

「どうして食べられるってわかって居るのに、人間の住む近くまで行くのですか?」

「結構冒険なのだけどね。海岸の近くには私たちの大好きなフヨフヨがたくさんいるの。それを食べるために行くのよ。」

 私は最初に会ったイワシさん達がフヨフヨの事を言っていたのを思い出しました。

「あのぉ、フヨフヨって何ですか?前に会ったイワシさん達もそう言っていました。」

「私たちはフヨフヨって言っているけど、ちゃんとした名前はプランクトン。すごく小さくてフヨフヨ漂って居るからそう言っているの。そうそう、プランクトンではないけれど小さい小さいエビもいるの。それらも美味しいのよ。

 エビってすごく大きいのもいて、私たちなんかよりよりずっと大きいのもいるの。だけど反対にむちゃくちゃ小さいのもいてね。小さいのはものすごく寒い海でも平気なの。すっごく美味しいのよ。」

 私は思いました。魚さん達は魚やそのほかの海の生き物を食べて生活しているのだ。その魚さん達を人間が捕まえて食料にしている。人間は誰にも食べられないの?一番強いの?浮かんだ疑問はなかなか消えませんでした。でも今は自分の使命を果たすことが先決。

 「ニシンさん達ありがとう。よろしくお願いします。」

 私たちはニシンさん達に守られてどんどんと進んでいきました。 そしてとうとう一つの海岸でニシンさんが言いました。

「 ここがいいと思うわ。 ここは素晴らしい国 。きっとあなたはいい人に拾われると思う。 だからここの海岸であなたを見つけてくれる人を待っていてね。」


 私はニシンさんたちに いっぱいお礼を言いました。 ついに海から上がり砂浜で、 何ヶ月ぶりでしょう? お日様の光を浴びてうっとりしていました。

 「ボトルさん。おつかれさま。よくここまで私を運んでくれたね。ありがとう。」


一人の大きなおばさんがやってきて 砂浜にドカッと腰を下ろしました。ふわふわとした薄い金色の髪の毛で青い目をしています。 海を見て空を見上げて 綺麗だな海綺麗だな、そう言いながら深呼吸をしています。 本当に気持ちよさそうに しています。 おばさんは辺りを見回しました。 そして私の入っている プラスチックボトルを見つけました。 その途端におばさんの顔つきが変わりました。


 「なんてことを!またプラスチックボトルを海に捨てた人がいるのね 。これはね 魚たちが餌と間違えて食べてしまって ひどいことになるのよ。 こういうものを捨てるって 本当に良くないことなのに。捨てる人はいなくならないのかしらね。」

 おばさんはそう言いながら 私の入ったボトルを 手にとって 少し向こうにある ゴミ箱に捨てようと歩き始めました。私は焦りました。 捨てられては困る、 捨てられては困るのよ! 私はボトルの中で カタコトカタコト音を立てました。 おばさんは自分が手に持っているボトルから音がしたことにびっくりしました。立ち止まって プラスチックボトルをじっとみました。

 長い長い 海の旅で私の入っているボトルはどろどろでとても汚れています。あちらこちらに海藻もへばりついていて 中は全く見えません。 おばさんは 自分の手で ボトルをちょっとこすってみました。 そうすると 中に何かがあるのが分かりました。


 「おや?これはもしかしたら メールボトル? だったら 捨ててはいけないわ。 中を見なくちゃ。」

 おばさんは私が聞いたこともないような言葉でしゃべっていました。 でも不思議なことに私にはその言葉が全部わかったのです。

 私の言葉もわかるかしら。思い切って話しかけてみました。

「 私は 遠い遠い国からやってきました。 メールボトルです。 私は手紙。 どうか捨てないで私を読んでください。」

 おばさんは目をまん丸にして驚きました。私の話した言葉は日本語でした。 おばさんの聞いたことない言葉でした。 それでもやはり不思議なことに おばさんにも私の言った言葉が 全部わかったようです。


 「メールボトルと分かったら捨てないわ。安心して。でもね、プラスティックはいけないわねぇ・・・ガラス瓶って考えなかったのかしらね?」

 おばさんにそう言われて私はちょっと恥ずかしくなりました。多分・・・私を書いたあの人は、ガラスだとパンッと割れてしまうことがあるかもしれないと思ったのかもしれません。

「ごめんなさい。」

と私は謝りました。

「はいはい、まあ、それはそれとして、まずこのボトルを綺麗にしなきゃいけないわね。」

 おばさんはそう言ってプラスチックボトルを手に持って砂浜を駆け上がっていきました。


 そこには一台のモーターサイクルが停めてありました。 どうやらおばさんのモーターサイクルのようです。黒くて鋭い感じがしてなんだかとても格好いいなと私は思いました。 おばさんは座席をポンと上げて、その中からタオルを取り出しました。そのタオルで ドロドロになったボトルさんを拭き始めました。だんだんと中がしっかり見えてきました。 そこにはきちんと折りたたまれた私が入っていました。


 「もう少し待ってね 。もう少ししたら出してあげるから。ボトルが綺麗に乾いてから。 そうじゃないとあなたが濡れてしまうからね 。」

 おばさんはそう言いながら 一生懸命タオルで拭いてくれました。

ボトルさんも綺麗になってきて嬉しそうでした。

「もう大丈夫ね。 さああなたを出してあげましょう。」

 おばさんはそう言って きっちりしまったボトルの蓋を開けて私を取り出しました。


 海の匂い 空気の匂い、お日様の匂い。 私は なんて気持ちがいいのだろうと思いました。


 「あなたの名前は何て言うの?」

 おばさんが聞きました

 「私は手紙。 あなたは何という名前ですか ?」

 「私はニァーモ。」

 おばさんの名前はニァーモと言うの。まるで猫みたいとちょっとおかしくなりました。


 「ここはどこですか?」

 「 ここはね フィンランドのヘルシンキというところよ。」

 私の知らない国でした。

「 ここは 地球のどの辺ですか?」

「 地球の 随分北よ。 手紙さん、あなたはどこから来たの?」

「 私は日本」

「知ってるわ。行ったことがないけれど とても素敵な国だよね。そんな遠くからやってきたの ?よくここまで たどり着いたね。」


 「ここは涼しくてとても気持ちがいいけれど 今は秋ですか?」

「 ちがうわ。今は夏なの。 ここは北の国なので 夏でもこんなに涼しいの。 そして今は夏休みの時期で みんなあっちこっちに旅をしたりするのよ。 私もね、今からこのモーターサイクルに乗って もっと北、ラップランドという所に行くの。 あなたも一緒に行きましょう。ラップランドを見せてあげるわね。 とても素敵な所よ。」

 私は嬉しくなりました。

「 はい連れて行ってください。」

「ラップランドを旅した後は またフィンランドに戻って、 私の住んでいるトゥルクという町に行きましょう。 そこに私の家があるから、そこに着いたら あなたとゆっくりお話ししましょうね。」

「あのぉその前に一つだけ聞かせて欲しいのですがいいでしょうか?」

「うん、いいわよ、何?」

「ニャーモさんはいつも浜辺でゴミを拾っているのですか?」

「浜辺に来たときはいつもね。海岸を綺麗にしたいじゃない。ボランティアなんかでたくさんの人が集まって一日中海岸の掃除をしたりするけど、そういう人たちってえらいなぁと思うけどね。でもそれだけじゃいけないと思ってるの。ひとりひとりが海岸に来た時に自分が持てるだけのゴミを拾っていったら、もっともっと綺麗になると考えてるの。無理はしない程度にね。

 ペットボトルだけじゃないのよ。ガラスだって割れたりして海の生き物を傷つけているかもしれないし、缶だってだめ。いくら拾っても捨てる人がいなくならない限りゴミはなくならないの・・・・・あなたをゴミと間違えなくて本当に良かった。」

 私はこの人に拾われて良かったと思いました。

 「さあ出発するわよ。」

 ニャーモさんは だいぶ綺麗になった プラスチックボトルの中に もう一度私を入れて ジャケットのファスナーを開けて 胸の中にしまいました。

 ニャーモさんはエンジンをかけて 颯爽とモーターサイクルを走らせ始めました。


どのくらいの時間が経ったでしょうか。 私たちは長い長い海の旅で疲れてきっていたのでぐっすり眠っていました。 モーターサイクルの音が止まりニャーモさんが言いました。

「 ラップランドに着いたわよ。 さあ目を覚まして。」

 そして自分のジャケットの中からボトルさんを取り出しました。


 あーなんて素晴らしい景色なのでしょう。 空は真っ青。遠くまでずっと畑が続いていて、 そこには色とりどりの ベリーがなっていました。グーズベリー、ラズベリー、ブルーベリー、クランベリー 。そしてそれらを摘み取る人々が 働いていました。

 遠くに見えるのはあれはトナカイの群れでしょうか? トナカイがいっぱい歩いているなんて 信じられないような景色でした。


 「みんな何をしているの? それにあれはトナカイでしょう?」

「 みんなはね たわわに実ったベリーを摘み取っているのよ。 夏の間にできたベリーを全部摘み取るの。 そうしてね お砂糖を入れて ジャムにしたり、干してドライフルーツにしたり、冬のために今働いているの。 それから向こうに見えるのは、そうトナカイよ。 日本にはトナカイはいないのかしら?」

「私は行ったことないけれど多分動物園にはいると思うの。 でも国の中をトナカイが走っていることは ないと思う。」

「トナカイもね、 ラップランドの人達は狩りをして 冬の食料にするのよ 。もちろん むちゃくちゃたくさん狩ったりはしないわ。 自分たちに必要なだけ。

 動物のめぐみに 捨てるところはひとつもないの。 皮を剥いて それをジャケットにしたり 毛布にしたり 床に敷く 絨毯にしたり。 角や骨は大事に取っておいていろんなものを作るのよ。

 肉は塩漬けにしたり 乾燥させて 干し肉にしたり 燻製にしたりして やっぱり冬の間の食料にするのよ。

 海でお魚も捕るわよ。さけがいっぱい取れるから。それも燻製にしたり塩漬けにしたりフレークにしたり。 全部全部冬のためのものなの。」

「ラップランドの冬は何も取れないの?」

「取れないというよりも 外に出ることができないの。 それぐらい寒いの。どんなに寒いかと言うとね、 今はぁーって息を出すでしょう。 冬だとね出した息が いっぺんに凍って 粒になってパラパラと地面に落ちてしまう。鼻水なんか出たら大変よ 。一瞬のうちに鼻水は氷の棒になってしまうの。」

 そんなに寒いの!!と私はびっくりしました。


 「それでもねラップランド人は外にも出かけて行くのよ。 その時にはトナカイの毛皮で作った 暖かいジャケットを羽織って 顔をかくして凍らないようにして出て行くのよ。」

「じゃあラップランドの人達は冬は家の中で何もしないで過ごしているの?」

「ふふふ、ここはねサンタさんの国なの」。

「ラップランドってサンタクロースの国なの?」

「そうよサンタクロースさんがいるの。 今は夏だから サンタさんもお休みしているけれど 。ラップランドの人たちはね、 冬になると家の中で 女の人は刺繍をしたり縫い物をしたり お人形を作ったり 可愛いバッグを作ったり そんなことをしているの。 男の人達は 木でおもちゃを作ったり トナカイの角や骨でいろいろなものを作って毎日を過ごすの。そういうものが クリスマスに 世界中のこどもたちに配られるプレゼントになるのよ。ラップランドの人たちはみんなサンタクロースさんのお手伝いをしているのよ。」


 私は自分の知らないことを教えてもらって すごく嬉しくなりました。 すごいんだなぁ 見知らぬ国に来ると 今まで知らなかったことが いっぱい分かるし、いっぱい見ることができる。 本当にこの国にたどり着いてよかった。 そう思いました

 イワシさん達が、ここの国にたどり着くといいわよ。 とても素敵な国だから。 と言ってくれた意味もよくわかりました。


 「 夜になる前に テントを張ってしまうわ。」

 ニャーモさんはそう言ってとても器用にテントを張りました。 テントの周りには溝を作って もし雨が降ってもテントの中がびしょ濡れにならないようにと、 すごく慣れた感じでした。 そして火を起こしてお湯を沸かしその中に缶詰を入れて晩御飯の用意です。


 私が日本の話をしている間に夜が来たようです。ところが不思議なことに空が全く暗くならないのです。 白くて 明るいのです。私はとても奇妙な気持ちになりました。

「 ニャーモさん今何時なの?」

 ニャーモさんは笑っていました。

「 もう夜の九時を過ぎてるのよ。」

「 でも こんなに白いし明るいし、ニャーモさんの顔だってはっきり見えるし。 遠くの方まで見えるよ。 これは一体どうして?」

「 そうね日本にはこんなものはないのよね。北のほうの国は白夜っていうのがあってね。 夏の間はお日様が沈まないんだよ。」

「 おひさまが沈まないの?」

「 そうずっと。一日中お日様は 私たちに見えるところにいるのよ。だから夜になっても暗くならない。」

「 でもそれじゃあ、いつが朝かいつが夜か北の国の人は全然分からないの?」

「 そんなことはないよ。 人間の体の中にはね、いや人間だけじゃないね、生き物の体の中にはね、 動物だって植物だって みんな時計があるのよ。 時計を持っているの。 だからお日様が沈まないからと言って 夜か昼か分からないことはないの。 私だってもうそろそろ眠りたいなーって思ってきたもの 。」


 私は ニャーモさんと出会ってから 知らないことばっかり 話してもらって本当に驚きました。 そっか、こんな国があるんだね。 白夜! なんて素敵なんだろう。


 ニャーモさんは眠る前に テントの周りに三つトーチを建てました。 それに火をつけました。

「 どうして明るいのに 火を灯しているの?」

「これはね 狼が近づいてこないようになんだよ。」

「狼もいるの?」

「 森の中には狼がたくさんいるわよ。でも狼はとても賢いの。 それに皆が思っているほど乱暴者じゃないよ。 人を襲ってくるなんてことは めったにないの。 おそってくる時は人間の方が悪いことをしている時だよ。 それでも念のためこうやって火をたいておくの。狼は燃えている火が怖いから近寄って来ないのよ。 さ、手紙さんも一緒に寝ましょう。」

 そう言ってニャーモさんは テントの中で あっという間に眠りにつきました。


 私はラップランドに着くまでずっと眠っていたので あまり眠くありません。 テントの隙間からじっと外を眺めていました。 白くて明るい不思議な光の景色です。 不思議な夜です。


 オオカミさんが見えました。オオカミさんが四匹ぐらいいました。 オオカミさんが近づいてきました。私はドキドキしました。 本当に大丈夫なのかな? 近くまでよってきたオオカミさんは 銀色のふさふさした毛をしていてとても綺麗でした。その目はキラッと光っていたけれど思いがけず優しいまなざしでした 。

「オオカミさん、オオカミさんも仲良くしようね!」

 オオカミさんは乱暴ものじゃないんだな。 オオカミさんは火の側にはきませんでした。 そしてまた森の中へ帰ってきました。私の声が分かったのか、一度振り返ってそして走っていきました。 そうしているうちにいつのまにか私も 眠ってしまいました。


 朝になりました。 朝になってもよくわからないようだけれども、それでもお日様の光が夜より華やかでした。ニャーモさんは パンとコーヒーとチーズの朝ごはんを食べて、 手早くテントをたたみ 周りも綺麗に掃除をして 旅立つ準備をしました。


 そしてまた私をボトルごと自分のジャケットの中に入れて、

「 さあ出発するわよ。ここから真っ直ぐに私の住んでいるトゥルクまで行くの。」

と。

 今度はニャーモさんの家に行くのです。

 「さようならラップランド。本当にここに来ることができてよかった。 みんな 寒い寒い冬も元気で過ごしてね 。」

 私はラップランドの大地にお別れの挨拶をしました。


ニャーモさんの家に到着しました。 木でできたお家でした。 壁は薄い水色です。 そして屋根はとても明るい赤色。 小さな窓がいくつかあって窓辺には花が飾られています。 まるでおとぎ話の 中に出てくるような可愛らしいお家です。


 ニャーモさんはモーターサイクルを倉庫の中に入れてそれから私たちを連れてお家の中に入りました。 ニャーモさんは私を プラスチックボトルから取り出して 暖炉の上にそっと置きました。

「手紙さんしばらくここで待っていてね。 私はまずシャワー浴びてくるわ。 シャワーを浴びた後は、あなたが入ってたプラスチックボトルをきれいにきれいに洗わなくっちゃ。」 

 そう言ってニャーモさんは シャワー室のあるほうに行ってしまいました。


 私はお家の中を見渡しました。 そんなに大きくはありません。端っこに気持ち良さそうなベッドが置いてあって、 窓辺にはニャーモさんがお仕事をしたりするときに使うのでしょうか。 机と椅子がありました。 机の上には 可愛らしいランプが置いてありました。反対側は キッチン。キッチンの横にお食事をする時のテーブルと椅子がありました。 床には 何の動物でしょう? 毛皮が敷いてありました。窓と反対側の方に暖炉があります。暖炉の上には木や石でできたお人形さん達が並んでいます。 その横に私も置かれたのです。暖炉の前にはふかふかのソファーがありました。

 ニャーモさんが入っていった方にはきっとお風呂場があるのでしょうね。ニャーモさんの家はそれだけです。ですが壁にたくさんの絵が飾ってありました。それは絵と言うより模様を描いたもののように見えました。

 ニャーモさんがとても綺麗好きで 何もかもきちんと整頓されているのが 非常に気持ちが良かったのです。私は本当にいい人に拾われたなとしみじみ思いました。


 しばらくしてニャーモさんが お部屋に戻ってきました。

「 あーさっぱりしたわ。 モーターサイクルで走るのは気持ちがいいのだけどね。 でも体中ほこりだらけ。 全部綺麗にしてきたわよ。 今度は手紙さんが入ってきたボトルさんをピカピカにしなくちゃね。」

 休む間もなく早速キッチンでボトルさんを洗い出しました。 中も外も 丁寧に丁寧に洗っています。 あのドロドロだったボトルさんは ピカピカ光るぐらい綺麗になりました。それをきちんと拭いてニャーモさんは やはり暖炉の上に置きました。

「ボトルさん良かったね、すごく綺麗になったね。」

 私がボトルさんに話しかけるとボトルさんはちょっと自慢そうにきらっと光りました。


 「手紙さんが入っていたボトルさんはね 特別なもの。私の宝物なの。 だから絶対捨てたりしないで、そうね、ここにはお花をさして飾りましょう。暖炉の上に置くのは火が入っていない時だけ。寒くなって火を入れたらすごい熱でボトルさん溶けてしまうもの。」

とニャーモさんは言いました。


 「ここに並んでいる可愛いお人形たちは何?」

「それはねフィンランドで取れた石や木で作ったトントゥと言う妖精なの。フィンランドの人達はねみんなトントゥに守られているのよ。 だからこうやって大切に暖炉の上に飾ってあるの。」

 フィンランドの人たちは自然に宿った妖精さん達を信じているのだなと思いました。心の底から自然を愛し尊ぶ人たちなのでしょう。

 「壁に飾ってあるたくさんの絵は?」

「ああ、私が描いたの。一応デザイナーって言えばいいかな?夏場は自動車の部品工場で働きながら暇を見つけて図案を描いている。冬は自動車工場には行かないで家の中で絵を描いたりお裁縫をしたり・・・モーターサイクルも倉庫の中でお休みよ。」

 たくさんのことを聞きました。 たくさんの話をしました。 でもまだニャーモさんは私を読んではいません。


 「いつ私を読むのかな?」

 そう考えていた時にニャーモさんが言いました。

「 今晩 明るい夜の中で手紙さんをゆっくり読むわね。」


 私は嬉しい気持ちとちょっとドキドキした気持ちが 混ざっていました。 どうしてかと言うと 手紙は日本語で書かれています。ニャーモさんはそれを読めるのだろうか? 私たちはお話ができるけれども 文字を読むことは できるのかしら? もしできなかったら どうしよう。 そう考えて私は 夜が来るのが 待ち遠しいような 少し怖いような気持ちになりました。


 白い光の 明るい夜の中 ニャーモさんは 窓辺の机に向かって とうとう私を広げました ニャーモさんはじっとそこに書かれた言葉を 辿っていました


 『私の手紙を拾ってくださった 優しく親切な方 これは 私が書いた手紙です。 私の名前は たちばなみやこ。 日本人で七十歳のおばあさんです。 私は一人で住んでいます。

 若いころは言語学者であった夫の海外渡航に便乗して、私はたくさんの国に旅しました。それらはとてもすばらしい思い出です。

 夫も亡くなり私も年を取りましたが私はもっと旅がしたかったのです。けれど世界中が 重い重い病にかかってしまいました。 どこの国も その病気で大変です。どこへも行けなくなりました。

  そして 悲しいことですが世界のあちこちで 未だに 戦争も起こっています。

 どこにも出歩けない数年のうちに私は七十歳になり、もう旅をする元気がなくなってしまいました。

 それはとても寂しいことでした。まだ行ったことのない国にいってみたい。 話したことのない国の人とお話がしてみたい。 いろんなことが知りたい。 そう思っていますがもう私がこの家から 遠くに出て行くことは無理みたいです。


 私は考えました。 メールボトル。 プラスチックのボトルの中に この手紙を入れよう。そして 海に流すのです。現代に・・・・インターネットでお友達が探せる世の中ですのにずいぶんと古風な・・・しかも海洋汚染とか動物愛護とか叫ばれている昨今に、メールボトルなんて顔をしかめられるかもしれません。それでも私はこのやり方で・・・ちょっとした賭け、運だめしみたいな気持ちでこの方法を選びました。 もしかしたら 途中の岩場に引っかかって 私の手紙はどこにもたどり着かないかもしれません。 もしかしたら どこかにたどり着くかもしれないけれども 誰も見つけてくれないかもしれません。 もしかしたら 見つけた人が 汚いボトルだとそのまま捨ててしまうかもしれません。


 けれど私は希望を持ちました。この手紙は きっと誰かの手元に届く。そしてその人は この手紙を読んでくれて私の友達になってくれる。

 どこの国の人でしょう? どんな言葉を話す人でしょう? それを考えるだけで 私はワクワクするのです。


 今これを読んでくださっているあなた。 どうか私にお返事をください。 私はあなたのお返事を 楽しみに楽しみに いつまでも待ちます。

 私の手紙を拾ってくださって 本当にありがとう。

追伸

 プラスチックボトルを海に流したことお許しください。あなたの国を汚そうとはけっして思いませんでした。 橘宮子』

 最後には 日本の住所が書いてありました。


 ニャーモさんは 長い長い時間 手紙を見つめていました。私はニャーモさんが 読めているのか 、それとも日本の文字が分からないのか? どうなのだろうととても心配でした。ニャーモさんは 随分長い間 黙っていました。


 そしてとうとう私に 話しかけました。

「 手紙さん 不思議なことね。 あなたと私がお話ができるように 私は この日本の文字が全部読めたよ。みやこさんという人が書いてくれた ことが全部分かったよ。 私はみやこさんのお友達になれるのね。 なんて素晴らしいのかしら。 なんて嬉しいことかしら。

 私のお返事を待ってくれているみやこさんのことを考えて たくさんのことを書くわ。

 最初のお手紙は、 そうね、 手紙さんの海の旅行の大冒険。 それを全部知らせなくちゃね。 そして私と出会ったこと。 ラップランドに行ったこと。 それから私のお家にやってきたこと。 全部書きましょう。

 みやこさんに このお手紙の お返事を送りましょう。」


 ニャーモさんはとても明るい顔で私に微笑みました。私はほっとして そして嬉しくて嬉しくて たまらなくなりました。


次の日、明るく白い夜の窓辺でニャーモさんはみやこさんにお返事を書き始めました。

その顔はとても楽しそうでした。時々小声で歌を口ずさみながらニャーモさんはいっぱいいっぱい書き綴っていました。

 「さあ、手紙さんできたわよ。」

 「もちろん、フィンランド語ですよね?」

 「そうよ、でも大丈夫、私が日本語の手紙が読めたのですもの。みやこさんだって私の国の文字は読めるはずよ。」


私はきっとニャーモさんの言う通りに違いないと思いました。


 「手紙さん、あなたの写真を撮るわね。それからあなたが入ってきたプラスティックボトルの写真も撮りましょう。そしてラップランドで写した写真と一緒にお手紙の中に入れるのよ。そうしたらみやこさんは本当にあなたが私の家にいることがわかるものね。」

 ニャーモさんはそう言ってパチパチと写真を撮りました、ニャーモさんが暖炉の上に私を立てかけて、その周りに花を置きました。私はちょっと照れくさかったけれど嬉しかったです。入っていたボトルさんもニャーモさんがぴかぴかに磨いているし、その中に花を入れてとてもきれいです。

 「みやこさん・・・きっととてもよろこぶだろうなぁ」

と思いました。


 ニャーモさんは長いお返事を書き終えて、写真と一緒に封筒に入れて郵便局に持っていきました。

 「日本には何日ぐらいで届きますか?」

 「早くて十日ほど、二週間あったら必ず届きますよ。」

 郵便局の人がそう言ってフィンランドのきれいな切手を貼りました。

 郵便局から戻ってきたニャーモさんはにこにこして言いました。

「楽しみだわ!楽しみだわ!みやこさんは私の手紙を読んだら、きっとお返事くれるわよね?」

「必ずくれますよ。お返事楽しみですね。」

私はそぅ答えました。


 みやこさんは 郵便受けに 見たこともない文字の手紙が入っているのを見つけました。それは遠い遠い国からの 手紙でした。

 みやこさんはハッとしました。 自分が 手紙をボトルに入れて海に流したのは 2ヶ月以上前でした。 どこからかお返事が来るかな? それとも どこからもお返事は来ないかな? そう思ってポストを覗いている毎日でした。 とうとうお返事が来たのです。

 

 それは知らないはずの言葉でした。フィンランド と書いてありました。 ニャーモと書いてありました。 フィンランドは国、ニャーモはお手紙を書いてくれた人の名前です。

 みやこさんは走るようにしてお家の中に入り 手紙の封を切りました。 そこにはびっしりと 文字が並んでいました。フィンランド語でしょう。 けれどみやこさんはそれを読むことができたのです

 そこにはみやこさんが海に流した ボトルに入った 手紙が どんな風にして フィンランドの浜辺にたどり着きニャーモさんが拾ったか。ニャーモさんは 手紙を持ったまま ラップランドに行きたくさんの事を手紙さんに教えたり。 それからお家に帰ったこと、手紙さんとたくさんお話をしたことなど、詳しく書いてありました。そして写真を撮ってくれて それも入れてくれていたのです。

 

 ずっとずっと待っていたお返事 それが夢ではなく 届いたのです。ニャーモさんもみやこさんの書いた日本語がちゃんと読めたと。 それは不思議なことですが そんなに不思議だと思いませんでした。ニャーモさんが 自分が書いた手紙をとても大事にしていてくれることが分かって すごく嬉しかったのです。そのうえ長い間海を漂ってドロドロに汚れていただろう プラスティックボトルをピカピカに磨いてくれたことも とても嬉しかったのです。ニャーモさんの人柄が分かりました。

 

 みやこさんは早くお返事書かなくちゃ、 早く早くお返事を書かなくちゃ。ニャーモさんが待ってくれている。 そうだわ私が ボトルに入れて手紙を流した浜辺の写真を撮りましょう。その写真をお手紙に入れましょう。 それからニャーモさんからのお手紙を タンスの上に飾って そのお写真も撮りましょう。

 みやこさんはわくわくして 久しぶりにとっても元気になりました。


  ニャーモさんがお返事を出してからちょうど一ヶ月たった日、郵便受けに日本からのお手紙を見つけました。

 ニャーモさんは大喜びしました。お返事がきたのです。みやこさんから。

 ニャーモさんは声を出してそのお返事を読みました。私に聞こえるように。そしてみやこさんが送ってくれた写真も私に見せてくれました。

「この浜辺からみやこさんはあなたを海に流したのね。」

「あ、そう!思い出しました。そこの景色。そう、みやこさんはそこから私を流してじっと見ていて手をふってくれたのです。」

 私はとても嬉しくボトルさんも うんうんとうなずいているようです。

 

 それからニャーモさんはまたお返事を書き、受け取ったみやこさんもお返事を書き。

 遠い国からのお返事を楽しみに待つ二人はとっても仲良くなっていきました。

 ニャーモさんはみやこさんよりずっと若くて大きなモーターサイクルに乗って走り回る元気者でしたが、お母さんがもう天国に行ってしまったので、まるでみやこさんをお母さんのように思いました。

 みやこさんも若いときにはあちこち旅をするのが大好きでしたが、今はもうどこにも行けません。だからニャーモさんの書いてくれるお話を読むのが、一番の楽しみになったのです。

 

 白夜の夏に初めてのお返事。そして月日が経つのはなんと早いのでしょう。北国のフィンランドはもう雪で覆われていました。そして冬の大自然、オーロラが見えるようになったのです。

 ニャーモさんはオーロラの写真をいっぱい写してみやこさんに送りました。みやこさんからは『日本では見られない不思議な夜空。美しいですね』と大喜びのお返事が届きました。

 ニャーモさんはみやこさんから届いた手紙を必ず私に読んで聞かせてくれました。


 素晴らしく美しいオーロラが夜空で踊っている日、私はニャーモさんに向かって

「ありがとう。とってもとってもありがとう」

と言いました。

 それは私の最後の言葉でした。それっきりニャーモさんが話しかけても もう私は答えることはしませんでした。

 ニャーモさんはどうしてしまったんだろう と、ずっと考えました。

 そしてはっと気がついたのです。 手紙さんは自分の役目を果たしたのです。最初のお返事からずっと様子を見ていて、みやこさんと私がとても仲良くなり、私たちが楽しく手紙のやりとりを続けるようになった。

 メールボトルの役目。どこかに流れ着いて誰かに拾ってもらって、その人が中に入っている手紙を書いた人にお返事を書く。私が拾った手紙さんはそれを見届けたのだわ・・・だから 手紙さんは もう何も言わなくなってしまったのだ、と。


 ニャーモさんは手紙さんをきちんと広げてとても可愛らしい 額縁の中に入れました。 そしてそれを自分の 机の前の壁に飾りました。手紙さんが入ってきた プラスチックボトルには いつでも何時でも優しいお花を入れて 暖炉に火を入れた時から自分の机に移動して飾ってあります。

 「手紙さん、私のところへ来てくれてありがとう。喜びを運んできてくれてありがとう。」

ニャーモさんの声が聞こえます。

 『私は一番幸せな手紙・・・優しいくじらさん、爽やかなニシンさんたち、ありがとう。ニャーモさん、ありがとう、大好きですよ!』

 私は心の中でつぶやきました。


 ニャーモさんはもう物言わなくなった私に静かに語りかけ、朝には『おはよう』夜には『おやすみ』と声をかけ、時にはフィンランドの歌を歌って聞かせてくれました。まるで自分の子供に聞かせているように・・・

 そしてまた、遠い遠い国へ向けて お返事を書くのでした。


                       第一部  終わり








  








  







   


  遠い国の返事  


                 第二部










 

 手紙さんはずっとねむっているようでしたがニャーモさんの声は聞こえていました。ニャーモさんは、朝は「おはよう。」夜は「おやすみ」と必ず手紙さんに声をかけました。宮子さんから手紙が届くとそれを読んでくれました。そしてたくさんの歌を歌ってくれました。それらは手紙さんには心地よい子守歌のように聞こえました。

 手紙さんはずっとニャーモさんを見ていました。長い暗い冬はニャーモさんは元気がありませんでした。家の中で編み物をしたり本を読んだり、絵を描こうとしてもいい案が浮かばないようでやめてしまいます。そして窓から薄暗い外を眺めてため息をつくのです。


 手紙さんはずっと考えていました。この親切な人に何かお返しができることがあるのではないかと。寒くて暗い冬、思うように外にも出かけられない冬。大好きなモーターサイクルに乗ることもできない冬。そんな冬にニャーモさんに元気になって欲しい。明るい気持ちになって欲しい。手紙さんが望むことはそれだけでした。

 ニャーモさんは今までもずっと同じ冬を過ごしてきたのでしょう、慣れているのかもしれません。けれど今は『私』が居ます。だとしたらニャーモさんに今までと違った冬を過ごして欲しい。手紙さんはそうかんがえていました。


 白い夜の夏がやってくるとニャーモさんはとても元気になりました。モーターサイクルを納屋から出して、100km、200kmとそんなに長い距離ではありませんがツーリングを楽しんでいました。

 ある日ニャーモさんがツーリングから帰ってきてうたた寝をしているときに、自分を呼ぶ声が聞こえたように思いました。半分眠りながら

「夢・・・だよね・・・手紙さんの声みたいだった・・・」

 そう思いながらまた眠りの中に入っていこうとしたときです。今度ははっきりと聞こえてニャーモさんは飛び起きました。

「ニャーモさん。」

 黙ってしまった手紙さんが確かに呼んだのです。

「て、手紙さん!目を覚ましたの?また私とお話をしてくれるの?」

「ずっとニャーモさんの声を聞いていましたよ。いっぱい歌も歌ってくれてありがとう。あのね、お願いがあるの。」

 ニャーモさんは手紙さんがよみがえってくれたことがとても嬉しかったのです。

「お願い??うん、なんでも手紙さんの望み、叶えてあげるわ。なぁに?言って。」

「手紙を書いて欲しいの。」

「誰に?宮子さんとはずっと手紙のやりとりはしているわよ。」

手紙さんはそれは知っているわと言いながら、ニャーモさんに英語の手紙を書いて欲しいと言いました。内容は簡単でした。

 『私はフィンランドに住んでいるニャーモと言う女性です。メールボトルを海に流します。このボトルを拾ってくれた方、どうか私にお返事をください。』

そしてニャーモさんの住所を書くのです。

 ニャーモさんは手紙さんの考えていることがわかりませんでした。それぐらいの英語の手紙を書くのはとても簡単なことです。でも、今度は私がメールボトルを海に流すの?


「ニャーモさん、あなたが書いた手紙は私の分身、『私』なの。それをあのボトルさんに入れて、宮子さんがしたようにあなたが海へ流してください。『私』は新しい旅をします。」

「ここにいるのが嫌なの?」

「ううん、そうじゃないの。分身の『私』が旅をして冒険をして、それをニャーモさんに全部お話してあげたいの。まだまだ知らない世界があると思うの。ニャーモさんが私をラップランドまで連れて行ってくれて、北の寒い所の人たちの暮らしや自然のこといっぱい教えてくれたでしょ。今度は『私』がニャーモさんの知らない世界の事を教えてあげたいの。」

 ニャーモさんは手紙さんの考えていることがわかりました。この子は私を喜ばせたいのだと。

「手紙さんは一緒に行くの?」

「ううん、私はここでニャーモさんと一緒に待っているの。ボトルさんは必ずどこかにたどり着いてくれるし、『私』は拾ってくれる人に出会って沢山のお話を聞ける。」

 ニャーモさんはにっこり笑って、それまでお花を差していたボトルさんをもう一度綺麗にあらって、丁寧に乾かしました。


 「分かっているわね。私がしたいこと全部あなたに託したわよ。ニャーモさんこの子をよろしく。私はまた眠りにつきます。」

 手紙さんは分身の『手紙』に言い含めて、ニャーモさんに託してもう黙ってしまいました。

 ニャーモさんは新しい手紙さんに話しかけました。どこへ行きたいのかしらと。

 新しい手紙さんもちゃんとお話ができました。

「南の方に行きたいの。北極海はもう十分。あの恐怖のような寒さはもう味わいたくないの。ボトルさんだって同じ気持ちよ。」

 ニャーモさんはその言葉を聞いて、ああ本当にこの子は手紙さんの記憶、思いの全部受け継いでいるのだと、納得しました。

 ニャーモさんと手紙さんは話をして、どこからメールボトルを流したらいいかを考えました。

「私の拾ったところではまた湾内をぐるぐる回って、フィンランドに戻ってくるかもしれない。それではダメね。」

 そう言って地図を取り出して海流を調べだしました。南に向かう海流のところ。どこまで行けばいいかしら?そう、ここだわ。ここ。行く処が決まったようです。

 それからニャーモさんはせわしなく旅の準備をしました。モーターサイクルの手入れをして荷物を載せて、ボトルさんに手紙を入れてしっかり蓋をして、あの時のように自分のジャケットの中にボトルさんを入れました。

 「さあ出発するわよ。行ってくるわね、手紙さん。戻ってくるまでゆっくり眠っていてね。」

 新しい手紙さんを持ったニャーモさんは玄関に鍵をかけるとモーターサイクルのエンジンをかけました。モーターサイクルは快適な音を立てて動き出しました。

「すぐよ。すぐに目的地に着くわ。」

「そんなに近いの?」

と驚いたように手紙さんが聞きました。

 本当にすぐでした。三十分もたたないうちに大きな港に着きました。手紙さんとボトルさんは長旅をすると思っていたので拍子抜けでした。そこにはいっぱい船が停まっていました。


「ここからあなたたちを流すのじゃ無いのよ。あれに乗って一晩船の中で眠るのよ。目的地に到着したら、モーターサイクルで走り出すの。」

 ニャーモさんは一人分のチケットと乗り物一台分のチケットを買いました。そしてたくさんの自動車などが止まっているところに自分のモーターサイクルを止めました。きちんと鍵をかけて船が波に揺られて右や左に傾いても、バイクがズズズってよそに行ったり動かないように一番壁側に置いて、モーターサイクルにチェーンを巻いてそれを船の壁にあったフックに取り付けました。反対側には倒れないように船の中にあった少し汚かったけれど毛布みたいなものを積み上げました。

「こうしておいたらモーターサイクルは安全よ。さ、甲板に行きましょう。」

 ニャーモさんはボトルさんを手に持って甲板に上がって行きました。船が出港して動き出しました。

 「メールボトルさん、これはあなたが漂ってきた海なのよ。船の上から見る海の景色ってなかなかいいでしょう。」

 手紙さんは驚きました。確かに自分は海の中をずっと漂ってきたのです。上から海の景色を眺めることになるなんて思ってもみませんでした。風が気持ちがいいです。波は穏やかでゆったりと船が揺れていました。水の中よりも随分と楽でした。こんな旅ができるなんて夢みたいだわと思いました。

 夜が来てニャーモさんは寝室に行きあっという間に眠ってしまいました。手紙さんはボトルさんの中。ニャーモさんの枕元に置かれました。

 いつのまにか手紙さんも眠ったようです。翌朝ニャーモさんに起こされました。もう着くわよ。降りる準備をしなくちゃ。さ、これから走るわよ、と言って。


陸の旅が始まりました。それはニャーモさんに連れて行ってもらったラップランドへの旅に似ていたけど景色はずいぶん違います。最初は混雑している細い道を通って行きました。道の両側は海です。ニャーモさんはどこまで行くのだろう?でも大丈夫。この人について行ったら安心だと手紙さんは思っていました。

 かなり走ったでしょうか。景色がぐんと変わりました。フィンランドは山や森がたくさんあったのにラップランドと同じように平原なのです。平原だけれども雪はありません。

(ラップランドって本当にとっても北だったのだわ。寒かったし彼方の森は夏なのに雪があった・・・)

 綺麗な草の緑色。色とりどりの花花がたくさん咲いています。ここはどの辺りと手紙さんが聞きました。

 「今晩ここで泊まるけれどもここはもうデンマークと言う国よ。船が着いたところはフィンランドのお隣の国スウェーデンだったの。そこから細い路をずっと走ったでしょ。そしてデンマークに入ったの。海を渡ってヨーロッパ大陸に入ってきたのよ。ヨーロッパ大陸と言うのもちょっとおかしいけどね。

 一晩泊まって明日にはデンマークの海岸に行くわ。デンマークの海岸からはね、南に行く海流があるの。だからあなたを海に流したらあなたは南へ南へと流れていくはずよ。北極海には行かないから安心して。」

とニャーモさんは笑いました。

(そっか、南へ行きたいと言ったから、南へ行ける海まで私をを連れてきてくれたのね。) 手紙さんはニャーモさんに感謝しました。

 ホテルで一晩泊まって翌日ニャーモさんは海岸に向かって走りました。綺麗な海岸でした。そして心なしか、いや実際にフィンランドよりかはずいぶん暖かいなと感じました。


「このあたりの海岸でいいかしら?いい風が吹いている。南に向いて吹いているわね。ここからあなたを流したらずっと南の方に行けるはずよ。」

 ニャーモさんはボトルに入った手紙さんに話しかけました。

「大丈夫。このボトルさんはとっても強い子。だって遠い遠い日本から海を漂ってフィンランドまでたどり着いたんだもん。だからあなたは心配しなくていいのよ。きっとどこかに辿り着いて、きっと誰かに拾ってもらえるから。私はその人からの手紙を楽しみに楽しみに待っているからね。」

 手紙さんはちょっと寂しくなりました。ニャーモさんから離れることが。本当に大丈夫だろうかと不安にもなりました。でもニャーモさんの言葉、ボトルさんのことも、そしてニャーモさんのお家で待っている自分の分身の手紙さんの言葉も、全部信じようと思いました。

 ニャーモさんは少しためらっているようでしたが、

「じゃあいってらっしゃい。」

 そう言ってとうとうボトルさんを海の中に流しました。ニャーモさんはしばらく立って見つめていました。ボトルさんはぐるっと回ってニャーモさんの方を見ました。みんなの想いをのせて流れていくのだからがんばらなくちゃね。そう言っているように手紙さんには思えました。

 ニャーモさんはボトルさんが見えなくなるまでずっと立ち尽くしていました。けれど頭を振って大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせながら、モーターサイクルの方に戻っていきました。


一人で帰るニャーモさんはまるで狂ったかのようにモーターサイクルを飛ばしました。ものすごいスピードでした。それはニャーモさんの寂しさ、それを振り切るかのようなスピードでした。ニャーモさんは自分に言い聞かせていました。あの子達はちゃんと旅をする。そして私は遠い国からの返事をもらう。家に帰ればあの手紙さんがいる。宮子さんからも手紙は来るし私も宮子さんに返事を書くし。私は一人じゃない。

 ニャーモさんは自分の家に帰り着きました。そして手紙さんに話して聞かせました。新しい旅に出たメールボトルのことを。手紙さんは黙って聞いていて、はい、と返事をしたようにニャーモさんには思えました。


 月日が経つのは本当に早いのです。フィンランドの短い夏はもう終わり、秋など来ないかのように冬の日々になっていきました。また薄暗い毎日。ニャーモさんは家の中で暮らすようになりました。

 でも毎日こんなでは良くはないわ。そう思って昔から描いていたテキスタイルデザインを始めてみました。布の柄を書くデザインです。色々なモチーフで描いてみました。あのボトルさんがいっぱい並んでいて一つ一つ色が違うような、そんなモチーフも描いてみました。

 フィンランドにはいくつかの有名なファブリック工房があります。その中でンケラドという工房に持って行ってみました。ンケラドを選んだのはその工房は布だけを作り、それを使った製品は作っていないからです。

 「このデザイン使ってもらえませんか?」

と尋ねてみると、ンケラド工房はニャーモさんのデザイン画を見て、うん、とてもいいね。これで布を作ったら非常に良いものができると思うよ。もっとどんどん描いて持ってきてくださいと言ってくれました。


ニャーモさんが描いたデザイン画はンケラド工房が綺麗な布に仕上げました。

 ニャーモさんはデザイン画を書いた賃金をもらって、そのお金で自分が描いたデザインの布をたくさん買いました。

 お昼間はその布でバッグを作ったりクッションカバーを作ったり、綺麗なお洋服も作ってみたりしました。夜になると新しいデザイン画を描きました。

 デザイン画を描く。それを布にしてもらう。その布を自分で買い、様々なものを作っていく。ニャーモさんはそんな毎日を送るようになりました。

 冬はどんどんと深くなってきました。雪がたくさん降りつもり外はいつも薄暗く、ニャーモさんはンケラド工房に行くとき以外はずっと家の中でした。


 そんなある日ドアをノックする音が聞こえました。ニャーモさんが玄関の扉を開けるとそこには郵便配達の人が立っていました。

「ニャーモさん、お手紙が届いていますよ。外国からですよ。」

 配達員さんが手紙を渡してくれました。それは手紙というよりまるで小包のように分厚いものでした。ニャーモさんは差出人を見ました。宮子さんからだと思ったのですがそうではありませんでした。

 差出人の住所の所にはスラバヤ・インドネシアと書いてありました。差出人の名前はサムハと書いてありました。

 「インドネシアからの手紙!じゃああのメールボトルはインドネシアにたどり着いたのね。そしてこのサムハと言う男性か女性かわからないけれども、その人があの子を拾ってくれたのね。

 あの子を海に流してから4ヶ月経っていました 。とうとう手紙が届いたのです!


ニャーモさんは大きく深呼吸しました。そして世界地図を取り出しました。それを広げて熱心に見ています。

「ああ、インドネシアはここね。メールボトルはこんな遠い処まで行ったのだわ。いったいどの海を通って行ったのかしら?ねえ、手紙さん、すごいと思うでしょ。」

ニャーモさんはとても興奮していました。手紙さんはそんなニャーモさんを可愛いなぁと思って見つめていました。


 ニャーモさんは心臓がドキドキしてきました。はやる気持ちを抑えて封筒を丁寧に開けました。そこから出てきたのは一体何ページあるのかと思うほどの、分厚い分厚い手紙でした。その手紙を眠っている手紙さんに見せながら

「さあゆっくり読むわね。手紙さんあとで全部お話ししてあげるからね。私が読み終わるまで待っててちょうだい。」

と言いました。

 ニャーモさんは手紙を読み始めました。綺麗な英語で書かれていました。


 『初めましてニャーモさん。あなたのお手紙を受け取りました。私はインドネシアのスラバヤというところに住む女子大生のサムハです。今は真夏で大学はお休みです。私は毎朝浜辺を散歩します。そしてペットボトルを見つけました。手紙があるのが分かりました。私は、ああこれはメールボトルなのだなと思って自分の家に持って帰りました。そうすると手紙さんが私に話しかけたのです。

「今日は拾ってくれてありがとう。私はメールボトル19です。」

と。

 私は全然驚きませんでした。手紙さんが話すのが奇妙だとか不思議だと思いませんでした。私はイスラム教徒です。アラーの神様に毎日お祈りをしています。神様はいろんなことができると思っています。だから世の中には不思議なこともあるかもしれませんが、それは神様がそうしてくださっているのだと考えているので、手紙さんが喋っても不審な思いなどは全くしませんでした。


手紙さんは私にいろいろなことを話しました。自分がフィンランドと言う北国からやってきたことを伝えてくれて、その国とインドネシアのあまりの違いに驚いたと言っていました。そして私にお願いがあるのだと言いました。どんなお願いでも叶えてあげるのが私の役目だと思いました。

「一体何がして欲しいの?」

と聞くと、

「長い長い、とてつもなく長い手紙を書いて、このニャーモさんに送ってあげてほしいのです。」

と言うのです。

「書くことは私が全部話します。だからあなたはそれを書き留めてください。いいですか?」

と尋ねられました。私は手紙さんの願いを叶えてあげようと思い、いいですよと答えました。

 それから手紙さんは私に語りかけ始めました。私はそれを書き留めました。本当に長いお話だったので1日ではとても終わりません。私の夜のお祈りが終わると手紙さんのお話を書き留める。そういう毎日が2週間ほど続きました。

 やっと書き上がったので、ニャーモさん、あなたに私からのこの手紙を送ります。読み終わったらどうか短かくてもいいですから私にお返事をください。私の所にいる手紙さんは、きちんとニャーモさんに私の手紙が届いたかどうかそれが知りたいと言っています。どうかよろしくお願いします。ではここからは手紙さんが語ったお話です。


::::::::::::::::::::::::::::::::


 ニャーモさん私はとうとうインドネシアのスラバヤというところについて、サムハさんと言うとても可愛らしくて賢い女子大生さんに拾われることができました。今から私の旅をニャーモさんにお話しします。

 

 ニャーモさんが私をデンマークから海に流してくれましたね。私は少し不安でしたけれど、みんなの言うとおりこのボトルさんはすごく強いからと信じて流れていきました。

 ニャーモさんの見つけてくれた場所はとても良くて、本当に南へ南へと流れていきました。しばらくすると大きな魚を見つけました。私はくじらさんのことを思い出して、お友達になれるかなと話しかけようと近づいていきました。

 「おや、おまえはメールボトルか?食ってもうまくはないが、いたぶって粉々にして俺様の鬱憤晴らしにはちょうどいいな。こっち来いよ。遊んでやるから。」

 その大きな魚は言いました。言っている意味が私にはわかりませんでした。ただ、遊んでやると言うので何か面白いことがあるのかなと考えました。

 するとその時とても不思議な形をした鳥のような魚が、本当に魚なのかどうかわからなかったのですが、翼みたいなもので私を包み込みものすごいスピードで泳ぎ出しました。私はとてもびっくりしました。一体何が起こったのか分かりませんでした。

「おいお前なぁ!なんで俺様の邪魔ばっかりするんだ!俺様の獲物だぞ!!おい、こら!待て!待てったら!チッ!今度あったらたたじゃすまねえぞ。覚えておけよ!」

 後ろから大きな魚の声が追いかけてきました。でも不思議な生き物は止まりません。しばらくそんなスピードで泳いでいました。そしてやっと止まって、

「あーもう大丈夫だ。危ないところだった。君はメールボトルだろう?君はあの魚を知らなかったのかい?あれはサメっていう魚なんだ。ものすごく狂暴でサメに狙われたら人間だってひとたまりもないんだよ。君なんか噛まれて粉々になってしまうよ。なんでもかんでもサメにかかったら本当にあっという間に壊れてしまうのさ。

 僕は君に気がついてこれはいけないと思って君を守って急いで泳いだ。びっくりしただろう?」

 私はそれを聞いて本当にびっくりしました。

「あれはサメと言うのですか?遊んでやるからこっちに来いって言われました。」

「遊ぶなんて!君をぶっ壊すつもりだったんだよ。」

 私は海には恐ろしい魚もいるのだということを初めて知ったのです。

「でもサメはあなたを襲わないの?あなたは大丈夫なの?」

 その魚?は笑いながら言いました。

「僕の後ろに回ってごらん。僕に触ってはいけないよ。」

 私は言われた通りにしました。

「さあ、こっちに戻っておいで。僕のしっぽみたいなのがみえただろ?」

 私は、はいと返事をしました。

 「あのしっぽの先から毒を出せるんだ。その毒にやられたらサメだって動けなくなるんだよ。前に僕を襲おうとしたサメにその毒を使ったんだよ。もちろん動けなくなったよ。サメ仲間はそのことをしっているから僕たちの仲間を襲うことはないんだ。君は無防備だな。」

「無防備ってどういうことですか?」

「うん、強い魚も弱い魚もみんな自分の身を守る何かを持っているんだ。そうして生き延びて行くんだよ。でも君はこのボトル君だけ。鋭い歯もないし、毒の出るしっぽもない。危険を防ぐものを持っていない。そのことを無防備って言うんだ。」

 そのとき私の頭の中に声が響きました。

 『私たちは武器は持たないわ。でも『知識』と言う名の盾を持っているの。だからたくさんの事を知りなさい。そうすれば盾はどんどん強く大きくなるのよ』

それはニャーモさんの家で眠っている手紙さんの声でした。私はこの時、手紙さんと交信ができることを知りました。

「私を助けてくれたのですね。ありがとう。あなたは魚ですか?海の中を泳ぐ鳥ですか?」

 私がそう尋ねるとその不思議な形をした生き物は少し笑いながら

 「僕は魚でマダラトビエイのエイヤって言うんだ。ほら背中に点々模様がいっぱいあるだろ。この羽みたいに見えるのは羽じゃないんだよ。僕たちの仲間はみんなこうやって両方のヒレでひらひらひらひらって泳ぐんだよ。人間が僕たちをまねて『ステルス』なんて名前の戦闘機を作ったけど、使用料金払って欲しいなぁふふふ。」(注:ステルス戦闘機が本当にエイを真似たのかは謎です)

「面白い。すごく面白いです。本当に海の中にはいろんなお魚たちがいるんですね。マダラトビエイのエイヤさんに出会えて良かったです。私はサメのことなど全く知らなかったから。」

「君の名前は何て言うの?」

とエイヤさんが聞きました。

 私の名前?私の名前?その時私はとても大事なことを思い出しました。あの時あまりに寒かったから、そのことばかりに気を取られて忘れてしまっていたこと。あのくじらさんが私にメールボトル19という名前をつけてくれたこと。あーそれは、ニャーモさんにも伝えていなかった。そしてマッコウクジラさんはPHR07と言う名前だった。

 今になって思い出すなんて私もどうかしている。反省しながら私はメールボトル19と言う名前です。とエイヤさんに伝えました。

「そうか、いい名前だね。君はどこに行くの?いやメールボトルだからどこへ行くとは決まっていないよね。どこに行きたいの?」

「私は寒い地方にいました。だから暖かいところに行きたいのです。」

「そうか暖かい処。じゃあ僕は君を連れてってあげるよ。この辺りはねサメも多いからまたさっきみたいなことがあると困るしね。君を守って途中まで連れてってあげる。」

 私はマダラトビエイのエイヤさんに守られながら海を漂って行きました。

 そしてその時手紙さんに伝えました。私たちの名前。手紙さんは『ああ、思い出したわ、本当に大事な事を忘れていたなんて・・・』と言っていました。


「ここからもう少し南下してそれから地中海というところに入るよ。暖かい海だよ。」

 そう言ってエイヤさんは私を連れて行ってくれました。結構日にちもかかったけれども地中海というところはとても綺麗で、本当に水が暖かいなと感じました。地中海を通って行くとエイヤさんが言いました。

「僕はここまでだよ。僕たちの仲間はみんなここら辺りの海までが住処だからね。ここから先はまた君は一人で旅をして、自分の行きたいところに流れて行きなさいね。ここからはね、スエズ運河っていう所を通って行くんだよ」

「スエズ運河って何ですか?」

「それはね海じゃないんだ。人間が陸地を掘って水を流して海と海を繋いだんだよ。」

「人間がそんなことをしたんですか?何のために?」

「スエズ運河がない時はね、魚も船もアフリカ大陸というところをぐるっと回って旅をしたんだ。アフリカ大陸は小さな島じゃないんだよ。ものすごく大きいんだ。だから船なんかは何日も何日もかかって南へ向かい、アフリア大陸の先端まで行ったら又何日も何日もかかって北に上がって目的地に行かなければならなかったの。魚だって大変だったよ。

 だから昔の人が運河というものを作った。そして、地中海とアラビア海をつないだんだよ。ここは細いけれども大丈夫だよ。僕はこの向こうには行かないのでここでお別れ。君の旅が無事であるように祈っておくよ。」

「マダラトビエイのエイヤさん。私頑張って流れていきますね。助けてくれてありがとう。」

 私は一人になりました。マダラトビエイさんと一緒にいた間に、沢山のことを知ることができました。


 私はエイヤさんと別れてスエズ運河を通っていきました。確かに両岸が見えます。街があったり草原があったり、広い海とは違うことがよくわかりました。そしてたくさんの船が通っているのです。こんなに船と近くになったことはなかったのでちょっと怖いなと思うのと、なんだかおもしろいなと思う気持ちがありました。それでもボトルさんにあまり近寄らないようにしようねと話しかけると、分かったというように船から遠ざかりました。

 スエズ運河を抜けるとそこには非常にたくさんの船が止まっていました。なんでこんなに止まっているのかなと考えたのだけれども、多分スエズ運河は狭いからいっぺんにたくさんの船が通れない。それで順番を待っているのだなと思いました。大きな船ばかりです。色々な船がありました。荷物をいっぱい積んでいる船もあるし、船自体が大きな倉庫のように見えるようなのもありました。それから全部灰色の船もありました。こんなにたくさんの船が、スエズ運河ができる前はアフリカ大陸と言うのをぐるっと回っていたのだなあと、その時のことを想像しました。

 

 しばらくその辺りを漂っているとたくさんの魚がやってきました。その魚たちはかわった色をしていました。そして私に言いました。

 「ダメよ、もっともっと深く潜って。もっと深く。船のそばに行っちゃだめ。船のお尻に大きな羽みたいな物が見えるでしょう。あれはスクリューって言ってあのスクリューに巻き込まれたら粉々になってしまうのよ。だから絶対近くに行っちゃだめ。」


そう教えてくれた魚さん達はとてもぱっちりした大きな目で、奇妙な色をして群れで泳いでいました。どこかで見たことがあるような気もするけども、はっきり思い出せません。海面の方を見上げると、確かに大きな羽が回っています。そっかあれに触ってしまったら粉々になるのね。海の中は危険がいっぱいなんだわ。ボトルさん気をつけようね。そしてそのお魚さん達に言いました。

「教えてくれてどうもありがとう。私はスエズ運河を渡ってきたのだけれども、ここは何という海ですか?」

「ここは紅海よ。」

 え?アラビア海じゃないの?じゃあ私は間違えたのかしら?

「あの、地中海でお別れしたマダラトビエイさんがスエズ運河を渡るとアラビア海だよって教えてくれたのですが・・・・」

「ああ、大丈夫。少し行くとアラビア海に入るからね。間違っていないわよ。」

私はそれを聞いてほっと安心しました。

「ここにはものすごくたくさんの船がいるけれども、みんなスエズ運河を渡りたくて待っているんですね。全部灰色の船は何なんでしょう?」

「あーあれは軍艦よ。ここはいろんな船が通るでしょ。当然便利だからなんだけれども船にも怖いことがあるのよ。それはね荷物を狙ってくる海賊船がいるの。海賊船は宝物の荷物を積んでいる船の横に近づいて、海賊たちが飛び乗って全部持って行ってしまうの。そんな海賊たちから普通の船やお仕事の船を守るために軍隊の船が来ているの。

 軍隊の船が来てからは海賊船はあまりこなくなったみたいよ。だって悪いことしたらやられちゃうから。」

 私はまた一つ物を覚えました。そういうこともあるんだ。人の船から物を盗んでしまう。そんな悪い人たちがいるんだね。そんなことにならないように守っている船の人たちもいるんだね。色々なんだなあと思いました。


 「あなたはどこへ行くの?」

と魚さんが聞きました。

「アラビア海からずっとずっと進んで行こうって思っています。どこまで行くのかそれは分かりません。でも私はメールボトルなのでどこかの国の浜辺にたどり着くこと、それが私の役目なのです。」

「そう。どんな国がいいの?」

「暖かいところがいいなと思っています。」

「だったらここから東へまっすぐ進むといいと思うわ。そのうちにインド洋に出るわ。そのあたりになると小さな島々がいっぱいあるのよ。」

「あのー私はメールボトル19と言います。自己紹介が遅くなってごめんなさい。あなた達は何というお魚さんですか?」

「私たち?私たちはランタンフィッシュって言うの。ランタンフィッシュはイワシの仲間って言われてるけど、どうも親戚じゃないみたい。よく分からないけど。」

 イワシの仲間と聞いた時に、私は日本を出てしばらく行った時にイワシの群れにあったことを思い出しました。どこかで見たように思ったのはそのためでした。でもこのランタンフィッシュさん達はイワシさんとはずいぶん違うように見えました。

 「私たちは南国の魚だから普通のイワシとはだいぶ違うと思うの。同じ仲間の魚でもすむ地域によってずいぶん違うのよ。その場所に一番合うようにだんだん変化してきたのだと思うわ。昔昔からね。普通のイワシのすんでいる辺りはあまり怪しい魚がいない処だと思うの。 でも南の海には妙な魚もいっぱいいるし、私たちは色を変えることができるの。海の深さによって色を変えるのよ。深いところでは茶色になって岩場にへばりついているの。そうしたらね、大きな強い魚が来ても私たちのことがわからないのよ。岩だと思ってしまう。そうやって色を変えて自分たちの身を守るのよ。

 それから私たちの体って光るのよ。きらきら光るの。ランタンって灯りのことでしょう。電気がついたように光るの。」

 私はこの魚さん達も自分の身を守る武器を持っているんだなと思いました。小さな弱い魚さん達は大きな強い魚さんたちに食べられないように、いろんな武器を持っているんだな。マダラトビエイさんの言った言葉がよみがえりました。

「ランタンフィッシュさん達の灯りがつくのが見たいわ。」

 私は思わずそう言ってしまいました。

「じゃあもっと深く潜ってみましょう。ついていらっしゃい。」

 ランタンフィッシュさんたちは私たちを深いところまで連れて行きました。 そこは真っ暗な夜のようでした。その時たくさんのランタンフィッシュさんたちが一斉に光り出しました。青、緑、黄色。そしてたくさんのランタンフィッシュさん達が踊り回ります。それはまるで夜空に輝く星のようで・・・いえ、違います。それはフィンランドの夜空に輝くオーロラとそっくりだったのです!

 海の中でオーロラが光る。なんて素敵なことでしょう。私はまだ目的を果たしていませんが、この旅を始めて良かったなと思いました。そして待っていてくれるニャーモさんや手紙さんに会いたいなと思いました。


 ランタンフィッシュさん達にお礼とお別れを言って、私はボトルさんと また漂い始めました。


教えられたように東へ東へと流れていくとだんだん暑くなってきました。海の水が熱いのです。私はちょっと不安になりました。ボトルさんは大丈夫だろうか、溶けてしまわないだろうか?それをボトルさんに言うと『北極海では凍ってしまわないかって心配して、今度は溶けてしまわないかって心配するの?』と言ってるように見えました。そして『自分はとっても強いボトルだから何も心配することはないんだよ。』そう言ってるようにも見えました。

 しばらく流れていくと大きなエイを見つけました。私はもしかしたらマダラトビエイのエイヤさんにまた会えたのかと思って近づいてきました。スエズ運河のところで、自分たちはここまでの海域だからねと言っていたけど・・・マダラトビエイさん、と声をかけるとそのエイは

「何言ってんの?あたいはマダラトビエイじゃないよ。あたいはアミメオトメエイって言うのさ。アミメオトメエイ、可愛らしい名前だろう!ほらよく見てごらんよ。背中の模様がマダラトビエイとは全然違うだろぅ?あんたは何て言うの?」

「私はメールボトル19と言います。ここはインド洋ですか?」

「いいや、まだアラビア海だよ。もっと南下したらインド洋だよ。」

「あなたはエイですよね。でもアミメオトメエイって言うんですね。私は前にマダラトビエイさんに会いました。お仲間ですか?」

「そうたくさんの魚がいて、たくさんの種類がいて、仲間たちはたくさんいるけれども、それぞれ泳いでいるところも違うんだ。あたいはこのあたりを泳いでるよ。」

「みんなそう言いますね。私は何も知らなかったので沢山の魚さん達に会って、住むところが違うことを知りました。」

「そうかいそうかい。で、あんたはインド洋に来たかったのかい?」

「いいえ、そうじゃないんです。私は暖かい国にたどり着きたいのです。でもなんだかここは暖かいというよりものすごく暑い感じがします。」

 アミメオトメエイさんは大きな声を上げて笑いました。

「そりゃそうさ。ここは赤道だもん。」

「赤道って何ですか?」

「本当に何も知らないんだね。地球のことは知ってるのかい?」

「はい地球は丸くて玉ねぎみたいに上と下があって、少し斜めになっていて回っています。回りながら太陽の周りを回っているんです。」

 私はちょっと自慢気に言いました。知っているって分かって欲しかったのです。

「それぐらいは知っているんだな。うんそれは当たりだよ。それからあとは何を知ってるんだい?」

「玉ねぎの頭の方に北極海があってラップランドがあって、とっても寒いところです。」

「それから?」

「それからあとはわかりません。」

 私は正直に言いました。アミメオトメエイさんはまた笑っていました。

「そうかい、そうかい。そこまでなんだね。あんたはあたいと出会ってラッキーだったよ。あたいはこの辺りでは一番の物知りなのさ!

 北極の反対は南極って言うんだよ。あんたの言う玉ねぎのお尻の方。そしてここはまあるい地球のちょうど真ん中になるんだよ。一番暑いとこなんだ。一番暑い所を赤道って言うんだよ。熱帯っていう言葉もあるよ。」

「だからこんなに暑いんですか?」

「そう、その通り。でさぁ、赤道から北は北半球って言って赤道から南は南半球って言うんだよ。」

「わかりました!じゃあこの赤道から北に行ったらだんだんだんだん寒くなるって言う事ですよね。」

「当たり!」

「じゃあこの赤道から南に行ったらだんだんだんだん熱くなるんですよね。」

 アミメオトメエイさんはまたまた大きな声で笑いました。

「それが違うのさ。ここから南に行ってだんだんだんだん地球のお尻の方に行くと、どんどん寒くなっていくんだよ。」

「えーじゃあどっちに行っても寒くなるんですか?」

「そう言う事。で、ここが一番暑い所。ここからは北へ向かって行っても南に向かって行ってもどんどん寒くなるんだ。覚えときなよ。あんたはどっから来たんだい?」

「フィンランドと言う寒い国からです。冬には雪がいっぱい降るところ。」

「ああ、地球タマネギの北のはずれの方だね。そう雪がいっぱいらしいね。あたいは行ったこと無いけど。行ったら死んじゃうしねえ。それで地球タマネギのお尻の方、ずっと南、そこも雪がいっぱい降って氷だらけの海もあるのさ。行ったこと無いけどね。行ったら死んじゃうし。」

「・・・・北と南・・・同じなんですねえ・・不思議だこと。」 

 アミメオトメエイさんは私の言葉が可笑しかったのかゲラゲラ笑いました。

「ああ、それからもう一つ教えてあげるよ。あんたがまたまたびっくりするような事。北半球と南半球じゃ、季節が真反対なんだよ。」

 私はとっても驚きました。季節が反対?

 「じゃあ・・・」

「あんたはいつ頃海に流されたんだい?」

「夏の終わりぐらい、八月の終わり頃。」

「だったらあんたがいたところは今はもう冬だねえ。南半球は今は夏。それから熱帯地方、このあたり、赤道の付近は常夏って言ってね。年中夏なんだ。」

 もう私は訳がわからなくなってきました。教えてもらったことを全部覚えようとしたけれど、地球ってすごいんだなぁ・・不思議なんだなぁ・・・とびっくりするばかりでした。  でも私はとっても素敵だなと思いました。地球というのは本当にすごいのだな。なかなか覚えられそうにもないけれど、少しずつ知っていこうと思いました

 そしてこのアミメオトメエイさんは何でもよくしっているのだなと感心しました。

 「海っていっぱいあるのですね。迷ってしまったみたい。」

「迷っちゃいないさ。それに海はいっぱい無い。一つだよ。地球上の海は全部繋がってるのさ。ここはまだアラビア海だけど南に行くとインド洋になる。だけど柵なんかないしね。

 ううん。ついでにもう一つ教えちゃおう。大きな海には洋って名前が付いてるんだよ。地球には『7つの海』って呼ばれる大きな海があってね。さっき話した北半球には、北大西洋と北太平洋と北氷洋・・・・北極海とも言われるけど、それだけあるのさ。で、南半球には南大西洋と南太平洋と、南氷洋・・・南極海とも言われるのがあるんだ。で、真ん中あたりね、そこにインド洋がある。」

 すごい!と私は思いました。

「私前にオホーツク海を通ってベーリング海に行ってそこから北極海に行きました。」

「ほう、、そうなんだ。そのあんたが通った『海』と呼ばれるところね、ここアラビア海もそうだけど、大きな洋の周りって言ったらいいか、陸地に近いところはそれぞれ『なんとか海』って名前があって、そりゃぁもう数え切れないぐらいあるのさ。」

 地球は、海は、不思議でいっぱい。そしてこのアミメオトメエイさんがこんなに物知りなのは、きっとたくさんの事を見たり聞いたりして覚えたのだろうなと思いました。

 私はアミメオトメエイさんに聞きました。

「私はこの近くの海岸にたどり着きたいと思っているのですが、どこが一番いいですか?」「どこが一番いいかなんてあたいには分からないよ。あたいたち魚が海岸にたどり着いたりしたらすぐ人間に捕まってしまうんだから、海岸なんかに絶対行かないしね。

 だけど、、、ううん、もう少し東に行くとインドネシアっていうところがあるよ。インドネシアっていう国はね、たくさんの小さな島でできているんだ。そこのどこかの島にたどりつけばいいんじゃないかな。

 だけど一番大きな島、そこはやめたほうがいいよ。海岸がガチャガチャしていて人間たちもガチャガチャしていて、誰もあんたを拾ってくれやしないよ。ゴミだと思ってポイと捨てられるかもしれないし、そのまま知らんぷりかもしれない。

 その島を通り過ぎてしばらく行くとバリ島っていうすごく綺麗な島があるんだ。もちろんそこもインドネシアなんだけどね。どうやってそこまで行くかって?いいことがある。ずーっと流れていくと海の色が変わっていくんだよ。全く違うのさ。その海の色が変わっていったところあたりにバリ島がある。そこに着けばいいと思うよ。」

 アミメオトメエイさんはそう教えてくれました。どんな海の色に変わるんだろうと聞いてみましたが、

「それはあんたの目で確かめなよ。まあびっくりするから。じゃあ、あたいは忙しいからこれでさよならするよ。ちゃんとあんたがバリ島に到着できるように祈っててあげるからね。バーイ!」


 そう言い残してアミメオトメエイさんは大きなひれをふわっと翻して泳いでいきました。それは踊りのように見えました。ニャーモさんがお家の中でもお外でも時々ふわふわ踊っていたのを思い出しました。

 アミメオトメエイさんは少し軽い感じがしましたが、ちょっとニャーモさんに似ているような気もして私は嫌いじゃありませんでした。それにいっぱいいっぱい教えてくれたのですもの。


私たちは東へと漂って行きました。けれどアミメオトメエイさんが言ったようには海の色が変わらず、ずっと同じ色のままでした。おかしいなぁと思いました。あのアミメオトメエイさんが嘘をつくとは思えませんでした。

 ・・・・・多分、私たち間違えてしまったんだ!いったいここはどこ?バリ島にはどうやって行けばいいの?私は混乱してしまいました。

 その時です。黒い大きな大きな影が見えました。その大きさはサメやエイと違ってもっともっと大きかったのです。私は間違いなくくじらさんだと思いました。もしかしたらあのくじらさんかもしれない。ああ PHR07さん!そうなのだろうか?私はくじらさんの方に近づいてとボトルさんに言いました。ボトルさんも同じ事を考えたのかもしれません。どんどんとくじらさんの方に流れていきました。すぐ近くまで来た時私はくじらさんに声をかけました。

 「こんにちは。私はメールボトル19です。あなたはマッコウクジラさんですか?」

 するとそのくじらさんはにこっと笑って

 「お嬢ちゃん、わしはシロナガスクジラじゃよ。シロナガスクジラのおじいちゃんじゃ。この辺りのクジラの仲間の中では多分わしが一番の年寄りじゃよ。

 知っておるかな?お嬢ちゃん、アメリカの偉大な作家ハーマン・メルヴィルっちゅう人が書いた『白鯨』と言う有名な小説な。あのモデルはわしのおじいちゃんなんじゃよ!ほっほっほっほ。すごいじゃろ!」(注:この間違いは後に訂正される)


「シロナガスクジラさんって言うのですね。そうなんですか?私はそのお話を知りませんが、すごいですね!小説になっちゃうおじいちゃんなのですね。」

 シロナガスクジラのおじいちゃんはふっふっふっと笑いました。どうもおじいちゃんになって歯がないようです。私はこのおじいちゃんくじらさんはとっても優しいと感じたのです。

「あのここはどこでしょう?私はバリ島に行きたいのですが・・・・インド洋のあたりを流れていたのですが・・」

「バリ島??うーん?ここか??ここは東シナ海と言う海じゃ。バリ島はもっとずっと南じゃよ。お嬢ちゃん、たくさんの島があったじゃろ?その島と島の間をややこしく流れてしまってどんどん北に向かってしまったんじゃなぁ。」

 私は急に力が抜けてがくっとしてしまいました。ニャーモさんに南のお話がしてあげたかったのに、又北に向かっているって・・・確かにあのとっても熱くてたまらない海とは違っていました。どうしたらいいのかしら?考えても何も浮かびませんでした。ボトルさんも困った様子です。

 そんな私の様子を見てシロナガスクジラのおじちゃんが言いました。

「お嬢ちゃん、間違えるちゅうことはそんなに悪いことではないぞ。その証拠にこうやってわしと出会えたじゃろ。間違えた為に何かほかの良いことがあるかもしれんじゃろ。なんぞ、わしにできることはないかのぉ?」

と。

 その時急にこのおじちゃんくじらさんに尋ねてみようと思ったのです。PHR07さんのことを。

「私の名前はメールボトル19です。ずっと以前にマッコウクジラさんに出会って私はこの名前をつけてもらいました。マッコウクジラさんの名前はPHR07さんです。私はこのくじらさんに助けてもらったのです。会いたいなと思います。おじいちゃんくじらさんは PHR 07さんのことを知っていますか?」

 おじいちゃんくじらさんはしばらく考えていました。

「わしはずいぶん長く生きているんでな、もしかしたらむかしむかしに出会ったことがあるかもしれん。けど覚えておらんの。」

 私はちょっとがっかりしましたが、広い広い海の中には沢山のくじらさんが居るのでしょうから、おじいちゃんくじらさんが覚えていなかったとしても、会ったことがなかったとしてもそれは仕方のないことだと思いました。おじいちゃんくじらさんにお礼を言ってお別れをしようと思った時に、おじいちゃんくじらさんはちょっと待ちなさい、と言いました。そして私をパクッと口の中に入れたのです。

「お嬢ちゃんしばらくここにいなさい。飲み込んだりせんから心配せんでええぞ。」

 おじいちゃんくじらさんの口の中はやっぱり歯が全くありませんでした。ボトルさんはとにかく飛び出ないように舌のしわの間に挟まりました。(注:シロナガスクジラには歯がありません。ヒゲくじらと言ってもともと歯がないのです)


おじいちゃんクジラさんの口の中に入ると、なんだか不思議な音が聞こえてきました。それは音というよりも、もしかして光なの?と思えるようなものでした。それはおじいちゃんくじらさんが出しているように思えました。

 しばらくするとあちらこちらの遠くから、同じような音がたくさん聞こえてきたのです。たっくさんたくさん聞こえてきました。しばらくするとまた私のすぐ近くからその音が聞こえました。そしてまたまたしばらくすると遠くからの音が聞こえるのです。

 そんなことが何回か繰り返されました。そしてとうとうおじいちゃんくじらさんが言いました。

「お嬢ちゃんわかったぞ。 PHR07のことが分かったぞ。」

 私はびっくりしました。

「本当ですか?」

「本当じゃとも。わしは嘘はつかんよ。」

「不思議な音が聞こえたような気がしたのですが・・・」

「そうじゃ、わしらくじらはな、お互いに交信ができるんじゃ。交信というよりも何と言ったらええのじゃろうか?電波じゃな、あ、嘘じゃ嘘じゃ。わしはそんなもんは持っとらんぞ。とにかく遠くにいるくじらとも話ができるんじゃ。わしは聞いてみた。誰か PHR07のことを知っとるか?マッコウクジラだそうじゃ、と。しばらくするとあっちのくじらやこっちのくじらから返事が返ってきた。誰も知らんと言った。そうかやっぱり分からんか。そう思っているとわしの交信を受け取った一頭のくじらが、また別のくじらたちに交信を送った。そのうちの一頭がラッキーなことに PHR07を知っとったんじゃ。いるところがわかったんじゃよ。」


 「それでそのくじらがな、わしのこととお嬢ちゃんのことをPHR07に知らせてくれたんじゃよ。PHR07は今遠いところに居るんでな。わしに交信は直接には届かん。それでそのくじらに返事をした。そのくじらからPHR07からの伝言が届いたんじゃ。

『私は今ハワイの南の海にいます。今から急いで南下していきますからシロナガスクジラさん、どうかボトルメール19を持ったまま北上してきてください。太平洋のどこかで私たちはお会いできると思います。』

とな。お嬢ちゃん意味がわかったかな?」

 私は、はいわかりましたと答えました。この親切なおじいちゃんくじらさんが色々なくじらさんに聞いてくれて、とうとうあのPHR07さんと連絡が取れたということです。 PHR 07さんは南に向かって泳いでくれると言ってる。このおじいちゃんくじらさんは北に向かって泳いでいく。どこかで両方のくじらさん達が会えるのです。

 つまり私は PHR 07さんにもう一度会える!夢みたいなことが起こる!

 私が間違えた為におじいちゃんくじらさんに会えて、そしてあのPHR07さんと会えるのです。本当におじいちゃんくじらさんの言う通りでした。

 私はおじいちゃんくじらさんに無理なことをお願いしたような気がして、申し訳ないなと思っていましたが、あのくじらさんにもう一度会えるということで有頂天になりました。おじいちゃんくじらさんは体の向きを変えて北の方に泳ぎ始めました。もうすぐ会える、もうすぐ会える、私はドキドキしてきました 。


突然大きな揺れがやってきました。あまりにも凄い揺れだったのでボトルさんはおじいちゃんくじらさんの上あごまで飛び上がってしまいました。

「お嬢ちゃんびっくりしたじゃろう。すまんすまん。」

 そう言っておじいちゃんくじらさんは私をぷっと吐き出しました。そこにいたのはあの PHR07さんでした。この大きな大きな揺れは2頭のくじらがであったために起こった大波だったのです。

 おじいちゃんくじらさんが言いました。

「ほらお嬢ちゃん、ちゃんと会えたじゃろ。マッコウクジラの若造よ、おまえさんも会いたかったんじゃろ。映画みたいじゃの。」

 PHR07さんは笑って

「御長老、会いたかったですよ。こんな広い世界の中で同じメールボトルに二度も会えるなんて。確かに映画かドラマみたいですね。御長老のおかげです。」

「ふぉっふっぉふっぉ。良かったのぅ。とにかくこのお嬢ちゃんをあんたに渡したぞ。わしはこれからまた南の方へ下っていくか、あるいは一度北の方に上がっていくか。波次第じゃ。」

 「おじいちゃんくじらさん本当にありがとう。私をこんなところまで連れてきてくれて、そして会いたかったPHR07さんに会わせてくれて。おじいちゃんくじらさんのことはずっと忘れません。どうか元気で長生きしてくださいね。」

 ホイホイとおじいちゃんくじらさんは軽く挨拶し、ぐるっと回って泳ぎ始めましたが、すぐに間違えたと言うように反対に向いて泳いでいきました。


「PHR07さん、お久しぶりです。たまたまあのおじいちゃんくじらさんに出会って。すごいくじらさんなのですね。『白鯨』と言う有名な小説のモデルになったくじらさんが、自分の本当のおじいちゃんなのだと教えてくれました。」

「・・・・・夢を壊すようで申し訳ないが・・『白鯨』のモデルは真っ白いマッコウクジラで・・シロナガスクジラではないのだ・・・白というところで混乱したのだろうなぁ・・まあ、あの御長老はそう思い込んでいるし、それで幸せな気持ちでいられるのだから良いではないか。仲間達も別にそれでいいんじゃないかと誰も訂正などはしない。しかし君は良いくじいらに出会ったよ。あの長老は面倒見が良くて心根が優しい。くじらといえども気の荒いものもいるからな。」

 マッコウクジラのPHR07さんは可笑しそうに笑いました。

「本当に久しぶりだな。また君に会えるなんて思ってもみなかったよ。私の口の中に入りなさい。その方がボトルさんも楽だろうし。」

 そう言って私を口の中に入れてくれました。あの少し欠けた歯のあたりにボトルさんは挟まりました。

「さあ、いろんな話を聞かせてくれたまえ。あの後君はどうなったのかな?」

 私はPHR07さんと別れてからのことを事細かに話しました。ニャーモさんのこともたくさん話しました。

「そうか君はとてもいい人に拾われたんだね。何よりだったな。良かった。そしてたくさんの事を知ったようだね。君はずいぶんと賢くなったみたいだよ。」

 私はPHR07さんに褒められてとても嬉しかったです。

「それで君はそれからどうしたのかな?なぜまたメールボトルになって海を漂っているのか?」

 私はその理由も話しました。冬の間のニャーモさんの寂しさをなんとか紛らわせてあげることができるのは、身軽な私しかいないと考えた事。ニャーモさんに楽しい思いをして欲しいと考えて、旅の様子を知らせようと又旅を始めたのだということ。新しい旅を始めてからのことを詳しく全部お話しました。

 それからニャーモさんの家にいる手紙さんと私は違うものだけれども、同じものなのだということを話しました。

 PHR07さんはそのことを分かってくれました。

「君が新しい手紙ということは君を見てすぐにわかったよ。だけど君は全ての記憶を持っている。私に会ったことも覚えていて私を探してくれた。だから君はあの手紙と同一の手紙なのだと私は思っている。」

 マッコウクジラさんは本当に賢いので、ややこしい説明をしなくてもちゃんと分かってくれました。


「それにしても君はずいぶん南の方であの長老と出会ったんだな。君は今回はどこへ行くつもりだったのか?」

「前は北の国に連れて行ってもらったので今度は暖かい国に行って、暖かい国の話をニャーモさんにしてあげようと思ったのです。途中でいろんな魚さんに会ってインドネシアのバリ島はとてもいいよと教えてもらったので、そこに行くつもりでした。でも私は間違えて東シナ海に出てしまったみたいでした。その時にあのおじちゃんくじらさんと出会ったのです。おじいちゃんくじらさんが間違って漂っていたことを教えてくれました」

「そうかそれだったらバリ島の近くまで君を連れて行ってあげよう。」

 私はとてもとても会いたかったPHR07さんと又しばらく旅をすることになりました。

 私は前に言えなかったことを言いました。

 「私にメールボトルナインティーンという名前をつけてくださってありがとうございました。あの時は寒さに震えていて寒さで頭がいっぱいで、お礼を言うのを忘れていました。」

 PHR07さんは笑って

「お礼なんて言わなくていいんだよ。ただその名前を使ってくれていること、それだけで嬉しいのだから。

 君はずいぶんと旅をしていろんな魚に会ったり、いろんな国を見たり海を見たりしてきただろう。魚も陸の動物たちも人間たちも、それから植物たちもみんなそれぞれの居場所があるんだ。北国の動植物は南の方では生きられない。南国の動植物は北のほうでは生きられない。私たちも同じ。海の生き物も暖かい海が好きな魚もいるし、冷たい海が好きな魚もいる。みんな『居場所』というものを持っている。君が漂って来た中でも場所によって出会う魚の種類が違っただろ。その海がその魚の『居場所』なんだ。

 メールボトルというのは一体どこが居場所なんだろうな。君と別れてからそのことを考えていた。

 君はこれからバリ島に行って、バリ島の浜辺に流れ着いてそこでまた誰かに拾われるのだろう。その人の家が君の居場所なのだろうか?」

 私にはちょっと難しくてよく分からないことだけど、マッコウクジラのPHR07さんはそう言いました。

 自分の居場所。今までそんなことを考えたことがありませんでした。私の居場所はどこなのだろう?メールボトルと言う使命を持った自分には、居場所なんかないのだろうか。流されるまま着いたところが居場所なんだろうか?私は考え込んでしまいました。

 

 私がほんのちょっと沈んでしまったので PHR 07さんが

「おいおい元気をだそう。私が妙なことを言ってしまったな。申し訳ない。何か聞きたいことはないか?私の知っていることならなんでも教えてあげよう。」

 私は聞きたいことがありました。それは生き物の中で人間が一番強くて誰にも食べられないのか?と言う心の中に芽生えた疑問でした。

 「聞きたいことがあります。いろいろな魚さん達に会ってお話して、小さい魚は大きな魚に食べられたりする。そんなお魚を人間がとって食べる。そんな事を知りました。人間は何にも食べられない一番強い生き物なのかなぁって・・・」

 PHR07さんはにっこり笑って言いました。

「人間が一番強いということはないのだよ。ただ道具を使って猛獣などに襲われた時に身を守るから強いみたいに思えるけどね。

 しかし人間はウィルスとか菌に非常に弱いんだよ。ウィルスも菌も生き物。だけどよく小さな魚たちが言うフヨフヨ、プランクトンだな。それらよりもっともっと小さくて目に見えない生き物。そんな菌やウィルスが人間の体の中に入って人間をやっつけてしまう・・・・ ここ数年コロナウィルスと言うのが世界中に広まって、とんでもない数の人間が死んでしまった・・・人間は薬などを使って立ち向かっているけど、それでもまだだめなんだよ・・・・・人間は一番強くなんかない。ただ、考えるのだ。どうすれば生き残れるかって・・・」

 私はその話を聞いて宮子さんが書いた、ニャーモさんのお家で待っている手紙さんの事を思い出しました。あの手紙の中に宮子さんが『ひどい病気が流行って世界中が困っている』って書いてあったなぁと。それがウィルスなんだと分かったのです。

「PHR07さん、ありがとう。よく分かりました。分かってなんだかすっきりしました。地球に住んでいる生き物は、一つ残らず身を守るために頑張っているのですね。みんな同じなのですね。」

 PHR07さんは自分の話したことで、メールボトル19がまた一つ学んだことを知り嬉しくなりました。

 「さあもうすぐバリ島の近くに到着だ。私は陸の近くまでは行けない。」

「はい分かっています。陸の近くに行ったら浅瀬に乗り上げてしまって、身動きが取れなくなるんですよね。あの時もそう言いましたよね。だからPHR07さん、危険のないところで私を放してください。」

 もうすぐバリ島。驚くべきことにこんどこそ本当に海の色が変わったのです。青ではなくてグリーン、それもとても透明感のあるグリーン。どういう風に表現したらいいのでしょうね。ただ緑色だけじゃなくて薄いピンクや薄い紫色のところもあります。(あとでサムハに聞いて分かったのですが、珊瑚の色が見えてピンクや紫の処もあると)

 あーそうです。これも又オーロラです。オーロラでも暗いお空ではなくて白い夏の夜にもしオーロラが出たらこんな感じかな、と思うような色。伝えるのは難しいです。でも感激しました。本当に綺麗で透き通っているのです。水面がキラキラ光って見えます。こんな海もあるのだなと初めての経験でした。

「PHR07さん、海の色がオーロラみたい!」

「ああ。確かに、オーロラのようだな。私はあまりこちらの方に来ないが・・綺麗な海だ。うん。海でオーロラに出会った!

 君が今度もいい人に見つけてもらえるように願ってるよ。この再会はもしかしたら奇跡だったのかもしれない。もう会えないかもしれない。だけど私は君のことを忘れないし、君も私のことを忘れないでほしい。そうすればもう会えなくても大丈夫だ。記憶の中で何度も会うことができる。」

 PHR07さんはそう言ってくれました。私は力強く、はい、と答えました。そしてPHR07さんの口から出てお見送りをしました。

 マッコウクジラのPHR07さんは私にエールを送るかのように、高く高く潮を吹き上げて、力強く颯爽と泳いでいきました。私はその黒い巨体が何度も海面に出たり潜ったり遠く見えなくなるまでその姿をじっと見つめていました。いつか宮子さんが私を流した時のように。あの日ニャーモさんがそうしてくれたように。



もうすぐバリ島。私はこれまでの旅のことを思い返していました。ボトルさんと一緒に流れて、ただ波まかせで漂ってきたように思っていたけれどもそうではなかった。いろんな魚さん達に助けられた。助けてもらわなかったらサメに噛みつかれて粉々になっていたかもしれない。船のスクリューに巻き込まれてやっぱり粉々になっていたかもしれない。みんなのおかげで私はたどり着くことができるのだ。そうしておじいちゃんくじらさんのおかげでPHR07さんとも再会できたことなどを考えているうちに、私はとうとう浜辺に着きました。

 やっと着いたとほっとするとボトルさんが熱い熱いたまらないというような素振りをして、少し海水の中に戻りました。浜辺は真っ白い砂でとても綺麗でしたが確かにボトルさんの中にいる私も熱いと感じたのです。それでもここから逃げ出すわけにはいきません。ボトルさんと少し海に浸りながらじっとしていると、真っ黒に日焼けしたほとんど裸の男の子たちがやってきました。そして私を見つけて拾ったのです。

「おい、このボトルいいな。海の中で汚れたみたいだけど洗ったら綺麗になるぞ。そうだ!いいこと思いついた。貯めてるシーグラスとか綺麗な貝殻とかこのボトルにつめて観光客に売るんだ。この海で取れる特別なものだとか言って。」

「うん、いいな、それ、売ったお金でアイスキャンデーなんか買えるよな。」

「わーい、アイスキャンデー、早く食べたい!」

 男の子たちは騒ぎ始めボトルさんのふたを開けました。そして私を引っ張り出したのです。 ああ、困る。それは困る!

「なんだ?これ?」

「そんなもの捨てちゃえよ。ボトルだけでいいんだから。」

 困る!ボトルさんが居なくなったら、そして私が捨てられたら!

 その時です。黒い布をかぶった女の人が歩いてきて言いました。

「あなたたち。それは何?それは手紙じゃないの?ボトルに入っていたのね。だったらそれはメールボトルと言うものよ。私に渡してください。」

「嫌だよ、俺たちが見つけたんだ。これ売ってアイスキャンデー買うんだ。」

 男の子たちはボトルさんを放そうとはしません。

「そうね、あなたたちが見つけたものですものね。じゃあ、私にそれを売ってくださいね。」

 その人はポケットからお金を出すと男の子たちに渡して

「これでアイスキャンデーが買えるでしょ。」

と、言いました。男の子たちはそのことに満足して、やっとボトルさんと私を女の人に渡しました。私は心の底からほっとしました。

「メールボトルさんね。ちょっとびっくりしたでしょ。ここは貧しい家庭も多くてね、子供たちがなんとかしてお金を稼ごうとすることも多いの。安心して、私はあなたを売ったりしないから。私のお家に行きましょう。」 

 そう言って私たちを抱き上げて元来た道を戻って行きました。

「初めまして。私はメールボトル19と言います。助けてくれてありがとう。」

「おや、お話ができるのね。私はサムハと言います。大学生で今は夏休みで毎朝こうして浜辺を散歩しているの。ここの浜辺は太陽の熱で焼けてるように熱いでしょう。私も裸足では絶対歩けないの。でも、靴を履いていない子も多いのよ・・・」

「あなたは私が話をすることが不思議ではないのですか?」

「神様がなさること、何もかも不思議なことなんかないの。」

「じゃあ、あの貧しい子供たちがいることも?」

「そう。そういう子達はね。強く賢く自分で考えて生きていくようにと。間違ったことなどせずにね。あなたを拾ったのも間違いじゃないの。ただメールボトルって知らなかっただけ。だから許してあげてね。」

と言って爽やかな笑顔を見せてくれました。


 サムハさんと名乗った女の人はしばらく歩くと

「ここ私の家よ。」

と家の中に連れて行ってくれました。不思議な家でした。屋根が草みたい。二重になっていて間に隙間がありました。壁が少なくてドアといえばいいのか窓と言えばいいのか?それが全部開け放たれています。そして天井に4枚の羽根があるものがくるくると回っているのです。スクリューかなと思いましたが形は違いました。

 サムハさんは、ちょっと待っていてねと言って、大きなタライに冷たい水をいっぱい入れてやってきました。そしてボトルさんの中から私を取り出して自分の机の上に置き、ボトルさんをその水の中に浸しました。

「熱かったでしょう。ここで浸っていたら涼しくて気持ちがいいと思うわ。」

 私はサムハさんはとてもやさしい人だなと思いました。ボトルさんは水の中でとても気持ち良さそうにしていました。

 「サムハさん、私を読めますか?」

「読めますよ。ニャーモさんっていう人が書いてくれたのですね。」

「はい、そうです。ニャーモさんにお返事を書きますか?」

「もちろんですよ。だってメールボトルさんは遠い国からやってきてくれたんですもの。遠い国のお返事をちゃんと書かなくては。」

 サムハさんの返事に私はほっとしました。

「ここはバリ島ですよね?」

 サムハさんは小首をかしげて笑いました。

「ここはバリ島じゃないわよ。向こうに見えている島はマドゥラ島。バリ島はもう少し南東の方でここからは見えないわ。ここはインドネシアのジャワ島って言うの。その一番端っこで。ここの名前はスラバヤって言うのよ。あなたはバリ島に行きたかったの?」

「はーい。」

と私は言いながら、いやここでよかった。このサムハさんに拾ってもらえて良かったと思いました。


「ここの家は私がいたフィンランドの家とはずいぶん違います。」

 サムハさんは言いました。

「フィンランドは北国だからとても寒いでしょう。ここは一年中とても暑いの。だからね、お家の屋根は草葺で途中に隙間があって風が入るようになっているのよ。ドアも全部開いて風が通るようにしているの。天井で回っているのはシーリングファンって言って回ることによって風を起こしているの。とにかく風を入れて風を通して、少しでも涼しくしなきゃ暑すぎるんですもん。」

と笑いました。

「サムハは学生さんだと言いましたよね。何の勉強しているんですか?」

「私は海洋生物の勉強しています。海の生き物について色々と学んでいるのよ。だってこんなに海が近くてたくさんの魚たちや海藻やサンゴや色々なものが海の中にはいるのだもの。それらのことを勉強して海の生き物を大切にしたいなって考えているの。」

 サムハさんはとても真面目な人のようでした。私は熱い国の過ごし方もサムハさんの学んでいることも知りました。でもわからない不思議なことがありました。

「あなたは何で黒い布で頭を覆っているのですか?暑いでしょう。」

 サムハさんはまたにっこりしました。にっこりするととても可愛らしい人です。

「私はね、イスラム教という宗教を信じているの。アラーの神様というのがいらっしゃるの。イスラム教の女性はみんな布で髪の毛を隠さなくていけないことになっているの。

 でもね最近は女の人だけそんなことをするなんて男女差別だわって言って、イスラム教徒の女性の中にも頭に布をかぶらない人が増えてきたのよ。これはヒジャブという名前なんだけれども、かぶらない人も増えたし、それから黒い布ではなくてとっても鮮やかな色や綺麗な模様のあるヒジャブを被ってる人も増えてきたわ。どんどん世の中というのは変わってくるものなのよ。」

私はそうなのかと思いました。暑いのに黒い布をかぶっている理由は分かりました、でも宗教ってどんなものなのだろう?

「サムハさんはずっとヒジャブをかぶりますか?綺麗な色や模様のあるヒジャブにはしないのですか?」

「私は学生でお金もそんなにないわ。大学を卒業してお仕事で賃金がいただけるようになったら、綺麗な布のヒジャブを買います。今はまだ我慢ね。」

サムハさんはまた笑いました。どこにでもいる普通の女の子です。オシャレもしたいだろうし、遊びたいだろうし。そういうこともイスラム教は禁じているのかな?と思ったので聞いてみました。

「ううん。イスラム教はそんなにたくさんのことを禁じたりしていないわよ。みんなでパーティーしたり、ダンスをしたり、遊ぶことだってたくさんできるのよ。大切なのはほかの宗教の人たちをも尊敬すること。妙な宗教だと自分たちの宗教以外の人たちを『サタン、悪魔』って呼んだりする。とんでもないことだわ。それにいっぱいお金を出さなくちゃ神様が怒ってしまって悪いことが起こりますとか言って、信者にたくさんのお金を払わせたり。そういう宗教は絶対だめね。イスラム教はそんなことは絶対しないのよ。

 いくつか決まりがあるだけ。このヒジャブもそうだし、イスラム教では豚肉は食べてはいけないの。あとは何でも食べていいし・・・お金を払うこともないし。お祈りだけしていたらいいの。

 それからね、『ラマダン』と呼ぶ時があって、一ヶ月の間、断食するの。断食って飲んだり食べたりしないことよ。イスラム教はそれだけ。」

 それだけって・・・と私は驚きました。一ヶ月もの間、飲んだり食べたりできないって。この暑い国で飲み物摂らなかったら熱中症になってしまう。下手をしたら死んでしまうじゃないと怖くなりました。

「大丈夫!!アラーの神様は優しいの。一ヶ月と言ってもね、お日様が昇る前とお日様が沈んだあと、私たちは体に優しい食事をしていいのよ、もちろん飲み物もたくさん飲んで良いの。お酒はだめだけれどね。それでお日様が出ている間は涼しい木陰で過ごすの。だから大丈夫なのよ。」

 サムハさんの話を聞いて私はイスラム教のことをだいぶ知ることができました。ふと思いました。ニャーモさんは何か宗教を信じているのかな?って。そして思い出しました。ニャーモさんが暖炉の上に飾ってあるトントゥの事。あの妖精さん達がフィンランドの人を守ってくれると言っていた・・・やっぱり神様みたいなものなのだろうなと思ったのでした。

  

 ニャーモさん。これで私の旅の話は終わりです。ここまで私が語って、サムハさんが英語で書いてくれました。サムハさんに感謝です。

 ニャーモさんこの長い手紙が届いたら、サムハさんにお返事を書いてあげてくださいね。

 :::::::::::::::::::::

 

ニャーモさん、サムハです。これでこの手紙はおしまいに致します。一日も早くあなたのお手元に届くように願っております。    サムハ』


:::::::::::::::::::::::::::::::::::::


 ニャーモさんはサムハさんの書いてくれた手紙を全部読み終えて、ほーーーっと大きな大きな息をしました。自分がデンマークのあの浜辺から流したメールボトルは、こんなすごい旅をしてサムハさんの元にたどり着いたのだ。感激と言う言葉だけでは言い表せない感情がこみ上げてきてニャーモさんはとうとう泣き出してしまいました。

 顔を両手で覆っておいおい泣き続けました。そんなニャーモさんを見て手紙さんが声をかけました。

「ニャーモさん。」

ニャーモさんは顔をあげて泣き笑いの表情で手紙さんに言いました。

「ごめん。泣いたりして心配かけてごめん。哀しくて泣いたんじゃ無いの。嬉しくてたまらなくなってしまったの。手紙さん、あなたはメールボトルナインティーンと言う名前だったのね。」

「はい。私はすっかり忘れていたの。あの子が思い出させてくれました。」

「手紙さん、あの子とボトルさんの旅、全部お話してあげるね。」

 ニャーモさんはそう言って話し出しました。手紙さんは黙って聞いていましたが・・『手紙さん』と手紙さんは同じもの。分身、同体なのです。だから本当は今回の旅のこと、すでに全部知っていたのです。でもそのことはニャーモさんには言いませんでした。

「ありがとう。」

手紙さんは話してくれたお礼を言って

「お返事書いてあげてね。私は安心してまた眠ります。」

とまた黙ってしまいました。手紙さんもすごく嬉しかったのです。ニャーモさんがこんなに喜んでくれたことが。

 ニャーモさんは優しく手紙さんをなでて、すっかり泣き止み、サムハさんからの手紙を何度も何度も読み返していました。長い長い旅の物語、手紙さんが知ったこと、考えた事、それらを頭の中にたたき込むかのように繰り返し読み続けました。

 その中でニャーモさんの心に矢のように突き刺さって、抜けなくなったことがありました。


 翌日ニャーモさんは朝ごはんを食べるとすぐに精力的に動き出しました。自分がデザインして布になり、それを購入したものを全部床の上に広げました。そして

「どれがいいかな?どれがいいだろう?どれがいいの?」

と大きな声で独り言を言いながら布を選んでいました。

「これとこれとそれがいいわね。」

と3枚の布を選び、それからうんうんとうなって考えていました。

「ここにあるものでは駄目だわ。」

 そう言って机の引き出しを開け、新しく描いていたデザイン画を取り出しました。それはオーロラを題材にしたデザイン画と、白夜を題材にしたデザイン画でした。

 

 ニャーモさんは突然、履いていたズボンの上にダウンのズボンをはきました。着ていたセーターの上にダウンのジャケットを着ました。靴下を3枚履きました。それからその上にトナカイの毛皮でできた長いコートを羽織りました。同じ素材の帽子を目深にかぶり、分厚いマフラーで首と鼻と口を覆いました。分厚い手袋をして最後に雪用のロングブーツを履きました。そして手紙さんに

「行ってくるわね。」

と言って飛び出していきました。この格好は不思議でも何でもないのです。ニャーモさんはンケラド工房に行く時、あるいは外に出る時、冬はこれぐらい着込まないとすぐに凍えてしまうのです。鼻と口を覆っていないと、とても冷たい空気が肺の中に入ってきて呼吸ができなくなってしまうのです。これはこの国に住む人の冬の外出の仕方でした。


ンケラド工房に行くとニャーモさんは自分が描いた2枚の絵を工房の人に見せました。

「これで布を作って欲しいんですけれども。」

「これらのデザインはみんな好んでどんどん売れそうだね。早速作ることにしよう。」

 ニャーモさんは店に置いてある白地の布を見ていました。

「えーとこの布、これで作って欲しいんです。お願いします。そしてなるべく早く作って欲しいんですけど。」

「この布だとそうだね。一週間もしないうちにできると思うよ。」

「じゃあお願いします。」

 ニャーモさんは工房の人に頼んでお家に帰りました。

 一つ用事が済んだニャーモさんは最初に選んだ3枚の布を残して、あとは全部片付けました。型紙を作りその通りに布を切っていきました。ミシンを出してどんどんどんどん縫っていきます。次の日も同じ作業をしていました。その次の日も同じ作業していました。その次の日も同じ作業していました。そしてとうとう3枚のサマードレスが出来上がりました。ニャーモさんはそれを見て、

「うん上出来上出来。とっても可愛いわ。長さもいい感じだし柄もすごく可愛いのを選んだし大丈夫。これならきっと気に入ってもらえるわ。」

 そう思って満足しました。

 それから自分がすでに作り置いていたテーブルクロスやクッションカバーや可愛いバッグ。そんなものを取り出して選び出しました。どれがいいかなーどんな感じが気に入ってもらえるだろう。選んでいる間ニャーモさんはとっても楽しそうでした。そして奥の物入れから結構大きな段ボールを出してきました。まずダンボールに大きなビニールを敷いてそしてその中にきちんとたたんだ布製品をどんどんと詰めていきます。

「うん、あとはンケラド工房に頼んだあの布だけだわ。」


5日経ってンケラド工房から電話かかってきました。出来上がった連絡でした、ニャーモさんはまたあの服装をして勇んで工房に行きました。布はとても綺麗に仕上がっていました。

「すみません。これ両方5Mずつ欲しいんですけど、そんな少しでも売ってくれますか?」

「もちろん売ってあげるよ。ニャーモさんの描いたデザインは、非常に雰囲気が良くて評判がいいんだ。ほんと買わなくてもあげたいぐらいだよ。」

 「いいえちゃんとお金を支払います。本当に無理を言いました。ありがとうございました。」

 ニャーモさんは大事そうにその布を抱えて家に帰りました。それを広げてみました。

「うん、とってもいい!」

 そしてミシンで端がほつれないようにだけ縫いました。

「さあ全部出来上がった。これでよし。あとはお手紙を書くだけだわ。少し休んで今晩ゆっくりお手紙を書こう。」

 ニャーモさんは満足そうに微笑みました。ニャーモさんの様子を毎日見ていた手紙さんは、きっとニャーモさんはサムハさんにプレゼントしたいんだなと思っていました。あの3枚のドレスはニャーモさんが着るには若すぎる。それにあんなふわふわのサンドレス、フィンランドではあまり着ないよね。風をはらんで寒そうだもの。暑い暑い国だから夏でも冬でも、冬があるのかどうかは知らないけど、一年中着られるね。ニャーモさん色々考えたんだねと思って、手紙さんは手紙さんなりに満足していました。


 その晩ニャーモさんは机にむかって手紙を書き始めました。空ではオーロラが様々に色を変えながら踊っているとても美しい夜でした。ニャーモさんはひとつひとつ言葉を選びながらとても慎重に、そして丁寧に手紙を書いていました。

 手紙を書き終わると大きなため息をついてしばらく考え込んでいましたが、やっぱりというように自分の机の引き出しを開けて、そこにある封筒を取り出しました。その中には何枚かのドル札が入っていました。

「これだけあれば大丈夫、足りるわ。分かってるの。小包にお金を入れるのは法律違反だっていうこと。それぐらいわかっているの。でも学生のサムハさんに余計な出費をさせたくないし、それにきっとサムハさんの信じている神様はお許しくださると思うわ。そうに違いない。私は特に宗教は持っていないけど、でもトントゥが許してくれるわ。」

 ニャーモさんは独り言を言いながらドル札の入った封筒を丁寧に糊付けし、自分が書いた便箋でその封筒を包み、もう少し大きな封筒にそれらを入れきっちりと封をしました。 出来上がった手紙を布製品の入っている小包のちょうど真ん中あたりにはさみ込み、開けてもすぐに分からないようにしました。そして小包の蓋を閉めました。ガムテープでしっかりと閉めました。でもまだ用心をしなければいけません。すごい雨が降るかもしれない。それで大きなビニールで小包をきれいに包みました。これで雨にぬれても中のものに染み込んではいかない。サムハさんの住所を書き、自分の住所を書き。


しかもニャーモさんは余白のところに文章を書きました。

『この荷物は私の大事なお友達へ贈るものです。どうかこの小包を持って行かないでください。彼女に届けてください。もしあなたがこの小包のものを欲しいと思ったら私の住所に手紙をください。この小包の中と同じものをあなたに送ります。必ず約束します。だからどうかこれをきっちりサムハさんの所に届けて下さい。』

 ニャーモさんはサムハさんからの手紙を受け取って、インドネシアはフィンランドと違って貧富の差も激しく、貧しい人達もまだ多くいる国。もしかしたら小包を横取りして中の物を売って生活の足しにしてしまうかもしれない。そう考えたのです。でもこれだけはどうしてもサムハさんに届いてもらわなければならない品物だったので、そのようなことを小包の上に書いたのでした。ニャーモさんはもし本当に誰かが私に手紙を送ってきたら、必ず同じものを作って送ってあげようと考えていました。


翌日郵便局に電話をかけました。外国へ送る小包を一つ取りに来てくださいと。しばらくたつと郵便局の車が止まって、ドアをノックする音が聞こえました。

「雪の中をありがとうございます。これです。インドネシアに送ってください。航空便で送ってください。何日ぐらいで着きますか?」

「航空便だと10日かかるかかからないかくらいですね。でも航空便だと少し高くなりますがいいんですか?」

「はい早く着いてほしいのです。」

 ニャーモさんはそう言って航空便代のお金を払いました。郵便局の人は確かに預かりましたと言って帰っていきました。

 ニャーさんは大きな大きな仕事が一つ終わったと思いました。後はサムハさんがどういう風に私の手紙を受け止めてくれるのか、もうそれを待つしかないと思っていました。

 ニャーモさんはまたサムハさんから来た手紙を読み返しました。そしてどうしてもこの願いは叶えて欲しいと強く思ったのです。

 手紙さんはニャーモさんの様子をずっと眺めていました。ニャーモさん疲れただろうな。ぐっすり眠るといいのにな。できることならフィンランドの子守歌を歌ってあげたい。でもそんなの知らないし、ニャーモさん少しおやすみなさい。声には出さなかったけれども手紙さんはそう語りかけました。

 ニャーモさんにそれが通じたのでしょうか。暖炉の前の深いソファーに腰を下ろし、おなかにブランケットをかけて、ほっと一息ついたかと思うとすやすやと寝てしまいました。ニャーモさんの気持ちの良さそうな寝顔を見て、手紙さんはほっとしました。



 サムハさんは毎朝手紙さんを胸に抱きかかえるようにして、浜辺を散歩していました。時には長いスカートをまくりあげて、浅瀬の海に入っていくこともありました。そして珊瑚の様子を見ています。サムハさんは手紙さんに語りかけました。

「珊瑚って綺麗でしょう。赤やピンクや白にベージュ。それに少し紫がかったものもあるわ。サンゴがとても綺麗なので、本当は取ってはいけない人達が夜にこっそり取りに来たりするのよ。珊瑚は装飾品としてずいぶん高く売れるの。でもね乱獲は絶対にいけないのよ。乱獲ってむやみやたらにとってしまうことなの。

 珊瑚だけじゃない。お魚でも動物でも何でもそうなんだけどね。必要以上にいっぱい取ってしまうと、もうそれらがなくなってしまう。なくなってしまったら地球上に何もかも居なくなってしまうのよ。そんなことのないように取っていい分量は何もかも決められているのよ。でもね、なかなか乱獲する人が減らないの。私はそういうことを一生懸命勉強したい。綺麗な海を守る、海の生き物達を守る。そういう人になりたいの。」

 サムハさんのその話を聞いて、手紙さんはニャーモさんが話してくれたラップランドのトナカイの事を思い出しました。同じね、と思いました。

 家に帰ってからサムハさんは、これを見て。と言って珊瑚のペンダントを見せてくれました。銀色の鎖の先に薄いピンクの珊瑚がぶら下がっていて、とても綺麗なペンダントでした。

「ほらね。こんなふうにペンダントにしたりネックレスにしたり、指輪にしたりイヤリングにしたり男性のネクタイピンにしたり。いろんなものに使われるの。ここの国でとれる一番高価なものなのかもしれない。だからみんなが欲しがるのよ。」

サムハさんのそのペンダントはサムハさんが生まれた時に、お父さんとお母さんがプレゼントとしてくれたものでした。

サムハさんは毎朝の散歩から帰ると、ボトルさんの入れてあるタライの水を新しいものに換えました。夜まで経つと水は緩くなってしまいます。だから朝冷たい水に換えるのです。ボトルさんはとても気持ちよさそうに見えました。それからサムハさんは勉強を始めます。教科書を広げノートを広げて一生懸命に勉強しています。その姿を見て手紙さんは偉いなぁといつも感心していました。

 それと同時にサムハさんに手紙を書いてもらってからもうすぐ1ヶ月経つ。ニャーモさんからの返事はまだかなと思っていました。実はサムハさんも毎日それが気がかりでした。私の手紙が10日かかって届いたとしてお返事も10日かかるとして。もうそろそろ一か月だから届いてもいいのになと、毎日それが待ち遠しくてたまりませんでした。

 

 サムハさんや手紙さんがそう思っていた数日後、郵便配達の人が大きな小包を持ってきてくれました。それを受け取ったサムハさんは

「ああ、とうとうニャーモさんからお返事が来たわ。でもただの手紙じゃない。こんな大きな小包よ!それにこの小包の上にすごいことが書いてあるわ。

『誰もこの小包を取らないで』って。こんな事書くなんて!あー私がお手紙の中にこの国は貧しいから、人の物を取ってしまったりする人もいるって書いたから、きっと不安に思ってこうやって書いてくれたのでしょうね。それにしてもなんて大きな荷物でしょう。

 サムハさんは花ござを敷いた床の上に小包を置き、丁寧に封を開けました。そして驚きの声を発しました。なんということでしょう、これ!


 そこから出てきたのは様々な模様の布で作った様々なもの。一体いくつあるのでしょう。サムハさんはそれらを床の上に広げていきました。どれもこれもとても綺麗です。やっぱり女の子、サムハさんはその綺麗な品物を見て驚くとともに、顔を真っ赤にして興奮していました。

 半分ぐらい品物を取り出すと手紙が出てきました。

「手紙さん、ニャーモさんからの手紙が入っているわ。これ今読んだらいいかしら?」

「何時でもサムハさんの好きな時に読んだらいいと思いますよ。でもこれらの品物について何か書いてあるかもしれないから、やっぱり今読んだ方がいいかもしれない。」

「そうね、その通りね。」

 サムハさんはうなずいて手紙の封を開けました。封筒の中には手紙ともうひとつ封筒が入っていました。何かしらこれ?と言って手紙を読む前にその封も開けました。米ドルが入っていました。お金が入ってるわ・・・・どういうことかしら?サムハさんは少し不安な気持ちになって手紙を読み始めました。

 手紙を読み終わるとサムハさんは神様にお祈りをしました。心の中でこう願っていました。『どうかどうか私がニャーモさんの願いを叶えてあげることができますように。何もかも良いように物事が運びますように。どうぞお見守りください。私が間違えないようにどうぞ導いてください。』と。


「ニャーモさんの手紙にはどんなことが書いてあったの?私にも教えてくれますか?」  手紙さんはそう催促しました。

「もちろんよ。あのねこんなことが書いてあるわ。長い手紙でニャーモさんが流したメールボトルがどんな旅をしたのか全部とってもよく分かりました。サムハさんに拾ってもらえて本当に良かったです。って。そしてこのたくさんの素敵なものは、全部ニャーモさんがデザインして布になったものをニャーモさんが縫ってくれたの。この3枚とっても可愛いサンドレス。暑い国だからってこんな素敵なドレスを縫ってくれたの。びっくりだわ。こんなドレス、スラバヤの街で買ったらとっても高価よ。私になんか買えないようなドレス。それが3枚もあるなんて!どれも可愛らしい。この1枚はボトルさんがずらっと並んでいる柄ですごくいい。大好きだわ。

 それからこの薄い布、この2枚はヒジャブって書いてあるわ。やっぱり私が手紙の中に学生の間は黒いヒジャブしか使わない。自分で働けるようになったら上等のヒジャブを買うって書いたから、私のために作ってくれたのだと思うの。

 この模様は2枚ともとても不思議。」

 2枚の布を持ち上げて手紙さんに見せました。

「ああ、その黒い方。黒地に様々な色が踊っているように見えるでしょう。それはフィンランドの冬の夜に見えるオーロラの模様。それからもう1枚の白い方。少しピンクがかっていて・・・それはね夏の白夜の模様よ。白夜に星は見えないけれどもニャーモさんは小さい星をいっぱい描いて可愛らしくしてある。ニャーモさんはサムハさんにフィンランドの夏と冬を知ってもらいたかったのだと思う。」

「とっても素敵ですね。夢のような夜空なのね。本当に素晴らしいお品もの。どうしましょう。こんなに頂いてしまって。」

「サムハさんドレスを着てみてください。私見たいです。」

「そうね。着てみましょう。」

 サムハさんは3枚のドレスを持ってちょっと奥に入って着替えてきました。3枚ともとてもよく似合いました。

「嬉しいわ。本当に嬉しいわ。」

 サムハさんは踊るようにくるくる回りました。

「ヒジャブも使ってみてください。黒じゃないヒジャブ姿のサムハさんの顔が、どんな風になるかとっても見たいわ。」

「今取り替えてみるわね。ちょっと待ってね。」

 サムハさんはまた奥に入ってきました。最初にオーロラのヒジャブを頭に巻いてきました。その色柄とサムハさんの小麦色に日焼けした肌がとてもよくマッチして、いつもよりずっとずっと美しく見えました。サムハさんは鏡を見て、

「まあ、なんて素敵なんでしょう。私じゃないみたい。」

と言いました。そしてもう1枚の方のヒジャブに取り替えてきました。白夜のヒジャブをつけたサムハさんは、アラビアンナイトに出てくるお姫様のようでした。手紙さんがそう言うとサムハさんは少し恥ずかしそうにしましたが、やはり鏡を見て

「素晴らしいわ!これは学校で何か大きな催し物がある時。特別の日。そんな時に使うわ。本当に嬉しい。本当に嬉しい。

 私はニャーモさんに感謝して、ちゃんとニャーモさんの願いを叶えてお返しをしなければいけないわ。」

 サムハさんは言いました。手紙さんは最後の言葉の意味が分かりませんでした。

サムハさんは手紙に書いてあったニャーモさんの『お願い』のことだけは、手紙さんに話さなかったからです。


 夜になってサムハさんはニャーモさんに手紙を書きました。もちろんお礼の言葉もいっぱい書きました。法を犯してまでドル札を入れてくれたことに関しても、ニャーモさんの心遣いに感謝しました。アラーの神様は許してくださいます。でもそこまでの心遣い本当に申し訳ない気がしました。私はニャーモさんの願いを叶えます。待っていてください。この手紙が届いた時、あなたの願いが叶います。

 手紙にそのように書きました。


翌朝のサムハさんの行動はいつもとちょっと違いました。散歩に行くのかなと思っていたらボトルさんをタライの中から出し、ボトルさんの中に入っていた水を全部捨てそしてお日様の光が当たるところに置きました。どうしたんだろうと手紙さんは思いました。 そしてサムハさんは誰かに電話をかけていました。服装はとても地味なグレーのワンピースに黒いヒジャブでした。

 熱帯の太陽の光はすごいです。ボトルさんはあっという間に外も中も乾いてしまいました。サムハさんは乾いたボトルさんの中に手紙さんを入れました。何で入れられるのだろう?今日はどうしたんだろう?手紙さんは不思議なことばかりと思いました。

 その時自動車の止まる音がして手紙さんには分からない言葉、多分インドネシア語でその男の人は何か言いました。サムハさんは返事をしてボトルさんごと手紙さんを持ってその男の人の車に乗りました。二人は何かを喋っていましたが、手紙さんには分かりませんでした。手紙さんがわかるのは日本語とフィンランド語と英語。インドネシア語は全く分かりません。

自分に話しかけられた言葉はすぐに分かるようになるのですが、サムハさんは一回も手紙さんにインドネシア語で話した事は無かったのです。 

 しばらく車で走っていると町中に着きました、。サムハさんは言いました。

「この人私のお父さんなの。今日電話をしてスラバヤの町に連れて行ってって頼んだの。

ここがスラバヤの町なのよ。あなた達に一度見せてあげたかったの。私はここで育ったの。どんな感じ?」

とサムハさんが聞きました。


沢山の店が並んでいました。全部露店というのでしょうか。きちんとした建物ではなくてテントのようなものを張って、台を置いてその上に所狭しとものを並べ、テントからも色んなものがぶら下がっていました。そんなお店がずらっと並んでいるのです。様々な物を売っていました。食べ物屋さんもたくさんあるし、お洋服屋さんや靴屋さん。おもちゃ屋さんでしょうか。本屋さんもあるみたいでした。その他もう何だかわけがわからないようなものをたくさん売っているお店もありました。

 そこに人々が集まって買い物をしたり、買ったものを道ばたで食べながら大声で話していたりしていました。

 サムハさんのお父さんの車はオート3輪と呼ばれるものでしたが、この道にはオート3輪がいっぱい走っていました。そしてスクーターと呼ばれる乗り物でしょうか。自動車もスクーターも自転車も人も、みんなごちゃごちゃで歩いてごちゃごちゃで走っていました。

 手紙さんはフィンランドを思い浮かべて、ずいぶんと違うんだなーここがスラバヤ、インドネシア。サムハさんはこの地に住んでいるんだな。サムハさんが生まれた時からの居場所なんだから、きっとこういう情景は不思議でもなんでもないんだろうなと思いました。でも手紙さんは心の中で、うまく説明はできないけれども、ここは自分の居場所じゃないような気がすると思いました。暑い国ですから食べ物に虫がたかっていたりします。ハエがブンブン飛んでいたりします。北の国は寒いからそんなことは全くありませんでした。本当に違う何もかも違う。でもサムハさんは全く気にしていないようでした、ボトルさんにちょっと尋ねてみると、ボトルさんもいやというような素振りを見せたのでした。


 サムハさんはお父さんにお願いしたのでしょうか、スラバヤの街の中心部へ来ました。そこはさすがに整備されていて、非常に近代的で高いビルディングなどもいっぱいありました。おそらく裕福な人達がすんでいるのでしょう。先ほど見た町とは大違いでした。

「ここはねスラバヤの中心地。政治や経済の中心地なのよ。ここはこんなに開けていてとっても素晴らしいけども、その他のところはさっき通ったような所ばかりなのよ。」

とサムハさんは言いました。そしてお父さんにお願いして自分の家に連れて帰ってもらいました。お父さんはサムハさんに何か言って、オート3輪を運転して帰っていきました。

 サムハさんはそのままメールボトル19を抱えて海辺を散歩しました。

「町中はね、私もあまり好きじゃないの。だからこういう所に一人で住んでいるのよ。ごちゃごちゃしていて、いろんな匂いもして、たくさんの人がいて、なんだか落ち着かないでしょう。それでも私の生まれたところで私の居場所なの。

 手紙さん達はあの町が気に入ったかしら?」

 手紙さんはすぐに返事ができませんでした。好きではないなんて絶対に言えません。言葉が見つからなかったのでこう言いました。

「海がすごく綺麗。ここからの景色は最高ですよ。大好きですよ。」

と。

 サムハさんはにっこり笑って

「そうよね。そう言ってくれてありがとう。」

と言いました。

 お家に入るとすぐに水を張ったタライの中にボトルさんを入れました。

「暑かったでしょう。ごめんなさいね。しばらくここで涼んでね。」

 ボトルさんはほっとしたように見えました。

 

 サムハさんは目的を果たしたと思いました。自分の心がしっかりと固まるように。そして手紙さんたちの気持ちも確かめたのだけれども、その気持ちもちゃんと分かりました。


 午後、サムハさんは熱心にお祈りをしていました。

『アラーの神様、私に決断の勇気をお与えくださってありがとうございます。この子達と別れることはとても寂しいことで、私にそれができるのか心配でたまりませんでした。

 この子達と過ごす毎日は格別でした。私はこの子達が大好きです。でも自分の欲を考えてはいけないのがアラーの神様の教えですよね。

 私よりもっともっとこの子達を必要としている人がいるのですから。

 私は大丈夫です。私がメールボトル19さんを拾ったこと。一緒に過ごした毎日は夢ではなく本当のことでした。その沢山の思い出が私の中にちゃんとあります。だからいつでもこの子達の事を思い出せますし、お話もできることが分かりました。

神様、素晴らしい時を与えてくださって心から感謝致します。』


翌朝、白地に薄い色でたくさんのベリーが描かれている布で作られたサンドレスを着て、頭には白夜のヒジャブをつけたサムハさんに手紙さんは驚きました。それは本当にお姫様のように綺麗だったのですが、白夜のヒジャブは特別な日につけるとサムハさんは言っていたのに、今日は何か特別な日なのだろうか?と。

 サムハさんはまた今日も昨日と同じように、ボトルさんをタライの中から出して、お日様がカンカンと照りつけるところに置きました。ボトルさんはあっという間にカラカラに乾きました。そしてやはりその中に手紙さんを入れました。又どこかに連れて行ってくれるのかしら?と手紙さんは思いました。

 けれど手紙さんの入ったボトルさんを抱きかかえて、サムハさんは浜辺を歩き出しました。

 サムハさんはにっこり笑って、遠くを指さし

「バリ島はあっちよ。ここからは見えないの。ここはスラバヤ。あなた達はバリ島に行きたかったのよね。ここで良かったのかしら?」

と聞きました。手紙さんは答えました。

「バリ島がどんなに素晴らしいところか知りません。でもここで良かったんです。だってサムハさんに会えたんだもの。バリ島だったらサムハさんに会えていない。だからここで良かったんです。」

 サムハさんは嬉しそうに笑いました。

「じゃあお家に帰りましょう。」


 家の中に入って箱を取り出し、その中に綿のようなものをいっぱい詰めました。そしてボトルさんの蓋を閉めこういったのです。

「しばらく真っ暗な中で少しかわいそうだけれども、10日ほどの辛抱よ。」

 手紙さんはどういうことか分かりませんでした。

「あなた達はもう一度旅をするの。」

 もう一度旅をする?でもサムハさんは私たちを、メールボトル19を海に流そうとはしていません。いったいどんな旅をするのだろう。手紙さんには分かりませんでした。

 サムハさんはポケットの中から珊瑚のペンダントを取り出しました。生まれた時にご両親がくれたプレゼントです。それをボトルさんのネックのところにやさしくかけました。


「ボトルさんは『最初の手紙さん』を守りながら日本からフィンランドへ、そしてこの手紙さんを守りながらフィンランドからこのインドネシアへ流れてきたのよね。ボトルさん遠い長い旅だったわね。あなたは強い子でとても頑張ったわね。

 『最初の手紙さん』もボトルさんにとても会いたいと思うの。

 『最初の手紙さん』が待っているところ、ニャーモさんが待っているところ、そこがあなた達の居場所だと私は考えたの。ニャーモさんもあなた達の帰りを望んでいるのよ。

 それに『最初の手紙さん』は、手紙さん、あなたと同体なのだから一緒にいなくちゃいけないのよ。

 あなた達はこれから旅をして自分の居場所に帰るのよ。あなた達の居場所に。」

 

 その時、久しぶりにニャーモさんの家で待っている手紙さんからの交信がありました。

 『何もかも、何もかも覚えておくのよ。何もかも何もかも大切な思い出。』

と。

 私たちは帰るべき所に帰らなくちゃいけないんだ。サムハさんのところも大好き。でもサムハさんの言うとおり。ニャーモさんの言うとおり。

 あのマッコウクジラの PHR07さんが言いました。メールボトルに居場所はあるのだろうか?と。メールボトルは流れることが運命で、どこかにたどり着くことが運命で、居場所なんかないと考えていたけれどそうじゃなかった。私たちにも帰るべき所、居場所があるんだと初めて気がついたのです。


前の日にサムハさんがスラバヤの町や、その中心の街を見せてくれた理由もよくわかりました。私たちに覚えていてほしかったのだ。こんなところだと、インドネシアはこんなところだと覚えていて欲しかったんだと思う。

 そして今日サムハさんは私たちと別れることを決心して、特別の日につけるといった白夜のヒジャブをつけたんだ。サムハさんはボトルさんのネックにかけたペンダントに触っていました。

「これ私だと思っていてね。私は一緒に行けないけれども、これは私が生まれた時からずっと一緒だったペンダントだから。これを私だと思っていてね。

 今からあなたたちをぐるぐる巻きにするわ。途中で割れたら困るから。だから真っ暗になってしまうけれども我慢してね。10日もすれば必ずニャーモさんの待っているフィンランドに帰れるから。

 向こうに着いたらあなたたちの今度の旅の事、全部ニャーモさんに話して、そしてお手紙を書いてもらってね。私はあなたたちの今からの旅のこと全部知りたいの。お願いね。」

 そう言って柔らかい布でメールボトル19を包もうとしました。その時に手紙さんは言いました。

「サムハさんお願いがあります。お願いがあります。だめかもしれないけれどもお願いがあります。」

「何かしら?あなたの言うことだったら何でも聞いてあげるわよ。」

とサムハさんは優しく言いました。

「髪の毛を見せてください。ヒジャブ取って髪の毛見せてください。」

 サムハさんはほんの少し黙っていましたが白夜のヒジャブをすぅーっととりました。サムハさんの髪の毛は真っ黒で艶やかでまっすぐで長く、黒い絹糸のようでした。ニャーモさんの薄い金髪でくるっとした髪の毛とは全く違いました。

「サムハさん決まりを破ってヒジャブをとってくれてありがとう。あなたの髪の毛は本当に綺麗で黒い宝石のようです。見せてくれてありがとう。絶対に忘れません。」

「ううん。教えを破ってはいないから。イスラム教ではね、髪の毛は、大切な人にだけ見せるものなの。あなたたちは私の大切な友達・・だから。」

 サムハさんは涙をこらえていました。そして・・・

「さあ行くのよ。」

と言ってメールボトル19を丁重に包みその上に手紙をのせて、ダンボールの蓋を閉めました。閉めた段ボール箱の上に、サムハさんの涙がぼとぼとと音を立てて落ちました。


白夜のヒジャブをかぶり直して、ポケットにニャーモさんが送ってきたドル札を入れたサムハさんは、小包を抱えて郵便局まで歩きました。郵便局の前でサムハさんは大きな声で言いました

『ジャガンルパ(忘れないで)』それは初めて聞いたインドネシア語でした。けれどサムハさんがメールボトル19に向かって言った言葉だったので、手紙さんはその意味がわかりました。そして自分もインドネシア語を話すことができたのです。『サンガット(絶対に)』大きな声で箱の外にまで届くように言いました。『テリマカジ(ありがとう)』サムハさんの声が聞こえました。ありがとうと言っていたのです。

 サムハさんは郵便局の人に頼みました。航空便でお願いしますと。そして踵を返して自分の家に向かって歩いて行きました。涙をこらえながら。

 

 手紙さん達は床の上でしょうか。どさっと置かれました。しばらく経つと自動車に乗せられたようです。その揺れが前の日にサムハさんのお父さんの車に乗ったときと同じ感じがしました。けれどどこまで行くのでしょう。

 ずいぶんと長く走りました。1日じゃないような気がしました。2日か3日か、もしかしたらもっと長かったかもしれません。手紙さんは真っ暗な中でボトルさんに話しかけました。大丈夫。ボトルさんは私は強い子と言ってるように感じました。

 何日走ったのか本当によくわかりません。道はガタガタでそれは波の揺れとは全く違いました。ただ思い出すのはニャーモさんとモーターサイクルで走った時、普通の道を走ると時々こんな揺れがあったことを。


何日経ったか分からない頃、手紙さん達はどこかの床に乱暴に置かれました。揺れはもうなくなっていましたので、自動車から降りたことはわかりました。大勢の人の声が聞こえました。みんなインドネシア語を話していました。最後にサムハさんがインドネシア語で話しかけてくれて、自分もそれに答えることができたけれど、ほんの一言二言だったので、周りで話している人たちの言葉は理解できませんでした。

 そこにやはり長い間置かれました。次々と同じような荷物が届いているのか、どさどさと床に置く音が聞こえていました。それからしばらく経つと大きなドアでしょうか?ガッシャーンと閉まる音が聞こえました。

私たちはいったいどこにいるのだろうね。全く分からないね。ボトルさんも少し不安そうでした。手紙さんも不安だったけれども、サムハさんがしてくれたことだからきっと大丈夫と自分に言い聞かせていました。

 何時間、いや何日経ったでしょう。また大きなガシャンという音がしてドアが開いたのが分かりました。たくさんの人々が中から荷物を運んでいるようです。手紙さん達の小包がふわっと持ち上げられて人の手が持っていることがわかりました。どこへ連れて行かれるのだろうかと考えていると、まるで怒鳴るようにインドネシア語が聞こえてきました。何て言ってるのかさっぱり分からなかったけれど、何か急かしてるようで、急げ急げと言ってるような感じがしました。

 メールボトル19の小包はまた床の上に置かれました。その隣にもその隣もどんどんと同じようなものが置かれていってるような気がしました。沢山の荷物一緒に運ばれるのかな?そう考えている時にまたまたガシャンとドアの閉まる音がしました。私たちはあっちに行ったりこっちに行ったり、本当にこれでニャーモさんの所に帰れるのかしら?なんだかおかしな所に行ってしまうんじゃないかしら?不安を消そうと一生懸命に努力しました。やっぱり周りが見えないのはとても怖かったのです。海の中を漂っている時もたくさんの不安はありました。けれど周りが見えているのと見えていないのでは不安の大きさが違ったのです。


ガチャンと再び大きな音がした後、少し経って静かに動いてるような気がしました。何か乗り物に乗っているのかもしれない。本当に静かに動いています。揺れも何もありません。なんだろう?手紙さんは考えていました。

 その動きは一瞬止まりました。でも次の瞬間とんでもないことが起こりました。大きな音が始まりました。それは嵐の時の風のような音でした。ごーごーごーごー、とんでもなく大きな音でした。そのとたんに自分たちが後ろに後ろに物凄い力で引っ張られてるような感じが始まりました。引っ張られているだけじゃありません。斜めになっていることがわかりました。どんどん斜めになっていきます。後ろにズルズルズルズルと滑って行きそうでしたが、手紙さん達だけじゃなくて他の荷物もあったからか、滑っては行きませんでした。けれどものすごい力とその斜めの感じはしばらく続きました。

 ボトルさんはちょっと震えてるようでした。手紙さんはボトルさんを励ますように、

「なんだかわからないけど絶対大丈夫だから。絶対大丈夫だから。そうだボトルさん思い出して。ニャーモさんがモーターサイクルで高速道路を走った時、これとは比べものにならないけど、少しだけ後ろに引っ張られるようなそんな感じがした事があったよね。思い出して。」

 ボトルさんはそれを思い出したようです。これはモーターサイクルではないだろうけど、同じような感じはほんの少しですが味わったことがあったのです。ボトルさんも少し落ち着いてきたようでした。


斜めになった状態がしばらく続いた後、だんだんとまっすぐになっていく感覚がしました。あー、ちゃんと平らなところに置かれている。もう斜めじゃないし後ろに引っ張られるような感じも無くなった。止まっているんだね。そう、それはまったく動いてないように止まっているように感じられました。あの大きな嵐の風のような音も全くしません。ずっと止まっているようで、一体これは何なのだろう?ただただ不思議なだけでした。

 上の方で人が歩いているような音と気配がしました。何人もがバタバタと歩いている感じが伝わってきました。ここはどこ?

 手紙さんもボトルさんも何日も車に揺られていたし、訳の分からない所に置かれていたり、こんな妙なことが起こったりしてずいぶんと疲れていました。それでいつのまにかうとうとと眠ってしまいました。全く揺れもありません。とっても静かです。だからぐっすりと眠っていたのです。

 が、突然ガガガガガガガッガッガ!!まるで何かが壊れてしまうような音がしました。しかも今まで感じたことのないような揺れが起こりました。右に左に上に下にもうぐちゃぐちゃです。いったい今度は何が起こったの?目を覚ましたメールボトル19は心底怯えました。 そのとたんに今度はすとーーーんと落ちてしまったのです。本当に落ちてしまいました。一体どこに落ちたのだろう? でも自分達の居る場所は同じままです。

 私たちはモーターサイクルに乗った。海の中を漂った。船にも乗った。自動車にも乗った。これはいったい何?そう考えているとまた動きが静かになりました。静かになって止まっているように感じられるようになったのです。

 そうしているうちに今度はまた妙なことが起こりました。最初と反対に前に引っ張られてるような感じがしたのです。前に斜めに下がっていくような感じがしたのです。

「今度は前に引っ張られているよ。それになんだか斜めに落ちていくみたいな感じ。一体何なの?一体何なの?誰か教えて!」

 手紙さんは叫び出しそうでした。ついにドッカーンというとても大きな音ととても大きな揺れが来ました。他の荷物たちも少し飛び上がったようです。手紙さんやボトルさんの箱もやっぱり少し飛び上がったようでした。でもその後静かに動いているのが分かりました。そしてぴたっと停まりました。


  少ししてからガシャンとまた音がしてドアが開きました。

 そのとたんに手紙さんもボトルさんも、ここはフィンランドだ!と思いました。ドアが開かれた途端にとっても冷たい空気が入ってきて、箱の中にいるにも関わらず、冷たい寒いと感じたのです。

 それまでは暑いインドネシアにいたのに今は間違いなくフィンランドです。人々の声も聞こえてきました。荷物を降ろしているようです。フィンランド語です。

「間違いなくそれぞれのところに運んで。それぞれの車に乗せて。間違うなよ。ちゃんと運ばなきゃいけないんだからな。」

 そういうことを話しているのが手紙さんにははっきりとわかりました。

「ここはフィンランド!ここはフィンランド!ボトルさん私達帰ってきたのよ。」

 一体どうやって帰ってきたのかわかりませんでしたが、外で話している人たちの声は聞こえました。

「こんな天候の中よくこの飛行機降りられたなあ。よかったよ。今日は最悪の天気だから、どこかよその国の空港に行ってしまうんじゃないかと思って心配してたんだけど、降りられて良かった良かった。パイロットの腕が良かったんだな。」

 その話を聞いて手紙さんはやっとわかったのです。自分たちがいたところは飛行機の中だったのだと。

 あの妙な音や妙な引っ張られる感じ、斜めになる感じ。すとんと落ちたりガガガと音がしたり。何もかも初めてのことだったけど、私たちは空を飛んでいたんだ。

 飛行機に乗って空を飛んで、とうとうフィンランドに帰ってきたんだ!!


懐かしいフィンランド語がいっぱい聞こえてきて、手紙さんは『ああここが私達の居場所なんだ』と実感しました。懐かしい。懐かしいという思いは自分の居場所に感じるものなのだ。そう思いました。

 男の人の声が聞こえます。

「そっちはヘルシンキに運ぶ荷物。あーそっちはラップランドまでだからロバニエミ行きの飛行機に乗せるように。」

 それから、と、メールボトル19の入ってる箱を持ち上げました。

「これはトゥルクだ。トラック間違えるなよ。」

 トゥルク懐かしい名前です。ニャーモさんが住んでいるところです。手紙さんは思いました。私とボトルさんはトゥルクからニャーモさんのモーターサイクルに乗って、そして船に乗ってお隣の国に行ったんだった。私たちはそこから出発したんだった。ああ、もうすぐトゥルクに帰れるんだ。

 トラックに乗せられてトラックが走り出しました。真っ暗だったけれども、また自動車の中だったけれども、メールボトル19はワクワクしていました。どこへ連れて行かれるのだろうとか、いつまで走るのだろうとか、そんなことはもう考えていませんでした。この車が止まったらきっとトゥルクの郵便局だよ。そう考えていました。

 そして車は止まりました。とても寒かったけれども温かい建物の中にはいれてそこに置かれました。するとほどなく郵便配達の人が、じゃあこれ運んでくるからと言ってまた別の車に乗せました。それはほんの少しの時間でした。車が止まりました。郵便配達の人はメールボトル19の入っている箱を抱えてドアをノックしました。


「 はい」

 ドアが開きました。

「国際郵便ですよ。インドネシアからです。」

「うわーーーー本当に?ありがとう。」

 ニャーモさんはそう言って小包を受け取りました。ニャーモさんは大興奮していました。

「帰ってきたわ!帰ってきたわ!メールボトル19が帰ってきたわ。」

 急いで箱の蓋を開けました。そうすると暖かい空気が箱の中に入ってきました。暖炉の火が赤々と燃えていて、小さな木々がパチパチと爆ぜる音がします。その暖かさ、あの暑さとは違う暖かさ。まだ柔らかい布に包まれていましたが、手紙さんもボトルさんもその暖かさがとても心地が良いと思いました。

 ニャーモさんは布を取りました。メールボトルを抱き上げて

「おかえり。おかえり。とうとう帰ってきたんだね。ずっと待っていたんだよ。ああ本当に帰ってきたんだね。」

 そう言って頬ずりをしました。それから窓辺に飾ってある額に入れた手紙さんを降ろして、額の中から手紙さんを出しました。

「手紙さんここにいちゃだめだよね。あなたもボトルさんの中に入らなきゃね。」

 ボトルさんの蓋を開けて最初の手紙さんを入れました。ボトルさんの中には2通の手紙が入りました。

手紙さんは『手紙』さんとボトルさんに『おかえり』と優しく言いました。

ニャーモさんは心の中でサムハさんにうんと感謝していました。なんどもありがとうと繰り返していました。この子達と別れるのはサムハさんもとっても寂しかっただろうに・・・私の願いを叶えてくれた。ありがとうサムハさん。と。


 「手紙さんと手紙さんじゃややこしいわね。宮子さんが書いてくれた手紙さんは日本語だから、お名前は『手紙さん』私が書いた手紙はフィンランド語の手紙『キリエさん』ボトルさんはボトルさんでいいわね。」

と言ってニャーモさんはにっこり笑いました。

 二番目の手紙さんはこれからはキリエさんです。

「お名前嬉しい。でもニャーモさんの相棒のモーターサイクルのお名前は?」

 キリエさんはそう尋ねました。

「・・・・あの子はヴィットピレンと言うモーターサイクルなのだけど・・・・そうね、お名前ね。じゃあ、あなたたち考えてくれる?」

「ヴィットピレン?んーっと・・・・じゃぁ・・・・ピレン!」

 手紙さんもそれがいいと言いました。

「あははっは、ピレンちゃんね、良いわね。決まりね。」

 ニャーモさんは楽しそうにくるくる回って踊り出しました。


 その時、キリエさんと名付けられた手紙さんは『私の話を聞いて』というように突然喋り出しました。

「ガタガタガタって音がしてストンと落ちるの。わけのわからないところに置かれて色んなインドネシア語聞こえて。サムハさんはお姫様のように綺麗で。

 白夜のヒジャブ特別な日にするって言ったの。サムハさんのお父さんの車でスラバヤの町に行ったの、そこごちゃごちゃしていて。特別の日って言ったのに郵便局に行く日、サムハさんは白夜のヒジャブしたの。

 ええとね、乱獲はいけないの。珊瑚は高く売れるから夜中に取りに来る人がいるの。ボトルさんの首にサムハさんの大切な珊瑚のペンダントかけてくれたの。そしてガタガタガタガタ何日も何日も。

 それからね、斜めになったの。後ろにすごく引っ張られるの。郵便局でサムハさんがテリマカジって言ったの。バリ島だと思ったら違ったの。でもそれで良かったの。

 とってもいっぱいぎゅうぎゅうづめでね。それから眠ったけれども、ものすごい音がして落ちたの。ストーンと落ちたの。落ちたけれどもドアが開いたらとっても寒くてフィンランドと分かったの。すごく嬉しかったの!

 スラバヤの町ねテントのお店がいっぱいでガチャガチャしていてフィンランドとは全然違ってた。サムハさんは神様にお祈りをしていたの。」


 手紙さんは面白そうにほほえんでいました。キリエさんとは同体だからキリエさんとボトルさんが経験してきたことは全部知っています。でも。私は何も言わないでおこう。キリエさんがいっぱいお話がしたいのだから。

 ニャーモさんは目を丸くしながら笑って言いました。

「わかった、わかった、わかった。全然分からないけど分かったわ。いっぱいいっぱいお話ししたいことがあるのね。キリエさん、あなたの話はめちゃくちゃよ。今日はもういいから明日ゆっくり聞かせてね。

 キリエさんもボトルさんも長い旅で疲れているだろうし、今夜はゆっくり暖かくお休みなさい。

 ここにサムハさんの手紙があるわ。サムハさんはあなた達と郵便局でお別れして、私の手元に帰ってくるまでの旅の話が聞きたいって書いてある。だから私はあなたに全部聞いて、そのことをサムハさんに書いて送ってあげるわ。

 今のあなたの言葉では何が何だかさっぱり分からない。落ち着いてね。明日ゆっくり話してちょうだい。」

キリエさんの興奮した様子がとてもおかしいのか、ニャーモさんは言いながら笑い転げていました。


 ニャーモさんはテーブルの上に手紙さんキリエさん、ボトルさんを置きました。そしてキッチンに行って四つのカップに温かいミルクティーを作ってきて、それぞれの前に置き、自分も椅子に座りました。

「これで体があったまるわ。」

とニャーモさんは言いました。それはまるで家族団らんの絵のようでした。

 ニャーモさんはミルクティを飲み干すと、立ち上がってカーテンを開けました。

「あなたたち見て。ほら空を見てごらん。今夜のオーロラは今までにないぐらい美しいわよ!」

 メールボトル19はニャーモさんの言葉にお空を見上げました。確かに美しいオーロラの夜でした。

 けれども満足そうに幸せの笑顔で夜空を見上げているニャーモさんの横顔が、そのオーロラよりももっともっと美しいと思ったのです。


                       第二部  終わり



















  


  遠い国の返事  


             第三部 完結編










  あれから六年経った、まだ雪の残る三月。

 

 世界中を巻き込んで大勢の人の命さえも奪ったコロナウィルスも姿を消し、またあちこちで起こっていた戦争もなんとか収めることができ、人々に平穏な毎日が戻ってきていました。

 手紙さんもキリエさんもフィンランドの弱い太陽の光でも、ほんの少し黄ばんできたけれどそれでも相変わらず元気でした。もちろんボトルさんも。

宮子さんの書いた手紙さんはその性格を受け継いでいるのか、その年齢を受け継いでいるのか思慮深い感じで、キリエさんはそれを書いたニャーモさんの性格を確実に受け継いでいるらしく、明るくおしゃべりでした。手紙さんはあまり話をしませんでしたが、キリエさんが代弁するかのようにたくさんニャーモさんに話しかける、そんな毎日でした。

 ニャーモさんはンケラドの正式なテキスタイルデザイナーになっていました。それで夏場に働いていた自動車の部品工場のお仕事をやめて、模様を描くことに専念していました。正式なデザイナーになったのでお給料もとても良くて、結構たくさんの貯金もできました。  たくさんお金をいただけるようになってもニャーモさんは暮らしぶりを変えようとはせず、清潔で質素な暮らしを続けていたのです。趣味はやはりピレンに乗ってツーリングをすること。海辺に行くと相変わらずゴミを拾っていました。

夏場になるとニャーモさんはメールボトル19を連れて、あちこちツーリングを楽しみました。雪が降り出すとピレンを倉庫にしまって、お家の中で図案を描く、そんな毎日を過ごしていたのです。

 宮子さんとサムハさんとの文通はずっと続いていました。いつでも手紙が届くとメールボトル19に聞こえるように声を出して読みました。


 三月、ニャーモさんは二人からほとんど同時に手紙を受け取りました。

 

 宮子さんの手紙には、自分はかなり年をとってしまったので、今まで住んで居た夫さんが建ててくれた家を売って、海辺にある介護施設付きのマンションに引っ越しを決めたと書いてありました。哀しいことではないのですよ。とても素敵なマンションで自分のお部屋もあって、みんながお食事をする場所は、まるで高級レストランのようですと書いてありました。 体はまだ丈夫、病気もしていませんが、それでも一人で暮らしていたら何かあったとき困ると思って決心したと。長らく夫と住んでいた、いっぱい思い出のあるお家を売ってしまうのはやはり寂しく心残りもあるけれど、こうしなさいと、夫が残してくれたのだと思って引っ越しを決めたのだと、そう綴ってありました。


 サムハさんは大学を卒業して、自分の夢をかなえて海洋生物研究所にお勤めをしていました。届いた手紙は、同じ研究所で働いている男の人と、この度結婚することになりましたと言う知らせでした。

 サムハさんはとても真面目にお仕事をしていたました。そんな様子をずっと見ていたその人が、サムハさんをとても気に入ってプロポーズしました。サムハさんもいい人だなと思っていたようで、結婚してくださいと言われて『ひとつだけ条件があります』と言ったそうです。それは結婚しても海洋生物の研究のお仕事続けたいと言う希望でした。

 インドネシアでは結婚したら女の人は家庭に入り、家庭の仕事をする、子供を産んで子供を育てる。今でもそれが当たり前でしたですから、結婚してもお仕事を続けたいと言う希望は叶えてもらえないのではないか?もしだめならサムハさんは結婚するよりもお仕事を続けたいとその人に言いました。その人はサムハさんがとても優秀な研究員だということを知っていたので、サムハさんの希望を叶えてあげようと、結婚してもお仕事は続けて構いませんよ。と言ったのです。それでサムハさんは結婚を決心しました。と。そのようなことがお手紙書いてありました。


 その手紙の内容を聞いたキリエさんは飛び上がるようにして喜びました。あの素敵なサムハさんがお嫁さんになる!どんなに綺麗だろうね!ねえ手紙姉ちゃん、そう思うでしょと興奮したように言いました。

 手紙さんは実際にサムハさんには会っていないので、どんなかなあと想像するだけでした。ボトルさんもキリエさんに賛成したように、うんうんと頷いているようでした。そして自分の首にずっとかけてもらっている、サムハさんの大切にしていた珊瑚のペンダント覗き込むようにしているように見えました。

 そんなメールボトル19の様子を見ていてニャーモさんは考え込みました。

 ニャーモさんはいったい何を考えたのでしょうか・・・・・今は3月。まだピレンを動かすには早い。ピレン無理だね。じゃあどういう風にしたらいいのだろう?

 ニャーモさんは地図帳を取り出しました。それを熱心に見ています。

「ここからこうしてこのルートからはどうなのかしら?」

 今はニャーモさんもパソコンを持っています。お仕事の関係で使うことが増えたので、ひとつだけの贅沢としてパソコンを買ったのでした。それを使って色々調べ出しました。

「ふむふむ。ここからこう行って、ここからはこれでいけるのね。そして次はこう行く。なるほどなるほど。それからどうなるのかしら?次は難しいわね。ああ、これだこれ!」 

 ニャーモさんはぶつぶつぶつぶつと独り言を言っていました。メールボトル19はそんなニャーモさんの様子を見て、また何か考えているな。いったい今度は何だろうと不思議に思っていました。


すると、

「私ちょっと出てくるね。ちゃんと留守番しててね。」

と言って上着を着て出ていきました。。まだ寒いけれども真冬とは違います。真冬のものすごい格好ではなく、着ていた服の上にトナカイの毛皮のコートを羽織って帽子をかぶって雪靴をはいただけでした。

 ニャーモさんは3時間ほどして帰ってきました。

「やっぱりまだ外は寒いわねぇ。でももう真冬じゃないから、息が凍りつくなんてことはないわ。今はもしかしたらとってもいい時期なのかもしれない。フィンランドはまだまだだけどね、よその国はいい季節なのかもしれない。」

 それからニャーモさんは自分が描いた布をいっぱい床の上に広げました。今は買わなくてもデザイナー分としてンケラドが布をくれます。ニャーモさんは床に広げたものを選び始めました。

 いつかこんな光景があったなあと、手紙さんはニャーモさんをじっと見ていました。

「まさかまた私たちを旅に出すんじゃない?だってだってニャーモさんはすごくたくさんの素敵なものを作って、サムハさんに送ってきたもの。今度は小包の中に私とボトルさんを入れて・・サムハさんの処に届けるの。私サムハさん大好きだけど、でもここに居たい。」

「キリエちゃん。そんな心配することないよ。ここが私たちの居場所だもの。あんな必死の思いをしてあなたとボトルさんを送り返してもらったのよ。あなたを手放す訳は絶対にないわ。わたし達はただニャーモさんを見守っていたらいいだけなのよ。

 きっとね、宮子さんとサムハさんに何か作って郵便で送るのだと思うわ。」

 手紙さんのその言葉にやっとキリエさんは少し落ち着いたようでした。


ニャーモさんは考えた末に2枚の布を選び出し、それから型紙を書きました。そして型紙の通りに布を切りミシンを取り出して縫い始めました。あの時と同じです。翌日もミシンで縫っていてその翌日もまたミシンで縫っていて、そしてとうとう2枚のお品が出来上がりました。

 ニャーモさんはそれらを見て、とってもいいわと満足そうでした。一つ一つを綺麗な包み紙で包み、赤いリボンをかけました。

 さてその後ですがニャーモさんは倉庫の中から大きなトランクを取り出しました。そしてあれやこれやとその中に詰め込み始めたのです。リボンで結んだお品も入れました。ニャーモさんは独り言を言っていました。

「私は何を着たらいいのかしら?寒いのはこの家の玄関を出た時だけね。後は別に寒くはないわけだから、トナカイの毛皮のコートは着ていく必要はないよね。そんなの着て行ったら荷物になるだけ。じゃあ一体何を着たらいいのかしら?」

 自分のクローゼットの中をあれこれ探していました。

「やっぱりこれにしよう。」

 ニャーモさんが取り出したのは、モーターサイクルに乗る時のライダースジャケットとパンツでした。靴もモーターサイクルに乗る時のブーツにしよう。メールボトル19はまだニャーモさんが考えていることがわかりませんでした。それでも着る服が決まったようでよかったねと思っていました。


どうやらすっかり用意が出来上がったようです。ニャーモさんはやっとメールボトル19に話しかけました。

「じゃあ、あなたたち。今晩寝たら明日出発するわよ。私たちはこれから結構長い旅をするの。でも手紙さんやキリエさんがしたようなとんでもなく長い旅ではないわ。」

 メールボトル19はニャーモさんに聞きました。

「一体ニャーモさんはどこに行くの?あなた達って言ったから、私たちも連れて行ってくれるのね?」

「もちろんそうよ。あなた達が行かなかったら意味ないもん。どこに行くかはとりあえず内緒にしておこうかな。その方がびっくりして楽しいかもしれないもんね。」

 ニャーモさんはひとりでにこにこ笑いながらくるくると回って踊っていました。フィンランド民謡を歌って

「さあ寝ましょう。寝ましょう。明日から旅よ。なんだかワクワクするわね。どんな旅になるかしら?楽しい旅にしましょうね。じゃあおやすみなさい。」

と言って眠ってしまいました。


翌日朝ごはんを食べ終わるとニャーモさんは電話をかけました。そしてライダースジャケットとパンツも着てブーツもはきました。自分が作った大きな手提げ袋にメールボトル19を入れました。

 しばらくするとドアの外でブッブーとクラクションが鳴りました。

「さあみんなで行きましょう。暖炉の火はちゃんと消えているし大丈夫よ。」

 そう言ってトランクを持ち手提げ袋も大事にもって、玄関から出るときちんと鍵をかけました。外はやっぱり寒かったけれどすぐに止まっている車に乗りました。

「じゃあ運転士さんお願いします。」

 メールボトル19はこれは何だろう?自動車だけど何だろう?と考えていました。手紙さんとキリエさんがブツブツと話し合っているのを聞いて、ニャーモさんは言いました。

「これはタクシーっていうの。お願いして行きたいところに連れて行ってくれるのよ。」

 タクシーはしばらく走っていました。さあ着きましたよとおろしてくれたところは大きな空港でした。ヘルシンキ空港です。

「あ、ここ覚えている。私とボトルさんがインドネシアから帰ってきたところ。」

「今日はここから飛行機に乗るのよ。今度はね、あなたち荷物置き場じゃないのよ。ちゃんと人が乗るところに乗るの。だから飛行機の中が全部見られるわよ。窓からは空の景色も見られると思うわ。」

 メールボトル19はものすごく喜びました。飛行機に乗れるなんて!それに荷物室じゃなくって人が居るところに乗れるなんて。こんなことがあるなんてとっても嬉しい。ニャーモさんにありがとうと言いました。


 空港はとっても綺麗で広くていろいろなお店ありました。レストランもあってまるで街中のようでした。大勢の人たちが歩いています。以前ニャーモさんがヘルシンキのデパートに連れて行ってくれたことがあったけど、本当にまるでデパートみたい。お土産を買う人がたくさんいるのでしょう。ニャーモさんのお家にあるトントゥもいっぱい売られていました。それを買っていく人たちもたくさんいました。

 木でできた様々なものや、トナカイの角でできたアクセサリー。トナカイの毛皮の帽子や瓶詰めになったベリーなども売られていました。フィンランドやラップランドで取れるもの作られるものが、たくさん並んでいました。フィンランド名物の世界で一番まずい飴と言われている、サルミアッキもありました。いったいどんな味なのでしょうね。

 おっと!あのお店は!『ンケラド』と書いてあります。中に入るとずらりと布が並んでいました。もちろんニャーモさんがデザインした布もたくさんありました。それらを見て、綺麗だわ、北欧の雰囲気だわと買っていく人がたくさんいました。空港から飛行機に乗ってあちこちの国に行く人たちがお土産で買っていくのでしょう。

 メールボトル19はちょっと自慢したくなりました。その布はここにいる私たちのニャーモさんが描いたのよって。


ふらふら歩いていて、ニャーモさんは立ち止まりちょっと考えました。

『うん、やっぱりフィンランドしかないものも買っていこう。トントゥが可愛らしくていいわね。それから、トナカイの角を細工したペンダント・・・こんなものほかの国にはないものね。』

 ニャーモさんはトントゥを二つ。そしてトナカイペンダントを一つ買いました。


 さていよいよカウンターに行ってニャーモさんはチケットを受け取り、大きなトランクを預けました。そのあとは保安検査場を通るのです。

そこで大事件が起こりました。

「あ、ペットボトルは持ち込まないでください。ここに置いていってください。」

と、係の人にニャーモさんは止められました。ニャーモさんは真っ青になりました。

『私・・・・すっかり忘れていたわ。そうよ、ペットボトルは持ち込んじゃいけなのよ・・・・・・・だってだって、私はメールボトル19のことをペットボトルだなんてもうずっと思っていなかったのだもの・・・どうしよう・・・・・ここでボトルさんを置いていくなんてこと絶対にできない。ただ捨てられるだけだもの・・それにボトルさんが居なくなるなんて考えただけでも鳥肌が立つわ・・・どうしよう・・・・・本当にどうしよう・・・この旅取りやめにしようかしら・・・』

 ニャーモさんがどうすることもできなくなって立ち尽くしているとき、思いがけないことが起こりました。手紙さんとキリエさんが大声で叫びだしたのです。フィンランド語、英語、交代に叫んでいるのです。

「私たちはお話できるの。このボトルさんは私たちの一部なの。さあ、ボトルさん動いて見せてあげて。」

 その言葉に状況を察しているボトルさんはガタガタと動きました。係員達は目を丸くして驚いています。口をあんぐりと開け信じられないことだと、じっとメールボトル19を見ています。

「私たちはこのニャーモさんが生み出した『しゃべるロボット』なの。ボトルさんは揺れたり、ぴょんと飛び上がったりいろいろできるの。ニャーモさんは私たちを持ってお友達に見せに行くのよ。ここでボトルさんを置いて行ったら、『しゃべるロボット』壊れちゃうじゃない!通して!通して!通して!!」

メールボトル19は必死で叫んでいます。

 係員がニャーモさんに聞きました。

「これはあなたが作ったロボットなのですね?」

「は、はい。だからおいて行くことはできないのです。この子たちは私の大切な家族なのです。家族を置いて行くことなどできません!通してくださいますか?」

 ニャーモさんは泣き声で言いました。

係員達は目と目、身振り手振りて、『早く通せ』と、言っています。

「わ、分かりました。持ったまま通っていいです。す、すごいものを作ったんですね・・・本当にびっくりしました。さあ、どうぞ通ってください。」

ニャーモさんはにっこり笑って、ありがとうと言い、ささっと検査場を通り抜け、そこから見えない処まで歩いたと思ったらへなへなと床に座り込んでしまいました。汗が噴き出しています。


「あなたたちって!すごいわ。もう私どうなることかと心臓どきどきして何も思いつかなかったのよ。ただただ困ったって。ロボットなんて、いつの間に覚えたの?ボトルさんはいつの間に動けるようになったの?」

「ロボットって・・・TVで見たの。ニャーモさんがTVをつけたままお昼寝しているとき、TVでいろんなロボットのことやってて、わーーロボットってお話したりお手伝いしたりいろんなことができるんだなぁって思ったの。それからね、ボトルさんも自分の思っていること少しでも伝えることができたらいいなぁって考えて、手紙ねえちゃんと一緒に、動き方教えて練習していたの。

 はい、なら一回ちょっと傾く。いいえなら二回傾くとか、嬉しかったら少し飛び跳ねるとか、ね。」

 ボトルさんは一回ちょっと傾きました。『はい』です。

「・・・・そうだったのね・・・あなたたち本当に賢いわね。いつのまにかどんどんいろいろなこと覚えて、考えて。ニャーモ負けちゃうわ。」

「でも、通れて良かったね。」

 メールボトル19は嬉しそうに笑いました。ニャーモさんも泣き笑いの顔を見せました。「ここから先はもう大丈夫。次は出国審査を通るけど、私がパスポート見せるだけだし、あなたたちはバッグの中で静かにしていてね。」

 やっと立ち上がれるようになったニャーモさんに連れられて出国審査場を通りました。そこは本当に問題なく通ることができました。

「さあ、あとは私たちの乗る飛行機の出発するゲートに行って、アナウンスがあるまで待っているのよ。」


たくさんのゲートがあって、大きな窓からはたくさんの飛行機が見えます。お客さんたちはみんな自分の行き先のゲートの前の椅子に座って待っています。

「ここだ。65番ゲート。ここから私たち飛行機に乗るのよ。」

メールボトル19は珍しそうにあちこち見ていましたが、手紙さんが言いました。

「あそこ、掲示板に『出発HEL,目的地KIX』って書いてあるわ。ここから出発だから・・・・HELって、ヘルシンキの略ね。じゃ、目的地のKIXってどこかしら?」

「きっとアフリカ大陸の国の名前よ。」

とキリエさんが言いました。

「何故アフリカ大陸だと思うの?」

「ええと・・・・スエズ運河に行く前にマダラトビエイのエイヤさんが、アフリカ大陸ってすごく大きいんだよ、って話してくれたから・・・・・・・だからなんとなく。」

「キリエちゃんアフリカ大陸に行きたいの?でも国の名前じゃないわ。だってここはフィンランドでしょ。国の名前だったらFINとかになると思うの。都市の名前ね、ヘルシンキだものここは。」

「じゃあ、KIXってお名前の都市に行くのね。」

「でもKIXってどこか分からないわ。ニャーモさんどこ??」

「関西国際空港って処に行くのよ。KANSAI INTERNATIONAL AIRPORT。」

「だから・・・KI ね?でもXはどこから来るの?KIAじゃないの?」

「ううむ・・・・・ニャーモもどうしてか分からないわ。でもとにかくKIXなのよ。あとで飛行機に乗ってから、キャビンアテンダントさんに尋ねてみましょうね。」

 ニャーモさんはこの好奇心満載のメールボトル19に少々困ってしまいました。ちゃんと説明してあげなくちゃ。分からない、知らないって逃げたらいけないのだわと思いました。


そんな話をしていると、65番ゲートのお客様は機内に進んでくださいと、 アナウンスがありました。 さあ行きましょうと言って ゲートを通るとまるでトンネルのような通路がありました。 ボーディングブリッジ という通路で、出口は飛行機の入り口につながっています。 飛行機の入り口を通る時制服を着た女の人たちが、 こんにちは。いらっしゃいませ。と挨拶をしてくれました。ニャーモさんの座席は32番の窓側でした。メールボトル19をバッグから出すと、窓の処の少しの段差のところに置きました 。

「こうしたら外がよく見えるでしょ。 飛び上がる時には私の膝の上 ね。」

 ニャーモさんが言いました。


メール ボトル19はずっと外を見ていました。 たくさんの荷物が運ばれてきてどんどんと 飛行機の中に入れられています。

「私たち あんな風にして飛行機の中に入れられたのだけど、 どこに入れられたのかしら?」

「 それはね この、お客さんたちが乗っているところの下なの。飛行機のおなかの部分 よ。この下になるんだよ。」

「あーそれで 上の方を人が歩いてるような音が聞こえてたんだね。 今よくわかった。」  キリエさんがそう言いました。

 さて 乗客がみんな乗ると飛行機が静かに動き出しました。 本当に静かに動き出しました。しばらくそのように動いているとアナウンスがありました。

「ただいまから離陸をいたします。 シートベルトをしっかりお締めになってください。」  そのアナウンスがあったとたんに飛行機はものすごい音を立てました。ゴゴゴゴーォ と風のような 嵐のような音です。 そして猛烈なスピードで走り出しました。 そのとたんにニャーモさんも膝の上に抱かれたメールボトル19も後ろに引っ張られるような、後ろに下がっていくような感じがして、そのうちに 飛行機はふわっと上がり 斜めになりました。 斜めになって後ろに引っ張られているのです。

「これだったんだ!あの時 こんな感じになった。すごく怖かったけど これは 飛行機がお空に浮き上がる時のことだったんだね。 本当に今はよくわかる。」

 キリエさんが興奮して言いました。そんな状態が続いていてそのうちに だんだんと飛行機はまっすぐになってきました。 まっすぐになってきたと思うとまるで動いていないかのように静かになりました。


 飛行機が静かになるとキャビンアテンダントさんたちが、 飲み物を持ってきてくれたりいろんなサービスを始めました。アテンダントさんたちは 丁寧に動いていますが それでも足音はします。

「あの足音はこうやってキャビンアテンダントさん達が歩いている音だったんだね 。乗ってみると何もかもが分かってくるね 。」

 ボトルさんは一回ちょこっと 傾きました。 はいと言っているのです。

 それからしばらく経つと夕食が運ばれました。 メール ボトル19はちょっと不思議な気がしました。 だって飛行機に乗ったのはお昼です。 それに乗ってからまだ1時間ちょっとぐらいしか経っていません。でも ディナーですと言ってお食事を運んできてくれるのです。

「なんで夕食なの?」

とキリエさんが聞きました。

「ううん。それ難しいことなんだけどね。この飛行機はお昼の1時にヘルシンキを出発しました。KIXには8時間で到着します。じゃあ、何時に着くの?」

「夜の9時。」

「だよね。でも違うの。朝の6時に着くの。」

メールボトル19はびっくりしました。なんで?なんで?

「地球は回ってるって知っているよね?」

ニャーモさんはお食事についてきたデザートのみかんを手に持ちました。

「これ地球だとするとね、こうやって左に向かって回っているの。それでね、この飛行機は右に向かって飛んでいるの。地球が回ってる方向と反対に向いて飛んでる訳。あっち向きとこっち向きにそれぞれ回っているから、飛行機のスピードはそのままでもまるで二倍のスピードで飛んでいるみたいに、時間が早く進んでしまうの。

 時差っていう時間差があってね。ヘルシンキと関西国際空港だと9時間の時差があって、向こうはヘルシンキより9時間早いの。だから8時間飛んで夜の9時に着くのじゃなくて朝の6時に着くのよ。」

あまりのややこしさにメールボトル19は大混乱しました。

「あまり考えなくていいのよ。難しいことだから。でもほら窓の外を見てごらん。もう真っ暗でしょ。夕食が済んだらみんな眠るのよ。」

ニャーモさんに促されて窓の外を見ると本当に真っ暗です。いつのまにか夕方なんかすっとばして夜になったようです。

「わからないけど、分かった。じゃあニャーモさんもお食事終わったら眠るのね。あのね、前にどんなものでも自分の時計を持ってるって言ったでしょ。私の時計・・・まだ眠くない時間なの。ニャーモさんの時計はどう?」

と手紙さんが聞きました。

「・・・全然眠くないわ。でもね、到着は朝の6時なのよ。飛行機の中で少しでも眠らなくちゃ、明日の夜までずっと眠ることができなくて辛いわ。だから無理矢理寝ちゃう。」 

 ニャーモさんはそう言ってブランケットをかけて目をつぶってしまいました。


キャビンアテンダントさんたちは夕食の片付けをし、そして機内の電気を消しました。どのお客さんもニャーモさんのようにブランケットをかけて眠り始めました。中には眠らないで映画を見ている人などもいましたが。

 メールボトル19は声に出さないで話しを始めました。

『時差ってよく分からないけど、でも今が昼間じゃなくて夜だってことは分かるわね。』

『私たちも眠った方がいいのかもしれないけど・・・前に疲れ果ててぐっすり眠っていたら突然飛行機がめちゃくちゃに揺れて、ボトルさん飛び上がってしまって。それからグーン、ストーンと落ちたのよね。だから眠るのなんだか怖い。』

『今日は大丈夫よ。あれはすごく天気が悪かったからでしょ。今日は乗ってすぐにパイロットさんからのアナウンスがあったじゃない。行き先までの天候は快晴です。って。』

『そうだね、あの時男の人たちが話していたものね。すごい悪天候でよく着陸できたなって。天気が良かったらあんなことはないんだよね。少し安心した。』

手紙さんとキリエさんはそんな話をしながら、やっぱり眠くならないのでずっと起きていました。飛行機は静かに飛んでいます。

 やはり眠れない人も多いのか、キャビンアテンダントさんにお願いして、飲み物や食べ物を持ってきてもらう人も結構いました。

 そんな時間を過ごしているうちに機内に灯りがともりました。そしてキャビンアテンダントさんがおしぼりをもってきて、それで顔を拭いて目を覚ますのでしょうか?そのあと朝食が運ばれてきました。

 ニャーモさんも目を覚まして朝食を食べ始めました。

「なんだか寝たような寝ていないような変な感じよ。あなたたちずっと起きていたのでしょ?」

と笑いながら。

食事の後片付けを終えたキャビンアテンダントさんにニャーモさんは聞きました。

「あとどのぐらいでKIXに到着しますか?」

「あと1時間ちょっとです。」

「そうですか。あのお聞きしたいことがあります。関西国際空港は何故KIAではなくて、KIXと表示されるのですか?」

 とても綺麗なキャビンアテンダントさんは、柔らかい笑顔を浮かべながら答えてくれました。

「三文字のアルファベットで表すものを空港コードと言います。(注:IATA表示。別に4文字で表すICAO表示がある)ヘルシンキはHELでしたでしょ。だいたいその空港のある場所にちなんだアルファベットを使います。日本では羽田はHND,成田はNRT,大阪伊丹はITM と言う具合に。それらの空港は結構古くからあった空港です。

 でも関西国際空港は比較的新しくて、KIAにしたかったと思うのですが、もうAのアルファベットが他で使われていたので、KIXになってしまったみたいです。何故Xを使ったのかは私にも分かりませんが・・・・空港がどんどん増えてアルファベットが足りなくて数字のところもあるのですよ。」

 ニャーモさんもメールボトル19も納得しました。お礼を言ってアテンダントさんに仕事に戻ってもらいました。

 それを聞いていた手紙さんは喜びでいっぱいになりました。ニャーモさんが『関西国際空港』と行った時、もしかしたら日本?と思ったのですが、文字ではなく言葉だったのではっきり分かりませんでした。今キャビンアテンダントさんが『日本では』と、言いました。この飛行機は間違いなく日本のどこかに到着するのだと分かったのです。


飛行機は着陸態勢にはいりました。以前と同じように前に引っ張られる感じです。ニャーモさんはシートベルトをしっかり締めてメールボトル19をきつく抱きました。前に落ちていくような感じがして とうとうドッカーンという大きな音と、たたき付けられたような感じがしてそれからしばらくガタガタと揺れて、そして静かになりました。

関西国際空港に到着です。


 「とうとう日本に着いたわね。ずっと内緒にして驚かそうと思っていたけど・・・あなたたち分かっちゃったみたいね。」

ニャーモさんは悪戯そうな笑い顔で言いました。

「うん、KIX問題でなんとなく分かってしまったの。ねえ、この空港でまた私たち『ロボット』したほうがいい?」

「ううん、降りるときは簡単なの。だから何もしないでバッグの中で静かにしていてくれたらいいわ。」

ニャーモさんの言葉通り、入国検査を受けて、飛行機のおなかの中に預けて置いた大きなトランクを受け取ったらもう、外に出てかまわなかったのです。とても簡単でした。


 「やっと日本の土を踏んだわ。これから高速艇に乗って徳島に向かうのよ。」

「・・・徳島・・・宮子さんの処へ行くのね。私すごく嬉しい。だって私は宮子さんのことほとんど知らないのだもの・・・・宮子さんが私を書いてすぐボトルさんに入れて、浜辺へ行って流したの・・一回ボトルさんがぐるっと回ってくれたとき遠くに宮子さんの姿があったわ。でももうとても小さくなっていて顔もはっきり分からなかった・・・

 一度も宮子さんとお話したこともなかった。今日、会えるのね。お話できるのね。聞きたいことや言いたいことがいっぱいあるの。」

 手紙さんはしみじみ言いました。キリエさんは

『手紙ねえちゃん、ちょっとかわいそうだな。私はスラバヤではサムハさんと毎日過ごしていっぱい楽しい思い出あるし・・・・・それに手紙ねえちゃんもいるし・・・うん、宮子さんにあって、そのままニャーモさんがフィンランドに帰るって言っても私我慢する。』

 言葉にはしませんでしたが、キリエさんなりにいっぱい考えていました。


関西国際空港は海の上に作られた空港です。だから周りは全部海。すぐ高速艇の乗り場がありました。

「あ、小さいね、この船。ニャーモさんと乗ったフェリーみたいに大きくないんだね。」 「あれは車やモーターサイクルなんかも乗せるし、一晩泊まるから寝室もいっぱいあって大きいのよ。高速艇は自動車なんかは乗せないの。でもすごく速く進む船なのよ。」

ニャーモさんの言葉通り動き出した高速艇はすごいスピードで進んで行き、船の後ろには大きな波ができています。

メールボトル19は景色をしばらく眺めていましたが、飛行機の中で全然眠らなかったのでそのうちすやすやと寝てしまいました。

 高速艇は徳島港に着きました。そこからバスに乗ります。ニャーモさんのバッグに入ったメールボトル19はまだぐっすり眠っています。ニャーモさんは起こさないでおこうと思いました。

 しばらくして目がさめたようでメールボトル19が話しかけてきました。

「高速艇で寝ちゃった。まだ高速艇かなって思ったけど揺れ方が波と違って目が覚めたの。これは何?たくさん人が乗っているね。大きな自動車。」

 「フィンランドにもあるけど乗ったことなかったわね。いつもピレンだものね。これはバス。停留所と言うのがあって、自分が降りたい停留所のところでブザーを押すと、運転手さんが停めておろしてくれるのよ。」

「そうなのね。私たちはいつ降りるの?」

「あと二つ。そこで降りますよ。」


 降りる停留所に着きました。バスから降りると海の匂いがしました。

 片側は海岸。反対側は少し登りの坂道になっっています。

「ええと・・・バス停を降りたところにある坂道を登って行って、一つ目の角を右に曲がったところに宮子さんのお家があるの。さあ、行きましょう。」

 その時手紙さんが言いました。

「ニャーモさん、ちょっと待って。ここ・・・・・・・・私とボトルさんが流されたところ。向こうに山みたいに海に突き出しているところが見えるでしょ。あれ、見覚えがあるわ。流れて行ってあの山みたいな処の横を通って広い海に出て行ったの。」

ボトルさんが、何回も何回も傾きました。

「ボトルさん、そんなに傾いて、違うの?ノーなの?」

「そうじゃないわ、キリエちゃん、ボトルさんは何度も何度も『はい』を繰り返しているのよ。そうだよ、そうだよって言いたいのよ。」

ボトルさんは今度は一回だけ傾きました。「はい」です。

手紙さんとボトルさんはとても懐かしいのだろうなぁと、ニャーモさんもキリエさんも思いました。ここからすべての旅が始まったのですもの。

「さ、行きましょう。宮子さんが待っているわ。」


 歩いて行くと 浜辺からそんなに遠くないところに宮子さんのお家がありました。古いけれど大きなお家です。 お家の前に『橘』 と書いた木片が貼り付けられていました。 「橘って書いてある。 宮子さんのお家だね。」


 ブザーを押すとすぐにドアが開いて宮子さんが現れました 。宮子さんは白髪 と 黒い髪の混じった灰色に見える髪の毛を後ろで結んで、白いブラウスに紺色のカーディガンを羽織り紺色に花模様のある長いスカートを履いていました。顔は優しくて にっこり笑ってメガネをかけていました。

 「本当に来てくださったのね!お電話を受け取った時からもう 待ち遠しくて!!嬉しいわ。さ お疲れでしょう。 早く入ってくださいな。」

 ニャーモさんはお家の中に入りました。 広いお家です。宮子さんはニャーモさんに抱きつくように嬉しさを表しました。

「ゆっくりくつろいでくださいね。 本当に夢みたい。遠いところ 来てくださってありがとう。 とてもとても楽しみにしていましたのよ。」

 大きなテーブルのところにもう用意してあったお菓子とお茶。

 ニャーモさんはバッグの中からメールボトル19を取り出しました。その中から手紙さんを取り出しました。 手紙さんを宮子さんの方に差し出しました。

「この手紙さんがボトルさんに入って、私のところにたどり着いてくれたのです。一番最初のお手紙でしたね。」

 宮子さんは手紙さんをじぃーっとと見つめました。 そして涙を浮かべました。

「私 これを書いた時のことをよく覚えています。 毎日がとてもつまらなくてとても寂しくて、何かワクワクするような楽しいことがないかしら? そういう風に考えたのです。それでメールボトルを流すことを思いつきました。

 あの時は本当に賭けみたいな気持ちだったのですよ。 だってちゃんとメール ボトルがどこかにたどり着くかなんて 誰にも分かりませんものね。 でもあなたが拾ってくれて、あなたとお友達になれて、私は毎日が楽しくてたまらなくなりました。 本当に嬉しいのです。 こんなおばあさんになってしまったけれども 新しい喜びがあるなんて思いもしませんでした。ありがとう。 感謝しています。」

 それから 手紙さんに言いました。

 「私の気まぐれであなたを書いて 海に流してごめんなさいね。 大変な旅をしてくれたのね。 でもあなたのおかげで 私はとっても幸せになりましたよ。本当にありがとう。」 

 手紙さんは言葉がありませんでした。 みやこさんに会って胸がいっぱいだったのです。 感激していました。

 ニャーモさんは聞きました。

「このボトルさんはとても強いですけど特別なボトル さんですか?」

 それはニャーモさんがずっと聞きたかったことでした。

「はい、特別なボトルです。

 亡くなった夫の大学の同期生が、夫とは違って理系の研究をされていたのです。 とっても強いペットボトルを作ろうと ずっと研究をしていて、このボトルは試作品なのです。

 日本の科学者たちだけでなく、イギリス、アメリカ、ドイツ、それからスウェーデンなどからも学者さんたちが集まって研究をなさっています。

 その試作品をお願いして私がいただきました。

 どんなボトル かと言うと普通のペットボトルよりずっとずっと分厚くて、高熱300度ぐらい、そんな熱でも耐えられるのです。溶けないのです。 それからマイナス60度ぐらいの寒さでも凍りついたり割れたりしないのです。 そしてだいたい1000kg ぐらいのものが上から落ちてきても割れないのです。この研究は今も続けられています。その方たちはまだまだ頑張っていらっしゃいます。

 何の為にそんな研究をされているかと言うとね、 日本は火山国で地震が多いのですよ。自然災害が多いのです。 地震が起こると家屋が潰れたり火事が出たり そういうことが多く発生してたくさんの方々が被害を受けます。 そんな時の為に このペットボトルに大切なものを入れておいたら、火事が起きても燃えにくいのです。上から屋根が落ちてきても割れることもありません。大切なものがちゃんと残るのです。火事の炎はもっと温度が高いですから、今はもっともっと高い温度にも耐えられるようにと 研究が続けられているのですよ。

 そんなペットボトルですから私はきっと大丈夫と思って手紙を入れました。」 

 ニャーモさんも 手紙 さんも キリエ さんも、そしてボトルさん自身も どうして あの海の中で耐えられたのかが この話 でやっと理解できました。やっぱりこのボトルさんは特別なボトルさんだったのでした。


「それってすごいプラスティックですね。ものすごく大きいのが作れるようになって、それでお家ができたなら、地震が来ても火事になっても安全ですね。そんなのができると良いですね。」

手紙さんが言いました。

「そうね、そんなものができたら良いわね。私が生きている間には無理だけど、ニャーモさんがおばあさんになった頃にはできているかもしれませんね。そんなものができたら間違いなくノーベル賞とれますね!それにしてもまあ、あなたはとっても賢いのね。」

 宮子さんがびっくりしました。

「手紙さんは、宮子さんやご主人の遺伝子を引き継いでいるのかもしれません。とても聡明でなんでも覚えが早くて。それに引き替え私が書いたキリエは、私に似て元気が取り柄。 そういえばおしゃべりキリエちゃん、ずっと黙ったままね?」

キリエさんは遠慮していたのです。ここは宮子さんのお家。手紙姉ちゃんがいっぱい宮子さんと話したいだろうと思って。

「・・・・初めまして。ニャーモさんが書いてくれたキリエ・・・です。フィンランド語でお手紙の意味です。」

 キリエさんは珍しく恥ずかしそうに言いました。

「あなたもとっても強くてよい子。あなたのインドネシアまでの旅のお話、ニャーモさんのお手紙で知らせてもらいましたよ。会えてとても嬉しいわ。」

宮子さんはキリエさんとボトルさんの旅の事をちゃんと知っていて、勇敢な元気な子だと思っていたのです。


 そんな風に話が弾んでいたとき、玄関のブザーが鳴りました。宮子さんが有名な料亭に夜のお食事を頼んでいたのです。

「さあ、お料理が来ましたよ。私は料理をしてお客様をもてなすのは昔から苦手で。お料理へたなのですよ。」

と言って宮子さんは笑いました。

 たくさんの料理がテーブルの上に並びました。その真ん中に置かれたのは『鯛の塩焼き』でした。


「わーー、鯛さんよ!鯛さん、本当に鯛さん。」

 手紙さんは驚いたような嬉しいような複雑な気持ちで叫びました。

宮子さんはそんな手紙さんを見てほほえみながら言いました。

「今日はニャーモさんとお会いできて、メールボトル19さんともお会いできて、特別な日、とっても幸せなお祝いの日ですから。鯛の塩焼きをお願いしました。さあ、ニャーモさんたくさん食べてくださいね。」

 手紙さんはあの時出会った鯛さんの言葉を思い出していました。

『私たちはとっても美味しいの、そしてお祝いの時には必ず食べられるの。それが私たちの自慢なのよ』

「日本ではお祝いごとがあったとき、鯛を食べるのですね。私の国には特別なお料理って無いような気がします。これは日本だけですか?」

 ニャーモさんが尋ねました。

 「おめでたい時に鯛を食べるのは多分日本ぐらいでしょうね。日本人は鯛が好きなのですよ。とても美味しいしなんと言っても見栄えがよろしいでしょ。」

 宮子さんはそう言ってにっこり笑いました。

ニャーモさんには鯛の見栄えがいいかどうか良く分かりませんでした。サケは丸ごと食卓に出されることはなくいつも切り身だし・・・・

 実際に会ってみるとお手紙の交換だけでは分からない、様々なことがあるのだなぁと思いました。

 ニャーモさんは日本のご馳走をたっぷり頂きました。大満足でした。

 「さあ、今夜は早くお休みくださいね。長旅と時差ぼけでほとんど眠っていないと思います。明日はちょっとしたサプライズがあるのでお楽しみにね!」

宮子さんは悪戯っぽい笑いを浮かべて言いました。

 ニャーモさんもメールボトル19も、本当にあっという間に寝付いてしまいました。


 翌日朝食が終わったあとで玄関のブザーがまた鳴りました。

「またご馳走かな?」

「キリエちゃんさっき朝ご飯が終わったばかりよ。ご馳走じゃないと思うわ。それに昨夜宮子さんが、明日サプライズがありますと言ったわよね。」

 そんな話をしていると外から宮子さんが大きな声でニャーモさんを呼びました。ニャーモさんはメールボトル19を抱えて外に出て行きました。

「あ、ああああああ!これって。」

 宮子さんが嬉しそうににこにこしています。

「これって、ホンダのアスペンケード!!!!!実物を見るのは初めてです。すごいモーターサイクル。わーー本当にすごいわ。でもこれ・・・?」

「夫のものでした。夫は大学に行って講義をしたり家で論文を書いたりの毎日でしたが、気晴らしと言うかリフレッシュですね。これに乗ってよくあちこち走っていたのです。夫が亡くなってから手放そうかと考えたのですが、それってなんだか寂しくてホンダのお店に相談したところ、お店で預かってくれてお店の人が時々乗って、メンテナンスも定期的にしてくださっているのです。」

「そうだったのですか。で??アスペンケードを持ってきてもらったのですね?私に見せてくれる為に!」

「ニャーモさん国際免許は持っていますね?今日はこれに乗ってあちこち走ってきてくださいな。」

「えっ!?わ、私が乗ってもいいのですか?」

「もちろんですよ!ニャーモさんがバイクが(日本では普段はあまりモーターサイクルとはいわず、ただバイクと言う)とってもお好きなのを聞きましたから、日本に来てくださるときがあったら、必ず乗ってもらおうと考えていました。点検も念入りにしていますし、きっと快適に走れると思いますよ。」

ニャーモさんはもう有頂天で、アスペンケードの周りを回ってあれこれ見ていました。そして、ちょっと着替えてきますとお家の中に入り、出てきた時にはライダースジャケット姿になっていました。

「かっこいいですね、とてもお似合い。今は桜の花が真っ盛り、山の方を見ると桜だらけですよ。どこでも好きなところを走ったらいいのですがひとつだけ。この坂を下りて左に曲がって海沿いを行くと右手に小高い山があります。そこを登っていってください。『渦潮展望台』があります。鳴門の渦潮が見られる場所です。それはそれは大きな渦で一番大きいのは直径30メートルもあるそうです。世界で一番大きな渦潮と言われています。

 渦潮は春に一番多く見られて、今はちょうどいい時。渦潮と桜、満喫してきてくださいね。さ、メールボトル19さんも一緒に行ってらっしゃい。」

 用意されたヘルメットと鍵を受け取って、ニャーモさんは少し考えたけれどメールボトル19を風防のところに置きました。

「え?こんなところ?怖いよ。落ちちゃう。飛ばされちゃう。」

「大丈夫、アスペンケードのカウル(風防のこと)はとても大きくてボトルさんに負けないぐらい丈夫。一番見晴らしのいいところよ。ニャーモさんを信じなさい!」

 ニャーモさんはエンジンをかけました。いい音。快適な走行ができるなと分かる音でした。

「じゃ、行ってきます!!」

「はい、うんと楽しんでいらっしゃい。」

 ニャーモさんと宮子さんのその姿は、母親が活発な娘を見送っているかのようでした。


走り出したニャーモさんは、うわーすごい!と大きな声を出しました。

「このアスペンケードって ものすごい。なんて素晴らしいモーターサイクルなんでしょ! まさか私 今年初めてのツーリングを アスペンケードで、しかもこの日本でするなんて考えたこともなかったわ。 お家で待っているピレンちゃん ごめんね。 帰ったらピレンちゃんと一緒にフィンランドでの初ツーリングしましょうね。それにしても何とすごいモーターサイクルかしら。」

 カウルの前で大人しくしていたメール ボトル19は、ここは確かに風も全然来ないし 揺れないし 見晴らしもいいし。 とってもいい場所だなと思っていました。 それにしてもニャーモさんが何でこんなに叫んでいるのかな? とちょっと聞いてみたくなりました。

「このモーターサイクルってそんなにすごいの?」

「すごいわ。私が 思った通りに動いてくれるの。 私がこうしたいと思ったらちゃんとそうしてくれるの。 だからとっても楽なのよ。 それに比べてね、私のピレンはピレンの方が私にこう動けって言ってくるの。 その通りしないとピレンは機嫌が悪いの。ピレンはとっても難しい モーターサイクルなのよ。でもこのアスペンケードってすごく素直、おとなしいわ。 本当にすごいモーターサイクル。」

「そんなにすごいモーターサイクルだったら、どうしてニャーモさんこれを買わなかったの?」

「買えないわよ。 ものすごく高いんだもの。 ニャーモの以前のお給料じゃ全然足りないわ。今のお給料だって難しいよ。私は以前は知り合いのおんぼろモーターサイクルを、すっごく安く譲ってもらってそれに乗っていたの。そしてお金をためてやっとピレンを買うことができたのよ。

 それにね 私はピレンが気に入っているの。ピレンのスタイルとこの子のスタイルって全然違うでしょ。 ピレンってほら狼みたいじゃない。そして後ろから見るとね、北欧の建物に見えたりするのよ! フィンランドにぴったりだと思うのよね。お隣の国のスウェーデンのハスクバーナーっていう会社が作ったの。 まあ今はハスクバーナーのモーターサイクル部門は、よその国に行っちゃってるけどね。

 やっぱり北欧の雰囲気っていうのかな。

 それにね ビット ピレンっていう名前はね、白い矢っていう意味なの。ビットは白 ピレンは矢よ。そしてね弟分がいてね。その子の名前はスヴァルトピレン って言うの。スヴァルトは 黒。ピレンは矢だから 白い矢と黒い矢なの。なんだかすごくいいでしょう。」

 メール ボトル19は 思いました。

『お隣の国ってすごく近いし、そこも白夜があって冬は暗くて オーロラの出る夜なのかしら。だとしたらビットピレン、スヴァルトピレンって白夜とオーロラの夜のことじゃないかな 』

 それをニャーモさんに言ってみると

「今まで考えたこともなかったけど、本当にそうかもしれないわね」

と言いました。


 そんな話をしながら気持ちよく走っていくと、右手に 小高い山が見えてきました。宮子さんが教えてくれた場所です。坂道をグーゥンと上がって行きました。 上がっていくとそこは広い展望台になっていました。ニャーモさんは見晴らしの柵のすぐそばにモーターサイクルを止め、しっかりと 鍵をかけチェーンロックもかけました。

「こんな大きなアスペンケードだから持ってっちゃう人なんかいないと思うけど。それでもね、大切なモーターサイクルですもの 何かあったら 大変 。」

 そう言ってアスペンケードを横目で見ながら海の方を見ました。もちろん手にはメールボトル19を抱いて。

「 すっごい 渦だわ。 本当にすごい。それに一つじゃないのね。 いくつもいくつもある。」

「あそこに船が見える。人が乗っているわ。あんなに渦の近くまで行って大丈夫なのかしら?」

「それは 遊覧船を動かしている人は慣れてるから、絶対危ないところには行かないわ。それにしても怖いわね。ニャーモは乗りたくないわ。」

「 手紙姉ちゃんとボトルさん、よく こんなところを通り過ぎたね。よく無事だったね。」

「 あんな大きな渦に巻き込まれたら、どんなに強いボトル さんだって壊れなくてもそこから抜け出すことはできなかったと思うわ。私たちが巻き込まれたのはもっともっと小さい渦だった。 ほら あっちの方を見て。小さい渦がいっぱいある。小さい渦はしばらくすると消えていくでしょ。あんな渦に巻き込まれたのよ。

 この大きな渦 だっていつかは消えるだろうけれども、でもいつまでたっても消えそうにないわね。 本当に今さら思うわこんな渦に巻き込まれなくてよかったって。ボトルさん 本当にありがとうね。」

 ボトルさんは何回も傾きました。きっと運が良かった、あれに巻き込まれなくて良かったと、あの時のことを思い出して身震いしているのでしょう。


渦を堪能してそれからまた走り出しました。 あっちの方に行ってみようと 山の方に向かいました。山々は桜でピンク色に染まっています。 緑色の山 じゃないのです。 どこもかしこも とても柔らかい淡い 綺麗なピンク色。 こんな景色を見たことがありませんでした。 ニャーモさんもメール ボトル19もうっとりしています。

「日本ってどこに行っても桜がこんなにあるのね。 私の国には 桜なんてないわ。春がこんな色になるなんて。春はまだ薄暗い感じで色がないのに 日本はピンク色になっていくのね。 なんて 柔らかくて綺麗な色なのでしょう。日本にぴったりの雰囲気の春だね。気持ちいいね。

 私、渦の模様の図案と桜の模様の図案を描くわ。オリエンタルな雰囲気で、きっといいものができあがると思うの。」

 そう言いながらどんどんと走っていきます。カーブの多い山道もアスペンケードにはなんてことないみたいで、ニャーモさんもすっかりアスペンケードに任せている感じです。どれぐらい走ったでしょう。

「さぁ、そろそろ帰ろうか。」

 ニャーモさんはそう言って引き返し始めました。 そして宮子さんの家に一番近いガソリンスタンドで停まり、アスペンケードにガソリンを満タンに入れました。宮子さんのお家にたどり着きました。

「ただいま帰りました。」

 宮子さんが玄関から出てきました。

「宮子さん 宮子さんウエスを貸してください。」

「ウエスって何かしら?」

 手紙 さんが言いました。

「雑巾のことです。」

「あ 雑巾ね。手足が汚れたのかしら。ちょっと待ってね。」

 宮子さんは 雑巾を持ってきてくれました。受け取ったニャーモさんはアスペンケードを きれいに綺麗に拭き始めました。

「あらニャーモさんそんなことしなくていいのに。」

「いいえいいえ。 ツーリングをした後はモーターサイクルは綺麗にしてあげないと、アスペンケード だって気持ち悪いと思いますよ。」

 ニャーモさんはアスペンケードをきちんとお掃除をしました。そして宮子さんにお礼を言って 鍵とヘルメットを返しました。

 「ご主人の大切な大切なモーターサイクルを貸してくださって 本当にありがとうございました。宮子さんの言われた通り渦と桜を満喫してきました。とっても素晴らしい ツーリングでしたよ。」

 宮子さんはニャーモさんが満足してくれたことがとても嬉しかったのです。

「明日はまたサプライズがありますよ 。明日のサプライズは今日のうちに伝えておきますね。」

 メール ボトル19もニャーモさんも、明日も サプライズがあるなんて 一体何なんだろうと思いました。


 「明日はモーターボートに乗って海をクルーズですよ。夫の教え子のお父さんで橋本さんと言う人のお船です。橋本さんは海が大好きで、お仕事を定年退職してその時にいただいた退職金を全部使って、とても豪華なモーターボートを買ったのです。もちろん奥さんは、そんなものにお金を全部使ってと怒って夫婦げんか。」

宮子さんは可笑しそうにケラケラと笑いました。

「奥さんと私も乗せてもらったことがありますが、そりゃ豪華な船内でした。ただ私たち二人とも船酔いで、『早く港につけて、帰りたい、気持ち悪い』と言い続けて、橋本さんはご機嫌ななめ。それ以来一回も乗せてもらっていません。橋本さんは一週間に三日は船の中で過ごしていてお家には帰らないのですよ。

 明日は朝ご飯のあとに橋本さんが車で迎えにきてくれます。あ、ニャーモさん船酔いしますか?」

「私は乗り物はなんでも大丈夫です。でも・・・毎日宮子さんがお留守番なんて申し訳ないです。」

「私は何かを計画するのが大好きなの。その計画を喜んで楽しんでもらえたらすごく嬉しいのです。」

『宮子さんは若いときはたくさん旅行の計画を立てて、元気にでかけていたのだろうなぁ・・・今は私たちと一緒に動き回る体力がないのかもしれない・・・だったら宮子さんが計画してくれたことを、ありがたく受け取って、あとでいっぱいお話してあげるのが一番いいのだろう』

 ニャーモさんは心の中でそう思いました。

その晩は宮子さんとニャーモさんは二人でたくさんのお話をして楽しみました。


  よく日、橋本さんが迎えに来ました。愉快で元気なおじさんでした。

「じゃあ、今日は海をいっぱい楽しんできてくださいね。」

と、宮子さんが見送ってくれました。

 モーターボートが停めてあるマリーナに着きました。

「はい、これは僕の自慢のモーターボートですよ。さあ、乗って乗って。」

 ニャーモさんはバッグにメールボトル19を入れて乗り込みました。

 !!!なんと。

「ここ・・・・ニャーモのお家より広いし豪華・・・す、すごい。」

 甲板から船内に入ると、そこは船の中とは思えないお部屋でした、絨毯が敷いてあってベッドがあり、大きなソファーにテーブル。壁には飾り棚があって、立派な花瓶に色とりどりの沢山の花が飾ってあります。小さなキッチンもあり冷蔵庫もあります。洗面所もシャワールームもあるのです。普通のお家の中と違うのは、どれもこれも床に固定して居たことです。大きく揺れても動いたり倒れたりしないように。

メールボトル19も『ここすごい・・・ほんとにニャーモさんのお家ぐらいはあるね』 とひそひそ声で話していました。

 そうそう・・・手紙のやりとりと同じように宮子さんは日本語、ニャーモさんはフィンランド語で話していて、それでも二人はちゃんと話ができているのです。けれどニャーモさんは他の人の日本語は全くわかりませんでした。とても不思議なことです。だから手紙さんやキリエさんがこっそり通訳をしていました。


橋本さんはボートを発進させました。

「今から太平洋に出て行きますよ。今日は天候もよくてあまり高い波もなく気持ちの良いクルーズ日より。ゆっくり楽しんでください。キャビンにあるものはなんでも使ってください。冷蔵庫には冷たい飲み物も入っていますから、ご自由にどうぞ。」

 橋本さんは親切に言ってくれました。ニャーモさんはメールボトル19を連れて甲板に出ました。海の景色はどこまでも青く広く限りないように見えました。もう岸からはよほど遠ざかったのか陸は小さく見えるだけで、何もない海の中に放り出されたような気持ちになりました。

 「あなたたちはこんな海を長い間漂ってきたのね・・・心細かったでしょうね。」

 ニャーモさんはしんみり言いました。メールボトル19の2回の旅はずっと海を漂うもの。早く早く、どこかの海岸にたどり着きたかっただろうなぁと思ったのです。

「うん、最初は怖かったり寂しかったりしたけどね。でもいろんなお魚さんたちが助けてくれたり、お話してくれたりして楽しかったよ。海は大好き。」

 キリエさんが元気に言いました。手紙さんも言葉を続けました。

「そう、海は、旅は、たくさんの事を教えてくれたのだもの。私もとても好き。」

 暫く行くと飛んでいるのか泳いで居るのか、鳥か魚か分からないものが群れていました。

「あれ、なんだろう?お魚さん鳥さん?」

 橋本さんは少し変な顔をして言いました。

「あなたは妙な声で話しますなぁ・・・言い方も子供みたいだ。」

 ニャーモさんはちょっと汗をかきました。

「私は日本語が上手に話せないし、緊張して子供みたいになってしまうんです。」

 手紙さんがうまくごまかして言いました。

「ああ、なるほどね。そうだよねえ、あなたは外国の人だものなぁ。」


橋本さんが納得してくれたようでニャーモさんはほっとしました。別にメールボトル19のことを秘密にするつもりは無いのですが、説明すると長くなるし、話す手紙だなんてすぐには信じてもらえないだろうし。

「いやいや失礼なことを言って、ごめんなさいね。」

人のいい橋本さんはわざわざ謝ってくれたので、ニャーモさんはまた少し汗をかきました。

「で、あれはトビウオと言う、魚だよ。鳥じゃ無い。羽があるように見えるが羽ではなくてひれの一部なんだよ。」

「すごく高く飛んでるし、ずっと飛んでる。すごいですね。」

「そうなんだ、驚くほど長く高く飛べる。このボートの10倍ぐらいの長さはゆうゆう飛べるんじゃないかな。」

「そんなに長く飛んでいられるなんて、びっくりです。でも海にいるのになんで飛ぶの?」

「海の中でトビウオを食べようとする魚に出会うと、食べられないように飛ぶんだ。」

「ああ、やっぱりどの魚も身を守る武器を持っているのですね。」

「ああ、そうだよ、良く知っていますね。」

「エイヤさんが教えてくれたの。」

「ああ、フィンランドの友達ですね。」

と橋本さんが言いました。まさかマダラトビエイのエイヤだとは言えないし、そうですと答えました。

 『エイヤ、フィンランド人になっちゃったわねえ』

手紙さんとキリエさんはそう言って笑いました。ボトルさんも可笑しかったのかぴょんと跳び上がりました。

 手紙さんとキリエさんが橋本さんと話している時は、どちらかが橋本さんの話した事をニャーモさんにフィンランド語で伝えます。だからニャーモさんも可笑しくなって大声で笑ってしまいました。突然ニャーモさんが大声で笑ったので橋本さんは

『外人さんはちょっと分からないことをするなぁ・・何が可笑しかったのだろう?』

と、心の中で思っていました。


お昼になってキャビンでお食事を頂きました。橋本さんは海での生活がとても慣れていて、素早く昼食の用意をしてくれたのです。

「さてと、もう少し進んでから旋回して戻りましょう。」

 橋本さんがそう言ったとき、とても可愛らしい大きな魚が海から少し顔を出したり、また潜ったりしているのが見えました。

「可愛いお魚、大きいけど優しそうな顔していて、可愛い。」

「あれはイルカ。何頭かで泳いで居るのをよく見かけるよ。イルカは魚じゃ無いんですよ。」

 メールボトル19はPHR07さんが自分は魚では無くて、人間の仲間だと言ったのを思い出しました。海の中には魚ではない生き物がいるようです。


「魚では無い生き物結構たくさんいますよ。あまり見かけることもないけど。クジラ、イルカ、アシカ、アザラシ、などなど。だいたいどれも優しい目つきをしていて可愛い生き物ですよ。」

橋本さんが教えてくれました。やはりくじらもその中に入っていました。。

イルカの群れが去って行ったあと・・・・少し離れた処に大きな大きな影が見えました。 「あれは!くじらさんじゃない?」

 手紙さんが言いました。

「そうだわ、くじらさんよ!」

 キリエさんもそう思いました。

「ねえ、キリエちゃん、交信を試してみない?ほらシロナガスクジラのおじいちゃんがしてくれたあの交信。」

「でもあれはくじらだけの交信方法なんでしょ。」

「私たち・・・・人間ともお魚たちとも話ができるちょっと変わった手紙でしょ。だったらくじらとの交信もできるんじゃないかしら?やってみましょうよ。思い出して!おじいちゃんくじらさんがどんな音?を出していたか思い出して。」

手紙さんとキリエさんは真剣に考えていました。

「こうだと思う。やってみよう。」

「ニャーモさん、私たちしばらくすることがあるの。だから橋本さんと簡単な英語でうまく話していてね。しばらく通訳できないから。」

 ニャーモさんはメールボトル19が何かを始めるのだと思って、分かった、と言いました。


『こちらメールボトル19,くじらさん応答願います。』

手紙さんとキリエさんは必死でそう繰り返しました。何度も何度も繰り返しました。

・・・・・・・・・・・・・

 泳いで居た大きなくじらさんは何か雑音のようなものを感じました。それが繰り返されているのです。なんだろうと思っていると横を泳いで居た子供のくじらが言いました。

「交信・・・・来てる・・みたい・・・よく聞いて。」

おとなのくじらさんは気持ちを集中させました。

 『こちら・・・・・・・・くじらさん・・・・・・・・・』

 確かに子供くじらの言う通り交信です。おとなくじらさんはもっと集中しました。

 『こちらメールボトル19,くじらさん応答願います。』

 今度ははっきり聞こえました。おとなくじらさんは息がとまるぐらいびっくりしました。 だって!!!!すぐに交信をかえしました。

 『こちらマッコウクジラPHR07、本当にメールボトル19なのか?』

返ってきた交信を受けて手紙さんもキリエさんもやっぱり非常に驚きました。まさか、あのPHR07さんとここで会えるなんて!

『PHR07さん!なのですね。私たち本物のメールボトル19です。おじいちゃんくじらさんの真似をして交信を試してみました。くじらさんとお話ができたらと考えたのですが・・まさかPHR07さんとまたお話ができるなんて思ってもいませんでした。』

『私だってこんなに驚いたことはないよ。君たちはいったいどこにいるのか?』

『モーターボートが見えるでしょ。その甲板にいます。』

『ああ、見える。今から少し近づいていく。』

 PHR07さんともう一頭の大きなくじらさんと小さなくじらさんがボートに近づいてきました。

「おやあlーーーー、くじらの親子だ、珍しいなぁ。」

と橋本さんが言いました。ニャーモさんはメールボトル19が必死なのが、このくじらさんと話がしたかったからだと分かりました。

 「イエス、ホエール、ホエールズ。プリーズ、ドント ヒット トゥ ホエールズ」

ニャーモさんはボートがくじらにぶつからないように橋本さんにお願いしました。橋本さんもそのことはちゃんと分かりました。

『見える。おお、ボトル君も元気そうだね。』

『こちらからもよく見えます。あの、一緒にいるくじらさんと小さなくじらさんは?』  『このくじらは私の奥さんでPHR68、それから小さなのは私たちの子供でPHRーXZ』 『PHR07さん、結婚したのですね!!!わーーおめでとうございます!』

 PHR07さんとの交信は手紙さんが受け持ちました。だってキリエさんはもう興奮しきって、話をさせると又混乱したような話し方になるからです。

『私は一頭だけで自由に生きているのが好きだった。北海、オランダの沖の方が私の居場所だった。ある日、シャチに狙われて傷を負ったこのくじらと出会い、シャチと戦ってなんとかこのくじらを助けることができた。しかし、傷は大きくてなかなか一頭だけで生きていくのは大変だった。それで餌など与えて回復するまでずっと一緒に居たんだよ。そのうちに気持ちが通じてお互いに好きになって結婚した。そして二年前に生まれたのがこの子だ。今日はこの子にあちこち見せたくて太平洋を南下してきていた。遠足だよ。』

 『そうだったのですか。奥さん今は元気ですか?』

 『うん、元気だ、しかし、泳ぎが少しうまくいかない。あの傷は非常に深かったからね。』

『でも可愛いお子さんも生まれて幸せそうで良かったです。』

 『ありがとう。それで君たちは?2番目の手紙さんは私と別れたあと、ちゃんと良い人に拾われたのだろうね?』

手紙さんはかいつまんでその後の事を話しました。そして何故今このボートに乗っているかも。

『そうか、私たちは出会える運命にあるのだな。まれなことだが嬉しいことだ。』

『そうそう、あのおじいちゃんくじらさんはどうしていますか?』

『御長老は三年前に天国に行った。だが・・悲しまなくていいよ。敵に傷つけられた訳でも無く。病気になった訳でも無い。とても静かに眠ったのだからね。

 たくさんのくじらが集まって、御長老を海の深い処にある岩場に運んで、大きな岩の下で眠ってもらった。そこなら誰にも邪魔されることもなく眠れるからね。』

『・・・・・・はい・・・・・・』


 手紙さんもキリエさんも泣きそうになるのをじっと我慢しました。その時キリエさんがニャーモさんに言いました。

「ニャーモさん、橋本おじちゃんにお願いして花瓶のお花全部もらって!」

ニャーモさんは言われた通り橋本さんにお花をくださいと言いました。

「ニャーモさん、そのお花の半分を海に投げ込んで!」

ニャーモさんがお花を海に投げ込むと花々がぱーっと散っていきました。

 『今、投げたお花はシロナガスクジラのおじいちゃんに!!!!』

 キリエさんは泣き声でそう言いました。

『メールボトル19の気持ち、確かに受け取った』

「ニャーモさん、残りのお花を投げ込んで。」

 海は花模様になりました。

『今投げ入れたお花は、PHR07さんとPHR68さんとPHRーXZさんへのお祝いのお花』

『ありがとう。君たちの気持ちとても嬉しい。花々の海、けっして忘れないよ。

 私たちはオランダの沖にいる。ニャーモさんにオランダに連れてきてもらって、観光船に乗れば私たちはまた会える。又会おう、何度も会える。また会おう。』

『はい!必ず。又会いましょう。それまでお元気で。又会いましょう!』

 手紙さんとキリエさんは声を合わせて交信をしました。

マッコウクジラPHR07さんはいつものように高く潮を噴き上げました。奥さんのPHR68さんも同じように。そして小さなこどもくじらさんも、お父さんお母さんの真似をして潮を噴き上げました。それはほんのちょこっとでしたが、とても可愛らしいものでした。


思いがけない出会いでした。メールボトル19は嬉しさでいっぱいでした。今日、宮子さんがこのクルーズをプレゼントしてくれたことに感謝しました。

 橋本さんは舵をきって陸に向かいました。マリーナに着くときちんとモーターボートを係留して、宮子さんのお家まで送ってくれました。

 ニャーモさんは、お花を全部もらってしまったので、代金を支払いますと言いましたが、橋本さんは、そんなものはいらないよ、何か分からなかったけどくじらの親子と海の中に咲いたような花がとても綺麗だった、と言いました。


お家に入ってからは、もう誰にもとめられないぐらいキリエさんが話し始めました。橋本おじさんのボートに乗ってからのことを、全部全部お話しました。宮子さんは楽しそうにその話を聞き、時に大声で笑い、良いクルーズになったのだと大喜びしました。

「手紙姉ちゃんごめんなさい。宮子さんにお話したかったよね。」

「いいのよ、キリエちゃんはずっと黙って我慢していたものね。それに今のお話はなかなか上手だったよ。」

話はいつまでも尽きませんでしたが、そろそろ休まなくてはなりません。明日は宮子さんにさよならして、関西国際空港に行かなくてはならないのです。


「明日は何時に空港に着けばいいいのかしら?」

宮子さんが聞きました。

「はい、7時に着くように行きます。だから夕方5時ぐらいの高速艇に乗ります。」

「分かりました。じゃあ、4時前に橋本さんに来てもらいましょう。徳島港まで車で送ってと頼んであります。

 その時間まではまだ一緒に居られますね。」

 宮子さんは何もかも手配してくれていました。


 キリエさんがそっとニャーモさんに言いました。

「あのね・・・・・・・手紙姉ちゃんをここに置いていかなくていいの?宮子さん話し相手がいなくなって寂しいよね。」

ニャーモさんはキリエさんの優しさが嬉しく、それでもキリエさん自身の寂しさも感じました。

「そのこと、昨夜宮子さんに聞いてみたのよ。そうしたらね、メールボトル19はみんな一緒にいなくてはだめですよ。あんなに仲良しの手紙さんとキリエさんとボトルさんを、ばらばらにしてはいけないわ。私は寂しくありませんよ。いつでもお手紙でいっぱいお話ができますもの。って・・・・・・そう言ってくれたのよ。だから、手紙さんをここへは置いていかないわよ。」

それを聞いてキリエさんはほっとした様子でした。キリエさんはここで大好きな手紙姉ちゃんとお別れになることも覚悟していたのでした。


今日で宮子さんと一緒にいられるのも最後。

「今日は私が今度住む施設を一緒に見てくださいね。ここから歩いて行けます。とても近いのよ。」

宮子さんが住むところ、是非見たいとみんなで歩いて行きました。海辺に面した処に薄い水色の5階建ての建物がありました。シンプルな建物ですが上品でした。宮子さんについて玄関を入ると、そこはまるでホテルのロビーのように広々として、ふかふかのソファーがあちこちに配置され小さなテーブルもありました。そこで飲み物を飲みながらお話をしているお年寄りも何人もいました。フロントのような場所にコンシェルジュと呼ばれる案内の女性が二人いて、にこやかな笑みを浮かべていました。全くホテルです。

 「ここがメインのホールです。あちらには図書室や運動をするお部屋があります。そしてあちらが食堂。」

食堂に入ると宮子さんのお手紙にあったように、まさに高級なレストランのようでした。テーブルには深い緑と薄いクリーム色のテーブルクロスがかけられていて、真ん中にガラスの花瓶、そこにお花が飾られていました。

「毎日、3つのメニューで夕食を作ってくれます。前の日にどれが食べたいか記入する紙が配られるので、食べたいものに丸をつけるの。食べなくてもいいのでその時はメニューに×印をつけておくのです。」

「一階はこれだけ。エスカレーターと車いすの人でも大丈夫な大きなエレベーターがありますよ。」

みんなで二階にあがっていきました。

「ここは大きなお風呂と、リハビリの方の練習のお部屋があるの。そしてお泊まりする看護士さんと介護士さんたちのお部屋があります。それから一番大事な医務室があります。

 体調が悪くなったらそこでお医者様に診察してもらえます。この建物の後ろ側、山側の方に総合病院があって、そこからお医者様がきてくれるのです。重症の時はすぐその病院に入院できるようになっています。

 そのことがこれからどんどん年を取っていく私には一番安心なのです。」

 二階の施設もとても充実しているようでした。

 そして三階に上がりました。

「ここから上はここに住む人達のお部屋です。四人部屋と二人部屋と一人部屋があります。ご夫婦で二人部屋に入っている人達多いのですよ。私はこの三階の一人部屋です。」

宮子さんはすでに自分の部屋の鍵を持っていて案内してくれました。海側の見晴らしのいいお部屋です。なかなか広く、濃い紺色の絨毯が敷かれていてベッドが置いてありました。

 小さいけれどキッチンもあるし、冷蔵庫もありました。壁側には大きなクローゼットが取り付けられていました。エアコンディショナーも設置されていました。

「ここへは夫の机と椅子、それから食事に使ったテーブルと椅子、私のお気に入りのソファ。本棚と私に必要な本。あとは電気製品を持って来ます。あ、それと少しの台所用品と衣類などね。」

宮子さんはニャーモさんの手からメールボトル19を受け取ってベランダに出ました。

「見晴らしいいでしょ。海がすぐそこ。でもほらここの柵、1メートル60センチもあるのよ!間違ってベランダから落ちたりしないように高くなっているの。でも高すぎてちょっと外が見えにくいわね。

 今ここには座るものがないから、一階に行って少しお話しましょうね。」

と宮子さんが言いました。宮子さんのお部屋を出てみんなで一階まで戻りました。

「そうそうレストランは3時まで簡単なランチとか、ケーキや飲み物をお願いできるのよ、行きましょうか?」

 宮子さんがそう尋ねてくれましたが、ニャーモさんはなんだか胸がいっぱいで、今は何も食べる気にならなかったので丁寧に断りました。それでロビーのソファに座って話しを始めました。

「私が・・・さみしがるって心配してくれているのでしょ。でも本当に大丈夫なのですよ。あの広い家に一人で住んでいるより、ここだとたくさんの人と毎日会えます。お友達もできるでしょうし、橋本さんご夫妻も遊びにきてくれます。

 私はとても恵まれているの。こんな立派ななんでも揃った施設に入れる人ってたくさんはいません。とても贅沢なことなのです。夫が一生懸命働いて私にお金を残してくれたからできることなの。退職金で豪華なモーターボートなど買いませんでしたしね。」

 宮子さんは悪戯っぽく笑いました。

「夫の一番の、たった一つの贅沢はアスペンケードですね。それだけ。

 あの家も大学の教授の方が良いお値段で買い取ってくれました。だから夫の膨大な書物は全部差し上げますの。

 私は恵まれすぎているぐらい恵まれた人生を送ってきました。だから・・私の命が消える前に世の中にほんの小さなことでもいいから、何かお返しがしたいと思っています。今はどんな形でお返しできるかまだ何も考えつきませんが。」

「宮子さん、宮子さんならきっと何か素晴らしいことを思いついて、世の中にお返し、必ずできますよ。」

ニャーモさんは宮子さんの手を握りしめて力強く言いました。

 メールボトル19も、きっと必ずできると思いました。


 お家に帰って宮子さんは手早くおにぎりを作ってくれました。ニャーモさんはそれをありがたく頂いたあと

「そろそろ出発の荷物をまとめます。」

と言って準備に取りかかりました。ずっと宮子さんのそばに居てあげたい。でもそれはできません。ニャーモさんにも生活があり、この旅が終わったら又頑張ってンケラドの仕事をしなくてはなりません。

 「ニャーモさん、ちょと私を宮子さんに渡してください。」

 手紙さんが言いました。ニャーモさんは手紙さんを宮子さんに渡しました。

「宮子さん、お願いがあります。宮子さんが私を書いてくれた処に私を置いてください。」  宮子さんはそっと手紙さんを胸にあてて、夫の書斎に入りました。夫がいつも使っていた机の上に手紙さんを置きました。

「ここであなたを書いたのですよ。このペンで・・・・もう7年も前になるのねえ・・こんな風にあなたと話せて、ニャーモさんとお友達になれて、会いにきてくれるなんて、あなたを書いた時には想像もしませんでしたよ。」

「私も宮子さんに会える日が来るとは思いませんでした。ニャーモさんはみんなの気持ちがすごく分かる人なのです。だから、私が宮子さんに一度でもいいから会いたいと思っていたこと叶えてくれました。キリエちゃんはサムハさんに会いたいの。だからこれからインドネシアに行くのです。」

「あなたは本当に良い人に拾ってもらえたわね。」

「宮子さん、ありがとう。私を書いてくれてありがとう。ボトルさんと海に流してくれてありがとう。」

 手紙さんはずっと言いたかったお礼を言いました。

 宮子さんはにっこりほほえんで

「私こそ、ありがとう。さあ、あなたも旅の準備をしなくちゃね。」

と言って手紙さんをキリエさんが待っているボトルさんの中に入れました。


 時間です。橋本さんが車で迎えに来てくれました。

「宮子さん、楽しい時間をありがとうございました。お元気で。」

「こちらこそ、とっても楽しかったですよ。お手紙たくさん書きますね。最初は新しい住所から書きますね。メールボトル19さん、来てくれてありがとう。」

寂しい涙はありません。笑顔で手を振ってニャーモさんたちは出発しました。

 徳島港に着いて橋本さんにも、素晴らしかったクルーズのお礼を言いました。その時突然メールボトル19が声を揃えて言いました。

「橋本おじちゃん、ありがとう!一番楽しかったです。私たちニャーモさんが作ったお話できるロボットです!びっくりした?」

橋本さんはめちゃくちゃ驚いて、目をまん丸にしてニャーモさんの顔を見ました。ニャーモさんは可笑しそうに笑ってうなずきました。

 橋本さんとお別れして、高速艇に乗って関西国際空港に向かいました。


::::::::::::::::::::::::::


 後日宮子さんは新しい居場所にお引っ越ししました。橋本さん夫婦も手伝ってくれました。やっと一段落して、お洋服をかたづけようとクローゼットを開けると、綺麗な包み紙に赤いリボンがかかったプレゼントが置かれていました。その上に木でできたトントゥがちょこんと乗っていました。ニャーモさんが!と宮子さんは思いました。

 宮子さんが包みを開けると、12ヶ月の誕生石の色の、石畳のような模様のロングジャケットが出てきました。羽織ってみるとぴったりです。お手紙がありました。

 『お母さんのような宮子さんへ

 私が作りました。宮子さんに着てもらいたくて。長いからパジャマの上に羽織ってお部屋から外にも出られますよ。少し寒いときに着てくださいね。

 お手紙書きます。元気で居てください。また会いに来ます。

                           フィンランドの娘ニャーモ』  宮子さんはベランダに出ました。海を眺めながらつぶやきました。

 「素敵なお友達、ね、この柵、高すぎますよね。私何があっても絶対飛び降りたりしないのに。この柵の高さだけが唯一の不満だわ。他には何の不満もない良い人生。」


:::::::::::::::::::::::::


 ニャーモさんとメールボトル19は関西国際空港に着きました。広い、間抜けなほど広い空港です。かなりの数の旅行客がいるにもかかわらず、混雑している感じがしません。チケットを受け取ってトランクを預けて、さあ、保安検査所です。

「ねえ、乗るときはロボットするのよね?」

「そう、乗るときは絶対ペットボトルはだめだからロボットよろしくね。」

メールボトル19は保安所の係員の前でロボットになりました。ボトルさんは前よりたくさん動きを覚えたので本当にロボットみたいです。係員さんは納得してすんなり通してくれました。ニャーモさんも今度は落ち着いていてニコッと笑って通り過ぎました。

「良かったね、簡単だったね。次はまた出国審査。ここは静かにね。」

出国審査もすんなり通り、ずらっと並んでいる搭乗口の処にきました。

 関西国際空港は片側だけの搭乗口でずぅーと長く続いています。その全面が全部ガラス窓になっていてとても明るく広々しています。窓からはあちこちの国の飛行機が見えます。それぞれ機体に書かれているマークも違い、飛行機の色も違って見ていて飽きません。

「えっと。・・・28番ゲートよ、あっちだね。」


 出発のゲートに着きました。手紙さんとキリエさんはまた電光掲示板を見ています。

「出発KIXで目的地DPS だって・・・そこってどこかしら?」

「アフリカのどこかの都市。」

「キリエちゃんたらまたそんな事言って。今度はサムハさんに会いにいくのだからアフリカなはず無いでしょ。インドネシアのどこかの都市よ。ヘルシンキに帰る訳でもないわ、HELって書いていないし。」

メールボトル19は空港コードによほど興味を持ったようです。

「サムハさんのところなら、スラバヤだから・・・えっと、SRBとかになるよね。」

「でもアテンダントさんが言っていたじゃない。新しい空港はアルファベットが足りなくて違うのつけるって。」

「だけど、DPSだったら最後のSしかないよ・・・これどこ?ニャーモさん教えて。」  「あのね、デンパサール国際空港って言うところよ。」

「私、スラバヤに居たときもそんなお名前聞いたことがなかったよ。ニャーモさん私たちどこに行くの?」

キリエさんは少し心配そうです。手紙さんもボトルさんもやっぱり少し心配でした。

「仕方が無いわね・・・内緒にして驚かそうと思っていたのに。ほら宮子さんだって、『明日はサプライズがありますよ』って言ってたしね。」

ニャーモさんはそう言って、困った子達と笑いながら種明かしをしてくれました。それを聞いてメールボトル19はそれこそ飛び上がって喜びました。

「ボトルさん、ボトルさん、私たちが行き着けなかったバリ島に行くのよ。わーーー、どんなに素敵なところなのかなぁ。わーー楽しみ楽しみ。」

「うん、あなたたちの目的地だったバリ島。ほらアミメオトメエイさんがすごくいい処よと教えてくれたのでしょ。アミメオトメエイさんてとっても物知りだから、きっとやっぱりバリ島はいい処なのよ。それでね、サムハさんの処に行く前にバリ島によって一泊して、それからスラバヤに行こうと計画したのよ。」

メールボトル19はニャーモさんが考えてくれたことが、すごく嬉しかったのです。バリ島ってどんなところだろう?わくわくしてきました。

「じゃバリ島のDPSって言う都市に行くのね。」

「ニャーモもよく知らないけどバリ島の中の空港はこのDPS,デンパサールと言うところしか無いのよ。」

「うん、分かる。あの辺りは小さい島ばっかりだったから、空港が一つでもおかしくないよ。」

とキリエさんが言いました。手紙さんが聞きました。

 「そこまで何時間かかるの?この飛行機は10時に出発するでしょ。時差はどのぐらい?夜に着くの?朝に着くの?」

「今みかんもリンゴも、丸いもの何もないからボトルさんで説明するわね。」

ニャーモさんはそう言ってボトルさんを手に取り指でなぞって教えました。

「ヘルシンキからKIXへはこういう風に東に向かって飛んだの。それで9時間の時差があったのね。でもここからバリ島へはこんなふうに、北から南へまっすぐ飛ぶの。ほとんど時差がないのよ。7時間かかるから、夜の10時に出発して到着はそのまま夜を過ごして朝の5時に着くのよ。」(注、実際には1時間の時差があります)

「時差って難しいけど面白いものね。でも今回はそのまま夜だし、普通に眠くなる時間だね。良かったね。」

手紙さんとキリエさんが声を揃えていいました。

 そんな話をしているうちに搭乗のアナウンスが始まりました。トンネルのようなボーディングブリッジを通って、飛行機の中に乗り込むと、足首までの長いドレスを着たアテンダントさんたちが出迎えてくれました。ニャーモさんは自分の席に座り、物珍しそうにアテンダントさん達の衣装を見ていました。

「私はあんなドレス、スラバヤの町のお店で見たことがあるよ、でもスラバヤの町でも着てるひとはいなかったみたい。あれは何だろうね?綺麗だね。」

「そうか、キリエちゃんは見たことがあるのね。あれは民族衣装って言うの。その国ごとに昔からの独特の衣装があるの。この飛行機はガタール・インドネシア航空って言う飛行機だから、インドネシアの民族衣装を着てお客さんたちをおもてなしするのね。」

手紙さんとキリエさんは同体ですから2人の記憶、体験は共有しています。けれど、見えてはいないので、人の顔、売っているドレスの形や柄などは共有できないのです。キリエさんが『サムハさんはとっても綺麗』と感じることを手紙さんも感じるだけで顔つきなどはわかりません。民族衣装も手紙さんはキャビンアテンダントさんの着ているものを見て、初めて、ああ、こういう色、柄、形なのねと分かったのです。

 「民族衣装ってどこの国にもあるの?普段は着ないの?」

「どこの国にもあると思うよ。昔はみんな普段でも着ていたはず。でも今は洋服が簡単で着やすいからみんな洋服だね。宮子さんが日本の民族衣装の着物を見せてくれたのよ。そりゃ立派なもので、模様がすごいの。私5枚ぐらいスケッチさせてもらったの。真似をするんじゃなくて、その模様を元にしてニャーモ風な図案を描こうと思って。

 宮子さんも普段は着ないって言っていたよ。何か特別の行事があるときぐらいしか着ないって。だからスラバヤの町で売っていても、それは特別な時の為に買う人がいるからだと思うよ。」

「フィンランドにも民族衣装ある?」

「あるわよ、結婚式に着たり、お祭りの時に着てみんなで踊ったりするわ。フィンランドの民族衣装はとーーーっても可愛いの。」

「ニャーモさんも持ってる?着る?」

「ううん、私は持ってないし、着ないよ。」

メールボトル19は

 『そんなに可愛いのだったらニャーモさんには似合わないだろうね。だから着ないんだね。ニャーモさんに一番似合うのは、なんと言ってもライダースジャケットだものね。あれはかっこいいよね!』

と、こっそり話していました。

「ニャーモさん、民族衣装のことは分かったわ。でも民族って何?」

「またまた、難しい質問してきて、困ったなぁ・・・どう説明したらいいのかな?

 あ、そうそうニャーモのお家のお隣さんもそのお隣も、反対側のお隣もわんちゃんを飼っているでしょ。お隣はシベリアンハスキー、そのお隣はラプラドールレトリバー、反対のお隣はダックスフント。どのわんちゃんも、犬、だけど、顔つきとか毛の色とか体の形とかみんな違うでしょ。犬の種類が違うの。

 それと同じで人間も、みんな人間だけど国とか地域とかで違ってくるの。ええと・・・ニャーモは北欧の民族で、肌の色はとても白くて目は青くて、鼻は三角形みたいにとがっていて。髪の色はあなたたちの言うトウモロコシの毛みたいな色で。

 宮子さんは違ったでしょ。日本民族。髪は元は黒かったけど今は年を取って白髪がまざっていたけどね。目は黒くて肌の色はニャーモより少し黄色っぽいかな?鼻は丸い感じ。ほら、橋本おじさんもおなじような感じだったでしょ。

 インドネシアになると東南アジア系民族になって、肌の色は暑い地方だから日焼けで小麦色、目は黒いと思う。鼻は大きくて横に広がっているかな。そんな風にみんな違うの。それが民族。ニャーモ、すごく簡単に説明したからね。本当はもっともっと複雑なのだけど、これぐらいで良いでしょう。」

 黙って聞いていたキリエさんが

「サムハさんはお姫様みたいに綺麗だったよ。」

と、強い口調で言いました。

「ううん、ニャーモの説明悪かったかな。インドネシアの人が綺麗じゃ無いって言ったのじゃないのよ。ほら、ここにいるキャビンアテンダントさんたち、みんな綺麗で可愛いもの。ね、キリエさん。」

キリエさんは黙ってしまいました。手紙さんとキリエさんは同体だから、手紙さんにはキリエさんが考えていることが伝わってきます。

『違う・・・・違うんだってば・・・・サムハさんは違うのだもの・・・・』

 キリエさんはしきりにそう思っています。そしてボトルさんもじっと何か考え、二回傾きました。『いいえ』と言っているのです。。手紙さんにはどういうことなのか分かりませんでした。それでも何かキリエちゃん達は感じることがあるのだろうと思いました。


飛行機はまた斜めに飛び上がり、後ろに引っ張られる感じがしばらく続きましたが、もうみんな慣れてしまってびっくりしたりしませんでした。ただニャーモさんはしっかりとメールボトル19を抱きしめていました。

 夕食が運ばれて食事がすむと機内の灯りが消えました。ニャーモさんもメールボトル19も、今回はもう夜遅いのですぐに眠ることができました。


 朝になったようで機内に灯りがともり朝ご飯のサービスが始まりました。もうすぐ到着です。

 飛行機は無事にデンパサール空港に到着しました。空港の中はインドネシアの雰囲気いっぱいに飾り付けられています。いかにも南の国に来た感じがします。

「すごいね、ここだけでもインドネシアに来たって感じがするわね。それに比べるとあの関西国際空港は全然日本に来たって感じしなかったねえ・・・割と味気ない空港だったわね。あなたたち連れて行ってあげたことないけど、ラップランドのロバニエミ空港だって、童話の世界みたいな感じのする空港よ。どこもその国らしい空港にしたらいいのにね。

 さあ、ホテルに向かいましょうね。」

 ニャーモさんは初めての南国でとてもはしゃいでいるみたいでした。でも・・・空港の建物から一歩外に出たとたんに

「ぎゃーーーーーー、この暑さなに???暑い。ぎゃーーめちゃくちゃ暑い。たまらないわ。」

とわめき散らしました。確かに北国のニャーモさんには耐えられない暑さでしょう。

しかしタクシー乗り場に急いでいるとき、とんでもない事が起こったのです。天が抜けてしまったかのような激しい雨が降ってきました。それはバケツの水をどっとかけられたようなものすごい勢いでした。ニャーモさんは慌てて屋根のある処に走りました。

 熱帯地方には四季はありません。雨期と乾期があり、北半球で春、にあたる今はちょうど雨期なのです。スコールと呼ばれる強烈な雨が容赦なく降ってきます。

「とんでもない雨だわ。でもみんな平気な顔をして歩いているわ・・・・・・・慣れているのね。でもこの雨いつまで降り続くのかしら?」

 メールボトル19はケロッとしていました。キリエさんとボトルさんがスラバヤに居たときも雨期でした。だからこんな雨が降ることは体験していました。

「大丈夫、少ししたら止むから。ずっと一日中降り続いているんじゃないから。」

とキリエさんが言いました。ボトルさんも一回傾きました。

 その言葉通り暫くすると嘘のように雨はあがり、太陽がさんさんと辺りを照らし始めました。スコールの激しさには参ってしまったニャーモさんでしたが、そのおかげでかなり涼しくなりました。そして建物も木々も雨に洗われて、しっとりとても綺麗に見えたのです。

 木々の緑は色深くなり美しさを増しました。空気も柔らかくなったような感じがして、何か優しいものに包まれているかのように変化したのです。

 やっと落ち着いたニャーモさんは、今度こそとタクシー乗り場に向かいました。


 ニャーモさんがインターネットで適当に選んだホテルは、お部屋ごとがコテージになっていてとても居心地が良さそうでした。お部屋に入るとエアコンも効いていて涼しく、ニャーモさんはほっとしたようでした。

 朝が早かったので少し眠りましょうと、籐のベッドに横になってニャーモさんはすやすやと眠りました。2時間ほど眠って目を覚ますと、ホテルの係の人が昼食を運んできてくれました。ナシゴレンと呼ばれる食べ物とココナツジュースです。トロピカルな料理です。ニャーモさんは美味しいと気に入ったようでした。

 「さあ、眠ったしおなかもいっぱいになったし、暑いけれど少し外を歩こうか。」

ニャーモさんはメールボトル19を連れて外に出ました。ホテルのすぐ前がもう海です。「なんて綺麗な海!なんて色でしょう。フィンランドの海なんて灰色がかってちっとも綺麗じゃ無いのに。ここの景色は素晴らしいわね。確かにバリ島って素敵な処。この暑さと、とんでもない雨がなかったらね。」

「海の色は白夜にオーロラがでたような色だと思わない?」

キリエさんが言いました。

「確かにそんな感じね。スラバヤの海より綺麗?」

「ううん、同じ。スラバヤの海もこんな色だったもの。この辺りの海は全部こんな色なんだと思う。アミメオトメエイさんが言っていたように急に海の色が変わるの。私たちが間違えて東シナ海の方に漂ってしまったけど、そこはこんな海の色じゃ無かったもの。」

 暑いけれど風が吹くと気持ちが良く、体も心ものびのびしてくるようでした。

「とろけそうだわ・・・あ、そうだ!泳ごう。ちゃんと水着を持って来たのよ。着替えに行こう。」

「ニャーモさん泳げるの?」

「うん、あまり上手じゃ無いわ。フィンランドの夏は知っての通り短くてそれに涼しいでしょ。だから海で泳ぐなんて一年に一回あるかどうか・・・でも一応泳げる。」

ニャーモさんは水着に着替えました。

「私たちも海に入りたい。」

 メールボトル19が声を揃えて言いました。ボトルさんも強く一回傾きました。

「手紙姉ちゃんは7年、私は6年海に入っていないのだもの・・・海で久しぶりに漂ってみたいわ。」

「でも、ニャーモはあなたたちを持っては泳げないわ。自分一人で泳ぐのが精一杯だもの。」

ニャーモさんはそう言いましたが、メールボトル19も一緒に海に入れてあげたいなぁと思いました。バッグの中に何かを探していましたが、見つけたらしく

「これ。このひもでニャーモの手首とボトルさんの首の処を結びつけましょう。そうしたら一緒に泳げるわ。ボトルさんの珊瑚のペンダントは海でなくしたらいけないから、バッグの中に入れておきましょうね。」

ニャーモさんの考えにメールボトル19は大喜びしました。海に入れるんだ!!


ニャーモさんと一緒に海の中に入っていきました。ニャーモさんは平泳ぎで泳いで居ます。その手首に結んだ紐の長さだけ離れてメールボトル19は海を漂いました。

「わーー気持ちいいね。私たちこんな風に漂っていたのよね。ここの海は冷たくなくて、でも暑くないし快適だね。」

 手紙さんとキリエさんはそんな話をしてご機嫌でした。ボトルさんも気持ち良さそうにして、軽く一回傾きました。

「本当に気持ちがいいわね。フィンランドの海で泳いだら夏でも水が冷たくて、海から出たらたき火で暖まらないといけないぐらい。こんなに気持ちがいい海は初めてだわ。」 

 ニャーモさんもご機嫌です。

 この後何が起こるかなんて誰も考えもしませんでした。


 楽しく泳いでいると突然、何かにひっかかってニャーモさんの腕とボトルさんの首に結ばれていた紐が、真ん中から切れてしまったのです!

「あああっ!大変、ボトルさん、こっちに、ニャーモの方に流れて!」

 ニャーモさんは大きな声でそう叫ぶと、自分もボトルさんをつかまえようと必死で泳ぎました。けれど、ボトルさんは波に流されてどんどん沖に向かって流れていきます。

「ニャーモさぁん!ニャーモさぁん!!助けて!!」

手紙さんとキリエさんが必死に叫んでいます。ニャーモさんも力の限り泳いでいますが、海流の早さにはとうてい追いつけません。みるみるうちにメールボトル19は遠ざかって行き、やがてニャーモさんには見えなくなってしまいました。

「ど、どうしたらいいの??あの子たちはどこへ行ってしまうの?あの子たちともう会えなくなるなんて・・そんなこと、絶対に嫌。どうしたらいいの!」

ニャーモさんの目から涙がいっぱいあふれて来ました。しかし、あまり泳ぎの上手では無いニャーモさんは、もうそれ以上泳ぎ続けることができなくなってきていました。浜辺に向かって最後の力を振り絞って泳ぎました。海から上がると走ってホテルに行き、手こぎの小さなボートを貸してくださいと頼みました。ホテルのスタッフは手こぎのボートを貸してくれて浜辺に置きました。ニャーモさんはそれに乗り込むと、両手で櫂をこぎ始めました。

「私はモーターサイクルに乗って体力はあるわ。泳ぎが下手なだけ。ボートはこげる。」  確かに上手に櫂を操って、ほどなく紐の切れた処まで来ました。

「ここから、あの子達は北東に向かって流れて行ったのだわ。」

 ニャーモさんはボートを北東に向けると、メールボトル19を大声で呼びながらこぎ続けました。

 「私が悪いのだわ。浮かれてしまって泳ぐなんて言わなければ良かったのに。こんなことになるなんて。明日サムハさんに会わせてあげようと・・・キリエさんだってボトルさんだってどんなに楽しみにしていたか・・・・・・・・いえ・・・このまま二度と会えなかったら・・・私は、私は・・・あの子達の居ない生活なんて考えられない!ああ、誰か助けて。メールボトル19を私に返して!!」

ニャーモさんはボートをこぎながら、泣きながら、胸が張り裂けそうになるぐらい辛い暗い気持ちになっていました。

 ニャーモさんは嫌な考えを吹き飛ばすかのように強く頭を振りました。


「だめ、めそめそしていたら。考えるのよ。考える。」

 ニャーモさんは太陽の傾きを見ました。

「まだ日が暮れるまでに3時間ある。日が暮れてしまったらライトもないこのボートでは、私が浜辺にたどりつけなくなってしまう。あと1時間半、この辺りを動いてメールボトル19を探そう。どうしても見つからなくても、私は浜辺に向かってホテルに帰ろう。

 明日の朝、スラバヤまで飛行機で飛んでサムハさんに会う。彼女は手紙で言っていた。海洋生物の研究をする為の船があって、ダイバーもいる。海の中にも潜れると・・・

 サムハさんにお願いして、その船を出してもらってダイバーの人にもお願いしよう。そうすればきっと見つかる。絶対見つかる。」

 泣くことをやめたニャーモさんは、歯を食いしばってボートをこぎ続けました。

 けれど1時間半経ってもニャーモさんは引き返すことができません。2時間経っても引き返せないのです。2時間半になろうとしています。太陽は今にも沈みそうになって来ました。

  :::::::::


 ニャーモさんと離ればなれになってしまったメールボトル19は、どうにかしてニャーモさんの処へ戻ろうと懸命に努力していました。ボトルさんは何度も方向を変えてそちらに向かおうとしましたが、波に押し流されてしまいます。どんなにしてもニャーモさんと離ればなれになった場所に戻れないのです。

 キリエさんはおいおいと泣き続けました。もうニャーモさんとは会えない。明日会えると思っていたサムハさんとも会えない。こんな辛いことが起こるなんて・・・・キリエさんはただただ泣きじゃくっていました。

 「キリエちゃん、しっかりして。泣いていても何も始まらないのよ。私たちは今はもうニャーモさんに会えないかもしれないけれど、でも絶対、何日かかっても、何ヶ月かかっても必ずニャーモさんの処に帰る。」

手紙さんはきっぱりと言いました。

「いい、私たちは『手紙』なのよ、思い出して。私には宮子さんの名前と住所が書いてある。宮子さんは新しいお家に引っ越してこの住所にはいないでしょうけど、知り合いの人があのお家を買ってくれたと言っていたわ。だったらその人が宮子さんに連絡してくれるはずよ。

 そしてキリエちゃん、あなたにはニャーモさんの名前と住所が書いてあるのよ!

 思い出して。私たちは『メールボトル』なのよ。このままどこかに流れて行って、どこかの浜辺にたどり着いて誰かに拾われる。その人に言うの、お願いするの。私たちに書かれている住所にお手紙を書いてと。

 どれぐらいの時間がかかるか分からない。何ヶ月もかかるかもしれない。だけど絶対絶対、私たちはニャーモさんのお家に帰るのよ。帰れるはずよ。」

 手紙さんの力強い言葉にキリエさんは泣き止み、ボトルさんもしっかりと一回傾きました。


「手紙姉ちゃんの言う通りだわ。私は泣いてばかりで何も考えなかった。ごめんなさい。このボトルさんは特別でとっても強いって分かったし・・熱いこの海でも北極海の氷の海でも大丈夫。だったら私達ボトルさんを信じて任せて、前のように漂ったらいいのね。」

「そうよ!私たちメールボトル19だもの!」

ボトルさんも『まかせて、大丈夫』と言うように一回しっかりと傾きました。

「ここはまだとても熱いところだから、赤道の付近ね。北に向かって北太平洋に入ろう。私たち、いろんなお魚さん達から、海の中で何が危ないかも聞いたし、安全に進んで行けるわ。」

 キリエさんもすっかり元気を取り戻しました。

「そうだ!手紙姉ちゃん、北太平洋に入ったら、くじらさんに交信してみようよ。シロナガスクジラのおじいちゃんがやったように、近くにいるくじらさんに交信して、つないでつないでPHR07さんに知らせてもらうの。」

「それもいい方法だね。すごく長い旅になるけどオランダの沖、北海まで行けばPHR07さんにきっと会える。きっと私たちをどこかいい場所に連れて行ってくれるわ。」

覚悟を決めた手紙さんとキリエさんとボトルさんは、『メールボトル19』としての誇りを取り戻していました。

 どんな時も弱気になってはいけないのです。大丈夫と強い気持ちでいたら、良いことも自然とやってくるものです。


ぷかぷかと漂って居ると突然妙なものを見かけました。

「あれって、岩が泳いで居る??」

「古くなった木が流れているんじゃないの?」

「違う!尾ひれがあって、やっぱり岩が泳いで居るのよ。」

「ボトルさん、少し近づいてみて。」

 ボトルさんはおそるおそるその岩のようなものに近づきました。

 魚です!!

「おや、君たちはメールボトルだな。」

岩魚さんの方から話しかけてきました。

「はい、そうです、あなたは?岩?石?」

「私はシーラカンスと言うれっきとした魚だよ、千年も生きていて地球上の海で知らないことは何一つ無い。

 いったい君たちはどこへ行きたいのかな?」(注:シーラカンスは本当は百年ぐらいの寿命です)

「私たちはメールボトル19と言います。」

手紙さんがそう言って起こった出来事をかいつまんで話しました。

「・・・だから本当は私たちは南西に向かいたいのです。デンパサールの浜辺のコテージに帰りたいのです。はぐれてしまったニャーモさんの処に帰りたいのです。」

「よく分かった。では私が連れて行ってあげよう。その紐を私の鱗に引っかけて。と言っても君たちにはできないな。よし私がやろう。」

 シーラカンスさんは何度か紐をこするように触りました、。数回失敗したあと見事に紐はシーラカンスさんの鱗にはさまりました。

「よし、これで私が泳ぐので君たちはただ流れていれば良い。」

メールボトル19は声を合わせてありがとうと何度も言いました。遠い旅に出る決心をしましたが、幸運なことにこんなに親切な『岩シーラカンス』さんに出会えたのです。

「シーラカンスさんは千年も生きている間に体が岩みたいになったのですか?」

シーラカンスさんは笑って言いました。

「いや、生まれた時からこんな姿。だから人間達は私たちを『生きた化石』と呼んでいる。」「そうなのですね。それでいつもはどの辺りの海域を泳いでいるのですか?」

「世界中。どこでも。今日はこの辺りで泳いで居て良かった。君たちの役に立てたのだからね。

 それにしても・・・・私は長い年月の間にたくさんのメールボトルと出会った。こんにちはと声をかけてみるのだが、今までに返事をしたメールボトルは無かった。君たちみたいに話ができるメールボトルは初めてでちょっと驚いたよ。」

「私たちも不思議なのですが・・・・・どのお魚さんともお話ができます。」

「そうなのか。で、メールボトル19の19はなんだね?」

「前に私たちを助けてくれたマッコウクジラのPHR07さんがつけてくれた名前です。」

「おおお、君たちはあのくじらと知り合いなのか?PHR07は非常に優れたくじらだ。頭も良いし体格も良い、心根も優しくそして勇敢だ。数年前に奥さんをもらって可愛い子供もできた。奥さんもPHR07に助けられたのだ。

 くじら仲間はみなその事を知っている。今にPHR07は北大西洋と北太平洋の王者になるだろう。君たちは良いくじらに出会ったものだ。」

 メールボトル19は大好きなPHR07さんの事を褒めてもらって、とても嬉しくなりました。このシーラカンスさんは、本当に海のことは何でも知っているのだなと思いました。

 「ところで君たちは北に向かおうとしていたのだね。行かなくて良かった。あそこから少し北へ行くと大きな難破船がある。そこに挟まってしまったら君たちはもうどこへも行けなくなってしまっただろう。」

 メールボトル19が初めて聞く言葉でした。

「難破船ってなんですか?」

「うん、地球の海の中には数え切れないほどの難破船がある。船だ。船が大きな岩にぶつかって穴があいてしまったりすると、船の中に海水が入ってきて沈んでしまう。岩だけじゃ無い。嵐に巻き込まれて大波が甲板に押し寄せて、その為に沈んでしまうこともある。

 それから愚かしいことだが戦争だな。大砲を撃ち合って船に穴が開いて沈んだり、爆発によって船がこなごなになって沈んだり。そういう船は海の底に沈んで難破船と呼ばれるようになる。

 難破船にはしだいに貝たちがへばりつき住処にしたり、藻や海草のたぐいもそこにはびこる。小さな隙間をねぐらとする小魚たちもいっぱいいる。そんなだからちょっと見ただけではそれが大きな船の残骸だということが分からない。それで近寄って行って命を落とす魚もいるのだ。

 壊れてしまった船だからあちこちに割れ目があって、そこに挟まってしまうともう抜け出せない。君たちがそんなことにならなくて本当に良かった。」

 難破船の話を聞いてメールボトル19は怖くなりました。海には私たちのまだ知らない危険がいっぱいあるのだと思いました。

「君たちを送っていくデンパサールの浜辺までは、しばらく時間がかかる。多分お日様が沈む頃になるだろう。難破船の話をもう少ししよう。

 難破船とて元は人間が乗っていた船だ。沈んでしまって乗っていた人はおおかた死んでしまう。けれどそんな哀しい死に方をした人間達の魂が漂って居て、歌を歌うのだ。」

「歌!!死んでしまった人達が?」

「そう、寂しいのだろうな・・・『こっちへおいで、こっちへおいで』と歌っている。実のところそれは波の音なのだが、人間の歌声に聞こえるのだ。

 その歌声によってとても悲しい出来事があった。

 三年前のことだった。地中海と言う場所があって。」

「ああ、地中海は私も通りました。」

 キリエさんが言いました。

「そうか通ったことがあったのか。綺麗な景色のところだ。北はヨーロッパ、南はアフリカ。」

「地中海の南はアフリカ・・・・・」

 キリエさんはまたアフリカと言う言葉に反応しました。

「そう。そして昔昔、あの辺りは戦争ばかり起こって、たくさんの船が沈んでしまった。そして難破船になった。地中海の底には数知れない難破船が眠っている。

 ある日、雌のマダラトビエイがサメに追いかけられた。必死で逃げるエイ。そのエイに『こっちへおいで』と誘うような歌が聞こえたそうだ。そのエイは誰かが助けてくれるのだと思って声のする方にどんどん逃げていった。そして、難破船にたどり着き、ここに隠れたらいいのだと思って隙間に入り込んだ。サメは諦めて行ってしまった。

 エイは、ああ、助かったと思ってその隙間からでようとしたのだが・・・・体がはさまって抜け出せない。どんなにもがいても抜け出せなかった。」

「それで?それで?マダラトビエイの雌さんはどうなったの?死んじゃったの?」

「いや、生きている・・・・・そのエイは、同じマダラトビエイのエイヤという魚の婚約者だったのだ。結婚を約束した雌のエイだったのだ。」

「マ、マダラトビエイのエイヤさん!?」

「君は知っているのか?」

「はい、私がメールボトルとして流されて、暫くしてサメに襲われた時に助けてくれたのがエイヤさんで、地中海を通ってスエズ運河の前まで送ってくれたのです。」

「そうだったのか・・・・・・では・・この話は・・・・・辛いな・・・・

 エイヤは婚約者の姿が見えなくなったので探した。そしてサメに聞いたのだ。悪戯してあの子をやっつけてしまったのじゃないかと。するとサメは言った。確かに追いかけた・・でも彼女は難破船に隠れてしまった。だから諦めて戻った。と。

 エイヤはとても愕き、地中海の底に潜って婚約者が隠れた難破船を探した。とうとう見つけた。婚約者はエイヤが来てくれたことでどんなに心強かっただろう。自分が抜け出せなくなった事を言うと、エイヤは力の限り彼女を引っ張った。引っ張ってとうとう彼女をその割れ目の隙間からひっぱり出したのだ。

 その時・・・・・・静かに眠っている難破船に強い力が加わったものだから、もうさび付いてぼろぼろになっている船体が崩れたのだ。エイヤの上に。エイヤの上に・・・ひとたまりも無かった・・・・エイヤは崩れた鉄くずの下敷きになって死んでしまったのだ。」


聞いていたメールボトル19は声がでなくなりました。あのエイヤが・・エイヤが・・・難破船の下敷きになって死んでしまった・・・・・婚約者を助けようとして・・・・・エイヤが・・・・


 「婚約者は泣いて泣いて、そしてマダラトビエイの長老の処に行きすべてを話した。長老はあの辺りを住処としているマダラトビエイを全部集め、エイヤが眠った処に行きみんなでお弔いをした。その時、いつも悪いことばかりしているサメの仲間達も集まってエイヤにお別れをしたのだよ。サメだけじゃない沢山の種類の魚たちが集まった。

 エイヤはみんなからとても好かれている明るい青年エイだった。正義感が強くて困っている魚をほうってはおけない。エイヤに助けられた魚は山ほどいる。みんな非常に悲しんだ・・・・

 長老はサメ達に言った。『こんな残念なことが起こってしまった。もうあまり悪ふざけはしないでくれ。』と。そして集まった魚たちに言った。『難破船には近寄るな。危険すぎる。この海には沢山の難破船がある。見かけたらそこから離れるように』と。」


 「エイヤさん・・・・・かわいそうに。でも婚約者さんもかわいそうに。その婚約者さんはどうなったの?」

手紙さんが聞きました。

「うん・・・・綺麗なマダラトビエイだったから、沢山の雄のエイがお嫁さんにしたいと望んだが・・・彼女は誰とも結婚はせず、時々こっそりとエイヤの亡くなった難破船の処に行ってエイヤに話しかけている・・・私はそんな彼女に偶然出会ってこの話を聞いたのだ。」

 お話を聞いたメールボトル19はしょんぼりしてしまいました。それでもエイヤさんは立派なエイだった、勇敢なエイだったと誇らしくも思いました。

「君達の知り合いだったからこの話は辛かったかもしれないが、ずっとエイヤのことを忘れないであげたらいいのだ。こんな素晴らしい友達がいたことを、幸せに思うことが大切だよ。」

 シーラカンスさんはそう言ってくれました。

 その言葉を聞いてメールボトル19は、確かにその通りだ。私たちは絶対にエイヤのことは忘れない。気持ちを切り替えてエイヤの為に祈った時、シーラカンスさんが言いました。

「あれ。見えるか?小さなボートが見える・・・・誰か人が乗っているようだ。」

 ボトルさんは思い切り飛び上がって海面に出ました。遠い向こうに確かにボートと人影が見えます。

「あれは!!あれはニャーモさんだ!ニャーモさんがボートに乗っている。」

「じゃあ、ニャーモさんは君達を探してボートで沖に出たのか?急ごう。日が暮れる。」   シーラカンスさんはスピードを速めました。そしてボートにだんだんと近づいて行きました。もうはっきり見えます。間違いなくニャーモさんです。

「ニャーモさん、ニャーモさぁん!」

 メールボトル19は大声で呼びました。その声がニャーモさんに届きました。

「メールボトル19!!本当にあなたたちなのね、おおお、メールボトル19!!」

 ニャーモさんの声もはっきり聞こえました。シーラカンスはとうとうニャーモさんのすぐ横までたどり着きました。

「ニャーモさん、ニャーモさん。会えた。戻ってくることができた。ニャーモさん。」

 今度は手紙さんもキリエさんも泣き出しました。ニャーモさんも泣き出しました。

「メールボトル19,ニャーモさんに言いなさい。私の鱗から紐を外して君達をボートに乗せるように。」

 シーラカンスさんの言ったことをニャーモさんに伝えました。ニャーモさんは身を乗り出してシーラカンスの鱗から紐を外してメールボトル19をボートに引き上げました。

ニャーモさんはメールボトル19をしっかり抱きしめました。帰ってきてくれた。私のところに戻ってきてくれた。言葉では表せないほど嬉しかったのです。

「ニャーモさん、ボートで私たちを探してくれていたのですね。私たち長い旅の覚悟をしました。その時、このシーラカンスさんに出会って助けてもらったのです。」

 シーラカンスさんは言いました。

「ここで君達と別れたらもうこんなに暗くなっている。無事に浜辺に着けるかどうか分からない。灯りの見えるところまで一緒に泳いで行こう。私に付いてくるようにニャーモさんに伝えなさい。」

 ニャーモさんは何度もありがとうと言いました。その言葉はシーラカンスさんには分かりませんでしたが、それでもニャーモさんの気持ちはしっかり伝わりました。

「こんなに暗くなるまで海にいてはいけないとわかって居たの。でも、どうしてもあなたたちを置いて浜に戻ることができなかったの。海に居て良かった。あなたたちは本当に運がいいわ。いつでも良いお魚さんに助けられて。」

 シーラカンスさんは間違いなくデンパサールの浜辺に向かいました。やがて、ホテルの灯りも見えてきました。

「ここまで来たらもう大丈夫だろう、あまり浅瀬まで行くと今度は私が海にもどれなくなってしまう。」

「ニャーモさん、灯り見えるよね?もうボートを漕いで戻れるよね。」

「大丈夫、このまままっすぐ行けばほどなく浜辺よ。」

 メールボトル19はシーラカンスさんにお礼を言いました。助けてくれたこと、浜辺近くまで連れてきてくれたこと。たくさんのお話をしてくれたこと。ニャーモさんに再び会わせてくれたこと。

「良かった、君達が笑顔になって良かった。ではここで、さらばだ。」

「ありがとう!ありがとう!!!シーラカンスさん、お元気で。」


ニャーモさんは手を伸ばしてシーラカンスさんの背中を優しくなでました。私の大切なメールボトル19を守ってくれてありがとう、と。


浜辺につくとメールボトル19をしっかり抱いて、ニャーモさんはホテルに向かって走りました。フロントに行ってボートの事を話しました。

「ボートなんてどうでもいいです。あなたが無事に帰ってこられて良かったです。みんな心配していて、大きな船を出そうかと相談していたところでした。すぐにお食事を運びますね。」

 みんなにこにこ笑顔でニャーモさんの無事を喜んでくれました。

 コテージに戻るとニャーモさんはすぐシャワーを浴びました。まだ水着のままで、もちろん寒くはなかったのですが汗でべとべとの体でした。さっぱりしたニャーモさんはボトルさんの中から手紙さんとキリエさんを取り出すとテーブルの上に置き、ボトルさんを真水で洗いました。そしてそれぞれをテーブルの上に並べました。

 すぐに夕食が運ばれてきました。ニャーモさんはすっかり忘れていたけれどおなかがぺこぺこでした。ところが、ナイフもフォークもスプーンも持てないのです。手がぶるぶる震えています。長い時間ボートをこぎ続けて居たからでしょう。

「ああ、だめだわ。持てない・・・仕方が無い。」

 ニャーモさんは食べ物を手でつかんで食べ始めました。

 そんな様子を見ていたメールボトル19はとても心配しました。

「キリエちゃん、あれ見える?」

「うん、インドネシア語とその下は英語で書いてあるね。」

「マッサージ、1時間コース、2時間コース。ご用の方は、この電話番号にかけてください。」

「これいいかもしれない。ねえねえ、ニャーモさんマッサージ頼むといいよ。」

 ニャーモさんもその張り紙を見て、確かにこの手では困るしと考え、2時間コースのマッサージを二人お願いしますと電話をかけました。


 すぐに若い女の人が二人やってきました。ニャーモさんはベッドに横になってマッサージを受け始めました。

「おお、あなた、かちかちね、手もかちかち、腕も足も背中もかちかち、痛いね。かわいそう。大丈夫、私たちマッサージ、とても上手。明日、全部治る。安心よ。」

 二人はニャーモさんの体を丁寧にもみほぐしながら片言の英語で言いました。ニャーモさんはとても気持ち良さそうにしています。

 その間に手紙さんとキリエさんは、ニャーモさんとはぐれてしまった後の事をお話しました。珍しく手紙さんも興奮してキリエさんと競うようにお話しました。ニャーモさんは時々うんうんとうなずいて聞いていましたが、話を聞いているうちに涙が出てきました。 手紙さんとキリエさんはフィンランド語で話したので、マッサージさんたちには分かりません。ニャーモさんが一人でしゃべって泣き出したと思いました。

「おきゃくさん、いたい?とても つらいか?すぐ、かちかちが やわらかくなる、もうすこし がまん、いたくても 泣かないで。」

と、優しかったのです。

 2時間しっかりもみほぐしてくれて帰るとき、ニャーモさんは二人に二倍の金額を支払いました。二人はとても喜びました。ニャーモさんは思ったのです。こんなに頑張って私をマッサージしてくれたのに、インドネシアの賃金は安すぎる、と。


 すっかり気持ちの良くなったニャーモさんは言いました。

「今日は大変な一日だったけど、私、バリ島嫌いじゃないわ。ここはやっぱり良い処よ。」  ニャーモさんもメールボトル19も眠りにつきました。みんな夢を見ました。

 ニャーモさんの夢は、シーラカンスの背中にメールボトル19が乗っかって。海の上を飛んでいる夢でした。

手紙さんの夢は大きな難破船の周りに沢山の人が立っていて、みんなで、こっちにおいで、と歌っている夢でした。

 キリエさんの夢はエイヤさんと地中海を泳いでいる夢でした・・・・・・・・・


 翌朝ホテルのスタッフさんたちにお詫びとお礼を言って、ニャーモさんたちは出発しました。デンパサールの空港からはほんの1時間程度でスラバヤの空港に到着します。

 「目的地SUBって書いてあるわ。わーお、間違いなく、ス、ラ、バ、ヤ だわね。」

手紙さんもキリエさんもボトルさんも大喜びです。昨日はもうニャーモさんにもサムハさんにも会えなくなると、絶望的な気持ちだったのに、今はスラバヤに向けて飛び立とうとしているのです。

「空港コードはSUBだけどこの空港のお名前はジュアンダ空港よ。スラバヤってインドネシアの第二の都市だって。だから空港のあるところはジュアンダって場所だけど、全体がスラバヤなのね、きっと。」

ニャーモさんが言いました。

 飛行機は本当にすぐに到着しました。空港ビルの外に出て建物を眺めると、きっとインドネシアの古来からの伝統の建物を模しているのでしょう。とんがった屋根の珍しい空港ビルでした。

 タクシーに乗ってサムハさんの住所の処まで連れて行ってもらいました。タクシーを降りるとすぐに砂浜です。

「ここ!ここよ、毎朝サムハさんと散歩した砂浜。懐かしいねえ、ボトルさん。」

ボトルさんも元気に一回傾きました。

 車が止まる音が聞こえたのでしょう。向こうに見える家から女の人がまっすぐに走ってきました。

 サムハさんです!

 「おおおお、ニャーモさん、メールボトル19さん。遠い処をよく来てくださいました。ニャーモさん、初めてお目にかかります。サムハです。」

 サムハさんはそう言ってニャーモさんに抱きつきました。              「サムハさんやっと会えたわね。あなたは自分の写真を全く送ってくれなかったから、こんなに美しい娘さんだなんて!もうびっくりして声もでないぐらいよ。」

とニャーモさんは本当に驚いて言いました。

「写真を送らずごめんなさい。恥ずかしかったのです。」

 そしてニャーモさんからボトルさんを受け取ると、言いました。

「ボトルさん、キリエちゃん、会えたわね、とっても幸せ。それから手紙さん初めまして。」

「サムハさん初めまして。私はキリエちゃんと同体だから、サムハさんとキリエちゃんが過ごした日々のことはみな記憶にあります。でもお顔は知らなかったので、ニャーモさんと同じようにびっくりしています。キリエちゃんがいつも『お姫様みたいだよ』と言っていた意味がやっと本当にわかりました。」

 手紙さんもやっぱり驚いていたのです。

 今、やっと分かったのです。キリエさんが何度も何度も

 『違う。サムハさんは違う。そうじゃないの 。』

と言い続けていた意味が。

 サムハさんは驚くほど美しかったのです。サムハさんの顔立ちはインドネシア人の顔立ちとは違いました。肌の色は暑い処に住んで居るから、日焼けて小麦色でしたが、 目鼻立ちの整った、それこそアラビアンナイトに出てくるお姫様のように綺麗でした。

 キリエさんはスラバヤの町に連れて行ってもらったり、たくさんのインドネシアの人々の顔を見ていたので、サムハさんとの違いに気がついていたのです。

 ニャーモさんは、サムハさんはハーフなのだなと思いました。(注;ハーフは違う国の人が結婚してできた子供の事です。今ではもう普通になっていますが、サムハさんが生まれた頃はまだまだ珍しかったことでしょう)

 

 「サムハさん、会いたかった。サムハさん、私たちを郵便局に送っていった日に着ていた、白夜のヒジャブと真っ白のドレス。あの時と同じだよね。」

「そうよ、覚えていてくれたのね。ニャーモさんが作って送ってくださったもの。特別の日に着ける白夜のヒジャブ・・ね!

 さあ、お家に入ってください。ここはとても熱いでしょう。家の中は涼しくしてあります。ボトルさんまたタライの水の中に入りましょうね。」

ボトルさんはぴょんと飛び跳ねました。それを見てサムハさんは目を丸くして驚きました。

「手紙姉ちゃんと私でボトルさんに動くことを教えたの。一回傾いたら、『はい』二回傾いたら『いいえ』飛び跳ねるときは嬉しい時。その他教えてない動きもするから迷っちゃうこともあるのよ。」

 キリエさんはご機嫌でお話しています。

 

「ニャーモさん、手紙さん、お疲れでしょうね。こんなに熱いのですものね。すぐに冷たい飲み物も用意しますね。さ、お家へ行きましょう。」

 家の中に入ると清潔で整っていて、エアコンがついていて、とても涼しく気持ちが良かったのです。でも窓も扉も開けっ放しで、天井ではシーリングファンが回っていました。

「サムハさん、前にはエアコン無かったよね。それに家具が増えているよね。」

 キリエさんが言いました。

「そうなの。私が結婚する、エハカと言う名前なのだけど、結婚したらこの家に住むと言うのでエアコンもつけて、エハカの家具も運んできたのよ。

 この家は私が通っていた大学が近くて、大学の横が今私たちが仕事をしている研究所なの。だからここに住むのはとても便利なのよ。

 さあ、ニャーモさん一番涼しい処に座ってください。

 エアコンをつけているのに窓もドアも開け放しているのは、あまり涼しすぎると外との気温差が激しくなって外にでられなくなるので。こんな使い方本当はいけないのかもしれませんが・・・」

ニャーモさんは、もしかしたら私の為にエアコンを買ったのかもしれないと思いました。「ニャーモさんご気分はいかがですか?これココナツジュースです。冷たくて気分がさっぱりしますよ。どうぞ召し上がってくださいね。

 ボトルさん、すぐにタライに水を入れて持ってくるわね。」

 サムハさんはあれこれ気を遣ってくれています。


ボトルさんはタライの水の中に入ると、気持ち良さそうにぴょんぴょん跳びはねました

「ほんとうに!!ボトルさん、動いて可愛らしいこと。」

 サムハさんはじっとボトルさんの動きを見て楽しそうに笑いました。その笑顔もとても美しくニャーモさんはやはり驚くばかりでした。

「あなたはルネッサンス時代の画家達が描いた女性にそっくりな顔立ちだわ。」

 ニャーモさんの言葉にサムハさんは恥ずかしそうにほほえみました。

「私がね、サムハさんはお姫様みたいに綺麗って言っても、ニャーモさんも手紙さんも信じてくれなかったの。」

「信じなかったのではなくて・・・サムハさんはインドネシア人の顔立ちだと思い込んでいたので。だから想像していたお姫様とは全く違って・・・びっくりしてしまったのです。」

 手紙さんはそう言いました。

 サムハさんはやはり恥ずかしそうに笑って言いました。

「今夜にでも私の事お話しますね。」

 

 「サムハさんお祈りする?」

 キリエさんは唐突に尋ねました。

「はい、お祈りはいつもいっぱいしていますよ。今も心の中で、アラーの神様にみんなに会わせてくださってありがとうとお礼を言っています。そしてニャーモさんにもメールボトル19さんにも、来てくださってありがとうと、お礼を言っています。」

 そんなサムハさんをニャーモさんは、涼しげで誠実で清らかな女性だなぁと思っていました。

「サムハさんこれお土産です。」

 ニャーモさんはトランクの中からプレゼントの包みを取り出し、サムハさんに渡しました。

「なんでしょう。前にも沢山頂いているのに。開けていですか?」

「もちろん、開けてください。」

サムハさんは包みを開けて驚きの表情で顔を真っ赤にしました。

「これ・・・・・・・ウェディングドレス。そしてお揃いのヒジャブ・・・ニャーモさん私の為に作ってくださったのですね。」

「インドネシアの結婚式ってどんなのか知らなかったし、ウェディングドレスを着ていいのかどうかも分からなかったのだけど、あなたの手紙を読んで、どうしてもあなたにあげたくて作りました。」

 それは金色の地に白い輪郭だけで、フィンランドでできる様々なベリーを描いた布でした。熱帯の太陽に負けないぐらい輝くドレスにしたかったので金地にしたのです。とっても豪華。

「素晴らしいです。なんとお礼を言って良いかわからないぐらい。私はインドネシアの民族衣装を着ようと思っていました。それも着ますが、でもウェディングドレスを着てはいけないなんて決まりはないし、私、絶対これ着ます!そしてこのヒジャブをつけて・・・・その上から、ああ、ティアラを着けましょう。ああ、想像しただけでどんなに素敵になるか、もううっとりしてしまいます。」

「サムハさん、私たちは結婚式までここにはいられないから、絶対絶対写真を送ってくださいね。」

 ニャーモさんと手紙さんとキリエさんが同時に同じ事を言いました。サムハさんは笑って

「はい、今度こそ、絶対写真を送ります。約束します。」

と言いました。

ニャーモさんは木でできたトントゥを差し出しました。

「イスラム教では偶像は禁止されているのは知っていますけど、これはイスラム教のものではないし、他の宗教の神様でもないの。ただフィンランドに昔から伝わる妖精さんなの。サムハさんのお人形だと思って飾ってくれたら嬉しいわ。」

「とってもキュート。トントゥって可愛らしい妖精なのですね。はい、私の机の上に飾らせていただきます。」

「それからこれね。」

 ニャーモさんはペンダントを取り出しました。

「これはトナカイの角を切り出して模様を彫ったものなの。どんな模様がいいかしらと考えたけど、お花が一番良いかしらと思いました。サムハさんは大事な大事な珊瑚のペンダントを、ボトルさんにあげてくれたでしょう。その代わりにはなれないと思うけど。

 トナカイはフィンランドやもっと北のラップランドでは、なくてはならない生き物なの。

そんな私の住んでいる処の品をあなたにあげたかったの。」

サムハさんは目を見張りました。それは非常に細かく精密に彫られた花模様でした。

「すごいです。私はトナカイは本などでしか見たことがありません。インドネシアにも動物園はありますが、こんなに暑い国なので北に住む動物たちはいません。本物のトナカイの角・・・・とってもすごいです。きっとインドネシア中でこんなペンダントを持っているのは私一人。ニャーモさん、ありがとう!!!」


それからみんなでいろいろな話をしました。キリエさんはサムハさんに送られて、初めて飛行機に乗った時のことを、どんなに怖かったかと語りました。でも今回乗客の処に乗って、やっと飛行機の動きが分かったことなども。

「そうね、あの時は段ボール箱の中で真っ暗で何もわからなかったでしょうね。怖い思いをさせてしまってごめんなさいね。

 でもね・・・・やっぱりメールボトル19は、ニャーモさんの処に帰るべきだと思ったの。あなたたちはこんなに暑い国では息苦しいでしょう。涼しい北国があなたたちの居場所だと思ったのよ。」

それから今回の飛行場の手荷物検査場で、突然メールボトル19がロボットになった話をすると、サムハさんはあまりに可笑しくて涙を流しながら笑いこけました。

「あれには私も本当にびっくりして、心臓がどきどきなって、暫く立ち上がれなかったぐらい。この子達ってとんでもない事を考えるから。」

ニャーモさんもそのことを思い出して大笑いしました。

日本に行って宮子さんに会ったことも、橋本おじさんのモーターボートで海に出て、PHR07さんやその奥さんや坊やに会ったことなど、話はまだまだ続きます。

 が、もう夕方になっていました。

 「サムハ、来たよ。」

と言う声が聞こえて、大きな荷物を持ったエハカがやってきました。

 サムハさんはニャーモさん達にエハカを紹介しました。エハカはインドネシア人のハンサム青年でした。爽やかな笑顔の青年で

「はい、エハカです。みなさんのことはサムハから何度も伺っていました。お会いできて光栄です。

 僕は料理をするのが趣味なので、今夜のディナーを持って来ました。こんなに大きな荷物になってしまいました。みんなで食べましょう。」

と、屈託無くにこやかに言いました。


 食卓にたくさんのご馳走が並びました。全部エハカが作ってくれたインドネシアの家庭料理です。

 ニャーモさんは珍しそうに食べ始めました。

「ニャーモさん、スプーンやフォーク持てるようになっているね。」

とキリエさんが言いました。サムハさんが心配そうに聞きました。

「あらニャーモさんどうかしたのですか?」

 そこで初めて昨日バリ島で起こったことを話したのです。サムハさんは食べるのをやめて顔を真っ青にしました。

「そ、そんなことがあったなんて・・・・・・・あなたたちがいなくなるなんて・・耐えられないわ。私の所にいてくれなくても、ニャーモさんのお家にいると思うだけで私はとても嬉しい気持ちになるのに・・・」

「しかし、君達は本当に運がいいね。シーラカンスに出会うなんて。僕たち海洋研究している者達でも、なかなか出会うことはできないんだよ。

 それにしてもニャーモさん、フォークも持てなくなるぐらい、ボートをこぎ続けていたのですね。ニャーモさんが考えたようにこちらに来てくれたら、海洋観測の船をすぐ出しましたよ。そして僕はダイバーの資格も持っているから、海に潜ってこの子達を探しましたよ。」

とエハカさんが言いました。

「昨日は本当に辛かったです。でもこの子達が戻ってきてくれて。そして夜に親切なマッサージの女性が二人がかりで、私のかちんかちんになった体や手をもみほぐしてくれたので、ほらもう大丈夫なの。みんなの親切で私たち助けてもらいました。」

「ニャーモさん昨夜は手でつかんでお料理を食べたのよ。」

「キリエさん、そんな恥ずかしいことみんなに言わないでよ。」

と、ニャーモさんは少しふくれっ面をして言いました。みんなどっと笑いました。

 でもみんなは、なにもかもうまくいって良かったと心底ほっとしていました。


 「エハカさんは海のことならなんでも知っているのですね。」

と手紙さんが言いました。

「ううん、たくさんのことは知っているけど、なんでも、って訳じゃ無いよ。まだまだ知らないことや分からないことがたくさんある。だからずっと研究を続けているんだよ。」

「ええとね、海の中にはくじらさんやイルカさんのように、お魚でない生き物がいるって聞きました。くじらのPHR07さんは自分達は人間の仲間だよと言いました。それってどういうことかずっと考えていたのです。」

「手紙さんは沢山のことが知りたいのだね。良いことだよ。それは簡単なことでニャーモさんも分かるよ。でもせっかくだから僕が説明しようね。

 生き物は『分類』されているんだよ。うんとたくさんの分類があるけど、今は簡単に『ほ乳類』『鳥類』『魚類』だけ話すね。

 陸地で住んでいるほとんどの生き物、動物たちはほ乳類。人間もそう。だけど、海の中にいるくじらとかいるかもほ乳類なんだよ。だから人間と同じ仲間。

 じゃあ、鳥たちとお魚たちとどう違うかと言うとね。鳥は羽があって空を飛ぶ。魚は海や川の中にいる。住むところは違うよね。でも鳥もお魚も子供は卵で産むんだよ。だけどほ乳類だけは赤ちゃんは卵じゃなくて親と同じ形で産むの。

 そして、赤ちゃん鳥は小さな虫など餌にして大きくなるの。赤ちゃん魚はプランクトンなんかを食べて大きくなるの。ただほ乳類の赤ちゃんたちは、みなお母さんのおっぱいを飲んで大きくなるんだよ。そのふたつが一番大きな違い。分かったかなぁ?

住んで居るところは海の中でも、くじらとかイルカとか、そのほか何種類かの生き物たちは、人間と同じように子供を産んで、赤ちゃんはお母さんのおっぱいを飲むのだよ。」 

 エハカさんはできる限りわかりやすく説明してくれました。手紙さんはやっと、ずっとどうしてかなと思っていたことが分かって、すっきりして嬉しくなりました。もちろんキリエさんもちゃんと分かりました。


 「まあ、エハカったらまるで先生みたいね。」

 サムハさんがにっこりしました。

「じゃあ、今度は私がエハカさんに質問!」

と、キリエさんが言いました。

「うん?なんでも、僕が知っていることなら答えるよ。何かな?」

「どうしてサムハさんをお嫁さんにしようと思ったの?」

 キリエさんの質問にエハカさんは真っ赤になりました。そして咳払いをしました。横でサムハさんがにっこり笑っています。

「キ、キリエちゃんの質問は手紙さんのとはずいぶん違うなぁ・・・」

ニャーモさんが言いました。

「この子たちは同体で記憶など全部共有していますが、性格はずいぶん違うのですよ。キリエさんはおちゃめで、おてんば。手紙さんは思慮深くておとなしいの。」

エハカさんは、なるほど、と思ったようでした。

「でも、その質問。私も聞きたいわ。エハカさん!」

とニャーモさんもちょっと意地悪な笑い顔で言いました。

「ええと、サムハはとってもきれいでしょう。」

「やっぱりそれが理由なのね!」

 ニャーモさんもメールボトル19も声を揃えて言いました。

「いや・・・そうじゃなくて・・・好きになった人が綺麗な人だったら、それはとても嬉しいことでしょう。

 僕はサムハより7年先輩なのです。サムハが研究所に入ってきてから僕がいろいろと教えていたのだけど、彼女はとても勉強熱心。そして海の生物たちが大好きで。たくさんの事を覚えなくちゃならないのだけどすぐに覚える。時々失敗したり忘れたりする時もあるけど、そんな時は素直に謝る。そして同じ間違いを二度としない。

 そんなサムハを見ていていい人だなぁと思ったのです。そしてお嫁さんにするなら、サムハみたいな人って思うようになってプロポーズしました。」

 エハカさんは少し照れながらもまじめに答えてくれました。

 「確かにエハカさんの言う通りね。サムハさんは本当にまじめで勤勉ですものね。

 でも、イスラム教って女性は結婚したらお家の中の事をして、お仕事はやめるのが普通なのでは?」

「そういう風になっています。けれど時代は変わってきていて、イスラム教の女性でも結婚してからもお仕事を続けている人も少しずつ増えました。

 僕はサムハみたいな優秀な研究員が、仕事を辞めてしまうのはもったいないと思いました。まだイスラム教ではあまり一般的ではないかもしれませんが、僕は料理をするのが大好きだし、サムハが働いていても二人で家のこともできると思いました。」

「サムハさん、良い人と出会えて良かったわね。エハカさんはとてもあなたの事を良く分かってくれていて、なんと言えばいいのかな?新時代の若者ですよね。」

 ニャーモさんの言葉にサムハさんは深くうなずきました。


 楽しい夕食もたくさんのお話も名残惜しいけれど、もう夜も更けてきています。そろそろエハカさんは自分のお家に帰る時間です。

「サムハさん、エハカさんにウェディングドレス見せないの?」

とキリエさんが聞きました。

「見せないの・・・見せたいけど見せないの。結婚式に驚かせるのよ。」

 サムハさんはサプライズにしたいようです。


 「明後日帰国ですよね。ジュアンダ空港からの時間に間に合うように、僕の車で迎えに来ます。明日はサムハとみなさんでゆっくり楽しんでくださいね。今日はお会いできて本当に嬉しかったです。」

エハカさんはそう言って帰っていきました。

 お家の外まで見送ったとき、変わった鳴き声が聞こえました。それは『トッケイ、トッケイ』と聞こえたのです。

「あれは?何の鳴き声かしら?」

「ヤモリです。お家を守ると言われているヤモリ、どこの国にもいると思います。ただ、あのヤモリは『トッケイ』と不思議な鳴き声を出すので、ここではヤモリと言わずトッケイと言っています。」

 その鳴き声は南国にふさわしいように思えました。満月の美しい夜でした。


 サムハさんとニャーモさんは後片付けをして眠る用意をしました。

「私の事、お話すると言っていたけれど、今夜はもうかなり遅くなってしまったから、明日ゆっくりお話しますね。手紙さんキリエちゃん、それでいいかしら?」

 手紙さんもキリエさんも今日はいっぱいお話したから、明日でいいと思いました。


 翌日もとってもいいお天気。

「ねえ、みんなで海にはいりませんか?」

とサムハさんが提案しました。

 メールボトル19はとても海に入りたかったけれどバリ島での事を考えると、すぐに返事ができませんでした。ニャーモさんは『ああ、もう4月になったわ。フィンランドの雪もすっかり溶けているでしょう。でも海になんかとても入れる気温じゃ無いわ。もう一回海にはいりたいけど・・・でも』と、やっぱり考えてしまいました。

サムハさんはみんなの気持ちが分かっていました。

「この丈夫なロープ。研究所で使うものですが・・・これをあの木に結ぶのです。そして、これ、おもちゃみたいなビニールプールですが、ここの処にロープの端を結びます。舫い結びと言って船を係留する時に結ぶやり方。絶対にほどけません。

 そしてね、こちらの細いロープで私かごを作ったのです。この中にメールボトル19さんを入れて、ぐっと口の処を絞って、そして私たちが持ってメールボトル19さんを海に入れるのです。

 お向かいの島はマドゥラ島。ここの海は外洋ではないから激しい潮流などありません。穏やかな海ですよ。だから流される心配などありません。」

メールボトル19はサムハさんの作ってくれた網かごの中に入ってみました。

「わーー、いっぱい隙間があるから外も良く見えるね。これだったら心配はいらないと思う。」

 サムハさんの心遣いでみんなは安心して海に出ることができそうです。

「ニャーモさん、お日様の光はとっても強いのでこの帽子をかぶってくださいね。」

サムハさんは大きなつばの麦わら帽子をニャーモさんに差し出しました。そして自分は太いロープをしっかり木に結びつけ、ビニールプールにも結びつけました。その手順は確実で素早く信頼ができました。

「サムハさんはお仕事を始めてから、ずいぶんてきぱき何でもできるようになったのねえ。前はもっと、おっとりのんびりゆっくりしていたのに。」

と、キリエさんが驚いていました。

「ここの海は遠浅で浜から50mぐらいまではニャーモさんの首あたりの深さです。だから心配しないでくださいね。このロープでは浜から20mぐらいまでしか行きません。その辺りでのんびりしましょう。エハカと私は時々このビニールプールにこうやって乗って、海の上でランチなどしたりするのです。」

「まあ、とっても仲がいいのね。でもそう言うことなら安心ね。バリ島でのようなことは起こらないわね。」

メールボトル19もその話を聞いていました。

 さあ海に出て行きます。ロープの長さだけ沖にでました。本当にこれなら安心。ニャーモさんは手首に、メールボトル19の入っている網かごの細いロープをしっかり結んで、メールボトル19を海の中に入れました。

 そのとたんに手紙さんとキリエさんの歓声がが上がりました。

「きゃー、気持ちがいい!それになんて綺麗なんでしょ。珊瑚がいっぱい見えるわ。あのふにゃふにゃとしたのは、あれがイソギンチャクって言うのね。貝が口をぱくぱくしてる。浜辺にいる貝はこんなことしないのに。空気を吸っているのかなぁ?」

 賑やかにあれやこれや話しながら海の中を楽しんでいます。

「サムハさんありがとう。私はこんなことはできなかったわ。あの子達を怖い目に遭わせただけ。」

「そんなことないですよ。大変な事だったかもしれませんが、それでもメールボトル19は自分達で考えて考えて、絶対ニャーモさんの処に帰ろうとしていたし、運良くシーラカンスにも会えて、またいっぱい勉強もしたでしょうし。悪い事なんて本当は無いのだと思います。」

 サムハさんは優しく言いました。

 ニャーモさんはサムハさんに会ったらお礼を言おうと思っていました。ビニールプールの上で二人でくつろぎながら話を始めました。

「サムハさん、メールボトル19を私の元に返してくれて本当に感謝しています。わがままなお願いだってことはわかって居たのですが・・・・・・私はあの子達と一緒に居たかったのです。

 私、十八歳の時に両親を失いました。極寒の真冬のことでした。どうしても出かけなくてはならない急用ができて、二人は車ででかけて行きました。もちろん雪の中でも走れるようにしている車です。でも思いがけず天候が悪化してすごい吹雪になって、全く何も見えなくなってしまったようで、道を失ってしまったのです。そして激しく降り続く雪に車ごと埋もれてしまったのです。雪は非常に勢いよく降り続き、二人は車のドアも開けられず・・・いや・・開けて外に出たとしたも凍死していたでしょう。

 私は帰ってこない両親のことを警察に連絡しました。でも捜索にでることもできないぐらいひどい天候で・・・翌日・・やっと見つかった二人はもう凍えて亡くなっていました。」

「・・・・・・・・まあ、なんてお気の毒なこと・・・アラーの神様、ニャーモさんの傷みをどうか和らげてください。」

「ありがとう。私にはあなたがアラーの神様に見えるわ。

 私はそれから通っていたデザイン学校を卒業して、あれこれの仕事をしながら生活しました。私の祖父母ももう亡くなっていましたし、私には兄弟姉妹もいませんでした。結婚もせず子供も無く、私、ずっと一人だったのです。

 夏場はそれでも頑張って仕事をしたり、大好きなモーターサイクルに乗ってあちこちツーリングしたり、それなりに元気に過ごしていました。でも冬がだめなのです。冬になると寂しくて怖くて暗い気持ちになって・・・・・・

 もう遠い昔のことなのに冬になるとやっぱり憂鬱で、外に出るのも食料品や日用品を買いに月に二回ぐらい。あとはずっと家の中に閉じこもっていました。

 日本の宮子さんからあのメールボトルが届いて、手紙さんと話をするようになりました。それは私の毎日を変えてくれたのです。手紙さんは賢い子で私の様子をいつも見ています。そして冬になって私が暗い表情になるのを見逃しませんでした。

 キリエさんをボトルさんと海に流すのは手紙さんが考えたことです。夏の終わりに・・そうしたらきっとその次の冬には、楽しい連絡が来るはずだと手紙さんは考えたのです。

 その通りになりました。

 キリエさんとボトルさんの旅の様子を書いてくれた、あなたからの初めてのお手紙はどんなに私の気持ちを明るくしてくれたことでしょう。

 私はキリエさんとボトルさんとも一緒に暮らしたいと願ったのです。 

 私に家族ができました。今は夏も冬も私はとても元気。冬でもあの子達が賑やかで、時々、『ちょっと静かにしてよ、ニャーモは今図案のこと考えているのだからね。あまりうるさいと暖炉の中に放り込んでしまうわよ』なんて、まるで本当の子供に言うようなことまで言っています。

 サムハさん、あなたに会ったら私がどんなに幸せかを伝えようと・・・お手紙ではなく直接あなたにお話しようとずっと思っていました。サムハさんありがとう。」

サムハさんは目に涙をいっぱい溜めてニャーモさんの話を聞いていました。そしてたまらなくなってニャーモさんを力一杯抱きしめました。


その時です。ニャーモさんの手首にくくりつけた細いロープが、ぐぅーんと引っ張られました。ニャーモさんは体勢を崩してひっくり返りました。サムハさんが抱きついていたので、その重みで二人とも海の中にどっぼーんと落ちてしまいました。

 とっても慌てたし少し海水を飲んでしまったけど、浅瀬で海底に足をついて立ち上がることができました。当然ニャーモさんもサムハさんもずぶ濡れです。


「わーい、わーい、落ちた落ちた。ニャーモさんもサムハさんもお魚になってしまった!!」

 それはメールボトル19の悪戯でした。二人を海の中に落とそうと相談したのです。それでボトルさんに網紐が引っ張れるほど、思い切り急激に移動してと頼んだのです。ボトルさんはビニールプールと反対の方向に強く動きました。それでニャーモさんが引っ張られたのです。

「成功、成功、大成功!」

 メールボトル19は大喜びです。

「これこれ、あなたたち、いたずらっ子はお日様のカンカン照りつけるところにぶら下げましょう。お家の外にね。夜までね。」

 珍しくサムハさんがお仕置きを考えました。サムハさんは本当は可笑しくてたまらなかったのです。

「サ、サムハさん、ニャーモさんごめんなさい。お外でぶら下げられるのは嫌。もうしませんからお家の中に入れてください。」

ニャーモさんとサムハさんはビニールプールには乗り込まず、そのまま浜辺まで海の中を歩きました。もちろん網紐で繋がっているメールボトル19も一緒に動きます。

 浜辺についたら太い綱を引っ張ってプールを引き寄せました。

「はい、海でのお遊びはおしまい。あなたたちはどうしようか?この木に縛り付けておこうかな?サムハさんと私はお家に入ってお着替えをしなくちゃ。」

ニャーモさんもお仕置きを言いました。でもやっぱり可笑しくて笑いをこらえていました。メールボトル19の思いがけない悪戯で、しんみりして重い気分になっていたのが吹っ飛んでしまったのですから。

「ニャーモさん、よーく分かりましたよ。暗い冬でも毎日が明るくてとっても楽しいことが。こんな子達がいたら気分が沈むことなんでありませんよね。」


 メールボトル19は、木にくくりつけられるのか、お家の外にぶら下げられるのかと、ちょっと心配しましたがちゃんとお家の中に入れてもらえました。一安心です。


ニャーモさんとサムハさんが手早く着替えをして、海につかってしまた衣類を真水で洗いました。ボトルさんも真水で洗ってもらうことができました。手紙さんとキリエさんはテーブルの上に置かれました。

「さあ、みんなでお茶にしましょう。ニャーモさんそこのカウチに寝転がって気楽にしてくださいね。」

「もう・・・・許してもらえたのかしら?考えついたのはキリエちゃんじゃなくて、私です。ごめんなさい」

 手紙さんが謝りました。

「おやぁ・・・珍しい、絶対キリエさんが考えたのだと思ったけどね。おかげでビニールプールの上でかなり暑かったのが、海に入ったので涼しくなれたわ。」

ニャーモさんもサムハさんも、我慢していた笑いをもう止められず大笑いしました。


「さあ、ではお約束の私の話をしましょうね。

 私の父はインドネシア人だけど、母は違うの。母はモロッコ人なのです。」

 サムハさんがそう話を始めるとニャーモさんが突然

「あああっ!!あああっ!!それで!」

と大きな声を上げました。

「ニャーモさんどうかしましたか?」

「いえ、いえ、急に大きな声を出してしまってごめんなさい。お話続けてください。」

 サムハさんは何だったのだろうと思いましたが話を続けました。

 「私の父は貿易商人です。今は30人ほどの社員のいる会社になっています。だから私の家は裕福ということはありませんが、生活に困ったことは無かったです。この家も父が建ててくれました。

 でも父が若いときは貧しく、一人でインドネシアの品物を持って外国に行って、それを売り、外国の品をかってきてインドネシアで売っていました。外国と言っても父は寒い処へは行けないので赤道付近の国だけです。

 お金がないのでただで船に乗せてもらって、航海の間は船の掃除をしたり食事作りの手伝いをして、働いていました。

 ある時、モロッコに行きました。モロッコも暑い国です。そして貧富の差が激しい国です。石畳の広場で物売りがたくさん店を出していました。父はそのバザールを見て、めぼしいものはあるかと探していました。その時、手作りの小さな壺やお皿を売っている女性を見たのです。父はその女性に一目惚れしました。

 モロッコにいる間中父は毎日その女性の処に行き、話をするようになりました。

 彼女はお母さんと二人暮らしで、山で粘土を集めてきて小さな窯で焼き、色をつけてそれを売っているのだと言いました。 暮らしは貧しく、バザールで売った代金でその日の食料を買って過ごしているのだと。

父はその話を聞いて決心しました。この女性と結婚したい。そして彼女とお母さんをインドネシアに迎えて、そこで穏やかに暮らして欲しいと。

 父は彼女にプロポーズしました。

『自分は一度国に帰ります。半年経ったらあなたとお母さんを迎えに来ます。必ず来ます。だから信じて待っていてください。』

と、言いました。そして彼女が売っていた壺や皿をいっぱい買って、インドネシアに戻ったのです。

その品物はインドネシアで飛ぶように売れました。それだけではなく父は半年の間懸命に働いたのです。そして小さな小さな小屋のような家を建てました。狭い庭でしたがそこに窯も作りました。ほら、キリエさんとボトルさんを連れて行ったあのスラバヤの貧しい町、あの辺りにね。そして約束の半年。モロッコに再び向かいました。

 彼女とお母さんは半分信じ、半分疑っていました。来るはず無い。でもあのまじめな顔、きっと来る・・・そう思いながら暮らしていたそうです。

 父がやってきたとき彼女はとても喜びました。

『私たちは同じイスラム教徒。アラーの神様が引き合わせてくださったのだ。』と。

 モロッコはインドネシアと同じイスラムの社会でした。


 父は二人を連れてインドネシアに帰りました。そして彼女と結婚したのです。彼女とお母さんはもう外で働く必要がなくなりました。父が持って来た粘土で壺や小さな皿を作って父がそれらを売りました。全く違う国に来たので、不安もいっぱい合ったでしょうけれど、同じイスラム教なのでアラーの神様を信じて穏やかに暮らしました。

 父はどんどん貿易を広げて行き、お金も貯められるようになりました。彼女とお母さんはモロッコに居たときより、ずっと楽な生活ができるようになったのです。

 そしてやがて私が生まれました。

 そのモロッコの女性が私の母です。

 私は父には全く似ず、私の顔にはインドネシア人の面影は全然ありません。100%、モロッコ人の母に似たのです。・・・・・だから・・・・・・・不思議に思う人もたくさんいました。『あなたはどこの人?』とよく聞かれることもありました。

 祖母、おばあちゃんは残念ながらもう亡くなってしまいましたが、母は元気に父と暮らしています。会えばびっくりするほど、私とそっくりですよ。

 これで私のお話はおしまい。謎はとけましたか?」


「よく分かりました。キリエちゃんはサムハさんのお父さんに会っているから、お顔立ちが違うって知っていたのね。」

 手紙さんが言いました。

「モロッコはねえ、とにかく美人ばっかりの国よ。女の人の綺麗なこと綺麗なこと。男の人もハンサムさんが多いわ。サムハさんのお父さんはお母さんを見て、なんて綺麗な人って思ったのでしょうね。」

 ニャーモさんが言いました。

 キリエさんが聞きました。

「サムハさん、モロッコって国どこにあるの?」

「キリエちゃん、モロッコはアフリカにあるのよ。」

サムハさんがそう答えたとたんに、手紙さんがあああああ!と大声を出しました。ニャーモさんが叫んだのと同じように。そしてボトルさんもタライの中で不思議な動きをしたので、中の水がパッパと飛び跳ねました。キリエさんだけ静かでした。

「アフリカ・・・・アフリカ・・・・・・モロッコはアフリカ・・・・」

と、ぶつぶつつぶやいていました。

 サムハさんはみんなの様子がおかしいので、どうしたことかと心配になりました。

「私がお話します。私はキリエちゃんと同体なので。」

手紙さんが話し始めました。

「キリエちゃんはサムハさんの処にたどり着く途中、地中海のスエズ運河の手前まで、マダラトビエイのエイヤさんに案内してもらいました。そしてスエズ運河ができる前は、船もお魚もみなアフリカ大陸をぐるっと回っていたと聞きました。キリエちゃんがアフリカと言う名前を聞いたのはその時だけです。

 でも、ニャーモさんのところに帰ってきてから、何かあると『アフリカ』と言っていたのです。声に出してもいいましたけど、キリエちゃんはしょっちゅうアフリカのことを考えていました。キリエちゃんの考えていることが分かる私には伝わっていました。なんで、そんなにアフリカの事を考えるのか、私は不思議に思っていました。それで聞いたことがありましたが、キリエちゃんにもなぜだか分からなかったようです。今回の旅の最中も『アフリカに行くの?』と何度も言いました。

 ニャーモさんや私はキリエちゃんがふざけているのだと思っていました。だって、ちゃんとニャーモさんから日本に行くよ、インドネシアに行くよと聞いていたから、アフリカに行くはずないのにと思っていたのです。

 今サムハさんのもう一つの故郷がモロッコと聞いて、ニャーモさんが大きな声を出したのは、ニャーモさんはモロッコがどこにあるか知っていたからでしょう。

 キリエちゃんと私は知りませんでした。でもサムハさんが『モロッコはアフリカにあるの』と言ったとき、私も分かったのです。多分ニャーモさんも、キリエちゃんの言葉の意味がもうわかったと思います。

 キリエちゃんはサムハさんと暮らしている間に、サムハさんの中に『アフリカ』を感じ取っていたのでしょう。そしてサムハさんを大好きなキリエちゃんは『アフリカ』に憧れて・・・

 『アフリカ』はキリエちゃんにとって『サムハさん』だったのです。サムハさんはキリエちゃんのアフリカだったのです。」

 手紙さんのしっかりとした説明でサムハさんは納得しました。ニャーモさんも深くうなずきました。そして当のキリエさんも、自分が何故アフリカに度々反応していたか、その理由がやっと分かったのです。


「手紙姉ちゃんありがとう。私が自分でも分からなかった理由を話してくれて。手紙姉ちゃんの言う通りだと、やっと分かった。」

「キリエちゃん、私をずっと想っていてくれてありがとう。涙が出るほど嬉しいわ。

 私はまだ母の故郷モロッコに行ったことがないの。いつか行きたいとエハカに言っているの。

 モロッコはね、アフリカの一番北で地中海に面している国なの。海を挟んでポルトガルやスペインにとっても近いの。ヨーロッパに一番近いアフリカの国なのよ。

 いつか私がモロッコに行くとき、メールボトル19さんもニャーモさんにお願いしてモロッコに旅をしてね。そこで又会いましょう。私のもう一つの故郷で今度は会いましょうね。」

メールボトル19は嬉しそうに、はい、と言いました。


 夜みんなが寝静まった後、サムハさんはアラーの神様にお祈りしていました。

「神様。私はとても素晴らしい友を持ってこんなに幸せです。

 キリエちゃんはずっと私の事を思い続けていてくれました。手紙さんも素晴らしく良い子ですし、ボトルさんもとても可愛い。もちろんそのように育てたのはニャーモさんでしょう。彼女の人柄も私は大好きです。

 どうか、私がこんな良い友達に、恥ずかしくない人間でいられますようにお導きください。

 そして又必ず、みんなに会えますように。」

静かな夜の闇の中、トッケイがしきりと鳴いていました。


 出発の日です。この長く楽しい旅もいよいよ終わりを迎えます。エハカさんが自動車で迎えに来てくれました。サムハさんも乗り込んで、いよいよここともお別れです。

「楽しかったね、いっぱい思い出ができたね。暑かったけどそれでもやっぱりみんなでいるのって最高よね。」

 ジュアンダ空港に着きサムハさんとエハカさんにお別れをしました。

「良い結婚式でありますように。そして二人の新しい生活が、幸福に満ちたものでありますように。エハカさん、サムハさんを大切にしてくださいね。」

 エハカさんは約束しますと答えニャーモさんと握手をしました。

「サムハさん・・・あのウェディングドレス、絶対着てね!写真忘れないでね。」

 メールボトル19が小声で言いました。サムハさんはにっこりほほえんで

「必ず着るわ。待っていてね。」

と、答えました。

 名残はいつもつきないものですが飛行機の時間が迫ってきます。今回のお別れはみな笑顔でした。


 飛行機に乗り込むと手紙さんが言いました。

「目的地はCGKって・・・なんていうところ?」

「うん、チュングカレン空港って言うの。と言うのは昔の話でね。チュングカレンと言う土地にあるのでそのままCGKって使っているけど、今の名前はスカルノ・ハッタ国際空港なの。インドネシアで一番大きな空港よ。

 そこで乗り換えてAMS,オランダのアムステルダム空港まで12時間のフライト。オランダはキリエさんを海に流したデンマークのお隣の国。そこからもう少しだけ飛行機に乗ってHEL到着。」

 わーー、なんだかすごいなぁ・・とメールボトル19は思いました。言いたいこと、聞きたいことがまたまた増えました。

「ねえ、なんで空港のお名前が変わったの?」

「それ話していたらスカルノ・ハッタ国際空港に着いちゃうわよ。」

 ニャーモさんが参ったなぁとメールボトル19を見ました。けれどメールボトル19はニャーモさんの言葉を待っています。

「あのね、インドネシアって国は昔はオランダの一部だったの。」

「えっ??デンマークのお隣のオランダの一部?だってすごく離れているのに?」

「そう、インドネシアは国じゃ無くてオランダの領土だったの。でもそれ、インドネシアの人達は嫌だったの。だからオランダから離れる為に戦ったの。独立戦争って言うのだけどね。その時に活躍した人がスカルノ大統領とハッタ副大統領。

 そして戦いに勝ってオランダが、はいはい、もうオランダじゃありません。あなたたちの国はインドネシア国です。って認めたのよ。インドネシアの人達はとっても喜んで、二人の名前を記念に空港の名前にしたのよ。

 そうそう、その頃インドネシアに日本人の吉住留五郎さんと言う人が住んでいてね。一緒に戦ったのよ。昔のインドネシアの人は、その人のこと覚えてると思うわ。」

 メールボトル19はニャーモさんの話を真剣に聞いていました。手紙さんが言いました。

「なんだかすごい。私たちこれからオランダに向かうのでしょ。そして宮子さんに会った日本。サムハさんの居るインドネシア・・・・世界って繋がってるみたい。」

「そうだね。世界にはたくさんの国があるけど、みんな何かしらで繋がっているのよ。喧嘩して仲が悪い国もあるけど、できる限りどの国も仲良くしよう、協力しようって考えているのよ。」

「お名前が変わった空港は他にもあるの?」

 キリエさんが聞きました。

「あるわよ。結構たくさんあるよ。ええと、たとえばアメリアにはジョンFケネディと言う、立派な大統領だった人の名前の空港あるしね。イギリスのリバプールってところはジョン・レノン空港。この人音楽家。音楽家と言えばポーランドのショパン空港も。それからフランスのリヨンの空港は、小説家のサン・テグジュペリ。日本にもあるのよ。坂本龍馬って偉い人がいてね。龍馬空港と言うのができたのよ。」

「わーー面白いね。きっとみんなその国で活躍した有名な人を、よその国の人に自慢したくて空港にお名前つけるのかもしれないね。」

 キリエさんの感想は、当たらずとも遠からずだなぁとニャーモさんは思いました。

「ねえ、フィンランドにはお名前変えた空港はないの?ロバニエミなんて、サンタ・クロース空港にしたらいいのに。」

「確かにそうね、面白いわね。でも今のところフィンランドにはないわ。そうそうニャーモのお家があるトゥルクの空港が、『ムーミン空港』なんて、いいんじゃない?」

 結局最後は笑い話になってしまいましたが、そんな話をしているうちに本当にスカルノ・ハッタ空港に到着してしまいました。

ニャーモさんは思っていました

 『良かった、到着。ケネディさんがどんな人?とかジョン・レノンさんがどんな人とか聞かれたら、簡単に答えるの難しかったし・・』

 しかしニャーモさんの考えは甘く・・・メールボトル19は非常に記憶力が優れているので、お家に帰ってから、質問の矢がばさばさと飛んできました。しまいには手紙さんとキリエさんがビートルズの歌を歌い出し、ボトルさんがそれに合わせてぴょんぴょん飛び跳ねるように・・・ニャーモさんもやれやれと思いながら一緒に歌い、一緒に踊るようになってしまったのは後のお話。


 スカルノ・ハッタ空港です。さすがにインドネシア一の空港、とても広くて大きくて近代的です。ここからは長いフライトになります。

「私ね、すごく楽しみだったの。今から乗るのはエミレーツ航空と言ってね。私の憧れの航空会社の一つよ。アラブ首長国連邦のドバイって言う、なんかすごい都市が拠点でね。  豪華絢爛なファーストクラスやビジネスクラス。ああ、興奮するわ。」

メールボトル19はファーストクラスとかビジネスクラスなんか知りません。

「それって同じ飛行機の中?」

「そうよ、同じ飛行機の中で特別な場所にあるの。ものすごくお値段も高いの。」

「じゃ、今日はそのどちらかに乗るのね?」

「まさか!!ニャーモさんはそんな贅沢はしませんよぉーーー。いつものエコノミークラスでーす。」

「・・・・・・・・・・・だったら・・・・・何も嬉しいことないじゃない。」

「ううん、そういう場所がある飛行機に乗るってだけで嬉しいのよ。」

 前から思っていたことですが、ニャーモさんはやっぱり子供みたいなところがあるようです。

「お食事もとても美味しいって聞いたわ。それにキャビンアテンダントさんが・・・とっても魅力的なのよ。見れば分かるわ。」

ニャーモさんはとにかく、今度の飛行機に乗るのがとても楽しみな様子です。


搭乗のアナウンスがありました。目的地はアムステルダム・スキポール空港です。AMSと書いてありました。飛行機に乗り込むと、キャビンアテンダントさんたちがこぼれるような笑顔で迎えてくれました。

 メールボトル19はびっくりして声がでません。

「お客様のお座席はこちらでございます。ごゆっくりおくつろぎくださいませ。」

アテンダントさんはそう言って座席まで案内してくれました。

 制服は真っ赤なスーツです。そして同じ色のトークハットをかぶっていて、その帽子のところから白いベールが垂れ下がっています。とても優雅です。男のお客さん達はアテンダントさん達に見とれています。だってどのアテンダントさんも、美人ばっかりなのですから。

「私・・アラビアンナイトのお姫様は、サムハさんより、ここのアテンダントさん達の方がぴったりな気がするわ。だってアラブでしょ・・アラブってアラビアンだと思うし。」

「みんなすごく綺麗ね。そしてお帽子のベールが本当にお姫様みたい。」

とメールボトル19は妙に納得していました。

 飛行機が飛び上がるとお食事の用意。アテンダントさんが運んできてくれました。ニャーモさんは早速食べて、おいしい、評判通りだわ。と満足そうでした。

「フィンランドって・・・食べるものあまり美味しくないのよね。半分冬だし、取れるものがすくないのね。サケとかオイルサーディンとか、ニシンの干ものとか・・・お野菜だって限られているし。まあそれらも美味しいけど、いっつも同じものばかり食べている気がするわ。

 日本では珍しいものいっぱい出してくれたでしょ。インドネシアもやっぱり食べ物の種類が豊富だったわ。

 食事が代わり映えしないのも、自分の国だから仕方ないけどね。」

 ニャーモさんは機内のお食事を残さず食べて、食後のコーヒーを味わっていました。ニャーモさんはとてもリラックスしてご機嫌でした。

 手紙さんは考えていました。

 『旅はとても楽しかったけれど、やっぱりニャーモさんは自分の家にもうすぐ帰れるのが嬉しいのだわ。そう、キリエちゃんとボトルさんがニャーモさんのお家に帰ってきたとき、あんなにサムハさんが大好きなのに、それでもお家がなにより嬉しかった。あの時の気持ち私忘れられないわ。自分の住処って、特別なものなのね』

 ニャーモさんはコーヒーのおかわりをしながら言いました。

「さあ、ここであなたたちに問題を出すわね。この飛行機はアムステルダムまで12時間もかかるから、ゆっくりしていられるしね。考える時間はたっぷりあるわ。

 はい、私たちは夕方の5時に飛び上がりました。目的地までは12時間かかります。さて、到着はいったい何時でしょう?時差は8時間よ。よく考えてね。」

 メールボトル19は考え始めました。

「ええと・・夕方の5時に飛び上がったのよね。そして12時間かかると言う事は、明日の朝の5時に到着。だけど、時差が8時間ということは、明日の午後1時に到着だね。」

 ボトルさんが強く二回傾きました。いいえ、違うといっているのです。

「キリエちゃん、それ違う気がするわ。ニャーモさん、機内誌の一番後ろのページの世界地図見せて。」

 手紙さんがそう言ったので、ニャーモさんは世界地図を広げて見せました。

「文字小さいけど・・・まずフィンランドを探そうね。」

「えっと・・北の国だから上の方・・・あ、あった、赤丸ついてヘルシンキって書いてある。」

「じゃあ、キリエちゃんが流されたデンマークは??」

「お隣のスウェーデンまで船で行ってそこからピレンちゃんに乗って・・・走って。ああ、あった。ここよ。」

「PHR07さんがオランダはデンマークの隣って言ったわよね。探せるよね。」

「あった。ここ。赤丸でアムステルダムって書いてある。」

「私たちはそこへ向かって飛んで行くのよね。じゃあ、今度は日本を探しましょう。あのとき東に向かって飛んで行って、日本は小さな島国。東の島を探そうね。」

「日本、日本、あった!!ほんと小さな島国ねえ。KIXはどこかしら?」

「すごく小さな文字だけど、関西インタナショナルエアポートってここにあるわ。」

「そこからインドネシアにいったのよね。南へ飛んだね。バリ島見つからない。」

「バリ島じゃ無くていいのよ。スカルノ・ハッタ空港を探しましょう。」

「インドネシアの一番大きな島・・・・の・・・あ、見つけたわ。」

「私たち、スカルノ・ハッタ空港から飛び立ったわけよね。そこからアムステルダムまで・・・・それって西に飛んでいるのよ。」

 手紙さんとキリエさんは世界地図で、自分達がフライトしたところを探し出しました。

ボトルさんが一回しっかり傾きました。

「東に飛んだ時は地球の回り方と反対に向かって飛んだから、時間が早くなってお昼過ぎの出発で8時間のフライトだったけど、時差を加えて朝の6時に着いたのだったわ。

 今度は西に飛ぶってことは・・・地球の回り方と同じ方向に飛んでいるのだから・・・地球と競争?」

 ボトルさんが又しっかり一回傾きました。

「ええと・・・・だったら・・8時間の時差を足すのじゃなくて、引くってこと?」

「そうだと思う。だから・・・・夕方5時から12時間で朝の5時・・・そこから8時間引く・・・前に戻るのよ。だとしたら夜の9時!!!え?5時から飛んで夜の9時だと4時間しか飛んでいないみたいになるねえ。」

 ボトルさんは手紙さんとキリエさんの会話を聞いていて、またまた強く一回傾きました。

「ニャーモさん、分かったわ。夜の9時にアムステルダムに着くの。」

 ニャーモさんは笑い顔でいいました。

「よく考えたわね。大正解よ。その通り。手紙さんもキリエさんも賢くなったねえ。でも。ボトルさんは最初からわかって居たみたいね。」

 ボトルさんは嬉しそうにぴょんと飛び跳ねました。

 「宮子さんが言っていたわね。このボトルさんは大学の偉い先生達が、研究して作り出した特別なボトルだって。だから私、ボトルさんすごく賢いのだと思う。ただ、話せないだけ。もし話せたら私より、キリエちゃんよりずっと賢いのだと思うわ。」

「手紙姉ちゃんの言う通りだと私も思う。ボトルさん、えらい!!」

 ボトルさんはみんなに褒められてちょっと恥ずかしそうでした。

「ニャーモさん、アムステルダムに夜の9時に到着して、それからヘルシンキ行きの飛行機に乗るの?」

「ううん。もうその時間にヘルシンキに飛ぶ飛行機はないから、空港の中にあるホテルで一泊して、次の日の朝の飛行機に乗るのよ。」

 メールボトル19は『そうなんだ・・明日はヘルシンキに帰るんだね』と思いながらも『なんで明日??今夜この飛行機の中で眠って、着いたらホテルで眠って・・・明後日ヘルシンキじゃ・・・ないんだよね。時差ってやっぱりよくわからない不思議なものだわ』 と、思っていました。

「ほら、あなたたち窓の外を見てごらん。もう真っ暗よ。」

「ほんと、じゃあずっと夜の中をとぶのかな?」

「多分・・一回昼になると思うのだけどまたすぐ夜になっちゃうのね。本当の事言うとニャーモも時差のことはまだよく分からないの。ただ・・そういうものだと思っているだけ。深く考えるのやめちゃいましょう。頭がこんがらがっちゃうしね。」

 ニャーモさんはそう言っておおきなあくびをしました。もう眠くなったみたいです。


 まだみんなが寝静まっている時、機内に灯りがともされて朝食が運ばれてきました。

「ん・・・ん。まだ眠いのになぁ・・・朝食?外は真っ暗な夜なのにね。」

とニャーモさんが言いました。

 朝食を食べ終わるともうすぐ着陸態勢です。12時間の長いフライトでしたが、みんなよく眠っていたのでそんなに長くは感じませんでした。

 

 赤いトーク帽のキャビンアテンダントさん達に笑顔で見送られて、アムステルダム・スキポール空港に到着しました。とても広くて爽やかな感じのする空港です。別にヘルシンキ空港とは似てはいなかったのですが、それでも同じヨーロッパの空気というのでしょうか?メールボトル19はここまで来て、お家が近くなってきたなと感じたのです。

 「さてと、ホテルに行きましょうか・・・その前に何か食べたいわ。朝食って言ったけど今、夜だし、もう少しボリュームのあるものが食べたい。」

 ニャーモさんはかなり分厚いサンドウィッチとミルクティーを買って、ぺろりと食べました。

 そのあとでホテルに行ったのですが、なんだか箱の中に入ったような、お部屋とは言えない処でした。ただベッドがあるだけ。シャワールームやトイレは共同です。

「これでいいのよ、ただ一晩眠るだけだから。飛行機を待つ人はみんなこういうところで眠るの。空港内にあるから、朝出発が楽だからね。」

それにしてもつい先ほどまで眠っていたのです。眠れるのでしょうか?しかし、ニャーモさんはベッドに横になると、すぐにすやすやと眠ってしまいました。

「体内時計が夜だからかな?それにやっぱり長い旅行で疲れているからだろうね。」

と、寝ても寝なくてもかまわないメールボトル19は、ニャーモさんの寝顔を見て言いました。


  翌朝、いよいよ最終コースです。手荷物検査場でメールボトル19は、今回の旅の最後の『ロボット』になりました。ボトルさんが旅の間に様々な動きを覚えたので、もう本物のロボットに見えます。検査場の係員さんがニャーモさんに向かって

「すごいですねえ・・・あなたは科学者なのですね。いやぁーー立派なロボットですね。」 と、褒めてくれたぐらいです。

 搭乗口に着くとこれから乗る飛行機が停まっていました。

「KLMって書いてある。それに王冠のマークが付いてる。ニャーモさんこれはどこの飛行機なの?」

「オランダって王国なの。王様がいらっしゃる国。KLMと言うのはね、ニャーモ発音できないオランダ語だけど『王立航空会社』の頭文字だって。」

「王様が飛行機の会社を作っちゃったの?」

「ニャーモもよく知らないけどすごく古くからあって世界で一番最初の航空会社だそうよ。」

 そんな話をしているうちに搭乗案内のアナウンスが始まりました。

「目的地 HEL。いよいよフィンランドだね。」

 メールボトル19は嬉しそうです。ニャーモさんもやっぱり嬉しい気持ちになりました。「早いわよ、二時間。すぐにフィンランドよ。」

 飛行機の窓から地面を眺めていたメールボトル19は聞きました。

 「あの羽がついて回っているものは何?たくさん見える。それからオランダって地面に色が付いている。赤、ピンク、白、黄色、紫、オレンジ・・・地面がしましまになっているわ。」

「回っているのは風車よ、オランダの名物。それから地面に色が付いているのじゃ無くて・・でも・・・・ここからだとそう見えるわねえ。あれらは全部お花。チューリップよ。オランダはチューリップの国でもあるの。一番いい季節になって、チューリップが満開ね。

 そう、日本では桜が満開だったわね。春はどこの国も綺麗になるわねえ。」

 オランダの景色もあっという間に通り過ぎ、今までの長い旅に比べたら、2時間などすぐでヘルシンキ空港に到着です。預けていた荷物を受け取って空港の外に出ると、空気が冷たくて思わず身震いしました。

 「春だわ。間違いなく・・雪も全部溶けている。フィンランドも春だわ・・でも気温はまだたったの2度よ、早くタクシーに乗りましょう。」

 もう4月だというのに震える寒さです。ああ、でもこれがフィンランドなのです。メールボトル19は帰ってきたことをとても嬉しく感じました。

 タクシーに乗り込むと暖房が付いていてほっとしました。

 ニャーモさんのお家の前でタクシーは止まりました。


 「メールボトル19!!お家に帰ってきたわよ。お家、お家。やっぱり自分のお家は良いわね。でも・・・暖炉に火がついていないから外と同じ気温よ。」

 ニャーモさんはブランケットでメールボトル19をぐるぐる巻きにして、机の上に置きました。そして自分はトナカイの毛皮のコートを羽織りました。

「今すぐ暖炉に火を入れるから少しまってね。」

 石炭を入れて、その上に薪を置きます。薪の上に小枝をたくさん載せます。その上に火をつけた丸めた新聞紙をいっぱい載せて、ふーふーと息を吹きかけています。新聞紙の火はすぐにカラカラに乾いた小枝に移りました。小枝はパチパチと明るい音を立てて燃えています。その火は太い薪に燃え移り、それは一番下の石炭も真っ赤にしました。

「これでOKよ、すぐに部屋は暖かくなるわ。私今のうちに倉庫に行ってピレンに会ってくる。」

「私たちも行く。ピレンちゃんにただいまをいいたいもの。」

 ニャーモさんはブランケットで巻いたままのメールボトル19を持って、倉庫に入りました。

ビットピレンの上には何かの毛皮がかぶせられていました。それを取り除くと、今度はキルティングの布がかぶせてありました。それも取ると今度はとても柔らかい布で、どこもかしこもしっかりと包まれていました。

 ニャーモさんが丁寧にその布を取り外すと、長い冬の間じっと我慢していたピレンが姿を現しました。

 ニャーモさんはピレンのあちこちをくまなく点検しました。どこも錆びたりしていないかどうかを調べているのです。ピレンはぴかぴかと光って綺麗なままでした。

「ピレン、長い冬は終わったわ。もう雪は無いわよ。明日からあなたのメンテナンスをするわね。ガソリンも買ってきてエンジンをかけなくちゃね。しっかりメンテナンスが終わったら、この春一番のツーリングに出かけるわ。」

 するとキリエさんがいいました。

「ニャーモさんはね、日本でアスペンケードに乗って、今年の初乗りしたんだよ。」

「キリエちゃん、そんな意地悪っぽいこといわないの。ピレンちゃんが可愛そうだわ。ピレンちゃん、それは宮子さんの好意だったの。旅の間の、お。ま。け。だからピレンちゃんと走るのが、ニャーモさんのこの春最初のツーリングよ。」

ピレンは何も言いませんが、きっと春を待ち焦がれていたことでしょう。

 再びピレンに布をかけ、毛皮もかけて、

「明日ね。ちゃんと快適に動くようにしてあげるからね。」

 そう言って倉庫を出てお家の中に戻りました。暖炉の火は赤々とよく燃えていて、ニャーモさんも毛皮のコートを脱ぎました。


 ニャーモさんはまだ旅の荷物もほどいていないのにンケラドに電話をかけました。しばらくするとンケラドの社員さんがやってきました。

「長いお休みいただいて・・これ旅先で描いてきた新しい図案よ。会社に持って行ってくださいね。チーフのOKが出たら色をつけます。」

 いったいニャーモさんはいつの間に図案を描いていたのでしょうか?

「ああ、オリエンタルな柄。南国の柄。今までにないものですね。ここでは浮かんでこない柄でしょうね。明るくていいと思いますよ。早速会社に持って行きます。」

 社員さんはそれに目を通すと満足そうに言いました。

「あのね、お願いがあるの、会社に戻る前に私を買い物に連れて行ってくれない?そして申し訳ないけどまたここまで送って欲しいの。」

 社員さんは気軽くいいですよと言い、ニャーモさんはメールボトル19に、お留守番していてねと言い残して出て行きました。


 1時間ほどでニャーモさんは、大きな紙袋とポリタンクを抱えて帰ってきました。

「さあ、これで食料調達完了。ンケラドの人が連れて行ってくれて助かったわ。じゃなかったらお隣さんに車を借りて、行かなくちゃならなかったもの。私の食べ物とピレンちゃんの食べ物よ。」

 ニャーモさんはそれらをかたづけて、やっと暖炉の前のソファーに腰を下ろしました。なんでもさっさとやってしまわなければ、休むことのできない性格です。

「長い旅だったわね。とても楽しかったね。いろいろなハプニングもあったけど、それらも今思うととってもいい思い出になったわ。」

 メールボトル19もそれぞれ旅の思い出を振り返っていました。


 翌日は早速ピレンのメンテナンスです。買ってきたガソリンも入れてエンジンをかけます。ピレンは小気味良い音を立てています。ニャーモさんはピレンを倉庫から出して、家の前の道を少し走ってみました。

「快適!ピレンらしい走り。こうじゃなくっちゃね!」

「メールボトル19!明日はツーリングに行くわよ。まだ寒いから暖かくしていきましょうね。」

 ニャーモさんのジャケットの中に入って、半年ぶりのピレンちゃんとのツーリング。ピレンにはアスペンケードのような風防はありません。だから冷たい風がどんどん押し寄せてきます。それでもピレンは風に向かって、その名の通り矢のように走って行くのです。

 これからどんどん暖かくなって行くでしょう。そうしたら毎日のようにピレンちゃんと一緒に走るのです。ニャーモさんは頬を真っ赤にして嬉しそうに鼻歌を歌っていました。



 みんながお家に帰ってから6日たって宮子さんから手紙が届きました。新しい住所からです。

 二枚の写真が入っていました。一枚は新しい宮子さんのお部屋の中です。きちんと整頓されて過不足なく家具が揃えられていました。海の見える窓際に夫さんの愛用していた机と椅子が置かれていて、その上に小さく見えたのはトントゥでした。

 もう一枚の写真は一階のホールのソファに、三人の女性と一緒に写っている宮子さんでした。四人はみな笑っていて手でハートマークを作っていました。宮子さんはニャーモさんがそっと置いておいたロングジャケットを羽織っていて良く似合っていました。

『新しい住まいにもすぐに慣れました。ニャーモさん、素敵なロングジャケットありがとうございました。クローゼットの中に見つけた時は胸がいっぱいになりました。

 お話しするお友達もできました。みなさんが素敵なジャケットね。どこで買ったの?と聞くのですよ。

 今まであの広い家で一人っきりでしたが、ここはいつでもお話できる人達が居て、移ってきて良かったと思っています。

 私はとても幸せです。ここで私のできることをして、生活して行きたいと考えています。 手紙さんやキリエさん、ボトルさんにもよろしく伝えてくださいね。

 ニャーモさん、ありがとう、私は大丈夫ですから心配しないでくださいね。』


 ニャーモさんはその手紙を声を出して読みました。

「宮子さんほんとうに元気そうで明るくて、安心したわ。」

と手紙さんが言いました。

「ほんとね、良かったね。それにジャケットすごくいいわ。」

とキリエさんも言いました。

 ニャーモさんもとても安心しました。新しい住所にお返事書かなくちゃと思いました。


それから1週間して今度はサムハさんからの手紙が届きました。こちらも写真が入っていました。結婚式の時の写真です。一枚はインドネシアの民族衣装を着たサムハさん。もう一枚はウェディングドレスを着たサムハさん。

 『滞りなく結婚式が終わりました。お約束の写真を送ります。

 民族衣装の方はみな見慣れているので誰も驚いたりしませんでしたが、ウェディングドレスに着替えると、みんなが感嘆の声をあげました。

 エハカはSangat cantik(サンガチャンティック)と言い続けていました。とても綺麗と言う意味です。あまり何度も言うので恥ずかしくなってしまいました。

 ニャーモさんがメールボトル19を連れてきてくださって再び私に会わせてくれて、言葉にできないほど嬉しく感謝しています。

 エハカと結婚し、みなさんともこうして交流ができ、私は本当に幸せです。

 みなさんの幸福と健康をアラーの神様にお祈りしています。ありがとうございました。』


 この手紙もニャーモさんは声を出して読みました。メールボトル19はサムハさんのドレス姿の写真を見て、わーわーと騒ぎました。

「きれいーーー!やっぱりお姫様みたいだね。ニャーモさん作ってあげて良かったね。エハカさんも喜んでるみたいだし。」

 キリエさんは自分が褒められたかのように喜んでいました。


 ソファに座って二人からの手紙と写真を交互に見ているニャーモさんに、手紙さんが聞きました。

「宮子さんもサムハさんも幸せ。ニャーモさんはどう?」

 ニャーモさんはその質問に少しびっくりしました。そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったからです。

 ニャーモさんは独り言のようにつぶやき始めました。

「冬はいつも暗くて寒くて、気持ちが沈んで・・・何もする気が起こらなかった。いっしょにいたのはずっとピレンちゃんだけ。でも冬はピレンちゃんも冬眠。ニャーモはいつも一人だった。

 そんな私のところにあなたたちが来てくれた。良くしゃべる賑やかな手紙達。いつのまにか動きを覚えた不思議なボトル。

 夏だけじゃない。冬も光が差しているかのように明るくなった。

 もう、寂しい暗い冬ではなくなった・・・・・・・・ニャーモの目には冬でもオーロラの向こうに白夜が見えるようになった。

 メールボトル19と言う名の家族ができた。

 この毎日が幸せでは無いと誰が言えるの?

 私は世界で一番幸せな、ニャーモさん、よ。」


メールボトル19は静かにその言葉を聞いていました・・・・・。






  おまけのお話


二年の月日が流れました。

 :::::::::::::::::::::::::::::::::

 『みなさんお元気ですか?エハカも私もそして娘のスラットも元気です。スラットは一歳になってよちよち歩きを始めました。スラットはたいへん聞き分けの良い子で、ぐずることもほとんどありません。それでエハカが旅行もできるなと言い、7月25日から1週間、とうとうモロッコに行くことになりました。私は大変興奮しています。

 モロッコではマラケシュ・メディナホテルに泊まります。ニャーモさん、是非メールボトル19と一緒にモロッコに来てください。お会いできるのをとてもとても楽しみにしています。サムハ』

 サムハさんの手紙を読んでメールボトル19は驚喜しました。

「ニャーモさん、飛行機とホテルの予約をして。7月25日だったらもう夏の休暇よね。みんなで行こうよ。サムハさんにも赤ちゃんのスラットにも会えるし。それにしてもサムハさんたら、SURATなんてお名前つけちゃって。インドネシア語の『手紙』でしょ、私たちと同じ!ふふふ。サムハさんとエハカさんの『お手紙ちゃん』にも会えるのね!

 ああ、初めてのモロッコ、初めてのアフリカ!なんてすてき!」

キリエさんはニャーモさんにせがみました。

「そうよ・・・ニャーモさん、オランダまでまたKLMで飛んでそこで一泊しましょう。着いた日に遊覧船に乗りましょうよ。PHR07さんとその家族に会えるわ。船の上から交信したら、会えなくてもお話ができる!翌日にモロッコに飛びましょう。」

 手紙さんもニャーモさんにせがみました。

「はいはい、行こうね。ちゃんと飛行機やホテルの予約するわね。今年の夏の休暇の一大イベントはこれで決まりね。」

 あと一ヶ月あまり・・・待ち遠しい日々になりました。


::::::::::::::::::::::::::::::::

 夏の終わり頃ニャーモさんは黙ってでかけて行きました。しばらくすると大きな音を立てて玄関の前でモーターサイクルをふかしています。メールボトル19は、あれおかしいな?ニャーモさんはピレンちゃんででかけた風ではなかったのに・・・帰ってきてピレンちゃんにエンジンをかけたのかな?と思いました。

「買っちゃった!買っちゃった!見て見て見て!!」

とニャーモさんは大声で言いながら家の中に入り、メールボトル19を持って外に飛び出しました。そこには二台のモーターサイクルが並んでいました。

「えっ!!??これ・・・ピレンちゃんにそっくりだけど・・・えっ?買っちゃった?え?もしかして・・・・・スヴァルトピレン??」

「そうよ!!スヴァルトピレン買っちゃったの!ニャーモの贅沢。

 あなたたちだって、姉妹でいつも一緒にいるでしょ。ピレンちゃんだけじゃ寂しいだろうと思って、弟君、スヴァルトピレン、買っちゃったの。ほらこうして並べるとすごく良いでしょ。」

 ニャーモさんは笑いがとまらないという風にぐふふふっと笑っています。

 メールボトル19は少し呆れましたが、ニャーモさんはとっても頑張って仕事をしているし、他の事には全く贅沢はしませんし、これはいい買い物だと納得しました。

「ピレンちゃんと同じお名前ではややこしいし・・・弟君はスヴァルト君でいいよね。」  「ああ、いいわね。ピレンとスヴァルト・・・・白夜の矢とオーロラの夜の矢よ。」

「でも・・・二台一緒に運転はできないでしょ。どうするの?」

「一台はあなたたちが運転して。」

と無理な事を言ってニャーモさんはまたケラケラ笑いました。

「冗談冗談、私が交代で運転するの。そして冬になったら倉庫の中で並んで冬眠よ。

 北欧はね、フィンランドはね、爽やかな白い夏があって、暗い夜のオーロラの冬があるわ。私は以前は冬が嫌いだった。でもね薄暗い冬も、みんなで暖かい暖炉のそばにいたら満たされる。私たちの国の自然なのよね。今は冬も愛しているのよ。だから、私は夏も冬も持っていたかったの。」

 今度は冗談ではなくニャーモさんはまじめに言いました。メールボトル19は、ニャーモさんが冬も心の中に受け入れたことを、しっかりと認識しました。そしてこの買い物は『必要』なものだったのだと思ったのです。


 それからというもの日課のように一仕事終わると、ニャーモさんは今日はピレン、明日はスヴァルトと言う具合に、交代で短いツーリングに出かけるのです。もちろんメールボトル19もいつも一緒。

 以前にジョン・レノン空港のことからビートルズの話になって、CDを買ってビートルズの歌をみんなで覚えました。

 モーターサイクルを矢のように飛ばしながら、みんな揃って声を合わせてビートルズの歌を歌うのです。 雪がやってくるまで・・・・ずっと毎日・・・・ピレンとスヴァルトとの楽しく賑やかなツーリングは続きました。


:::::::::::::::::::::::::::::::

 宮子さんはすっかり生活に慣れ、何不自由なく暮らしていました。

『私の人生は実に恵まれていたわ。世の中には苦しかったり、悲しかったり、不安な思いで毎日過ごしている人達がいっぱいいるのに・・・私にできること・・何か世の中にお返しができること・・・・・・・人々がほんの少しの間でも夢を見て笑顔になれること・・・・・・それは何かしら?』

 宮子さんはいつもそのことを考えていました。

夫さんの机の前に座ってずっと海を眺めていました。

 「綺麗な海・・・・・誰にでも公平な海・・・・・・・海・・・・・・海・・・・」

 机の一番下の引き出しを開けると、そこにはまだ手つかずの原稿用紙が沢山入っていました。宮子さんはそれを机の上に置きました。

「読んでくれた人が笑顔になれるような・・・そんな物語を書きましょう。そう、それがいいわ・・・・・題名は・・・・・・・そう・・・・」

 宮子さんはペンを取りました。


 『遠い国の返事』


『私は分厚いプラスティックのボトルに入れられた「手紙」。そして私を書いた人が私を海に流しました。その人は私が波間を漂うのをじっと見送ってくれました。私の相棒はボトルさん。』


                           了











あとがき


 私は自分の死後の為に永代供養の樹木葬の墓代を手元に残しておりました。永代供養なら子供達に迷惑をかけることもないだろうと考えてのことでした。しかし高齢者社会になって『墓じまい』をなさる方々も増えている昨今、今更お墓を作ってどうするの?と言う気持ちと、いくら永代供養と言ってもそこにお墓があれば子供達もやはり気にするだろう、と、考えを改めたのでした。

 物語を書くきっかけは中学の同級生が癌で苦しみ、治療の副作用で憂鬱な毎日を送っていることを知ったからでした。彼は長年船に乗り、百の国、百二十の港を行き来していた人でした。友の苦しみを救うことはできません。ただ一時でも憂鬱な思いを忘れて楽しい気持ちになってもらえたらと、この物語を書き始めました。海、旅、遠い国、友情、自分の居場所、そのような事を盛り込んで書き進めました。友には出来上がったところまでメールで送っていました。

 いつも楽しんでくれました。『海、懐かしい、いいね、こんな旅をまたしてみたい』そう言って私の拙い物語の続きを待ち望んでくれていました。私は友の残された時間と戦うように書き続けました。やっと完成した時、そうだ!!これを紙の本にして友に届けよう、更に一冊、国立国会図書館に納本できたら、この国が続く限り私の生きた証もそこに留まることができよう。

樹木葬の墓代を自費出版に宛てようと決心しました。

 それからあちこちの出版社などに詳細を伺う時が続きました。けれど、どこも私が一歩踏み出す意欲をそぐ何かがあったのです。実現は遠いなぁと感じました。

 「紙の本にして手渡すからね。だから待っていてね」と言う私に『できるまで生きなきゃな』と言っていた友は2024年3月に永眠しました。間に合わなかった後悔や無念な気持ちが私をぺしゃんこにしました。

 けれど、自分が決心したことを必ず叶えようとそれからも各社にお伺いを立て続けました。そしてやっと巡り会えたのが『銀河書籍・ニシダ印刷製本』さんでした。御社は私の無理な希望をことごとく受け入れて下さいました。そして担当の家本氏は最初からとても親身になって下さり、何度もの校正にも呆れずおつきあい下さいました。家本氏からのご提案は私が当初考えて居たものよりずっと良いものでした。しかも私が提示した金額を超えることもなく、とうとうこの本が出来上がりました。

 友の一周忌にはお仏壇の前にこの本をお供えすることができます。私自身も国会図書館の中で永眠する事も叶ったのです。

銀河書籍・ニシダ印刷製本さん、ありがとうございました。担当の家本氏、ありがとうございました。又、バイクに関する事を教えて下さった某出版社のS・Uさん、ありがとうございました。

みなさまに支えられわがままな願いを叶える事ができましたこと、心から感謝申し上げます。       ありがとうございました。

著者 KYO こと 萩平京子


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遠い国の返事(完全完結通し) KYO @Kyomini

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画