繰り返す日々の先に。

海月いおり

誰もいないオフィス


 毎日毎日、同じことの繰り返し。


 同じ時間に起きて、身支度をして、朝ご飯を食べて、会社に向かう。


 会社でも同じことの繰り返しだ。

 着いたらすぐに給湯室でお茶を沸かして、朝礼でラジオ体操をして、終わったらデスクで溜まった業務の処理をする。そして合間の来客対応と電話対応と、突発的な出来事への対処。

 何も変わらない。毎日毎日、同じことの繰り返し。




「佐々木さん、ごめん!」

「……はーい」



 総務部長の謝罪から始まる、恒例の呼び出し。これは『これから面倒なこと頼むよ』という合図だったりする。


 呼ばれて部長の席に向かうと、静かに1枚の紙を渡される。そして「ごめんだけど、これを今日中にお願いします」と、少しだけ頭を下げながら部長は頬を掻くのだ。

 部長は悪びれもなく「君にしか頼めないんだ」と微笑むから、私は複雑な感情で胸がいっぱいになったりして。


 任されるのは嬉しい。信頼されているのも嬉しい。


 だがひとつ、どうしても忘れてはならない事実がある。

 総務部には〝あと4人も部員がいる〟ということだ。



 ある人は、席を空けている時間が長い。一体どこで何をしているやら。

 またある人は、パソコンのモニターの隅っこで野球中継を観ている。無言でガッツポーズなんてしたりして。

 またある人は、メモ帳の端にお絵描きなんかしている。そしてたまに居眠り。

 またある人は、堂々とスマートフォンを弄ってゲームの周回をしている。その手の動きは、ゲーム以外に考えられない。


 手持ち無沙汰で暇を極めた4人である。


 しかし、部長はその人たちに一切仕事を頼まないのだ。「彼らは少し心配だから」という謎な理由で、急な仕事はすべて私に投げかけてくる。


 何度も言うが、任されることは嬉しい。信頼されていることも嬉しい。


 だけど、毎日毎日。

 同じだけの給料をもらいながら遊んで、部長に心配だと言われている他の部員たちは、一体何のために会社へ来ているのか。


 そのような人など、解雇してしまえばいいのだ。

 つい、口には出せない強い思いが私の心を支配する。



 毎日毎日、繰り返される残業。

 遅くまで1人で残業をしている私を見ても、部長を始めとする他の人たちは、本当に何も思わないのだろうか。


 何の為の、組織だ。

 何の為に、あの人たちはいるのか。


 雇ってもらっている身ではあるが、退職の2文字が頭を過ぎるくらいには、会社に対する不満が積み重なっていた――……。





「……佐々木さん」


 陽は落ち、静かになった総務部室。

 私の周りだけを寂しく照らす電灯の下に、ここには属さない存在の人がおもむろに現れた。


 優しく名前を呼んでくれた人は、私のデスクにそっと缶コーヒーを置き、隣の席のチェアに浅く腰を掛ける。

 缶コーヒーは微糖だ。私が微糖を好んで飲むことを知っているその人――……。



「今日も、お疲れ様」

「お疲れ様です。コーヒー、ありがとうございます」

「良いんだ。毎日、すまんな」

「……いえ」


 

 貰った缶コーヒーのプルタブをゆっくりと開けて、漂う苦く甘い香りを静かに堪能する。

 横で同じようにプルタブを開けたその人の手には、ブラックコーヒーが握られていた。隣から漂う苦い香りにも意識を向けながら、缶コーヒーに口をつける。



 口に広がる、苦くて甘い味。

 毎日毎日この時間に飲む、いつもと同じコーヒーだ。


 これもまた、同じことの繰り返しである。



「……君には、本当に負担をかけるね。どうにかしなければいけないこと、俺には分かっているんだ」

「……私も、仕方ないことだと分かっています。任されることは嬉しいし、信頼されることも嬉しいです。ですが、このままでは本当に良くないです」

「その通りだよ。本当に……頭が痛くなる」



 ギシッ……と隣のチェアが軋み、その人は背もたれにもたれ掛かった。

 ふぅ、と小さく溜息をつきながら総務部室を見回して、また溜息をつく。「幸せが逃げますよ」と囁くように呟くと、その人は静かに体を起こして、優しく私の肩に腕を回してきた。


 急に距離が縮まる。

 私の心臓だけが、急激に音を立て始めた……気がした。


「――幸せなら、もうここにある。俺の好きな人が、ここにいる」

「……どこですか」

「とぼけるな」


 突き刺さる、という表現が適切なほど見つめられる。しかし私はそれに気が付いていないふりをして、遠くに掛けられている時計を見た。時刻は21時30分。そろそろ、帰社しなければ。



 冷静を装っていたつもりだった。だけど私の騒がしい心臓の音は、どうやらその人の耳にまで届いていたらしい。「それは、意地かね」と耳元で囁かれ、全身の血が駆け巡るような感覚がする。



「……だ、大体……貴方が私のこと好きなんて有り得ません」

「なんで?」

「だって……」

「だってじゃない。俺たち、同僚じゃないか。同僚が同僚のことを好きになる。それの何がおかしい?」

「そ、それは今までの話ですから!」


 さらに距離を詰められ、わずかにでも動けば頬と頬が触れてしまいそうなくらい接近した。ふいに視界に入る、長い睫毛に覆われた二重の優しい瞳。これ以上はまずい――……そう思い、懸命に顔を反らす。


「顔、反らすな」

「だって……社長……」

「社長じゃない。ほら、前みたいに津村くんって呼んでよ」


 この人――津村社長は、かつて同僚だった。同年齢で一緒に入社した私たちは、一緒に研修も受けて、同じ部署に配属されて、ずっと仲も良かった。


 しかし、入社してもうすぐ10年経つかと言う頃だった。当時の社長が病に倒れてその座を降りた時、入れ替わりで社長に就任したのは、なんと仲の良い同僚だったのだ。


 彼は社長の息子であることを隠し、普通に入社試験を受けて入社したという。田舎の小さな民間企業だというのに、よくここまでバレなかったものだと、当時は妙に感心した。



 社長と、一般社員。

 かつて同僚だったなんて、そんなことは関係ない。時は流れて立場が変わったのだ。


 ……そう、思っていたのに。



「君に負担を掛けている件は、本当にごめん。それは社長としてきちんと処理をする。けれど、俺のこの想いは、同僚として受け取っては貰えないかな」


 そっと手を握られ、そのまま彼の胸に当てられる。私の心臓よりも早く感じる鼓動に、思わず目を見開いた。


 積み重なっていた会社への不満と、かつて想いを寄せていた『元同僚』に対する気持ちなど、複雑な思いが胸の中で交錯する。



「――俺は、本気だ。君のことが好きなんだ、美月」

「そ……そんなの、私だって。本当はあの頃からずっと――……」



 つい、口から本音が漏れ出る。

 私だって本当は、彼が社長になる前からずっと好きだったのだから……。



「美月、総務部の状況は改善させる。だからどうか、俺の傍にいてほしい」

「……」


 その言葉に小さく頷き、そっと彼の胸に顔を埋める。



 毎日毎日、同じことの繰り返し。

 そのようないつもと同じ日々の中で、今日だけは、ほんの少しだけ。


 私の中で、何かが変わっていくような気がした。








繰り返す日々の先に。  終


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繰り返す日々の先に。 海月いおり @k_iori25

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