第19話 青山の戦い

 兵は、民である。

 賊徒ぞくとですらない。したがう相手が違っただけの者達なのだ。

 いくさの間は考えないようにしているが、玉英ぎょくえいにとっては重大な事実である。

 その点、恵陽けいよう軍と燕薊えんけい軍、双方そうほう犠牲ぎせいを──戦の規模からすれば──相当に少なく出来たのは、僥倖ぎょうこうだった。

 無論むろん、皆が見事に役目を果たしたからではあるが、それは前提に過ぎない。

 相手のあることなのだ。

──今回の結果は、天運てんうんと考えるべきだ。

 茗節めいせつ内応ないおうの成果は、あまりにも大きかった。

──いつでも同じようにやれる、などと思い上がれば、いずれ大切なものを失うことになるだろう。

 とき未明みめい。暗くこごえる燕薊、その内城ないじょうで最も手厚く保護された寝室しんしつ寝台しんだいの上。

 玉英は、丸くなった琥珀こはくの安らかな寝顔をながめながら、今ここにある幸せがのように焼かれることをおそれていた。

 どう青銅せいどう。)製の(ここでは火鉢ひばちたぐい。)で盛大に火をいているせい、では勿論もちろんない。

 玉英を取り巻く状況が大きく変わったためだ。

 寿原じゅげん趙敞ちょうしょうくだってから十一日。

 恵北けいほく方面へ出ていた燕薊軍、波舵はだ軍三万も降伏こうふく……その報告を、昨夜聞いたばかりである。

 燕薊を支配することになった……それは良い。

 ただ、これまで基本的には秘匿ひとくしてきた玉英のおおやけにせざるを得なかったことが、揺らめく炎の先端部のように、不安の種になっていた。



 さかのぼること一月ひとつきと七日。

 夕刻前、燕薊へ入城した玉英の姿に、周囲一定範囲内のせた民が目を見開き、こぞって平伏ひれふしたのがの発端だった。

「立つが良い。我が軍は略奪りゃくだつなどせぬぞ!」

素知そしらぬ顔で呼び掛けつつも、王族と知ってのであることは、伏せたまま微動びどうだにしない民の様子からわかった。

 仮にも王家直轄地『三つ子半島』、その中心都市の住民達である。いくらかみつのを隠していようと、ひとみの色を判別はんべつ可能な距離であれば、誤魔化ごまかすことは出来なかったのだ。

──こと此処ここいたってはいた方無かたない。

 半端はんぱうわさされれば、むしろ予期せぬ広まり方をするだろう、とも考えられた。

 玉英は一つ深呼吸し、陽光に照らされ輝く夕照せきしょうの背から、名乗った。

「周華の正統なる王女、玉英である! 苛政かせいは終わりだ! (税の一種。)を半減はんげんし、塩の値も下げる。仔細しさい五日いつかうち布告ふこくする。しばし待て!」

と、一度間を置いて声と表情をゆるめ、

「私のことは、外の者には広めずにおいてくれ。周華を取り戻す力を、たくわえねばならん。……私は、そなたと、たすいたい」

 玉英の笑顔は民から見えるはずもなかったが、声の響きだけでも真摯しんしな願いであることは伝わったらしい。

 周囲の民が、ひたいを地に押し付けるように、ほんのわずかながら一層深く頭を下げた。

みなに感謝する。……さあ、今度こそ立って、そなた等の顔を良く見せてくれ。我が民と、呼ばせて欲しい」

 礼の上ではあり得べからざることだったが、更に繰り返し声を掛けられたことで齢十かそこらの少年が応じ、その無事を察して三々五々さんさんごご、応じる者が増え、ついには伏せている者が居なくなった。

 子祐しゆう雲儼うんげん以下の一行は油断無く備えていたが、玉英は全ての民の名を聞き、声を交わし終えてから無事に歩み出すこととなった。

 なお、進んだ先でも同じ光景が現出げんしゅつし続けたため、内城へ辿り着いたのは、する民が減った深更しんこうになってからだった。



 そうして顔と名を民のことを、玉英がまるで信用していない、というわけではない。

 しかし、簒奪者さんだつしゃ麒角きかくくみする者が城塞都市まちに全く居ない、と楽観らっかん出来るはずも無かった。

 ゆえに、の入城から十六日後、寿原へ進発するまでの間に、新税制等についての布告、降兵こうへいの配置、困窮こんきゅう家庭への援助等と並行へいこうして、特に太水たいすい往来おうらい禁止きんし並びに監視かんしする体制も整えた。

 距離だけで言えば、南西か南東へ五、六百里(約二百から二百四十キロメートル)も行けば、それぞれに城塞都市まちがあるのだ。

 幸い、に至るまで、凍り付いた劫海ごうかい沿岸部えんがんぶや太水を含め、きんやぶる者は居なかったようだが……を懼れる気持ちは、無くなりはしなかった。


「玉英……?」

 雪よりも白い耳をしばたたかせるように動かした琥珀が、目も開けずに、まだ眠っているような声を上げた。

「ごめん琥珀、起こしちゃった?」

「うむ……ぅ……じゃが、良い。また、寝るのじゃ」

 そう言っていてくる琥珀の小さな身体を、玉英も抱き締めた。

「うん。おやすみ、琥珀」

「おやすみ、なのじゃ、玉英」

 琥珀の背へ回した腕に、柔らかな尾がからいて来た。



 早朝の鍛錬たんれんは取り止め、日が昇ってからゆったりと──と言っても相当な火がようだったが──琥珀、子祐しゆうと共に朝食を摂り、執務室しつむしつへ移って報告を聞く。──おおむね、入城後の習慣通りである。

 この日は、執務室に先客があった。

「おはようございます、突雨とつう殿」

おう、玉英。琥珀のじょうちゃんに、子祐も」

「嬢ちゃんはやめよと言っておろう!」

「はっは、すまねぇな、口癖だ。他のことで勘弁かんべんしてくれ」

 唇を尖らせる琥珀と、ほおを上げて応える突雨。もはや見慣れた光景である。

 そちらのは気にせず、子祐は無言のまま頭を下げた。

 子祐につられて、というわけではないが、玉英も頭を下げ、

「お待たせしてすみません」

「気にすんな、退屈はしてねぇからな」

 髭面ひげづらの中から歯を見せて笑う突雨。

「ありがとうございます」

 玉英も笑顔を返し、かべへ掛けてあった宝刀ほうとう──元からここにったものだ──を立ったまま眺めていたらしい突雨に椅子をすすめ、自らも琥珀と並んで部屋の奥の席へ座る。

 突雨は部屋の左側──奥から見れば右側──にあった大きくしっかりした椅子へ音を立てて身を預け、子祐は玉英の左脇ひだりわきに控えた。

「さて、報告、っつっても、特に問題ねぇんだけどよ」

 突雨軍は、恵水けいすい沿いの監視所制圧ののちとして身を隠しつつ、燕薊軍の伝令でんれいや逃亡兵を役目を果たしていた。

 旧燕薊軍の鬼族軍にを与えないことが、全ての大前提だったのだ。付かず離れず、それでいて絶対に逃さない……そんな芸当げいとうが出来るのは、突雨軍以外に無かった。

 戦が決着してからは、元居た監視に加わる形で燕薊周辺から寿原、西寿せいじゅへ散っており、途中からは更に雲観うんかん軍、雲超うんちょう軍も加わっていた。

 今回は二度目の直接報告である。

「聞いてた通り、上越じょうえつ一家は通したぞ」

「ええ、ありがとうございます」

 玉英は目を細め、口角を上げて頷いた。

 上越一家は、相毅しょうき……というよりがく家につかえる旅芸座たびげいざ兼商隊、まるところ間諜かんちょうである。

 相毅が玉英の情報をつかんでいたのも、鎮戎公領域へ入り込んでいた彼等かれら功績こうせきによるもの、と相毅自身が語っていた。

 主要構成員は血縁者けつえんしゃばかりからなる十数名で、各々おのおのものを含めれば数百名におよぶという。

 その一部を、王城都市京洛けいらく青東せいとう半島、そして青東半島のすぐ南にある竜爪りゅうそう族のみやこ龍邪りゅうやへ送り込むよう、相毅に命じてあったのだ。──相毅は正式には茗節軍副官のままだが、茗節と共におとずれて以来、玉英の謀臣ぼうしんとしても仕える形になっていた。

おう。……にしても、上越の寄越よこした酒は上物じょうものだった。また寄越すように玉英からも言っといてくれ」

 余程よほど気に入ったらしい。突雨のほほはいつになく緩み、目の光も柔らかくなっていた。

「はい、必ず」

 玉英は笑顔を深め、頷いた。



 突雨が任務に戻ってからも来客、もとい謁見えっけんを求める者は多かった。

 入城から五日目である。まつりごと根幹こんかんの一つたる税制等はある程度整えてはあったものの、まだまだやるべきことは山積さんせきしていた。

 特に、無理に徴兵ちょうへいされた者達を民としての暮らしへ戻すことは急務きゅうむだったが、そもそも暮らしが成り立っていない、という者も多く出たのだ。

 全体は、燕薊でくだった四万、もと輜重しちょう隊の捕虜ほりょ二万六千、旧燕薊軍本隊へ合流したのち生き残った二万三千五百……合計八万九千五百。

 うち、困窮こんきゅうにより軍へ残りたがった者が四万三千。これは一先ひとまず希望を聞き入れ、調練ちょうれんを課した。──付いて来られなければ、他の仕事へ回す。

 別の四万二千は元の生活へ戻れそうだったため、すこやかに過ごせる程度のかね糧食りょうしょくを渡し、家へ帰した。

 残りの四千五百は、事情に応じて百から五百程度ずつのまとまりを作らせて代表者も選ばせ、その代表者と直直じきじきに話すこととした。──その結果が、ここ数日れつの途絶えぬ謁見えっけんである。


 夕刻、そうした代表者の最後の一名を、執務室へ招き入れた。──燕薊には王族の滞在を前提とした謁見の間も在るが、そちらはえて使っていない。

 入室して早々に平伏ひれふした代表者へ、声を掛ける。

おもてを上げよ、葉網ようもう

「ハッ……殿下でんか、あっしのことを憶えておいでで?」

 葉網は、普段から見開いたようになっている目を一段と大きく見開いた。

 黒髪黒目、四十過ぎの、若干しわの出てきた男だ。

「当然であろう。それとも、『実は双子の兄』とでも言うのか?」

「いいえ、滅相めっそうもございやせん、どうか、ご容赦くだせぇ!」

 せっかく上げた顔をもう一度伏せ、額を地に擦り付ける。

「良い。そなたの話を聞くために来て貰ったのだ。そこへ座れ」

と、突雨も座った椅子を右手で示す。

 この葉網、身体の厚みでは及ばないものの、背丈では突雨にせまる程なのだ。

「ハッ、いえ、ですがね」

「良いから座れ。命令だ」

「ハッ! では、失礼して……」

 おっかなびっくり、といった様子で席に着いた。

「良し。では、そなたの状況と要望ようぼうを聞かせてくれ」

「ハッ! そいじゃあ、早速さっそく……えー、あっしらは、漁師ばっかり五百六十三名なんですがね、冬場に漁なんざ出来やしねぇんでさ──」

と葉網が語り出したのは、たくわえを得るべき時期に徴兵された漁師達の……その家族の悲哀ひあいだった。

 妻や子供が何かの伝手つてで働けるならまだで、何も出来ずに乞食こじきと化した者も居た。

 玉英が手配した援助のおかげでどうにか食事とまきまかなえるようになったものの、援助が間に合わなかった者の中には、単に死んだ者も居れば──

ぞくちた馬鹿もいやして……そんなかに、えらくずかしいこってすが、どうやらあっしらの愚息ぐそくどもるようで……」

 漁師の息子達である。徴兵すら受けない程に若くとも、舟の操作はお手の物。不思議ふしぎと凍ることの無い恵水支流──滄水そうすいの上流域へ、川賊かわぞくとして巣食すくっているとう。

 食い詰めたのやることだけあって、近所の者達の間では実行前から噂になっていたらしい。

「ご支援ってぇのに、こんなこたぁ入っちゃあねぇたぁ存じやすが、馬鹿息子共ばかむすこども成敗せいばいしちゃいただけやせんか。どうか、この通りでさ!」

 を守って、椅子に座ったまま精一杯頭を下げる葉網。

 自分達の暮らしもそっちのけで、息子達のことをこいねがう。……それも、助命嘆願じょめいたんがんですらないのだ。

 切ない親心おやごころが、玉英にはまぶしく感じられた。

「良かろう。出来る限りのことはすると約束する」

 頷く玉英に、

「ありがとうごぜぇやす!」

葉網は、椅子の座面ざめんを通り越す程に頭を下げた。



 翌日、証言しょうげん文献ぶんけんから分かる範囲で地勢ちせい法制ほうせいの調査を行い、軍も整えて、そのまた翌朝。

 玉英自身が、麾下きか歩兵ニ千と騎兵一千、それに茗節軍歩兵五千、騎兵三千を率いて進発した。──燕薊は雲仁うんじんに任せ、選抜済みの早馬はやうまを配しつつく。

 向かう先の滄水は、寿原中央付近からてほぼ真東まひがしへ流れ、恵水下流へ注ぐ、全長およそ四百里(約百六十キロメートル)程の川である。

「なあ、相毅。なんで俺までこんなさみなか行くはめになってんだ?」

 いつものように、右を行く相毅へふるえて見せる茗節。

 玉英麾下は前軍ぜんぐん、茗節軍は後軍こうぐんとなっているため、しゃべる分には気楽だった。

「一つには、茗将軍と私を試されたいの

 微笑む相毅。

「試すったって、俺等が裏切ったら、終わりだろ?」

 茗節は左眉ひだりまゆを上げ、右の口角をゆがませた。

「その場合は、私達が、終わりですね」

 微笑みは、揺るがない。

「三千と、八千だぞ?」

「敢えてざつに申し上げますが、殿下が指揮される最精鋭さいせいえいの三千……これは精兵せいへい匹敵ひってき。こちらは凡庸ぼんような六千と、精鋭の騎兵二千ですから、勝負になりませんよ」

 相毅は眉尻まゆじりを下げた。口角は上がったままだ。――二千騎は相毅が特に見込んで鍛えているものの、実戦経験の少なさは否めなかった。

 茗節は両の眉を上げる。

「そんなにか?」

「はい。裏切りそんなことは考えないようにして下さい。私はまだ死にたくありません」

「別にやろうと思っちゃいねぇって」

「子祐殿に首を飛ばされてから言い訳しても遅いですからね」

「おい、やめろよ! ありゃ本気でこえぇんだって」

 今度は震えている。

 茗節は、毎日玉英と子祐の鍛錬たんれんに付き合わされて──襤褸らんる。)のようにされていた。

「だからこそ申し上げています」

 相毅も共に参加していたが、体格と種族の差もあり、茗節程にはしごかれずに済んでいた。

「第一、試すというのは別の意味

「なんだよ?」

「殿下の指揮へ的確に従えるか、ということ

「つったって、兵の質が全然ちげぇんだろ?」

「ですから、私達の指揮が試されるのです」

「そりゃあつまり、お前の指揮ってことじゃねぇか」

土壇場どたんばでは、茗将軍の直感ちょっかん頼りですよ」

 という瞬間、茗節の判断は相毅の読みをも上回る。──相毅はそういた。

「んなことねぇし、大体今回はそんな場面自体ねぇだろ」

「はい、

 茗節は右頬みぎほほを上げながら、

「面の皮が厚いってなぁこのことだな?」

黒貂くろてん族は黒水こくすい近辺の出ですからね」

 正しく極寒ごっかんの地である。当然そうでなくては、と言わんばかりの笑みだ。

「そりゃあ知って……はぁ。で、俺はどうすりゃいい?」

 息と共に気が抜けて、率直そっちょくたずねる。

「絶対にりにして下さい。舟をひっくり返してもいけません。殿下は全員助けたいと思っておいで

 滄水上流は凍ってこそいないが、通常あり得ない程の冷水れいすいだと云う。

 水中では単なる冷気とは段違いに身体の力を奪われる。如何いかな鬼族といえども、特に未熟な少年達では、落ちれば命の保証は無かった。

「わあったよ。あとは?」

「死なないで下さい」

「はっ、当然だろ」

 茗節は、腹から声を出して笑った。

 笑う茗節を、相毅は笑顔のまま、静かに見つめていた。



 燕薊から北北西へ六日。

 大型輜重車しちょうしゃに舟をせて運んで来たにしては順調に行軍こうぐん出来ており、滄水の一里(約四百メートル)ほど手前、夜の森で玉英は麾下を休めた。

 森を抜けた先、滄水上流域の一角いっかくでは作物さくもつが育たず、まばらに生えている木も他の地域とは種類が異なると云う。そうした事情じじょうにより、川賊に気付かれぬよう休めるのは南側ではこの森が最後だった。本来ほんらい確実に見張るべき場所でもあるが、川賊がそうしていないのは……所詮しょせんは少年達、ということか。

 兵達と共に愛馬の世話と夕食とを終え、玉英と琥珀は幕舎ばくしゃの中、簡易かんいの寝台に並んで座っていた。

今更いまさらじゃが、こんなに兵がるのかや?」

 ひたすら景色を楽しんで行軍こうぐんしてきた琥珀が、ここへ来て首をかしげた。

 実際、麾下だけで三千、やや下流へ配した茗節軍が八千。せいぜい三、四百に過ぎない少年川賊を相手にするだけならば、明らかに過剰かじょうだった。

「全員生かして捕えたいっていうのもあるけど、せっかくだから、滄水の調査も兼ねて、ね」

 凍り付かない……といっても他の河川からの流入が少ない部分のみだが、調べる価値はあると踏んだ。

「ふむ……わらわの──母上のむらとはまた別の話かや?」

「多分、そうだね」

 西王母の邑では湯が湧き出ていた。滄水も岩から湧き出ているということだが、湯ではないらしい。

「むぅ……わからんのう」

「だからこそ、調べたら楽しそうだよね」

「確かにそうじゃな!」

 耳を立てて琥珀が笑い、玉英も笑った。



 翌朝。

 玉英麾下の騎馬隊一千は滄水西側、小さな丘のようになっている部分を回り込み、北側へ向かった。

 昨夜のうちに、川賊の根拠地は北側のようだ、と報告があったのだ。その、へ行くつもりだった。

 無論、他の軍も、ただ待っていたわけではない。麾下歩兵のうち一千は西側をふさぎ、もう一千は南側から圧力を掛けた。

 いくら少年川賊でも包囲されれば反応する。

 最初は五そう程の舟が東へ川を下って逃走を図ったが、広く囲んでいた茗節軍に呆気あっけ無くとらえられた。──川に落ちた者は居なかった。

 残りの二百名程は北岸のちょっとした拠点を出て北へ走り、先回りしていた玉英隊に半数以上が軽く突き倒され──全軍が調練用の棒を使った──早々に降伏した。


 滄水が、夕日を反射して輝いている。

 川賊の拠点、その小屋の一つで、丸太の椅子に座った玉英の前、

「オレがかしらだ。殺すならオレだけにしてくれ」

身の丈十尺三寸(約百八十五・四センチメートル)近い男が、雲儼の手で地に押さえ付けられたままいくらか見上げるようにして、不敵ふてきに宣言した。

 身体は大きいが、顔付きからすればよわい十三、四といったところだ。まだ、幼い。

「雲儼、放してやれ」

「ハッ!」

「面を上げよ」

玉英の声が聞こえないはずも無かったが、少年は姿勢を変えようともしなかった。

 引き起こそうとする雲儼を玉英は手振てぶりで止めて、

「そなたが葉網の子、葉棹ようたくか?」

「あん? 親父を知ってんのかよ。ご立派な軍の将校サマが、よくもまぁオレらなんぞを捕えに来たと思ったら」

 葉棹は目を細めつつ両眉を上げ、右の口角を歪ませて笑った。

「親父にどんな弱みをにぎられたんだ? 塩の密売みつばいでもしたか?」

 葉網は漁師の元締もとじめである。そうした事に関わっていてもおかしくはなかった。

「心して答えよ、葉棹。そなたの言葉次第で、そなたの仲間全員の首が飛ぶ」

 玉英は外の空気よりも冷たく言い放った。

「なっ、オレの答えがまずかったら、オレの首一つでいいだろ!?」

「心して答えよ、と言った」

 何か言い掛けて、飲み込む葉棹。

「そなた、ここでどう生計せいけいを立てていた?」

 川賊はほんの三百六十程度だったが、されど三百六十。

 民の多い鬼族領域においては邑程度だが、冬を越すには相当な蓄えが要る。

 にもかかわらず、この拠点には十日分程度の食糧しか無かった。

「そりゃあ、周りの邑を略奪りゃくだつして──

「そうしていないことは、確認済みだ」

 戦闘を終えたのは朝。

 今、夕刻になって問うているのは、以前から先行させていた斥候せっこう達が帰り着くのを待っていたためだった。

「もっと遠い邑から──

「つい最近まで我が軍が行き来していた中で、か?」

 一例を挙げるなら、現在地から西へ三、四日も行けば寿原での決戦地である。

「それは……それは……」

 視線が宙に迷う。

「心して、答えよ」

 三度、繰り返した。

「どう、生計を立てていた?」

「……塩だよ。塩と食糧を交換してもらって、あとは獣を狩って、食ってたんだ」

 溜息ためいきと共に答えた。もはや視線は地に張り付いている。

「どうやって塩を得た?」

「滄水の水を煮たり、西の丘を掘ったりだよ」

「掘ると、何がある?」

「岩みてぇな、塩の塊だ。……これで満足かよ」

 てるように言う。

「まだだ。……そなた等、元々凍らぬ水のことをいたのか?」

「……ここいら出身の奴に聞いてな」

「塩が採れることも?」

 玉英は僅かに眉を上げて尋ねる。

「水がしょっぺぇってのは聞いてた」

 だから、にして燕薊を出た、と。──状況を考えれば、決死けっしたびに近かったはずだが、良く三百六十も纏め上げたものだ。

「なあ、もういいだろ、ここまで吐いたんだ。オレの首一つで手を打ってくれ」

 伏せたまま、力無く首を垂れる。

 塩賊えんぞくは、死罪と決まっていた。

「そうはいかない。もう一つある」

「なんだよ」

 微かに顔を上げた葉棹に、声を和らげて言う。

「そなた等全員の命、私に預けよ」

「オレらみてぇなもんに何させようって──

「ここの塩を、任せたい」

「はっ、密売かよ、将校サマも結局は──

「密売ではない。燕薊を統べる王族の権限において、命ずるのだ」

「今の王サマは裏切りもんだろうが」

 玉英は目を見開き、数瞬、言葉が出なかった。

「そなたのような子供が、そう言って、くれるのか」

「子供扱いすんじゃねぇ! ってか、どういう意味だそりゃ」

「こういう意味だ」

 玉英は立ち上がり、葉棹の両肩を自ら支え起こして、思わず視線を上げた葉棹の目を見つめた。

「なっ……あっ……赤いっ、瞳っ……」

 葉棹はこれ以上無い程に目を見開き、口まで開いたままになった。

 玉英はゆっくりと言い聞かせる。

「正統なる周華の王女、玉英である。葉棹、私に仕えよ」

「あっ……はっ……ハハアッ!」

 勢い余って鼻を地に打ち付けつつ、葉棹は平伏ひれふした。


 葉棹の実態は川賊ではなく、単に川へたむろしていた塩賊、といったところだった。

 他の民を襲うわけではなく、単に塩に関する法を破っていただけなのだ。

 無論、法を破ること自体は問題であり、塩に関する場合は殊更ことさら重罪じゅうざいではあるのだが、元はと言えば簒奪者さんだつしゃ麒角きかくの定めた専売制せんばいせいこそが民を苦しめるものであり、何より玉英の立場からすれば麒角の定めた法など守る必要すら無い。

 厳密げんみつに言えば、葉棹等の行いは従前じゅうぜんからの法にも抵触ていしょくしていたが、

「そなたは正式に命じられて、滄水の開発と塩の流通を担っていた。そうだな?」

「ハッ!」

 塩賊など居なかったことにした。

 葉棹等から塩を買っていた近隣の民も、とがめない。

 ただ、燕薊の許可を得た商売──正式な事業である、という告知だけはしておいた。もうおそれながら取引とりひきする必要は無いのだ。

「良し。……燕薊へ戻りたい者が居ればいつなりと申し出よ」

「ハッ! ありがとうございます!」

 必死に頭を下げる葉棹を見て、玉英の頬が緩んだ。

「値付けに関しては、他の者達を苦しめぬようにせよ。……真実しんじつ賊と化せば、斬らねばならん」

「ハッ! わかりました!」

 とし相応の応えだった。

「うむ。それと、周辺の調査を進めつつ、そなた等の邑を作る。差配は茗節──

 玉英は視線を左へ遣った。

「──そこな男だ。万事協力せよ」

「ハッ!」

「茗節も、良いな?」

「ハッ!」

 子供の前とあってか、あるいは言葉以上に重い責務を知ってか、姿勢を正した茗節の表情もかたくなっていた。



 十日後の夕刻。玉英は燕薊に戻っていた。

 三日間は滄水近辺の調査を自らも行い──琥珀と共に遊んでいるような瞬間もあったが──後のことは茗節や葉棹に任せて麾下と共に帰ったのだ。

 いつものように夕照をねぎらってから自身も琥珀と共に身体を清め、着替えて執務室へ。

 不在の間にまった報告のうち急ぎのものを聞き、読み、質疑応答しつぎおうとうの末に二刻(約四時間)ばかりが過ぎた頃、用向きの異なる来訪者があった。

 黒貂族の女である。齢は子祐と同程度。背丈は玉英より四寸(約七・二センチメートル)ばかり小さい。浅黒い肌、愛嬌あいきょうのある大きく丸い目。ひざまずこうべれたところで、あざやかこまやかな木彫きぼりの髪留かみどめが長い黒髪にいろどりをえた。

「面を上げよ」

「ハッ! 殿下、長らく御無沙汰ごぶさた致しまして、まことに申し訳御座いません。しんれいはじしのんでまかしまして御座います」

 女は一度頭を上げ、また下げた。

光扇こうせん、良くぞ来てくれた」

 玉英は椅子から立ち上がり、光扇へ歩み寄ってその両肩に手を置いた。

えて嬉しいぞ。……お父上のことは聞いた。王家が不甲斐無ふがいないせいで、そなた等にも苦労を掛けたな。すまなかった」

 光扇は頭も上げず、こたえた。

「滅相も御座いません! 楽家こそ、主家しゅかの危機に何一つせざる不忠ふちゅうの臣に御座います! どうか重く罰して頂きたく存じます!」

 玉英は微笑み、

「では、互いにゆるすことでこの話は終わりにしよう」

「ですが……」

「良いな?」

ほんの僅か、命令としての圧力をめた。

「ハッ! 御旗みはたもとはべらせて頂けること、幸甚こうじんの極みと存じます!」

「先程も言ったが、私こそ嬉しい。頼らせてもらうぞ」

「ハッ!これより粉骨砕身ふんこつさいしん致します!」

 光扇が一層頭を下げた。

 玉英は息を吸って、

「ゆっくり話がしたい。こちらへ来て座ってくれ。それと、もっとらくにしてくれ。幼き日に世話になったこと、私は忘れておらんぞ」

「ハッ! しかし、世話などと……」

「私がそう思っていると、知っていてくれれば良い。……さあ」

 突雨や葉網が座った椅子、光扇に合う大きさの椅子を玉英自ら運び、勧めた。



 光扇が席へところ、玉英の隣、明らかに存在のが異なる少女と目が合った。

 黄金に輝く瞳。全身が吸い寄せられるような感覚。

──この方と同じように椅子へ座っていることなど許されない。

──座っておくことは殿下の命だ。

 相反あいはんするによって湧き上がる衝動しょうどうをどうにか抑え込んでいる間に、玉英の声が聞こえた。

「私の婚約者こんやくしゃだ。私の半身はんしんと思って支えてくれ」

「婚約者」「私の半身」の言葉に合わせて少女の瞳の輝きが増し、次いで可憐な声が響いた。

「琥珀じゃ。光扇、で良いかや?」

「どうぞ御随意ごずいいに、琥珀様」

 限界まで頭を下げる。

「うむ。光扇、そなた、玉英のなんじゃ?」

 降ってくる声に、

「臣に御座います」

迷いなく答える。

「ふむ……面を上げよ」

 素直に従った。

「妾を見よ」

「ハッ!」

 再び目が合い、巨大な獣の口腔こうくうに入り込んでしまったかのような怖気おぞけと、陽光ようこういだかれているかのようななつかしいぜになって訪れ──

 ふっ、と琥珀の瞳から黄金の光が消えたと同時に、光扇をつつんだたましい迷子まいごになるような感覚も消えた。

「光扇、よろしく頼むのじゃ」

 琥珀が穏やかに微笑む。

「ハッ!」

 光扇は、限界以上に頭を下げるすべを知った。



 琥珀と光扇のやり取りののち、夜が更けるのも構わず、玉英と光扇の話は続いた。

「春までは止め続けられるでしょうが……」

 燕薊の情報の流出についてである。──楽にしてくれ、と言われたため、光扇はつとめて話している。

「このまま春になってしまえば、海上の行き来を制止するのは難しいでしょう」

「五百を超える漁師達が全面的に協力してくれるなら、どうだ?」

「でしたら……直接の往来は止め得るかもしれません」

 光扇は微かに頷きながら言った。

「直接で部分は?」

「殿下もご存知の通り、海上で頭を突き合わせる遼南りょうなん半島、青東せいとう半島、百漁ひゃくりょう半島の間では互いに舟で行き来しますから──」

『三つ子半島』の由来である。

 各半島同士を地図上で見るならば、順に北、西、南東。先端部の位置だけで言えば、北西から南東に掛けてほぼ一直線。──遼南半島と百漁半島のあいだに青東半島が頭を出しているような格好だ。

 なお百漁半島は実のところ、遼南の東を起点として南へ伸びている極めて巨大な半島の一部に過ぎず、そちらは別に麗羅れいら半島とらしている。

 麗羅半島南部からわしつめのように鋭く北西へ曲がった先が百漁半島である、とも言える。

「──『三つ子半島』全域を支配下に置ければ最上さいじょうですが、せめて青陰せいいんを支配下に置きたいところですね」

 青陰は青東半島に位置する『三つ子半島』第の都市──青東半島では第の都市である。

 二百九十里(約百十六キロメートル)ばかりの海峡かいきょうを挟んで北東に遼南半島を望み、大規模な津もあるため、『三つ子半島』の物産や情報が京洛へ向かう場合、一般に燕薊か青陰を通過する。

 民は五十万にはやや欠けるが、燕薊のことを踏まえれば想定すべき兵力は十二万から二十四万。──青東半島は竜爪族領域と接しているため、慣例上かんれいじょう、北辺の城塞都市まちと同じく常時相応そうおうの軍を備えている。

 青陰を、いては青東半島をおさえられれば、今後数年の動き易さが段違いになるが──

「策があるのか?」

 青陰程の大都市を大軍で万全に守られた場合、兵糧ひょうろう攻め以外でおとすのは至難しなんわざである。何しろ力攻めには三倍の兵を要する上、

 何かしら、布石ふせきが欲しかった。

「私の知る限りでは、『三つ子半島』各城塞都市まちおさのうち、交代させられたのは燕薊、青陰、青淄せいし、遼南の四都市のみで、他の城塞都市まちむらには古くからの一族がそのまま残っております」

「そなたが声を掛ければ、協力してくれるやもしれぬ、か」

御意ぎょいに御座います」

 光扇が一礼した。

「しかし、青淄も従わぬのであれば、半島での大勢はあちらであろう?」

 青淄は青東半島北側の付け根、淄水しすいほとりで古くからさかえている『三つ子半島』では第、青東半島では第の都市である。

 青淄の南には京洛東方の平野部では最も高い青山せいざんという山があり、北の淄水とその合流先の竜河、同じく東南東の沂水ぎすい並びに傳水でんすいと共に、青東半島を半ば孤立させていた。

おっしゃる通り、青東半島の民の七分(七割)あまりは青陰、青淄で占めておりますが、それらの民とておよそ三十万。として五万は見込めます」

 守兵しゅへいを残した上で五万、という意味だ。

 各城塞都市まちでの内応ないおう偽報ぎほうと組み合わせれば、としては上等だった。

 玉英は一旦目を伏せ、数瞬ののち、視線を光扇へ戻した。

らんを起こして軍を釣り、城塞都市まちを内から崩しつつ我が軍で速攻、といったところか。……青淄になるな」

 燕薊での当初の計画に近いが、青陰から攻めた場合、陸側の協力者きょうりょくしゃ──わば青東連合軍の犠牲が大きくなり過ぎると考えられた。

 一歩間違えれば、寄せ集めの五万が、仮にも大都市のまとまった十数万以上と真っ向から戦うことになるのだ。殲滅せんめつされかねない。

「鬼族軍をよそおっての移動……可能だと思うか?」

「ハッ! 仕掛しかけるまでに何事も無ければ、おそらく」

 燕薊がちたことはには伝わってとすれば、鬼族主体の軍を見て「敵だ」と判断する者も当然相手方あいてがたには居ないことになる。

 現在、玉英に協力ないし従っている軍は、鎮戎公領域の守備軍を除くとおよそ二十万。うち鬼族はいくらかの選別を経た上で十三万六千。それと──

「光扇、そなたの軍は如何程いかほどと見れば良い?」

 腹心ふくしんの将校はくだったと聞いたが、各々おのおのの率いる軍が一定数は居るはずだった。

ずは歩兵二千。騎兵三千は遼北にって身動きが取れず、遅参ちさん致します。申し訳御座いません」

 長城付近で備えていたためだと言う。

くだってもなお周華を支えてくれていたのだ。感謝こそすれ、責める理由などありはしない。……今後も、そなた等の忠勇に期待する。引き続き、周華を支えてくれ」

「ハッ! 光栄至極こうえいしごくに御座います!」

 幾度目いくどめか、光扇が頭を下げる。

「私頼んでいるのだ。そうかしこまるな」

 玉英は両の眉尻を下げて笑う。

「ハッ!」

 光扇が頭を上げたところで、

「ところで、兄上のことは何か知らぬか」

 青東半島のすぐ南、傳水を渉れば、竜爪族の都──龍邪がある。

 玉英の兄、玉牙ぎょくがが無事に竜爪族領域まで落ち延びたなら、一度は龍邪を訪ねたに違いないのだ。

「残念ながら、何も……力及ばず申し訳御座いません」

「いや、良いのだ。竜爪族がしているのやもしれぬ」

 鎮戎公、雲理うんりが送った使者も、あるいはとらえられたのかもしれない。

 竜爪族からすれば――仮に玉牙を迎えていたとすれば――玉牙を旗印に京洛を陥すまでは、一切のすきを見せない覚悟だろう。──玉英自身の抱えるを考えれば、無理もない、と思えた。

「では、編制と行軍についての意見はあるか?」

 話を戻した。

「ハッ! 先ずは前提として周辺の結氷けっぴょうについて──」

 話し合いは、その後も様々な条件を突き合わせながら、二刻(約四時間)は続いた。



 光扇とのからおよそ一月半ひとつきはん

 劫海や太水、竜河の氷がけた頃。

 玉英は軍を率い、燕薊を発した。

 歩兵九万ニ千、騎兵四万。ほとんどが鬼族の旧燕薊軍と光扇軍に、雲儼とれいの計一千騎をまぎませている。

 燕薊の津から太水を渡渉後、東へ三日、南へ一日。竜河河口付近を渉り、更に南へ二日で青淄へ辿り着く。

 ただし、全軍の渡渉にはときを要する上、青淄へのとしても妥当だとうとは言い難いため、一部のみで先行。

 七日目の夕刻、青淄の正門で波舵はだ来着らいちゃくげた。

 旧燕薊軍では董蕃とうばんに次ぐ第二の将軍だった男である。齢三十九。引き締まった十一尺一寸足らず(約百九十九センチメートル)の浅黒く焼けた身体に短い黒髪。程々ほどほどに見開いた茫洋ぼうようとした黒い瞳が、「恬淡てんたん且つ堅実けんじつ」という相毅のひょうを思わせる。

「『三つ子半島』代官、董将軍の命でに来た」

 平板へいばんな声だが、背後の整然せいぜんとした二万の軍によってむしろ信頼を増す。

「はっはぁ、流石は代官様だなぁ、もうお聞き及びたぁ」

 鬼族としては一般的な体格の門番がつぶやく。

 青東連合軍が玉英の――光扇の要請ようせいに従って動き出していれば、十一日が過ぎている。手の者の迅速じんそくな報告を聞いて即座そくざに軍を出した結果、という頃合いをのだ。

「っといけねぇ、失礼いたしやした将軍。長官ちょうかん城内なかなんで、お話頂けりゃあ……」

「わかった。兵を休ませたい。通るぞ」

 やや強引だが、『三つ子半島』代官の派遣した将軍とただの門番とでは天地の差がある。

「へぇ、どうぞ、どうぞ」

 止める権限など、あるわけもなかった。


 城塞都市まちへ入ってしまえばことは単純である。

 全軍で内城ないじょうへ極力近付き――を止められる者は王城でもなければそう居ない――複数の門と扉を通り、最後には波舵を中心とした数百名で青淄長官不意討ふいうち、制圧。

 事態じたい把握はあく出来ずに居た青淄三万の兵には「謀反むほんくみした長官をちゅうした」と告げ、状態を作り出した。

 問題は、このあとだ。

 波舵に青淄を任せ、

く駆けよ! 味方を救うのだ!」

被り物を目深に被ったまま、玉英は夕照と共に先頭へ立った。琥珀と皎月こうげつ、子祐と飛影ひえいが続けば、後の者達も自然速度を増す。

 青東連合軍が待つはずの地──青山へ向かう。騎兵ばかり一万。空馬からうまを普段以上に多く連れている。

 最低限の休息を挟みつつ幾度いくども馬を替え、夜をてっして駆けた末……翌日夕刻始め頃、青山のふもと、青東連合軍と青淄軍がぶつかり合っているところへ

 若干ながら高所へ陣取ったは四万に欠ける程度、から襲い掛かる青淄軍は八万。連合軍が地の利と逆茂木さかもぎ馬防柵ばぼうさく等のおかげでどうにかこたえている――いや、というところだ。

 比較的平坦な場所に居る連合軍左翼ひだりよく歩兵一万弱が――青淄軍右翼みぎよく騎兵八千に側面そくめんへ回られ――くずされつつあった。

 、玉英軍の馬には余力がある……ならば、

――巧遅こうちより拙速せっそく

 瞬間、夕照にあしで合図を送り、

「全軍続け!」

一段上の速度で、駆け出した。

 視界に入っていた距離である。程無ほどなく、青淄軍右翼騎馬隊の後背こうはいいた。

 相手も一部は反応していたが、足並みが揃わないようではほとんど無意味だった。

 主に伯久はくきゅう以下猫族と玲軍の騎射きしゃを浴びせてから、玉英の剣にして盾たる子祐が先頭へ出て突っ込み、当たる者全てを槍で突き倒し、はらう。続く玉英と雲儼もそれぞれ剣と大戟おおげきを振り、後続も千切ちぎるようにして青淄軍の空隙くうげきひろげ……突き抜けた頃には、馬上の相手を二千弱にまで減らしていた。

 反転し、を完全に包囲。投降とうこうした者以外は早々に殲滅せんめつした。――殲滅するがあった。戦略上、青陰や京洛へ注進ちゅうしんされてはならないのだ。

 故に、玉英軍の半ばには、からるように包囲することを徹底していた。



 いくさ要諦ようていは、一つには、如何いかに相手の『強き』をくじいて『弱き』へおとしいれ、自身の『強き』を押し通すか……である。

 どれほど精強せいきょうな騎馬隊であっても、泥沼どろぬままりんではやさを失えば、単なるまとに過ぎない。

 これを一段深く考えれば、如何に相手の封殺ふうさつし、自身の意志生かすか……となり、もっと言えば、如何に相手の意志を誘導ゆうどうし、自身の意志はさせないか、である。

 まるところ、単に防ぐのではなく、相手の意志と力をも利用するのだ。――西王母の指南で身に付けた武の極致きょくち、『理』は、戦においても有用だった。

 例えば、相手を戦場から逃さないためには「有利だ」と思わせておけば良い。欲張らせ、とどまらせ、攻めさせて、自ら動いたところを利用する。


 その点、青淄軍は見事に

 まだ数の上では二万以上の優位があると見て取ったのか、右翼歩兵一万五千にはそのまま踏ん張らせ、歩騎ほき(歩兵と騎兵。)が揃っている左翼へ、後軍こうぐんすべてを向けたのだ。合わせれば歩兵二万三千、騎兵一万四千にもなろう。

麒麟きりん】に映る光景が、何千何万と繰り返した旗碁きご対局たいきょくと重なり、結論だけを天啓てんけいのように指し示す。

――が急所だ。

と。

「残る騎馬隊を潰す! 続け!」

 連合軍の後ろ、僅かにかたむいた斜面しゃめんを駆け抜け、右翼へ向かう。

 捕虜ほりょを手早く縛り上げる間に馬の息は整っており、兵も士気しき旺盛おうせい、むしろ「暴れ足りない」という面持ちで、素早く従った。――強行軍きょうこうぐん気味に一過ごし、突撃したくらいでは、何程なにほどこといらしい。玉英の後ろ、琥珀の周囲をかためる猫族すら、一年前とは段違いの手綱捌たづなさばきと余裕を見せている。

 左に目をれば、戦場全体がへ向けて動いていた。

 歩兵同士の命の削り合いは激しくなり、地の利はあるものの数に劣る連合軍が徐々に苦しくなってきている。

 見れば見るほどあらゆる場所に介入かいにゅうしたくなるが、そうはいかない。急所を誤れば、戦に負けるのだ。



 一万は居た連合軍右翼歩兵が、半数以下に減らされていた。

 その正面には青淄軍歩兵一万三千、やや左に同歩兵七千、右側面に同騎兵九千、後背にも同騎兵五千。

 連合軍騎兵三千の援護により完全な包囲とはなっておらず、相手にも数千の損害を与えているが、いずれ全滅することは目に見えていた。

 にもかかわらず潰走かいそう秩序ちつじょを失っての敗走はいそう。一般に強烈きょうれつ追撃ついげきを受けるため被害が大きくなる。)していないのだから、連合軍の士気の高さがうかがえる。

――私を、待ってくれている。

 玉英は目の奥に熱いものを、同時に胸の奥に重く沈むものを感じ、すぐさま両者を一旦いったん忘れるようにつとめた。

 光扇が飛ばした檄は、表現そのものは隠語いんごの組み合わせだったが、意味としては『我等われらあるじ』の生存とを告げるものだった。

 王家直轄地の民である。意図するところは当然通じ、苛政かせいに苦しむ者達が奮起ふんきしたのだ。

 その民の一部――四千余りとなった歩兵が、ほんの二里(約八百メートル)先で、後背の騎馬隊に再度突入されようとしていた。

「雲儼、玲、先行するぞ!」

「ハッ!」「おう!」

 麾下一千騎が、これまで一塊ひとかたまりだった九千騎を一歩ごとに引き離す。三十歩を数えた辺りでの疾さへ移行し、青淄軍騎馬隊が想定し得ない瞬間に横から突っ込んだ。

 さきと同様、騎射ののち子祐が半ばを切り裂き、玉英、雲儼以下がきずを拡げてニ千騎は削った。突き抜けて集合。周囲を一瞬見廻みまわして一部以外反転、騎射、突撃。が青淄軍のまばらな逃亡を許さず、玉英軍後続が追い付いたところで降伏者以外は一気に殲滅した。

 捕虜を馬と武器から離した頃、正面に、青淄軍左翼の九千騎――いくらか削れて八千五百騎――が姿を見せた。


 青淄軍の指揮官は、玉英軍こそがであることを理解した上で、勝てると踏んだのだろう。

 玉英軍の左後方……連合軍中央歩兵一万一千、右翼歩兵四千弱の間を、青淄軍歩兵二万近くが突破とっぱして来ていた。削られた連合軍がそれぞれ小さく纏まって耐えようとした結果、進軍路しんぐんろが拡がったことも一因いちいんだろう。

 一般的な前提として歩兵では騎兵に追い付けないため、挟撃きょうげきないし包囲することが主な目的と思われた。――あるいは、玉英軍をこの場にとどめさえすればあとは兵力差でつぶせる、という目算もくさんかもしれない。

 玉英としては、連合軍右翼歩兵を見捨てればだっすることは容易よういだが、無論そうはしない。そうする必要も無い。相手が、あとは犠牲を減らす方法を考えるだけで良かった。

 数瞬の思考。青淄軍の強気な姿勢がよぎる。

 玉英はの合図を出し、背後へせまり来る歩兵へと向かった。

 攻撃側のつもりだった者が攻撃側になった際、余程の熟達者じゅくたつしゃでなければすきが生じる。まして、長引く戦闘の中で判断力を失いつつある兵ならば。

 移動中のこと、陣形じんけいが整っていない青淄軍歩兵をり、孤立した五千程を締め上げる。

 慌てて青淄軍騎馬隊が疾駆しっくしてくればめたもの。抵抗ていこうすら難しくなった歩兵の包囲を解き、玉英軍全軍で、騎馬隊へ向かう。

 先頭で大剣をかかげていた大柄おおがらな男を子祐が最小限の動きで倒し、取り巻きも流れるように突き、払って、斬り伏せていく。先頭の勢いのままに後続が続き、二度も反転した頃には、気に掛けるべきことやはり、逃さないことだけとなっていた。

 が、大剣の男が青淄軍全体の指揮官にして将軍だったらしく、残る青淄軍も順次じゅんじ降伏させることに成功。青山での戦は、終わった。

 あっさりと降伏した要因の一つとして、青淄軍が騎馬隊を完全に失っていたことが挙げられる。双方が失っているならまだしも、相手方のみに十分じゅうぶんな騎兵が居る場合、蹂躙じゅうりんされることを意味するのだ。――連合軍は殆どそうした状態におちいっていたが、援軍を信じて耐えたことが勝利に繋がった。もし左翼か右翼だけでも早々にくだっていれば、中央もそのまままれ、打つ手は無くなっていただろう。



 乗り手を失った馬と捕虜の武器を集め、傷を負った者達の手当てあてと全馬ぜんばの世話をして、青山の麓で野営やえいした。既に夜である。

 四万五千三百に及ぶ降兵こうへい……青淄軍の生き残りは、混乱こんらん反抗はんこうもせず従った。元々士気が高いわけでもない、命じられたから戦っただけの者達なのだ。

 対して、連合軍の生き残りは二万一千七百。士気は高かったが、兵力差と戦略せんりゃく上の要請ようせいにより犠牲が多くなっていた。

 玉英軍の犠牲は当たり方と実力差により最小限に抑えられたが、

――すまない。

顔と名を知る玉英軍の者達、いずれも知らぬ青東半島の者達……一部ながら集めた遺体いたいを前に、玉英は立ったまま刻を掛けて見廻し、目を閉じて、祈りをささげた。眉間みけんかすかなしわる。――かたわらの琥珀が左手で玉英の背を支えており、背後には子祐がひかえている。

 両軍は開戦時「九万と五万余りだった」とのことなので、合計では七万三千以上が死んだことになる。玉英が青東攻略を指示しなければ、少なくともここ何日かで死ぬようなことは無かったであろう者達だ。遅れて来る他の軍の手も借りて、帰せる者は帰してやりたかった。

 背に……いな、全身にうものが、一段と重くなった。

――だが、それでも、私は。

 ゆっくりと開いた目の奥で、紅蓮ぐれんほのお渦巻うずまいていた。

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