第7話 ただの雛
鎮戎公が往々にして
よって、玉英達
河狸族の邑を立ち、いくつかの
ここを越えれば
「やい、貴方達、
賊徒、かどうかは判別が付かなかった。
いや、言葉の内容だけで考えるなら紛れもない賊徒、
背丈は玉英と琥珀のちょうど間というところ。肉付きは悪くはないが、全体に厚いというわけでもない。
頭上やや後ろでは茶色の髪が
背後で激しく振られている尾が体格に対して太く見えるのは、ふわふわとした毛によるものか。
やや白めの肌に、
ただ一点を無視すれば、近所の邑の子供――と言っても年頃は玉英や
その
「おーい、聞こえませんでしたか? 銭目の物と女を置いていきなさい!!」
少女が、もう一度叫んだ。
内容こそ物騒だが、やはり口調と声に幼さを残しており、
わざわざ繰り返したことも、
少女の位置と、
距離にして、
「おーいっ!!」
にも関わらず、大きな丸い目を怒らせ、口もまた大きく開けて叫ぶ少女。
状況からすれば、警戒すべきは少女を
「子祐、任せた」
玉英は数瞬考えた末、平坦な声音で、最も信頼出来る相手を呼んだ。
「ハッ」
子祐の返事は常に決まっている。
言うが早いか、数歩踏み込んで少女を射程に収め、瞬時に構えた槍の
「いった……ぁ……!」
と少女が声を漏らした時には、既にその背後から、腕ごと胴体を締め上げていた。
「あっ……お、お強い、え、女の
少女は
「あっ……のう……
少女は手足を縛られ、やや大きめの鬼族――
森の中、周りには他に誰も居ないように見える。
「せめて先程のお姉様に背負って頂けるとありがたいのですが……あ、えっと、お仲間ですよね?」
「不服か」
視線は向けないまま、文孝が尋ねる。少女の疑問は、無視した。
「い、いえ、その、男の方は、ちょっと……」
やや歯切れの悪い言い方だが、嫌がっていることは伝わった。
「そうか。だがすまんな。しばらくはこのままだ」
「そうですか……仕方、ありませんね……」
抵抗するかと思いきや、そのまま黙り込んで脱力した。
案外素直なのか、何かしらの
いずれにせよ、
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
西へ傾いた太陽が、驚いて東へ
山の頂上付近で一行が合流した途端、少女が上げたものだ。
少女は未だ文孝の肩の上、髪を振り乱しながら言う。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
「おい、見たとこ
「ああああああああああああああああごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
余計に悪化するばかり。
「
周囲を見廻すも、答えられる者は居らず、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」
少女は、当初の印象とは程遠い状態に陥っていた。
万が一を避けるべく、文孝の肩から小道の脇、草の生い
「
もう、これだけで通じるようになっていた。
「ああ」「
兄弟は揃って口角を上げて頷き、墨全は進行方向左側、突雨は右側の森へその大きな身体で
「子祐、布を
少女に、である。
「ハッ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいおえんああいおえんああいおえんああい――」
「
「「ハッ」」
河狸族の邑を出てすぐ、梁水が「祖父との
ともあれ梁水が左、文孝が右。やはりそれぞれに、
実のところ、先程少女が文孝に担がれていた際も、少女には気付かれない位置に、季涼以下四名が付いていた。
隊が散り、再び玉英、琥珀、子佑、そして少女だけとなって程無く、少女の声が聞こえなくなった。
「落ち着いたか」
玉英が片膝を突いて
やや時間差はあったものの、頷く少女。
玉英が目で合図し、子祐が布を取り去る。
「何があったか、聞かせてくれるか」
玉英の問い掛けに、少女はもう一度頷き、語り始めた。
「私は、この
「
「ただの
少女――『ただの雛』は諦めたように笑った。
「何?」
聞き返した玉英に、顔だけは笑ったまま、同じ口から出てきたとは思えない程に低い声で答える雛。
「
「昨夜のことです。いつの間に竜河を渡ってきたのか、私が
「蘭はこの辺りでは有数の邑ですし、
雛は視線を落として続ける。
「幸い、
辿り着いた、ということだろう。
「それで、
再び玉英へ視線を戻して、
「侍女達の身代わりを連れて行けば、助けられるかも、と」
雛には、特にそれがおかしいと思っている様子は無い。
本気で言っているのだとしたら、相当な世間知らずだ。
あるいは、どこか心が壊れてしまっているのかもしれない。
玉英は、自らの
「では、雛の侍女達は生きている、と思っているのか?」
雛は一瞬目を見開いて、それからやはりどこかが欠けたように微笑んで言った。
「ええ、意味は知りませんが、女は
雛の言い方では、やや語弊がある。
熊族の暮らす北方――周華北辺の更に北側にある大地は、極寒にして酷暑。生活環境としては相当に厳しい。
それでも生活を可能にする工夫は様々にあるのだが、大きく見ればその一つ、と言える
勝者が敗者の
北方では、様々な勢力が
決着が付く度に
そこで、女だけは殺さず、次世代の子を産ませる
この
周華においても、兄が
しかし、いずれにせよ――
「では、まだ助け得る相手が居る……はずなのだな」
玉英が
雛を励ましているのか、自らを励ましているのかはわからないままに。
「はい」
雛はいくらか笑顔になって頷く。
「良し。では、周辺の地形や建物、
前のめりになる玉英に、雛が動かせない腕を動かそうとして焦りつつ言う。
「待って! その前に、先程の蛮族のことを、説明して下さる?」
玉英達がそう酷いことをするわけではないということ、そして墨全
むしろここまで話していたのが不思議な程の、当然の疑念である。
「では、皆で集まって説明したいが……もう、先程のようなことはないと思って良いのだな?」
文字通り、話にならない、では困る。
「ええ……はい、きっと」
――
と玉英は思った。
やはり半刻かけ、山頂を過ぎ、下りの中腹で集った。
無事に話が出来たまでは良かったものの、その結果、墨全と突雨が、気の弱い者なら表情だけで殺せそうな程の怒りを発することとなった。
「玉英、
突雨が、辛うじて叫んではいないだけ、という言い方をした。
墨全も、深く毛に覆われた耳を震わせながら頷いている。
「はい。ご武運を」
玉英はあっさりと承認した。
「はっは、話が早くて助かるぜ」
突雨が笑った。ほんの
「そいじゃあ、またな」
「
「はい」
突雨と墨全が一言ずつだけ残して駆けて行く。
揃って
「さて、私達も遅れ過ぎぬようにせねばな」
玉英は皆の顔を
夕刻。
まだ、火の残っている場所があった。
蘭……だった邑の、南西の一角である。
それを横目に見ながら、斬れる者を斬り、突ける者を突き、そろそろ熊
大通り、と言っても道幅はおよそ
この
しかしその
熊
「やはり、凄まじいな」
玉英は損壊の
墨全、突雨の兄弟は熊族の中でも相当体格に恵まれた方らしく、今のところ玉英
それでも玉英からすれば相当な体格差ではあったが、西王母に鍛えられた尋常ならざる腕を、道中、子祐だけでなく墨全や突雨にも頼んで更に磨いて来ている。流石に
たまたま別の道からやってきた者達の死体を数十増やした頃に、
「
備えとは、
雛の様子からして、あり得ないことでは無かった。
「ハッ」
子祐は玉英の意図を外さない。
手分けしての探索が始まった。
そしてすぐに中断した。
「お、鬼族……じゃあ、あんたが、あのデカブツの言ってた……?」
「おそらく、そうです。
熊賊のものであろう、大きめの剣を辛うじて構えた女性が
肌は白く、耳と尾は概ね
狐族の女性としては、やや大柄だろうか。と言っても玉英より
「私は玉英。そなたは、雛の侍女・
一応の確認。
「ああ、ああ、そうだよ、本当にお嬢様が寄越してくれたのかい……一体全体何をどうなさったのか、ありがたい」
宋林は槍を降ろし、下を向いて一度息を吐いたが、すぐに顔を上げて言った。
「こうしちゃいられない。あたいのことはいいから、娘達を助けておくれ」
三女まで居る、というのは聞いていた。
「どこに居る」
「多分、旦那様の部屋さね」
周華における建物の構造は概ね共通しているため、意味するところは十分にわかった。
宋林が眉根を寄せて目を
「どうか、どうか――」
「良い。ここで、隠れていろ」
玉英は微笑みつつ宋林を
部屋の中を
「玉英、か」
背中越しに問い掛ける、返り血に厚く
玉英と子祐が
蘭――だった邑は、この辺りでは有数、と言うだけあって、確かに邑としてはなかなかに広いが、出入り口は
抑えるべきは、竜河に面する北東の門と、玉英達が突入した南の門、それに
おそらくは何事も起こらないはずの抜け道の先には、それでも、伯久と季涼が他二名の猫族を連れて待機している。万が一、の備えだが、実質的には、雛の護衛だった。
南の門には文孝と、仲権が率いる四名の猫族。
そして北東の門には、琥珀と梁水、叔益率いる五名の猫族。
配置からもわかるように、北東の門が最も重視されている……とは言え、南の門も北東の門も、熊賊の集団に対して十分な陣容とは言えない。
そもそもが、戦うためのものではなかった。
玉英は、熊賊の数を百五十から二百五十と想定した。
この邑の規模に対して、奇襲とは言え早々に長の屋敷まで制圧出来たらしい、ということで最低でも百。
そこへ墨全の、吐き捨てるような「二百までは考えられる」との証言があったため、大雑把に想定したのだ。
しかし、問題となるのは数自体ではなく、それだけの数が、邑の北側から東側にかけて流れる竜河を、どの位置で
周華と熊族の国の間には、大半の地域で、
騎馬民族である熊族へ対抗するには、勢いそのままに侵攻させない、また撤退させないことが重要だったため、遥か昔に建てられたのだ。
だが、熊族の国と接していながらも、その長城が殆ど存在しない地域がある。
それが、西王母の支配領域の北辺、即ちこの蘭――であった邑から北、東西で見れば二千里(約八百キロメートル)以上に渡る区域である。
何故そうなっているのかと言えば、根本的な地形の
まず、西王母の支配領域はその大半が山岳地帯であり、騎馬での移動は到底不可能とされる部分が多い。
更に、巨大な竜河は元より、竜河の源流に当たる大小様々な川が幾重にも連なって、その
にも
これは、周華全体に関わる、
故に、渡渉点を
琥珀は、既に
実際には、配置に就いてから四半刻(約三十分)、いや、その
視界の左端に映る
これまで戦闘に関わる部分では離れていたため、今回が初めての戦闘参加。――今回も戦闘が目的というわけではないが、そうなる可能性がある、という意味では、既に実戦だった。
それが、これ程の緊張を
立場上、森の中から北東の門を監視する隊の指揮官は、琥珀ということになっている。
出発前、各配置を告げ終えた玉英は「頼んだよ、琥珀。気を付けてね」と耳元で
琥珀は「任せておくのじゃ!」と玉英の胸に顔を埋めながら笑顔で
少々、
と、琥珀が自己認識を改めた頃、北東の門から飛び出す影が一つあった。
任務は監視と追跡。迎え撃つのではなく、しばし待ってから、追わねばならない。
しかし、琥珀が
「なっ」
琥珀は思わず声になったかならぬかの声を上げ、立ち上がって、門へと戻り始めたその影に向かって叫んだ。
「そこな者っ!」
琥珀以外の者は姿を見せていない。そも、
だとしても、失敗と
「……その声、琥珀の嬢ちゃんか」
普段はどこまでも明るい突雨が、赤黒く濡れ、
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