第5話 宴、尋問、負うたもの

 十分じゅうぶんに落ち着いてから、玉英ぎょくえい琥珀こはくと共に、月夜のささやかなうたげへ合流した。

 このむら――灰猫族の邑は、これまで訪れた邑と比べれば十倍以上の規模。とは言え、山間さんかんの邑である。

 極力は遠慮したが、『琥珀様』御降臨ごこうりん、更には邑の救い主、と重なってしまえば限度があった。

 邑の民が一同に集まれるような広場に、料理とかめ、皿やはいの載った大小様々な円たくが、数十は並んでいる。琥珀によれば、各戸かっこ(それぞれの家。)から持ち出してきたらしい。

御両所ごりょうしょ、こっちだこっち!」

 突雨とつうが、甕を持ったままの右手を振り、まるで邑のおさであるかのような風情ふぜいで呼ぶ。

 玉英達がそちらへ向かおうとしたところ、灰猫族が琥珀を見ては平伏へいふくする……という事態はいくさの前に収束したものと思え、ただ極めて深く礼をしながら、道を空けてくれるだけだった。


 熊族の身体――それもおそらくは平均を優に超えた――に合う椅子いすが猫族の邑にあるわけもなく、北寄りの一角で胡座あぐらをかいている突雨の尻の下には、むしろが敷かれていた。……それすら、辛うじて端が見えるだけだったが。

 突雨の左には、やはり突雨と似ているが、突雨以上に大きいと思われる偉丈夫が、突雨と同じ姿勢で肉にかじり付いていた。

「兄貴の墨全ぼくぜんだ」

 突雨の右、やや斜め前へ辿り着いたところで、手振りと共に紹介された。

 玉英は立ったまま、深く礼をして言う。

「玉英、とお呼び下さい、墨全殿」

 琥珀は、何もせず、何も言わなかった。邑へ先に入っていたのだ。当然、挨拶済みだった。

 墨全は、肉をしっかりと噛んだ上でゆっくりと呑み込んでから向き直り、

「墨全だ。……座ってくれ」

と、低い声で言った。

「はい。ですがその前に……突雨殿共々、ご助力頂き、心より感謝申し上げます」

 玉英は改めて深く礼をする。

 それを見て、

「こういうことか」

墨全が突雨に向かって尋ねる。

「こういうことだ、兄貴」

 図抜けて大きい兄弟が、顔を見合わせ、夜闇も吹き飛ばしそうな声で笑った。

 揃ってひとしきり笑ってから、

「はーっ、いや、すまない。突雨が玉英殿について話していたことが、に落ちてな」

 声を落ち着かせつつ墨全が言い、頭を下げた。

「玉英殿、愚弟ぐていが世話になった」

「いえ、お世話になったのは私達の方で――」

「いいや、放っておけばこいつがここへ来るまでにあと何日待たされたことか」

 突雨よりも切れ長の目で、突雨を横目に見る。

「そんなこたぁ……わからねぇなぁ」

 勢い良く否定するのかと思いきや、明後日の方向を向いて白状はくじょうする突雨。

 揃ってまた笑い出す。仲の良い兄弟らしい。

 玉英も思わず笑ってしまった。

「お、漸く笑ったな」

 突雨が更に口角を上げた。

「あ、すみません、失礼しました」

 頭を下げる玉英。

ちげぇ違ぇ、いいんだ、もっと笑ってろ。がいつまでもしかめっ面してるもんじゃねぇ」

 瞬間、玉英と琥珀に緊張が走る。

「あん? ああ、すまねぇ、隠してるつもりだったか」

 突雨はやや片眉を落として謝った。

「だがなぁ玉英、顔や見た目の体格はまだしも、これだけ話して、わずかにでも身体に触れりゃあ、流石にわかる。そうだろ?」

 と誤魔化すには、背丈の割に声が高く、骨格は細く、肉付きも

 山中に暮らす白虎族の着物で覆っていても、よわい十三かそこらまでならばまだしも、十六ともなれば、違和感はあって当然だった。

 話せば、身体に触れれば……というのは、あくまでも確信を持つための最後の一欠片に過ぎないのだろう。

 様々なことが玉英の心をよぎったが、

「ま、俺等オレらにとっちゃあ男だ女だなんてのはどうでもいいことだがな」

と突雨が続けた。

「玉英は玉英、俺は俺。兄貴は兄貴だし琥珀のじょうちゃんは琥珀の嬢ちゃん。そういうこった」

 歯を出して笑う突雨。

わらわだけ子供扱いかや」

 ここまで黙っていた琥珀が抗議する。

「はっは、すまねぇ、ただの口癖だ、口癖」

 呼ぶ機会こそ少なかったが、確かにここまでの道中でもそう呼んでいた。

「何にせよ、話のかなめはそこじゃねぇんだ」

 突雨が閑話休題かんわきゅうだいとばかりに打ち切れば、

「玉英殿。我等われらの国へ来ないか」

と墨全が切り出す。

「「な」」

「なんですって!?」「なんじゃと!?」

 玉英と琥珀の声が、重なった。



 逸早いちはやく立ち直ったのは、琥珀だった。

「そなた等には残念なことじゃが、玉英は妾のつがいになるのじゃ。そなた等には、いいや、誰にもやらぬぞ」

 立ったまま――玉英も琥珀も結局立ったままである――目を見開き、座っていてもさほど目線の変わらぬ兄弟をめ付ける琥珀。瞳が黄金の光を帯びていた。

 周囲の猫族達がひどおびえて後退あとずさる。

 しかし、

「いや、そうではない」

墨全は平然と首を横に振った。

「玉英殿、琥珀殿、御二方おふたかたを、客として迎えたいのだ」

「……続けよ」

 琥珀が、睨め付けつつも促した。

「感謝する。……我等の国は、今新たな時代の幕開け、というところでな。次世代の王が立ち、この国――周華しゅうかとの関係も、変えようとしている」

 墨全は一呼吸置き、左手のわんあおってから、再開する。

「そのために、助言者……と言うべきか、周華の者を招きたい、というのが一つ。もう一つは」

 琥珀と玉英を交互に見ながら言う。

「何やら困りごとのあるらしい御二方も、我等の国でならば自由に過ごせよう、ということだ」

 数瞬、沈黙が過った。

「妾達は、別にけ落ちしているわけではないのじゃが」

 気が抜けたのか、瞳の光が霧散むさんした琥珀が言い、

「それに、私には、周華でやるべきことがあるのです」

玉英も続いて、琥珀と視線を交え、微笑み合った。

 視線を墨全へ戻して、

「ですから、申し訳ありませんが――」

「いや、皆まで言わずとも良い」

 墨全が引き取った。

「大変失礼なことを言った。忘れてくれ」

 太い眉尻を下げて、微笑む。

「だが、何か助けが要るとなれば、遠慮無く言って欲しい。俺も突雨も、出来る限りのことはしよう」

 墨全の申し出に合わせて、突雨も大きくうなずいた。

 玉英も琥珀と頷き合い、

「そのときが来れば、よろしくお願い申し上げます」

 揃って礼をした。

 兄弟も揃って頷き、

「ああ、確かにうけたまわった」

「当たりめぇだろぉ」

顔をほころばせて言う。

「ただ、そこまで丁寧に話さないでくれ。突雨もそうだが、俺も、完璧に話せるわけではないのだ。」

 周華の言葉を、である。

 熊族の国は、周華の外。

 玉英達が目指している鎮戎公ちんじゅうこうの領地よりも更に北。

 鎮戎公が常時対峙しているこそが、熊族の国だった。



 宴の夜は、墨全・突雨兄弟との談笑だんしょうを切りの良いところでし、子祐の簡潔かんけつな報告を聞き、猫族達の延々続く感謝の口上をどうにか抑えて、それでも遠慮し切れずに提供された長老宅の一室で、いつものように抱き合って眠った。


「目が覚めたかえ」

 玉英の腕の中で、琥珀がささやく。

「うん。おはよう琥珀。今日も可愛いね」

 微笑みながらの言葉。

 赤く顔を玉英の胸にうずめ、

「玉英も、妾と同じくらい、美しいのじゃ」

と返す。

「ありがとう、琥珀」

「こちらこそ、ありがとう、なのじゃ」

 互いに、強く抱き締める。

 りを飽きずに交わしてしばし。

 寝台しんだいから離れ、活動を開始した。


 着物を整え、隣の部屋に控えていた子祐も呼んでから朝食を済ませ、虜囚りょしゅうから聞き出すべきことを整理する。


 何者であるのか。

 これまでにどこで何をしてきたのか。

 誰のめいで、何故なぜ邑を襲撃した、あるいはしようとしたのか。

 これからの予定はあったのか。

 あったなら、それはどのようなものだったのか。

 他に隊はあるのか。

 あるならばどこにどれくらいり、どういった内実ないじつか。

 誰かないし何かと連絡を取っていたのか。

 取っていたならば、その相手は何者か。

 これまでどういった内容だったのか。

 これから連絡を取る予定はあったのか。

 どのような手段で連絡を取っていたのか。

 今後連絡手段を変える予定はあったのか。

 それは何か。

 ………………

 …………

 ……


 考え得る限りの事項を洗い出し、くべき優先順位を決定し――例えば「これから連絡を取る予定はあったのか」は今この瞬間の対応にも関わる事柄であり、優先度が非常に高い――昨夜から木や柱に吊るしてあった六名の虜囚を一名ずつ、邑の北側、峻嶮しゅんけんな山の麓へ作られた寒々さむざむしい地下牢へ入れ、玉英と子祐が交代で、幾度も繰り返し

 幸い、ほとんどの者は、玉英が覚悟していたよりも遥かに簡単に吐いてくれた。

 百五十を数えた賊軍が全滅した上、一晩中吊るされていたことは、十二分じゅうにぶんに彼らの心を折っていたらしい。


 いわく、


 隊の大半が、生活に困窮した流民りゅうみんれの果て……賊徒であること。

 軍に捕まり、いくらかの食事や刑の減免と引き換えに従っていたこと。

 白虎族の領域へ入ってからは、隊長の命令で幾度か邑を襲ったこと。

 各隊が総隊長にばれてここへ来たこと。

 総隊長と他二十名程度は正規軍らしかったこと。

 総隊長はこと。

 の身柄に懸賞金が付いていること。

 元王女をとらえる予定であること。

 他に隊は三つあったこと。

 二隊は西へ先行していたこと。

 もう一隊は北へ向かったこと。

 総隊長が一度だけ伝令でんれいを出していたこと。

 その相手は知らないこと。

 連絡の内容も、予定も、予定された手段も知らないこと。

 ………………

 …………

 ……


と。


 引き出した情報は、各虜囚へ別個に訊いたにもかかわらず一致していたため、容易に吐いた虜囚達真偽は、までもなく、信用出来るものと思えた。

 しかし、実際に見聞きしたことについては兎も角、そうでないことについては一切知らないのが一般の兵である。

 ましてや元は兵ですらない賊徒・流民。見聞きしたことですら正確に把握はあく出来ておらず、個々の認識や考え方……主観しゅかんの影響を含むものと考えるべきだった。

 結局、昨夜の子祐の報告及び他の虜囚の証言からと思われる、かたくなな男の証言が、鍵を握ることになった。



 そもそもは、子祐の手柄だった。

 指揮官と見て最小限の攻撃で戦闘能力と意識を奪い、戦闘後には布を噛ませて縛り上げ、他の虜囚同様、吊るしておいたのだ。

 その吊るされていた男は今、複雑に縛られ、限りなく動きの取れない状態で、玉英の前に転がっている。玉英にとっては既に三度みたび、見た光景だった。

 地下牢は暗く、顔はよく見えない。玉英から見て、左下を向いていることだけがわかった。

「何度もすまぬが、聞きたいことがある」

 見下ろしつつ、なるべく低音を意識して、穏やかに言った。

「……」

「話せる程度には、してあるはずだが」

 布のことである。

「返事くらいは、したらどうだ?」

「……」

「そなた、鎬安こうあん(京洛の西方およそ千里(約四百キロメートル)にある、周華国第二の都と言える大都市。)、あるいは天隴てんろう(鬼族支配領域内で最も白虎族支配領域に近い地方都市の一つ。)の下級将校というところだろう」

「……」

何故なぜそんなにも頑なでいられる? 私とて。全て話してくれれば、一つくらいは、叶えてやれることがあるやもしれぬ」

「……」

「忠誠心か?」

「……」

かねか?」

「……」

「よもや血縁でも質に取られたか」

「……」

「逃げた王女」

「……っ」

 男の呼気こきが乱れた。

とらえれば栄達、とでも言われたか」

「……」

「王族を犯したかったか」

「……」

「あるいは……もしやとは思うが……保護」

「……」

 無言のままだが、僅かに視線を逸らした気配がした。

 玉英は鼻で笑った。

「逃げた王女ごときに何の価値がある」

「……旗だ」

 初めて、男がまともに声を発した。

「私達には、旗が、必要なのだ」

 続けて、これまで黙っていたのが嘘のように、しゃべり始めた。

「王がわって以来、周華は乱れ始めた」

 それは、玉英も知っているつもりだったが、

「何をするにもばい以上の銭がかかり、塩すらまともに買えず、いくらひたいあせしたところで収穫物しゅうかくぶつの大半は持っていかれる。これで賊徒が横行しないわけがない」

専売制だけの問題ではないらしい。

「しかもその賊徒に対してすら手をこまねいているだけで、挙句、地の果てまでの探索行たんさくこうだ」

 白虎族、もとい西王母の支配領域の大半は、古来周華において『天下』と称された範囲のだ。「地の果て」というのは、鬼族一般の認識と言える。

 故にこそ、玉英達が身を隠すのには好都合だったのだ。

「だが――」

 男のべんに、熱が入った。

「だが私は、天命だと思った。王女を見つけ、同じように苦しむ民や賊徒を糾合きゅうごうして王を倒し、新たな世を迎えるのだと。……だから少しでも発見の可能性を上げるべく、兵糧の配分で無理をしてでも、賊徒にちた者共をも拾い上げ、ここまで連れて来た。……はっ、それがどうだ、お前らに軽々と打ち破られ、もはや申請した兵糧すら不要な有り様だ」

 溜め込んだものを一気にぶち撒けてを得たのか、自嘲じちょうするように笑ってから、男はまた黙り込んだ。

 しかし十を数える程の間、何の反応も無いことをいぶかしんだのか、男は初めて床から目を離し、玉英を見上げた。

 男の目に映るのは、男からすれば小柄な影の中、射抜いぬくように男を見つめる、赤い瞳だけだった。

――赤? 赤い瞳?

「ま、まさか」

と男が言い掛けたのをさえぎって、玉英が問い掛ける。

「最後に、訊きたい。……猫族の邑を襲うよう命じたのは、そなたか?」

 低く、淡々とした声だった。

「ハッ、この邑に関しては、確かに私が命じました」

 男は、動かせたのは首だけだが、男なりに姿勢を正して答えた。

「死を、命じなければならない。……民からの略奪は、死罪だ」

 玉英は自らへ言い聞かせるように言い、

「もし、そなたと他の五名、いずれかのみ生かしてやる、と言ったらどうする?」

最期の問いを発した。

「ハッ、では、哀れな部下達を、お助け頂ければ幸いです」

 男の目には、死を前にしながら、地下牢の闇に負けぬ光がよみがえっていた。

 それを見て、玉英は答える。

「良かろう」

 剣閃けんせん

「うあっ……くっ……うっ……な……ぜ……」

 男の額、左眉の上から右頬にかけて、血が吹き出す。

 死の覚悟を決めていても、痛みは感じるらしい。

「そなたの失策によってそなたの部下は全て死に、そなた自身もまた、今、死んだ」

 再度剣閃がきらめき、男を縛っていた縄が、弾けたようにほどけた。

「民のため、今一度いまいちど生きよ。……文孝ぶんこうと名乗るが良い」

 玉英は、淡々と言い渡した。

「っ……ハッ、身命しんめいして」

 男は……文孝は、辿々たどたどしくも膝を突き、腕は殆ど脱力したまま、割れたひたいを地面にこすり付けた。



 玉英が、控えていた子祐、そして立てるようになった文孝を連れて地下牢から出た時には、既に宵闇よいやみが辺りを包み込んでいた。

「準備が出来次第、即座に出立する。荷を頼む」

「ハッ」

 子祐がけ去っていく。

 文孝にも確認した結果、残る別働隊は、北へ向かったという一隊のみ。

 その隊もこれまで殲滅せんめつしてきた隊同様、さほど士気が高いわけではないらしく、移動は緩慢かんまんである……と想定出来るが、新たな被害を出さないためには、猶予ゆうよは一刻もない。

 玉英は文孝をしたがえて、長の家へ向かった。



 長の家では、琥珀が猫族と話し合っていた。

 その話題――議題をさかのぼれば、今回被害を受けた各邑をどう再建するか、あるいは適宜合併か……というものだったが、既に論点は絞られ切っていた。

 誰が『琥珀様』のお供をするか、である。

 猫族にとってはとして誉れを得る機会だが、『琥珀様』直々じきじきにその枠を制限されたため、議論の激しさはとどまるところを知らなかった。

 とは言え玉英の来訪によって残り時間がき、結論が導かれた。

 即ち、叔益しゅくやく仲権ちゅうけん、及び彼らの連れてきた隊のおよそ半数、それに灰猫族の邑からは戦士長の長男という伯久はくきゅうが、単独で加わることになった。

 合計十五名である。

 伯久の背丈は玉英を二寸近く上回る程で、猫族としては図抜けている。肉付きも、猫族らしいは残しつつ、なかなかのものだった。

 伯久は叔益、仲権等と共に改めて平伏へいふくし、『琥珀様』にお仕えする、という旨の口上を簡潔に述べてから、玉英の意に従い、進発の準備に移った。

 玉英としては、西王母の民を連れて行く気は無かったのだが、あくまでも『琥珀様』のお供だと言い張られれば、完全に否定するのは難しかった。

「気にするでない、玉英。母上も、わかってくれるのじゃ」

 琥珀に微笑みを返してから、控えていた長と戦士長、それぞれの邑へ戻ることになった勇猛なる戦士達に感謝を伝え、今後の発展と無事を祈った。



 玉英が琥珀と並んで長の家を出ると、墨全、突雨の兄弟が待ち構えていた。

「いよう玉英、俺達も一緒に行くぜ」

「邪魔でなければ、だがな」

 突雨が満面の笑みで一方的に宣言したかと思えば、墨全が苦笑しつつも訂正する。良い兄弟だった。

「願ってもないことです。よろしくお願いします」

 玉英は頭を下げた。

「頼む、でいいって言ったろ?」

 突雨が軽い調子で返す。

 玉英もつられて笑い、言った。

「はい。頼みます、突雨殿、墨全殿」

おうよ!」

「任せてくれ」

 笑い合っていると、琥珀がねたような声で言った。

「玉英はやらぬぞ」

 突雨は一層笑って答える。

「はっはっは、案外根に持つなぁ、琥珀の嬢ちゃん」

「嬢ちゃんもやめよ!」

「口癖だって言ったろ? 諦めてくれ」

「そうはいかぬのじゃ!」

「頼むって、この通り、なんか別のことなら聞いてやるからよぉ」

 突雨は本当に頭まで下げて言う。下げたところで、突雨の頭は琥珀より遥かに高い位置にあるのだが、

「ふんっ、考えておくのじゃ」

一応溜飲りゅういんを下げたのか、琥珀は案外素直に切り上げた。

「助かるよ、琥珀の嬢ちゃん」

 突雨のに琥珀の眉根がやや反応したが、それで終わりだった。

 数瞬の間が空いたところで、墨全が問う。

「ところで、その者はくだったのか?」

 玉英と琥珀の後ろ数歩のところに控えている、文孝のことである。

 猫族が『琥珀様』やその「婚約者」たる玉英のやることに対し口を出すことは、基本的にない。故に、ここで初めて言及された。

 玉英が答える。

「死んで、新たな生を得た。そういうことになりました。文孝です」

 紹介された文孝は、あくまでも仕える者として、礼をするにとどまった。

 顔の傷は最低限処置したが、まだ当てた布に血が染み出してきていた。

「そうか。それならば、それで良い」

 墨全はあっさりと頷く。

「なぁ、そろそろいいだろ」

 突雨が言う。集ってくる猫族達が、見えていたらしい。

「玉英様、琥珀様」

 戻って来た子祐が呼び、玉英と琥珀に各々の荷を渡す。

「感謝する。……では、出発」

 仲間達の顔を見廻みまわして、玉英は微笑みながら言った。

 北の邑を、救うのだ。そして、周華の苦しむ民を。

 玉英は、これまでに犠牲となった者、犠牲との重みを全身に感じながら、一歩を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る