第6話 河狸族

 一行いっこうは二十一名となっていた。

 玉英ぎょくえい琥珀こはく子佑しゆうという白虎族のむらから共にある三名に、叔益しゅくやく仲権ちゅうけん伯久はくきゅうはじめとする十五名の猫族、残るは鬼族の文孝ぶんこうと、協力者たる熊族の二名、墨全ぼくぜん突雨とつうである。

 茶猫族と黒猫族の半数近くは彼等かれら自身の邑をかんがみてかえらせたため、灰猫族の邑を訪れる前よりも全体の数は減っているが、戦力――特に遭遇そうぐう戦における戦力は、はるかに増している、という格好だ。

 おかげで、極力足並みを揃えて駆けて、邑の民と戦闘状態にある賊軍ぞくぐんへ追いついた時には、中天ちゅうてんの太陽を背負って躊躇ちゅうちょ無く突撃出来た。

 想定通り、賊軍は全て鬼族だったため、見分けはすぐに付いた。

 賊兵一に対して三名以上当てていた民の側は、玉英よりやや小さくも肉付きの良い、見慣れない種族だった。



「旅の方々、ご助力、心より感謝申し上げます。どうか、へお招きさせて下さい」

 賊軍殲滅せんめつ後、邑の奥から出てきたおさと思しき老いた男性が、深く礼をして申し出た。

 かたわらでは、邑の者で唯一鬼族に劣らぬ体格を持ち、一対一で戦っていた若者が手を貸している。

 いずれも、幅広くひらたい尾が印象的だ。見える範囲の邑の者全てが同じような尾を持っているため、そういう種族の邑なのだろう。

「こちらこそ、感謝致します。お邪魔させて頂きます」

 異論があるはずもなく、玉英が代表して答え、頭を下げた。

「邑の救い主がそのような仰りようでは困ってしまいます、楽にして下さい」

 長――仮に――が顔を上げ、表情も口調も緩めたため、玉英も微笑んで頷いた。

「はい、わかりました」

重畳ちょうじょう、重畳。では、こちらへ」

 若者へ半ば身体を預けながら歩く長に、揃って付いて行く。

 その間、賊兵の死体が、邑の者達によって片付けられていった。

 玉英と文孝が数瞬目をやってまゆを震わせたが、歩みは止めなかった。



 長の家は、邑の南西、なかなかの水量を誇る川の近くにあった。

 そもそもこの邑自体、南から北へかけて、西側を取り巻くように川が通っている。もとい、川の流れをき止め、曲げて、その一部を田畑でんぱたへ引き、田畑を中心として邑が作られている、と言うべきだろう。

 冬の山中さんちゅうゆえに今は田畑たはたも雪でおおわれているが、夏や秋にはまた別の壮観そうかんな景色が見られるに違いない。

「ささ、どうぞどうぞ」

「お邪魔します」

 長にうながされ、玉英達一行は続々と家へ入っていく。大半が小柄な猫族とは言え、二十一名を迎え入れられる程の広間があり、食糧の備蓄も十全に見えた。やはり、豊かな邑らしい。

 玉英、琥珀、墨全、突雨が部屋の中央、円卓の席に着いたところで――他の者は断固遠慮して後ろで控えている――長が名乗り、頭を下げた。

「申し遅れましたが、わたくしのことは梁央りょうおうとお呼び下さい。……あらためまして、邑をお救い下さり、ありがとうございました」

 梁央から見てすぐ左に座った玉英が、軽く口角を上げて答える。

「玉英と申します。……当然のことをしたまでです」

――私に責任があるのです。

とは、思っても、言わなかった。身分を明かさずには理由を説明出来ず、身分を明かせば、まかり間違って、この邑に余分な危険が及ぶかもしれないのだ。

「それでも、ありがとうございます。私達河狸かり海狸かいり。ビーバー。)族はご覧の通りさほど体格に優れず、あのまま戦っていればいずれ押し負けたことでしょう」

 否定は出来なかった。河狸族は背丈せたけわりに身体の厚みはあり、複数で当たることでどうにか均衡をたもっていたが、個々の差は明白だった。賊兵が多少痩せて見えても、だ。

「しかし、そちらの方は、引けを取っていませんでした」

 梁央の傍らに今も控えている、若者のことである。

「これは、私の孫でしてな」

 梁央が満面の笑みで言い、若者を見つめながら、促すようにその右腕へ左手で触れた。

梁水りょうすいとお呼び下さい」

 若者が名乗り、頭を下げる。

「この通り、私より一尺いっしゃく三寸さんずん(約二十三・四センチメートル)も大きく生まれてくれた。将来は邑を背負って立つ、そう思っておったんですがな……」

 梁水から玉英へ視線を戻し、続ける梁央。

「梁水は、夢がある、と言うのです。それも、竜河りゅうが双龍河そうりゅうがを繋げる、などという、途方とほうも無い夢が」

 竜河は周華北側、古来言うところの『天下』の範囲で言えば北から中央にかけて通る大河であり、双龍河は南側……『天下』を含めれば、現状鬼族では把握し切れていない程に広大な流域を誇る、絡み合った二本の大河である。

 その両大河を――

「「繋げる……!?」」

 玉英の隣で琥珀も共に驚いた程、確かに、途方も無い話だった。

 玉英が幼少期の教育により把握出来ている範囲で、の話ではあるが、竜河と双龍河が最も近付く地点を繋いだとしても、千里せんり(約四百キロメートル)前後はある。

 場所によっては、二千里、三千里、あるいはそれ以上だ。

「やはり、驚かれますよね……私も、到底出来るとは思えません。ですが、それでも諦めないと言うものですから、三年前、けをしました」

「賭け?」

 相槌を打つ玉英。

「ええ、賭けです。……十年の間に、私を納得させるような御方おかたが邑を訪れた際、その御方の承諾を得られたなら、御伴おともとして邑を出ることを許す、と。……如何でしょうか?」

 玉英を見、他の皆の顔も見廻みまわして、梁央が微笑みつつ尋ねる。

 玉英は数瞬思考を巡らせ、つばを呑み込んでから答えた。

仔細しさいは申し上げられませんが、私達の旅は危険をともないます。大事なお孫さんを託すには、適当ではないと思います」

「足手纏いでしょうか?」

 かすかに首を傾げる梁央。

「いえ、そうではなく……無事におかえしすると、お約束出来ません。それに、私達はこれから北へ向かうところでして――」

「なんのそれくらい、承知のことです。北と言われますが、北で五十年や百年、お過ごしになるおつもりで?」

 梁央が文字通り前のめりになりながら訊いた。

「そういうわけでは、ありませんが……」

「でしたら、重畳。どうか、連れて行ってやって下さい」

 梁央は膝を叩いて満足気に笑い、頭を下げた。


「それは、わらわが居るからかや?」

 琥珀が口を挟む。西王母を思い出させるような、やや表情を欠いた声音と視線。ただ、白い耳が、張り詰めたようになっている。

「いえ、はい、確かにそれも、ございます」

 梁央が顔を上げて答える。

「触れても良いものかどうか迷いましたが、西王母様の――」

「娘じゃ。琥珀と呼ぶが良い」

「光栄です、琥珀様。……幼き頃、父に連れられて西王母様にお目にかかった日のことは、今も鮮明に思い出せます。……琥珀様、失礼ながら、この邑のことは、かねてよりご存知でしたか?」

 梁央が眉尻をやや下げて問う。

「それこそ失礼ですまぬが、知らんかったのう」

 表情は変えずに答える琥珀。

「とんでもございません。当たり前のことなのです。……この邑は、基本的に他の邑とは関わらずにやってきましたから」

 梁央が物語のように話し出す。

 何代前のことかわからぬ程の昔、遥か西の果ての地から、何百年もかけて交易路をつたい来て、この地へ辿り着いたこと。

 放浪の中で数を減らし、ほろびかけていた河狸族に、西王母が手を差し伸べてくれたこと。

 河狸族は、先祖代々伝わる独自の工法で、気が済むまで水場を築き上げようとする種族であること。

 他の邑でも勝手に作業し始めてしまう程の者も居たため、一族のおきてとして、他の邑を訪れることは原則禁じてきたこと。

 極稀ごくまれに訪れる旅の者と親しく過ごし、そのまま付いて行く者も居たこと。

 そうした者が更に極稀に帰還きかんし、竜河や双龍河の壮大さを語って、邑の伝承と化していること。

 梁央もかつては大河を巡る旅を夢見て、しかし結局、西王母に拝謁はいえつするための二度の旅――父が長になった時と、自身が長になった時――しか為し得なかったこと。

 ………………

 …………

 ……


「と、そういうわけでしてな。私達にとっては、今この瞬間も、伝承になるやもしれぬ……何より、後悔だけは遺せぬ場面なのです」

 眉尻を下げ、琥珀の目の奥、どこか違う場所を見るようにして微笑む梁央。

「本当に、それで、良いのじゃな?」

 ゆっくりと念押しする琥珀。

「はい、お許し頂けるなら、ですが」

 頭を下げる梁央、追随ついずいする梁水。

 琥珀が、玉英に視線で問う。

 玉英は、他の皆の顔も見廻して、前向きな表情が並んでいることを確かめた上で、

「では、お孫さん――梁水には、私達の仲間になってもらいます」

と宣言した。

 梁央、梁水は幾度も頭を下げて感謝し、玉英と琥珀が一緒になってそれを抑えた。

 墨全と突雨は、協力者としての立場からか、かすかに笑みを浮かべつつも、ずっと黙って見ていた。



 その日の晩は、賊徒撃退と梁水の門出を祝って、豊かな蓄えを反映した豪華な食事が振る舞われた。

 玉英達は、梁央初め邑の者達の梁水への気持ちだと思い、特に口ははさまなかった。

 食後、長の家で湯と十分な数の部屋を提供された一行は、邑まで駆け続けてきたことによる深いところでの疲れもあり、日が落ちるまで邑の施設を見学した疲れもあり、早々に横になった。


「妾は、ちゃんと出来ておったかや?」

 寝台の中で見つめ合いながら、琥珀が尋ねる。

 真っ暗な部屋には、玉英と琥珀だけだ。

「立派だったよ」

 琥珀を左腕で抱き寄せ、その髪を右手でゆっくりとでながら、頬を緩める玉英。

 琥珀は力を抜いて、身を任せている。

「無事に、還してやれると良いのじゃが」

 梁水のことである。

 昼間語ったように、危険は多く、大きく、身の安全は保証出来ない。

「そうだね」

 皆と比べて、特別気を遣うつもりはない。仲間というのは、そういうものだ。

 ただ、結果的に無事であるよう願うのも、仲間だ。

「あっ」

 琥珀が甘い声を漏らした。

 無意識に、耳へ触れていたらしい。

「ごめん」

 咄嗟とっさに謝る玉英。

「別に、謝る必要は無いのじゃ」

 玉英の胸に顔を埋める琥珀。

「……手が止まっておるぞ」

 数瞬ののち催促さいそく

「うん」

 暗闇に浮かぶ、白く柔らかい琥珀の耳。

 右耳をもてあそびながら、左耳に、そっと口付けた。



 翌朝。

「行って参ります」

「達者での」

 ややまぶたらした梁水が、微笑みを浮かべた梁央や他の者達との挨拶を交わしてから振り向き、数歩。一行に頭を下げる。

「よろしくお願い申し上げます」

 玉英も頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします。それと、どうか、気楽にどうぞ」

 言いながら、顔を上げ、微笑みかける。

 梁水も顔を上げて微笑んだ。

「はい」

 返事をした梁水が真っ直ぐ立つと、背丈では子祐より一寸いっすん(約一・八センチメートル)低いかどうかだが、身体の厚みでは十二分に優る、河狸族としては異質な程の体躯たいくが目立った。

 見上げて頷いた玉英は、梁央達への挨拶は既に終えていたが、向き直りもう一度深く礼をしてから、身をひるがえした。

 皆と視線で会話してから歩き出す。

 そのまま北東の丘を登り、通り過ぎるまで、誰も振り向きはしなかった。

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