第10話 紅水にて

――あのおやさしいソータイチョーサマが襲撃命令? んなことするわけぇ……でさ。

――他のタイチョーサマの言う通り、んなきゃえるだけだってのによう。


「――ょくえい、玉英ぎょくえいっ!」

「ん……ああ、おはよう、琥珀こはく。今日も可愛いね。……どうかした?」

 寝台の上。右側から身を乗り出し、玉英の顔を覗き込んできている琥珀の、やや落とした眉を見つめての言葉。

 形だけではない。、本心から言っている。

 それを、玉英の目から読み取れてしまう琥珀は、やはりいつものように顔を赤らめ、耳をやや動かして、

「ありがとう、なのじゃ。玉英も――」

と言い掛け、

「美しくはある、が、大丈夫かや? うなされておったが……」

別の言葉へ続けた。

「あー……うん、大丈夫。多分、疲れが出ただけだよ」

 穏やかな微笑みを返す玉英。

 一月ひとつき以上ぶりとなった、まともな寝所しんじょでの就寝。気が緩んだのかもしれない。

 背負ったものに、「忘れるな」と釘を差された。

「そうかや? それなら、良いが……何かあれば、すぐに言うのじゃ」

「うん、ありがとう、琥珀。琥珀も、いつでも、何でも言ってね」

「うむ。ありがとう、なのじゃ」

 満面の笑みをたたえた琥珀の顔へ右手で触れ、ゆっくりとでる。

「んむぅ」

 れ出ただけ、というような琥珀の声を聞きながらその色付いた頬をしばらく堪能たんのうし、右手をすべらせて後頭部へ。身体をひねって左手も腰へ回し、抱き寄せた。

「朝じゃぞ」

 そう言いながらも、琥珀は

「疲れが抜けるように、少しだけ、ね?」

 言いながら、琥珀の耳に指を伸ばす。

「それはなかなかに……んっ、ズルいのじゃ」

「ごめんね。でも、琥珀が可愛いせいだよ」

「それも、ズルい、のじゃっ、あっ」

 甘い声を聞きながら、真っ白な耳の毛に触れるか触れないかの絶妙な距離を保って、手指で優しくもてあそんだ。

「んっ、んんっ、くすぐったい、のじゃ」

「そう?」

「そうじゃ!」

 言い切りながら、玉英の首筋へ顔をうずめる琥珀。

 玉英は頃合ころあいを見て、左手でも、琥珀の背中から腰にかけてゆっくりと繰り返しで始める。

 かすかに触れる指とてのひらへ意識を集中し、なめらかな肌と時折触れる尾の獣毛をいつくしむ。

 幾度もでた末、琥珀が目を固く閉じたのを察して、尾の付け根へ、指を押し当てた。

「んんん~~~っ!!」

 首筋に熱い吐息を感じながら、強く抱き締める。

「可愛いよ、琥珀」

「んんっ……んっ……んぅ……当たり前、なのじゃ……」

「そうだね」

「うむ……」

「ありがとう、琥珀」

 耳元で囁く。

「んうっ……どういたしまして、じゃ」

 顔を少し動かし、見上げてくる琥珀。

 その目が、柔らかく輝いていて。

 抱き締めているはずなのに、包まれているような気がした。



 玉英と琥珀は、しばしののち、身支度を整えて、紅水こうすい内城ないじょうの一角へ用意された寝室を出た。

 昨夜、深更しんこうに至るまで打ち合わせた末の、「モッチロン泊まっていくよね?」という明華めいかの言葉に甘えた結果だ。

 元より、の護衛に当たっていた仲権ちゅうけん季涼きりょう等の合流を待つ必要があるのだ。断る理由は無かった。――「壁に、壁にならせて」という明華の戯言ざれごとは切って捨てたが。

 当初の計算上は、最も順調だとしてもあと三日。

 から実情を推定し直せば、六日。

 もし何らかの問題が発生していれば、そこから更に十日以上。あるいは……。

 極めて幼い子供がおよそ半数を占める、最低限の防備ぼうびでのだ。

 心構えは、必要だった。



 例によって例の如く、隣の部屋へ控えていた子祐しゆうとはすぐに合流して朝食を共に済ませたが、明華との打ち合わせを再開する前に、紅水まで付いて来てくれた民の様子を見るべくそろって出掛けた。

 昨夜の時点でも、打ち合わせのかん、民の待遇は文孝ぶんこうに確認させてあった――だからこそ玉英も内城で休むことをがえんじた――が、民自身の口からも聞いておきたかったのだ。

 結果、文孝の報告、並びに明華の「場所が違うだけで、全員玉英達とだから安心してよ。いたれりくせり、ってやつ!」との言葉通りだとわかった。

 柔らかく蒸した上であぶらって表面を焼いたへい、肉と野菜を塩などと共に味濃く煮込んだ汁、一抱えもあるかめの水と、栗鼠りす族ならば中へ入れてしまう程に大きなおけ一杯の湯。

 食糧は勿論もちろんのこと、いくら川から水を引き込んでいようとも、湯がき出ているわけではない。玉英も含めて百四十一名に行き渡らせたとすれば、その労力は如何いかばかりだったか。 

 過酷な旅を超えてきた者達にとっては望外ぼうがいであり、賊徒が横行する周華においては、贅沢ぜいたくそのものだった。

「いんやぁ、たまげたねぇ、琥珀様達にだけじゃなく、あたいらにもだなんて。ありがたいを通り越して、怖いくらいだよ」

宋林そうりんが語ったように、民の口からは感謝と困惑が共に溢れ出てくるようだった。

「如何です? 明華は頼りになるでしょう?」

 その明華と久方ひさかたぶりに語らいながら寝たというすうも、玉英等とは別にやって来ていて、既に幾度目か、大いに胸を張った。

 確かに自慢したくなるのもわかる『お友達』とその民だが、一体どこからこれだけの余力を得ているのか。

 ついでに見て回った限り、城塞都市まちの内部は活気に溢れ、今回わざわざ無理をした、とも思えなかった。



 その疑問を、天高く陽がのぼり、昨夜と同じ一室で打ち合わせを再開した直後、素直にぶつけた。

「あー、それはね、魔法を使ったんだよ♪」

「マ……ホウ?」

「あちゃあ、通じないか。ってそりゃそうだよね、ごめんごめん。ま、一つずつ説明すると大変なんだけど……」

 明華は悪戯いたずらっぽい笑みを引っ込めて、つまんで説明した。

 国家の専売制せんばいせいとなった酒と鉄、塩。

 それらの生産と流通に、一枚も二枚もんでいるのだ、と。

 無論、表向きはこうべれて従っている。

 しかしこの地は鎮戎公ちんじゅうこうの領地の端。周華の『天下』においては明確に僻地へきちであり、政治的にも地理的にも、の監視が行き届きにくい位置にあった。

「だからねー、伯父上おじうえに許可だけもらって、ちょいちょい~っとね」

 明華は「どう?」とばかりに左目だけ閉じて見せた。

「伯父上?」

「あ、言ってなかったっけ。んっふっふ~、遂にこの口上を使う時が……!」

 明華の口角が再び大きく上がり、玉英の目を見つめて曰く、

「数百年間、熊族くまぞくの侵入をことごとはばんできた周華第一の将軍にして、独立心旺盛おうせいな北辺の慰撫いぶ振興しんこうを同時にこなしてもきた為政者いせいしゃかがみ、最も周華王室の信頼厚き亀甲きっこう族の長……即ち、鎮☆戎☆公!!」

と。

――最後の言い回しは兎も角として、

 玉英は目を見開いて言う。

「鎮戎公の姪御めいごだったか」

「そゆことー。伯母上、つまり私の母上の姉君が妻。でー、昨日案内役を頼んだ丹行たんぎょうにいがその末の息子。私の従兄いとこってことね」

「ほう」

――それで、あの立ち居振る舞い。

「私の護衛も兼ねた代官だいかんってことで来てくれてるんだけどさ、ちょっと窮屈きゅうくつっていうか」

 明華は視線を右斜め上へやって顔も右へ傾け、わざとらしく唇を歪ませて見せる。

「だから紅水を旅に出たい、と?」

「そういうこと!」

 途端に笑顔になる。

「では、そのためにも、仔細しさいを決めておかねばな」

 昨夜は大筋おおすじの話に終始しゅうししたのだ。

「はーっ、そうだね、そうなるよね。……ま、さっさとやろっか! 大体、丹行兄なら紅水ここを治めるのに何も問題無いんだから!」

 百面相ひゃくめんそうとは明華のことに違いない。

 うつむ溜息ためいきいたかと思えば、次には目を細め、声まで出して笑っている。

 能力は元より、この不思議ななつっこさが、年若い明華を紅水の主にしているのかもしれない。

 何しろ、鎮戎公の息子たる年長の丹行を差し置いて、なのだ。役割が逆だったとしても、何ら不思議は無かった。

「そうだな。では、今日は――」

 今度こそ、本格的に、打ち合わせを再開した。

 第一に、百二十七名の、今後についてだ。

 二万もの民を抱えているのだ。栗鼠族が得意とする、細かい仕事には事欠ことかかない。

 民の数以上の豊かさを背景にした、長期的な計画――蘭の復興計画も、ることが出来る。

 そうして細かく打ち合わせながら、明華の手腕を学んでいく。

 玉英の目が、鮮烈せんれつな色彩を宿していた。



 数日かけ、元・蘭の民は城塞都市まちの一員として徐々に組み込まれていった。

 望む者には、学舎まなびやでの教育も与えられた。

 明華曰く、「学問こそが人を……おっと、民を導く光なのです、なーんてねっ♪」と。

 口調こそおどけてはいたが、柔らかい表情の中に揺るぎない意志があり、明華のしんになっている部分だとわかった。 

 万巻ばんかんの書に囲まれて暮らす者なのだ。何らかの確信を得ていても、不思議はない。

 幼い頃に途切れたとは言え、王族として教育を受けていた玉英にとっても、うなずける話だった。


 必要な警備を紅水の兵へ引き継いだことで、玉英一行の者は自由に動けるようになっていたが、文孝だけは、初日に玉英へ報告したあと、民のところへ戻り、そのまま警備に付いていた。もとい、そう願い出たため、玉英が許可した。

 の間ずっと背後をまもっていたのもあり、相親あいしたしんでいるらしかった。


 手のいた者のうち、梁水りょうすいの紅水やほりの研究を申し出たため、これも許可した。

 河狸かり(念の為今一度記すが、ビーバー。)族の血が騒ぐ、との言葉に危機感を覚え、、明華に担当の者を付けて貰った。


 残る伯久はくきゅう及び叔益しゅくやく以下の猫族九名は、の方へ付いた同胞どうほうの探索を、玉英が命じるよりも早く申し出てきたため、十分な物資を与えた上で許可し、琥珀と共に重ねて命じた。

 もし無事では済まないような事態だった場合、報告が第一の任務となる。

 斥候の際にも度々たびたび言い聞かせていることだが、これも改めて厳命げんめいした。



 玉英が紅水へ着いてから、九日ここのか

 夜更よふけのことである。

 仲権と四名の黒猫族が、伯久率いる三名の黒猫族と共に、紅水へ到着した。

 玉英と琥珀は、「よくぞよ」と称賛し、仲権等の肩を一名ずつ順に掴み、真っ直ぐ目を見て頷いた。

 猫族にとっては大いなるほまれである。揃って滂沱ぼうだの涙を流すのも、無理はなかった。

 しかし、

「ところで季涼は――」

どこだ? という話になった。


 最も長く季涼と共に行動していた部下によれば、民を送り届けた後で

「蘭の北西、目標とした邑の手前で、竜河の対岸に熊族二名と馬四頭を発見。近隣に渡渉地点は無いが、これを可能な限り追跡する。帰還は定かならず、捨て置きたし」

と言っていたらしい。

 独断どくだんでの探索。

 情報の重要性をかんがみれば、伝令でんれいは出していることもあり、一切許容出来ないわけではないが、事実として危険だった。

 一つには、食糧不足。もう一つには、地域の問題だ。

 民を送り届けた邑の位置と、そこから竜河をさかのぼった先にけわしい山があることを考えれば、渡渉地点を探す流域は元・蘭の北東方面となる。

 とすれば、経路けいろは玉英等が民と共に歩んだ道と途中まで合致する。

 異なるのは、北へ折り返した竜河へ沿う形で、西王母と鎮戎公の支配領域、その境界きょうかい地域を進むことだ。

 支配領域の境目さかいめには、往々にして賊徒が蔓延はびこる。――紅水のように十分な防備の城塞都市まちを築いてあれば別だが。

 西王母の『神』たる威光や鎮戎公の手腕を考えると、もし賊徒ないし居着いた者が在るなら、鬼族の流れ者、あるいは密かに侵入した熊族だろう。

 二百前後も集まっているということはおそらく無いが、数十程度であれば、山へ潜んだ場合、そうそう目は届かない。

 所詮は全て想定に過ぎないが、想定し得る事柄に関しては、警戒すべきでもあった。

 半端な対応では、一歩間違えれば、全滅である。


 そこで、玉英自身が、季涼を探すことにした。

 子祐は当然として、梁水と文孝、それにまだ体力を残している伯久と三名の黒猫族は連れて行く。

 一月ひとつき以上にわたって苦難のをしてきた仲権等は、何と言おうと休ませた。

 琥珀には紅水にとどまっての連絡役を頼んだ。仲権等を抑えておく必要もあったのだ。

 加えて、明華から「兵なら貸すよ~」と申し出があったため、ありがたく受けた。

 丹行たんぎょうが率いる五十名の鳥翼族。全て明華、丹行等と同じ氏族のようだ。

 玉英を見下ろす程度には概して背丈に恵まれており、朱い髪と白い翼も合わせて、壮観そうかんだった。

 鳥翼族のほとんどは平地から自力で飛び立つことこそ出来ないが、滑空かっくうは可能である。

 高い城壁のある城塞都市や山の近辺であれば、図抜ずぬけた弓の名手、ないしそのような隊、あるいはどうにもならない程の大軍を相手にしない限り、少なくとも一度は、無敵に近い戦力として期待出来る。

 無論、高所からの斥候役も、お手の物だった。――彼等にあるのは手ではなく、立派な翼だが。



 手配を整え、夜のうちに進発して、二日後の昼過ぎ。

 梁水と紅水兵五名からなる隊が、季涼を発見した。

 紅水から見て北西。川の方の紅水の対岸には、まだ辿り着かない山中さんちゅうの森のなか

 動けなくなっていたが、幸い怪我は無く、意識はたもっていた。

 食糧と水を与えた上で、梁水が季涼を背負い、本隊へ合流した。


 梁水に背負われつつ、右横を歩む玉英に、途切れ途切れの報告をする季涼。

 元・蘭の北西部、以前熊族と馬を発見した場所には、対岸から見る限り、褐色の血痕と思しきものだけが遺されていたこと。

 北東部には、竜河の幅が広くなった部分があり、流れの中に、大岩が点在していたこと。

 また北東部の道中、誰かが暮らしていたと思われる、誰も居ない場所がいくつかあったこと。

 遺された品からして、熊族が居たと推測出来ること。

「もう良い、十分だ。よくやってくれた。今は休め」

 玉英が季涼の頭から背にかけて左手で撫でてねぎらうと、季涼は意識を手放した。



 更に二日後の、夜。

「あの辺りはそんな地形じゃなかったはず……去年の洪水で地形が変わったんだね、多分」

 叔益等も含めた玉英の隊が紅水へ戻り、いつもの部屋で話し合う中、明華が珍しく神妙しんみょうに言い、左の翼で自身のあごの辺りを覆った。

 玉英は頷いて返す。

「もし何者かがやったことだとすれば、大岩をくだいた者には、心当たりがある」

 墨全ぼくぜん突雨とつうならば、その程度のことは難無くするだろう。

 彼等の移動速度からして、侵入経路を自らつぶし、季涼が発見した馬のところまで去った、と考えれば、辻褄つじつまは合う。

「一応だけど、ちょ~っと警戒の必要がありそうだね。丹行兄には頭が上がらないよ」

 口調と表情を緩めた明華が、首を傾げて両目を上へやりながら笑う。

 紅水への帰還中、情報を共有した段階で、丹行は部下を率いて監視と調査に乗り出していた。

 丹行は明華の代官であり、紅水軍においても当然明華に準ずる。裁量権さいりょうけんは十分だったため、玉英も口出しはしなかった。

「ま、調査についてはこっちで引き継ぐからさ。玉英達は気にせず、本来の目的へ戻っていいよ~ってなわけで、はい、これ伯父上に」

 明華が、竹簡ちくかんと、亀符きふ――半分になった亀の形をした、割符わりふを差し出した。

「玉英にこれを渡す、ってのもなんか不思議な感じだけどさ、証明にはなるでしょ?」

 片目をつぶって口角を上げる明華。

 鎮戎公とその民の大半が亀甲族故に、亀符なのだろう。鬼族の支配領域では、簡略ながらも麒麟きりんを模した麒符きふである。

 現状、そこまで厳密に管理されているとも思えないが、軍権ぐんけんに関わるものだ。

「感謝する」

 玉英は大きく頷いて、笑みを浮かべた。

「うっ」

 明華が苦悶の声らしきものを漏らす。

「大丈夫か?」

 あわてる玉英。

「あ、ごめんごめん、ただのだから……。玉英って美人、いや美鬼? 美女? だよねーって」

 眉尻を下げて笑う明華に、

「そうか? 明華も美しいと思うぞ」

真っ直ぐ目を見返して答える。

「おおう……そういうこと誰にでも言ってるの?」

「琥珀には、そうだな。あとは子祐にも」

「あ、あー、そうだよね。良かった。危ない危ない」

 ふー、と左の翼でひたいぬぐって続ける。


「百合の間に挟まる鶴、とか言われたら泣いちゃうもんね。ああ、壁になりたい……でも壁になったら旅に出られない……ううっ、私はどうしたら……」

「よくわからぬが、問題は無いんだな?」

「あー、うん、何度もごめんね。そういうこと。気にしないで~。ワタシタチ、トモダチ、オーケー?」

「友達、か。ああ、嬉しいよ明華。改めて、よろしく」

 晴れ晴れと笑う玉英に、

「そういうとこだぞ……ま、よろしくね♪」

明華は一瞬軽くめ付けるような眼差しを見せた後、満面の笑みを返した。

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