第11話 銀泉

 季涼きりょうの体力回復を丸三日待った、その翌朝。

 明華めいか丹行たんぎょうすう宋林そうりんを始めとする多くの者に見送られ、玉英ぎょくえい一行は紅水こうすいった。

 さいわいにして、一行いっこうは変わらず二十名。

 玉英、琥珀こはく子祐しゆう文孝ぶんこう梁水りょうすいと、猫族の面々……叔益しゅくやく以下の茶猫族五名、仲権ちゅうけん季涼きりょう以下の黒猫族九名、そして灰猫族の伯久はくきゅうである。

 季涼は自力で動けない程に消耗していたが、三日と一晩で、隊の指揮へ戻れる程になっていた。

 空腹と疲労が原因だったのだ。若さもあり、回復までは早かった。


 進行方向はおよそ北東。

 予定としては、左へ折れて三、四日歩めば紅水ないし合流後の竜河……という位置関係をおおむね維持し、十日と少しは歩く。

 その、右斜め前、即ち真東へ八日と、やはり少し。

 更に、進路を北東へ戻して三日。

 全て合わせて、二十二日。

 それで、次の目標たる城塞都市まち──商業都市・銀泉ぎんせんへ辿り着く計算だ。



 紅水を出て、四日目の朝。

 荒野へ横たわる山々のけわしさは、西王母の領域のものと比べれば、いくらかやわらいでいる。

 その一つ目をようやく越えて、次の山へ向けて歩みつつ、

「次の城塞都市まで、今日を含めて十九日じゃったか」

「そうだね。順調にいけば、だけど」

一行の中心で会話するのは、琥珀と玉英。

 子祐のみ、玉英からさほど離れずに独自の動きで目を配っているが、他の者達は、っていた。

 この日は文孝と黒猫族三名が前、同様に仲権隊が後ろ、梁水と茶猫族三名が左、右には残る五名──伯久と叔益、季涼、更に茶猫族と黒猫族一名ずつ──と、数の上でも指揮能力の上でも、やや右方を重視した形である。

 右方、即ち南東方向は、鬼族の支配領域へ至る道。

 鎮戎公ちんじゅうこうの領内である以上、なかなか考えがたいことではあったが、鬼族軍及びぞく軍に対する備えは、必要だった。

「うむ……しかし銀泉とやら、紅水よりも大きい、というのはまことかや」

 玉英の視界の右半分で、琥珀の耳と尾が、表情以上に疑問を訴えている。

 紅水で聞いた明華の言葉を疑っている……というより、単純に想像が付いていないのだろう。

「そのはずだよ。鎮戎公支配下の、主要な城塞都市の一つだからね」

 微笑んで答える玉英。

 かつて王城で教わった中にも、銀泉の名はあった。

 紅水の五倍、十万の民が暮らすという。──こちらは明華による、近年の情報だ。

 事実なら、根本的に民の数が多い鬼族の領域を除けば、指折りの大都市である。


 他に玉英の聞き及ぶ限りでは──

 銀泉は竜河からやや離れているが、その名にある通り、巨大な泉──湖を抱えており、そこから引いた水が周囲の田畑もうるおしている。

 また、銀山が近辺に複数あり、周華王室から正式に認められた権限によって、鎮戎公の代官だいかんが銀の算出を管理しており、このおよそ最も確実な産業の存在が、銀泉の勃興ぼっこうもといとなった。

 更に、鎮戎公の支配領域、その西半分の中心、と言って良い立地。

 以上により銀泉は、さかえるべくして栄えている。

──と。


 対して、比較元ひかくもとたる紅水は、近隣で採れる鉄鉱や岩塩をひそかに精錬、使用することで、都市の規模から考えれば不相応ふそうおうな程の富を得ていた。

 それも、明華が考案した数々の方法──明華自身は「いにしえ聖賢せいけんの知恵だ」と言っていたが──、例えば、異型いけいのような形で、鉄製のすきを牛にかせる農法により、信じ難い程の成果が出ている、らしかった。

 鉄そのものがまだ研究途上の物であり、ようやく普及し始めたところを専売制せんばいせいによって阻害そがいされた……と思っていたが、の目を逃れさえすれば、独自に研究が進むこともあるのだ。

 独自と言えば、西王母の邑でもそうだった。

 鉄をきたえてつくる──鍛造たんぞうなる方法を、かつて鍛冶師かじし玄鉄げんてつは教えてくれた。いや、教えてくれただけでなく、玉英や子祐の武具を丹精たんせい込めて打ち整え、与えてくれたのだ。

──ありがとうございます。

 玉英は腰の剣へ目を遣り、剣を通じて礼をするように、ゆっくりと一度、目を閉じた。


 閑話休題かんわきゅうだい

 内実は異なるにせよ、紅水の、五倍の民を抱える城塞都市。

 琥珀はたっぷり五つは数える程に考え込んだ末、笑って言った。

「何にせよ、楽しみじゃのう」

「うん、本当に」

 玉英も、満面の笑みで答えた。

──美しい天下の全てを……周華に限らない、広い、広い天下を、一緒に見たい。

 琥珀と出逢であう前からの夢が、いつの間にか、琥珀と共に叶えたい夢になっていた。



 紅水での準備がこうそうして旅路は順調に進み、二十二日目の夜、銀泉の負郭ふかく(再度記すが、城塞都市周辺に広がる貧民街。富裕層の所有する田畑が広がっている場合もある。原義は「郭を背負う(城壁周辺)」である。)まで辿り着いた。

 門限は過ぎていたが、一行の戦力であれば、旅の者や無頼漢ぶらいかんの多い見知らぬ負郭とて、夜を過ごせぬ場所というわけではない。

 道中同様、交代で休み、夜が明けるのを待った。


 紅水からの旅の間に、この辺りの季節は春へと進んでおり、朝と夜はそれなりに冷え込むが、昼間は着物を多少薄手にしておいた方が快適だ。

 翌朝、玉英等は怪しまれない程度に身なりを整え、開門を待つ長い列へと加わった。

 列に並ぶ者は、犬族が多い。

 そもそも鎮戎公の名が示すじゅうとは、かつてこの近辺を広く支配していた、犬族のことだ。

 犬族は総じて槍を得手えてとする、周華にまつろわぬ民であったが、三百年程前、鎮戎公に屈した。

 今となっては文化的に同化した、謹直きんちょくな民である。

 小柄な猫族と比べれば全体に大柄おおがらだが、白虎族よりはやや小さく、見渡す限り、玉英よりも大きい者は十名につき二、三名居るかどうかだ。

 大小も色も異なる数多あまたの尾が、表情豊かに揺れていた。



 一刻いっとき(約二時間)経った。

 しかし、一向いっこうに列が進まない。

 並び始めた時に立っていた場所が、振り返ればすぐそこにある、という程だ。

「どういうことじゃ?」

 玉英と並んで先頭に居る琥珀が素直に疑問をていし、

さぐってまいります」

背後に居た伯久が、列を外れて半里はんり(約二百メートル)は先の門へと走る。

 その様子を見てかどうか、伯久が去ってから十も数えないうちに、列の外から、商賈しょうこ風の犬族が声を掛けてきた。

「もし、旅のおかた

 年の頃は三十前後。背丈は玉英と子祐の丁度ちょうど中間、といったところか。犬族としては相当に大きい。やや伸ばした黒髪に黒目。耳と尾も黒い。

わらわのことかや」

 琥珀が右へ向き直ると、

「はい。いずこかの高貴なお方とお見受けしました。どうかこの豪徳ごうとくに、貴方あなた様とえにしを結ぶ機会をおめぐみ下さいませんか」

犬族──豪徳は丁寧に頭を下げて静止した。耳と尾の動きすらもよく抑えて、返事を待っているらしい。

 声を掛けられた段階で、琥珀を庇うように子祐が半ばさえぎっていたが、ひるんだ様子は無かった。

 琥珀は一度背後を振り返り、玉英と頷き合ってから答えた。

「面を上げよ。話すが良い」

「はい、感謝申し上げます」

 豪徳は琥珀を見下みおろさない程度にだけ上体を起こし、続ける。

「実は──」

「待つのじゃ」

 琥珀が早々に止めた。

「真っ直ぐ立って話すが良かろう」

 豪徳は琥珀と比べれば二尺にしゃく(約三十六センチメートル)以上は上背うわぜいがあるため、実質的には礼をしたままだったのだ。

「はい、失礼致しました」

 ゆっくりと姿勢を変え、琥珀の承諾を得てから、

「実は──」

と改めて話し始めた。



「では結局のところ、この列はいつまで待とうが進まぬ、と?」

「はい。それもこれも全ては──」

「悪徳商賈連のせいじゃ、と」

「仰る通りでございます」

 幾度いくたび目かの礼をする豪徳。

「ふむ……」

「ですから、どうかここはわたくしめに、別の門へ貴方様をご案内させて頂く栄誉を、お与え下さいませ」

 そう言って、豪徳は一層深く頭を下げた。

「やや多いが、ともも、ということで良いのじゃな?」

勿論もちろんのことにございます」

 豪徳は、頭を下げたままである。

 琥珀は顔を左へ向け、隣に近いところまで来ていた玉英と目で会話して、

「良きに計らうのじゃ」

「ありがたき幸せ」

──どこまで下げれば気が済むのじゃ?

と思う程に下がっている、豪徳の頭を見下ろした。

 豪徳の耳と尾は、相変わらず、微動びどうだにしていなかった。



 話し終わっても伯久は戻らなかったため、叔益以下三名の茶猫族に伝令を頼み、一行は豪徳の案内で移動した。

 元居た門は南の門。それも明らかに主要な、大きなものだったが、向かった先は、北西の小さな門である。

 小さな、と言っても、途中で合流した豪徳の馬車が通れない程ではなかった。──馬車には羊肉が入っているという包みが満載だった。

 北西の門番には鼻薬はなぐすりがせてあったのか、やけにすんなりと通され、事前に打ち合わせた通り、そのまま豪徳のすすめる宿へと向かった。

 一階は食堂、二階は宿泊客向けの部屋が並んでいる、形式としてはごく一般的な、しかし上等な宿であり、一行が十分に泊まれるだけの広さがあった。

「ご案内させて頂けましたこと、大変光栄にございました」

 部屋の前で、もう見慣れた、豪徳の深過ぎる礼を受け、

「妾達こそ感謝する。そなたの商売繁盛を祈っておくのじゃ」

恐悦きょうえつ至極しごくにございます。さすれば、商機を逃さぬため、これにて失礼させて頂きます。どうぞごゆるりと、銀泉をお楽しみ下さいませ」

 更に礼を重ねてから去っていく豪徳を、見送った。



 豪徳が去ってからしばしののち、玉英と琥珀、子祐の三名は、身軽に宿を出た。──他の者は、宿へ置いた荷の番である。

 宿は北西の門から入って程無ほどなく、という位置にあるため中央通りまでは遠いが、そうとは思えぬ程の店構えだ。

「明華の勧めに従わぬことになってしまったが、これはこれで悪くなかろう?」

 琥珀にたずねられ、曖昧あいまいに微笑む玉英。

おる。……ずは、食事じゃな!」

 言い切った琥珀に、眉尻を下げつつ笑い掛けて、

「子祐」

「ハッ」

子祐に先導を頼んだ。



 十万の民をようする商業都市、だけのことはある。

 やや南西寄りの市場しじょう区画へ出れば、市場そのものが閉まらない限りはずっと喧喧囂囂けんけんごうごう取引しているのだろう、と思える店がのきつらねていた。

 行き交う者も多く、紅水もそうだったが、話に聞く世の乱れようとは全く異なる様相ようそうだ。

「う~む、たまらんのう」

 舌舐めずり、まではしないが、心ではしていそうな琥珀。

 それもそのはず。戎が遊牧民だった頃の名残りか、羊の肉が贅沢ぜいたくに使われた串焼きが、数こそ少ないものの、眼の前に並んでいた。

「これにしようか」

 玉英も乗り気である。

「うむ!」

 身分から考えれば、通常、子祐に買わせるところだが、琥珀にとっては生まれて初めての『買い食い』である。

「そなた、これを二十本くれぬか?」

 宝石のような目を輝かせて、直接声を掛けた。

 しかし、声を掛けた先、じっくりと肉を焼いてはわきへ積み上げている犬族の少年ではなく、やや奥で座っていた、店主と思しき初老の犬族男性が立ち上がり、苦笑い気味に答えた。

「お嬢様、銀泉こちらは初めてで?」

「そうじゃが……」

──何か不手際があったかや?

 琥珀が目をしばたたかせる。

「結構なお値段になりやすが、よろしいんですかい?」

 言われてみれば、掲示けいじされている値段は、如何いかに贅沢と言っても度を越していた──が、そうと判断出来るだけの経験が、琥珀には無かった。

「ダメ……かや?」

 琥珀は左隣まで来ていた玉英を見上げ、目をうるませる。

 玉英は柔らかい微笑みを返してから、子祐が差し出した銭の束を店の者へ渡しつつ、告げた。

「四十本貰おう。それと、話を聞きたい」

「へ、へえっ、喜んで! おい、でん、一本も焦がすなよ! 塩もたっぷりだ!!」

「あいよ親父おやじ! ありがとよお客さん、へっへっへ」

「失礼な口利くんじゃねぇ! すいやせんね、へっへっへ」

 笑い方があまりにも似ていて、玉英と琥珀もつい笑ってしまった。



 夕刻の、一歩手前。

 宿の部屋、椅子の上。

 昼頃に一度宿へ戻り、既に合流していた伯久、叔益等も含めた全員へ串焼きを渡しつつ、命じていたことがある。

 その、報告を受けていた。

「よくわかった。感謝する。『頼む』と伝えてくれ」

「ハッ」

 最後となった伯久の報告も聴き終え、玉英はしばし沈思ちんしする。

 右隣の椅子に座っている琥珀も、もう長いこと顔の各所をていたが、漸く心中しんちゅうを整理出来たようで、ゆっくりと深呼吸して、言った。

はおったが、確証を得るとまた違うものじゃのう」

「そうだね。見当違いなら、良かったんだけど」

「うむ。……しかし、やるとなれば、徹底的に、じゃ」

 頷き合っていたところ、宿へ入ってきて大声で叫ぶ者があった。

「旅のお方! どうかお力添ちからぞえを……あるじをお助け下せぇ!」

 顔を見合わせ、揃って片頬だけで笑って、今度は軽く頷き合った。



 琥珀と玉英、子祐が降りて行った先に居たのは、豪徳の馬車で御者ぎょしゃを務めていた犬族の若者だった。その言を聞くに、

「山に囚われている、じゃと?」

「へぇ、悪徳商賈の手先の山賊共に。俺だきゃあ主がどうにか逃がしてくだすったんですが、こんなことで俺が頼れるの、あんた方……あーいや、あなた方くれぇしか居ねぇんで……どうか、どうかお助け下さい!!」

 地に伏せて頼み込む御者。

「良かろう、案内あないするのじゃ」

「ありがとうございやす! そいじゃあ、こちらへ!」

 琥珀と玉英は駆け出す御者の背後で視線を交わし、皆にそれぞれ手で合図を出して、後を追う。

 御者を追うのは十四名。

 伯久と、叔益以下五名の茶猫族の姿は、無かった。



 南洞山なんどうざん

 銀泉の西十里にじゅうり(約四キロメートル)にある山の名である。

 この「南」は銀泉基準ではなく、南北に二つ連なった山同士の関係から来ているらしい。

 四半刻しはんとき(約三十分)程かけて、はその南洞山の東側のふもとへ辿り着いていた。

 見渡す限りでは、岩が露出ろしゅつしているところもあるが、半ばは土と木に覆われた、そこまで高くもない山だ。西王母の領域であれば「丘」と呼称していただろう。

 所々ところどころに、見張り台と思しき建築物がある。

 山の東側、中程なかほどまでが、豪徳が捕まったという山賊のねぐらなのだ。──頂上付近は峻嶮しゅんけんに過ぎて、鳥や龍でもなければ寄り付けない。

 北側も、別の山と連なってこそいるものの、行き来が出来るような地形ではなかった。


「この坂の上に開けたとこがあって、みぎかわ洞窟どうくつがありやす。多分、そこに……」

 この坂の上……とは言うが、正面の坂以外にも、左右それぞれ、やや離れたところに一本ずつの小道。

 更に左手奥には、からは見えはしないが、最も広い道があるはずだった。

 しかし、そのことについては触れず、

「うむ。そなたはここで待っておれ」

と琥珀が言うと、

「いえ、俺も行きやす。お役にゃ立てねぇかもしれやせんが、どうかおそばに居させて下せぇ」

 大きくかぶりを振って反対する御者。

「そうかや? ならば、梁水、文孝」

「「ハッ」」

 御者の前後に梁水と文孝が付いた。

 御者の体格は一般的な犬族のものであるため、完全に隠れた形になった。

「俺如きにここまでして頂かなくても……」

「気にするでない。そなたに死なれては困るのじゃ」

「ありがとう、ございやす……」

 御者は、笑おうとして笑えていないような、微妙な表情で礼を言った。

「良い。では、玉英」

 玉英が、命ずる。

「子祐、正面。罠警戒。深入ふかいりは禁ずる」

「ハッ」

「仲権、四名連れて右。必要となる一歩手前で退け」

「ハッ」

「季涼は三名で後ろ。安全第一」

「ハッ」

「残る私が左……ということで?」

 向き直って仰々ぎょうぎょうしく礼をしながら、琥珀に尋ねる。

「うむ。良きに計うのじゃ!」

 満面の笑みである。

「では、

「うむ」

 琥珀が季涼隊に囲まれて下がったのを確認した段階で、玉英が剣を抜き、頭上で繰り返し回した。

 八か九数えた頃。左奥──南側から、何百という火矢ひやが山肌へ降り注いだ。



 夕刻である。

 徐々に濃くなりつつあった影はその濃淡と形を変え、

「な、何をなさってるんで!?」

御者が慌てふためいて玉英へ詰め寄ろうとする──が、梁水と文孝に止められる。

「賊を殲滅するのだ。盛大にやらねばな」

 玉英は去り際に御者の方を振り返り、笑った。


 山賊とて手をこまねいているばかりではない。ただ焼かれるのを待つのは、既に死した者か、囚われた者だけだ。

 しかし、囚われているはずの豪徳が、玉英が向かった左の坂から、真っ先に駆け下りてきた。

「なんと、救出に来て下さったのですね……ありがたく存じます。この御恩ごおんは決して忘れませぬ」

 そう言って深々と礼をし、改めて、木のかげに身を隠した玉英へ歩み寄り──


 一閃。


「なっ……何故なにゆえ露顕ろけん、したのでしょうか?」

 豪徳が、足元に落ちた、剣を握ったままの自身の右手を見つめながら言った。

「そなたには、わかるまいな」

 玉英は豪徳を冷たく見据え、その首筋へ剣を突き付けて、

「全て吐くなら、しばし生かしておいてやる」

 豪徳は痛みに目元を引きらせながらも頬を上げ、

「正直な方ですね……こういう時は、『命は助けてやる』とおっしゃいませ。……いずれにせよ、申し上げることなどございませんが」

「そうか。……おぼえておこう」

 再び剣がきらめき、豪徳が倒れた。


 子祐の敵になるような者は、居なかった。

 木の葉がいくら打ち付けたとて、倒される巨木は無い。

 雑兵が駆け下りて来たところで、小揺こゆるぎもしなかった。


 仲権と四名の黒猫族は、正面からのぶつかり合いは避けた。

 犬族は、平均で八寸はっすん(約十四・四センチメートル)以上は猫族よりも大きい。

 それ以上に恵まれた身体を持つ伯久ならばまだしも、仲権ではあまりにも不利であり、且つ、えて不利な立ち回りをしろ、とは命じられていない。

 罠の有無を確認した上で木陰こかげ、岩陰を利用し、弓矢で賊徒を射抜き続けた。


 玉英達とは別方面。

 南側の広い道では、犬族同士のぶつかり合いが起きていた。

 とは言え、先制ではなった何百という火矢のおかげもあり、血で血を洗うような争いにはなっていない。

 絶え間ない矢に射抜かれ、駆け下り切る前に力尽きる賊徒がほとんどで、辛うじて辿り着いた者とて無傷では済まなかったのだ。

 そうした数十名をせてしまえば、それでしまいだった。



 東側の様子が落ち着いたところで、仲権、季涼の隊に見張りを任せ、琥珀、玉英、子祐、梁水と文孝、彼らには南側のを訪ねた。

 五百は数えるであろう軍の後方右側──東側が、年配の犬族が歩み出て来て、深々と礼をする。

 さほど背丈があるわけではないが、真っ直ぐ伸びた背筋が印象的だ。

「銀泉を預かっております、慎易しんえきと申します。この度はご協力頂き、まっこと、ありがとうございました」

 肌はやや焼けており、髪と耳、尾は白い。

 琥珀も前へ出て、微笑みながら言った。

「妾が琥珀じゃ。こちらこそ、助かったのじゃ。妾達だけでは、やもしれぬ」

 慎易が頭を上げ、大袈裟に驚いて見せた。つぶらな黒い瞳が輝いている。

「なんと剛毅ごうきな……流石は明華様のご朋友ほうゆうわたくしのような老骨とはわけが違いますな、はっはっは」

「なんの、前線まで出張ってくる者を老骨呼ばわりは出来ぬじゃろう、呵呵呵かかか

 相手に合わせているうちに、西王母のような笑い方になっていた。

「ところで慎易、に移って貰っても良いかや?」

「勿論、勿論」

 幾度も頷く慎易。

 その眼前へ、御者が引き出され、膝を突いた。梁水と文孝に左右の腕を捻り上げられている。

「あー、いってぇな、畜生。……無駄、ってことだよなぁ、これ」

「そうだ」

 慎易は見下ろしつつ、平坦な声で言った。

「どこで露見しバレた?」

 これには答えず、琥珀の顔を見て、わずかに口角を上げ、頭を左へ傾けながら頷いた。

 それを受けて、琥珀が答える。

「まずそなたら、演技が甘いのじゃ」

 西王母の民ではないとは言え、鼻が利き、尾の表情を隠せないことで有名な犬族である。

 本心からならば、いくら抑えたところで、何かしらの反応は出る。……とは言え、これだけならば疑いに過ぎなかった。

「馬車に羊肉、というのもおかしかった」

 城塞都市に出入りする真っ当な商賈であれば、連れて入るだろうし、あれだけの量を市場へおろした形跡けいせきも無かった。

 最近は羊肉がなかなか手に入らない、と串焼き屋が言っていたくらいなのだ。値を上げざるを得ず、生活が苦しい、とも。

 店主の口利きでいて回ったいくつかの店でも、同じことを言っていた。

先程さきほど宿へ来た際も、命辛辛いのちからがら逃げ出せた、にしては元気そうじゃったし、何より、妾達を頼る必要などどこにも無かった。眼の前の忠勇なる兵士達が、それを証明しておる」

 琥珀に真っ向からたたえられ、兵士達の尾が奏でる音が五月蝿うるさい程になった。これが本来の犬族なのだ。

 嘘が自然と排除され、誠実な商売を積み重ねることこそが、銀泉の着実な発展のもといだ、と聞いている。

 ただ、極稀ごくまれに、そこから外れたがる者も居る……というのは、どの種族であれ、同じことだった。

「さて、慎易。あとは任せるのじゃ」

「はい、承りました。……おい」

 慎易が部下に声を掛け、複数名で御者を連れて行かせる。

「では、しばし失礼致します」

 そう言って頭を下げ、隊の後方へ戻る慎易。すぐに軍が動き出し、山を囲んでいく。一部は玉英等が担当した東側へ、別の一部は西へ向かった。



「これで、とりあえずは皆の無事を祈るのみです」

 戻ってきた慎易が言う。周りには、二十名程度が残るのみだ。護衛と伝令だろう。

「ご苦労様、じゃ」

「いえいえ、わたくしの責務ですからな」

 慎易が笑みを浮かべると、しわが目立った。

「琥珀様、とお呼びしても?」

「許す」

 琥珀が頷けば、慎易は丁寧に頭を下げ、

「ありがとうございます。ところで琥珀様がたは、鎮戎公のお膝元……朔原さくげんへ向かわれるのでしたな?」

「そうじゃ」

 朔原は、竜河本流が最も北へ寄った部分、そのにある大都市である。

 には、徒歩でも二日かからない距離に長城がある。即ち朔原は、たい熊族の最前線を統括とうかつする護国ごこく城塞じょうさいである。

 なお、竜河は朔原を取り巻くように東へ流れを変え、その後ある地点で南下し、京洛けいらく鎬安こうあんの間で釣水ちょうすいと合流してから、東の劫海ごうかいへと流れて行く。

「でしたら、馬はご入用いりようではありませんか?」

「馬?」

「この辺りから北は、広大な荒野となだらかな山が殆どです。今宵こよいのように密かに移動する、というのでなければ、馬での往来をお勧め致します」

「ふむ」

「朔原へは、徒歩かち壮健そうけんな兵で二十一日前後のところ、馬なら多少手間取っても十一日。……まことに失礼ながら──」

「妾や猫族ならば一月ひとつきはかかるじゃろうな」

「おそらくは」

 単純な体力差である。

 伯久のような例外は兎も角として、一般的には、鍛えた者同士、種族の差は如実に現れる。

「それに、旅慣れた馬ならば、水源や夜営やえいに適した場所も教えてくれます」

 見知らぬ土地を旅する上では、最重要事項じこうの一つだった。

わたくし一存いちぞんで差し上げる、というわけには参りませんが、朔原の兵営へお渡し頂ければ問題ありませんので……」

 馬は貴重な戦力であり、財産である。

 特に騎馬民族である熊族と相対あいたいするのであれば、欠かせない要素だ。

「それは無論じゃ。では──」

 左の玉英と視線を交わし、微かな頷きを得て、

「頼むとしよう。……じゃが、妾も猫族も、体格が足らぬのではないかや?」

眉をひそめて訊いた。

「ご安心下さい。小型の馬も居りますし、あぶみという明華様ご考案の品があれば、大抵の馬をある程度乗りこなせるはずです」

「鐙?」

くらからぶら下げた板に足を置く……といったものです。騎乗中の姿勢を安定させられますし、乗り降りも容易たやすくなります」

「ふむ。試してみようかの」

「はい。では、そのように」

 慎易は微笑みながら一礼した。

「よろしく頼むのじゃ!」

 周囲の玉英等が頭を下げ、琥珀は、満面の笑みで大きく頷いた。

 白い尾が、火に照らされた宵闇の中で、たのしげに揺れていた。

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