第4話 初陣、猫族、豪傑兄弟
王室に最も忠実と言われる北部の有力者・
京洛を脱した足で訪ねていても良さそうなものだが、
新たな旅路も早三日。
かつて来た道を戻ったのも
良く晴れて、ところどころ、雪の表面が溶けている。
「予定では、
五年前程の差こそないものの、左隣……やや前の子祐を見上げつつ問う。玉英は、邑の皆から贈られた被り物で、年齢相応に目立ってきた角と金髪を上手く隠していた。
「はい。真冬ですから、致し方ありません」
少し振り返り、眉を落として答える子祐に、
「ああ、焦ってはいない。ただの確認だ」
玉英は微笑みを返し、右手の先の琥珀にも改めて微笑みかける。
「そろそろ離してくれても良いと思うんじゃが」
琥珀の方は、やや眉尻を下げて唇を
「ダメ」
すげなく答えた。
琥珀は旅の初日、生まれて初めて邑から一定以上に離れ、はしゃぎすぎて足を滑らせた。
幸い
共に暮らした歳月により、子祐の前だからと恥ずかしがることこそ滅多に無くなったが、今回は話が異なるらしい。
「子供扱いかや?」
琥珀は背丈の差が出来たことを
「……婚約者扱いだよ」
玉英は、琥珀の耳元へ顔を寄せて
琥珀は顔を真っ赤にしつつも息を吸い、表情だけは澄ませて、
「ならば、仕方ないのう。じゃがな――」
続けて繰り広げられるじゃれ合いも、この五年で見慣れた光景。
子祐はいつものように微笑ましく思いながら、さり気なく警戒を続けた。
叛乱から五年。――正確には五年と三月。
天下は、乱れていた。
年に数度ばかり邑を訪れる
徐々に広がり始めていた庶民の酒と農具に用いる鉄、そして生存に必須の塩が
結果的に、簒奪だけでは起き得なかった程の混乱が加わり、賊徒が横行するようになった。
山中に小道があるならば、邑も近くにある。
小道の先に邑が見えたのは当然のことで、しかし、明らかに賊徒に占拠されている、というのは流石に当然とは言い難かった。
「多いな。まず
「ハッ」
賊徒を認識した時点で
賊徒は邑の入り口に三名。緩やかな坂をいくらか登った先、中央の広場におよそ二十名。その一部は、集められた十数の猫族――主に白虎族の支配地域に居住する種族。体格が小さい――に、
広場の西側、玉英達から最も近い、長老宅と思しき建物の前に
「琥珀はここで待っていてくれ」
「妾とて――」
「頼む」
頭を下げた。
琥珀も全く戦えないというわけではないが、今回は分が悪い。
「ふんっ、何を言うたところで、また婚約者扱いじゃと言うんじゃろ」
唇を尖らせる琥珀。
「それもある。ただ、私とて実戦は初めてなのだ。護る余裕が無いやもしれぬ。……未熟者と
顔を上げた玉英の目に、切実な光が宿っているのを見て、琥珀が折れた。
「わかった、わかったのじゃ。
「ああ。ありがとう、琥珀」
少しだけ、玉英の口調が緩んだ。それ程に心配していたらしい。
何しろ、賊徒は、見えた範囲では全員が
目算だが、小さい者でも玉英より
「では、行ってくる。子祐、北側を頼む」
「ハッ」
子祐は、余程のことがなければ、作戦には口を挟まない。
動き始めてからは、
建物を左右に回り込み、宣言通り『頭』達の首を刎ねてから広場へ走り、何が起きたかも
最後の五名程は多少抵抗したが、子祐の槍を使うまでもなく制圧完了した。思っていたよりも、手応えが無かった。
その中で、一名だけ生きていた。
「な、お、お前ら、一体、何で……」
体格こそ子祐に近い――鬼族男性としては平均程度――が、既に右腕を失い、
「それはこちらが訊きたい。何が目的だ」
玉英が問う。
「ヒ、ヒヒ、王様の命令だよ、逃げた王女を
鬼族の優秀な回復力を
いや、賊徒にしか見えなかったが、末端の兵、ということなのだろうか。
「これは……」
厄介なことに、なっている。
各家屋の安全を確かめ、最低限死体を片付けた上で、広場に残る猫族の者達から
まず、今回と同程度の賊
五隊はそれぞれが勝手に邑を襲っているが、三日後、近隣で最も大きな邑を示し合わせて襲う予定であること。
その大きな邑は、ここから四日程、東へ行った先にあること。
話の途中で合流した琥珀を見るや否や、猫族が全員
問題は、既に通常の速度では間に合わなくなっているということ、そして兵力の不足だった。
「鬼族の不始末だ。片付けねばならぬ。私には、その義務がある」
しかし、だ。
先程の賊
「琥珀様、もしや、救援に向かわれるのですか?」
先程まで捕われていた、長老の次男という、いくらか
立ったままの琥珀は玉英と視線を交わし、
「うむ。そのつもりじゃ」
「でしたら、その道行き、どうか我らにもお命じ下さい」
再び顔を見合わせ、その猫族へ視線を移す。
「この
一層、地に頭を擦り付けて言う。
後ろの
茶貝はその名の通り、耳も尾も基本的には茶色いが、他の者も同様だった。そういう一族の邑、なのかもしれない。
「
「ハッ、姓を茶、名を貝、字を
「では、叔益と呼ぼう」
「ご随意に!」
「うむ。して叔益。何が得手じゃ?」
「ハッ、我ら猫族、総じて弓を修練してございます」
「それは頼もしいのう。……ところで、そこまで丁寧に話さずとも良いのじゃ」
西王母の気持ちが、琥珀にも少しだけわかった。
「ハッ、弓が得手です!」
「うむ、良し。……これでは母上の口癖がうつってしまうのう」
琥珀はここではない場所を見るように微笑んだ。
たった数日ながら、初めて親元を離れているのだ。自ら望んだこととは言え、何も感じないわけではない。
「これなるは我が婚約者、玉英じゃ。玉英の指揮に、従ってくれるかえ?」
左腕で指し示した。
「仰せのままに!」
「感謝するのじゃ」
居残る猫族の者達には、いざとなれば西王母を頼れるよう、
叔益と
改めて
一行の数が増え、賊軍と
「ところで、叔益
玉英の顔を右下から覗き込みつつ投げかける、当然の疑問。
「地形が聞いた通りなら、ある程度はどうにかなると思うんだけどね」
眉尻を下げつつ微笑む玉英。
子祐は先行している。猫族達は『琥珀様』に遠慮しているのか、あるいはその「婚約者」と聞いたためか、少し離れて付いて来ている。
結果的に、
「しかし、短弓じゃぞ」
やや眉根を寄せて言い募る琥珀。不満、というわけではない。客観的な戦力分析である。
猫族は男女平均すれば琥珀並、という程度には身体が小さく、当然ながら引ける弓にも限界がある。
叔益達は戦士を名乗るだけあって猫族の男性平均よりはやや体格に優れるものの、玉英より
「高所から
微笑んだままの玉英。
「それはそうじゃが、叔益等を高所に置いて、先のように玉英と子祐のみで当たる、というつもりかや」
「上手くやれれば、どうにかなる……はずなんだけどね。出来ればあと一手、欲しいことは欲しいけど」
「ならば、妾が――」
と話しているところへ、子祐が戻ってきた。
「前方
目標の邑ではないが、
「無論、助けよう」
迷いはなかった。
夕刻前。急ぎ辿り着いてみれば、邑はもはや襲われていなかった。
邑が壊滅していたから、ではない。
賊軍が、全滅していたのだ。
「お、
叔益等の邑とよく似た邑の入口付近で、黒毛の猫族から
大きな身体に見合った背中の槍と腰の剣、甕を右手に持ちつつも左手から離してはいない、
周囲に転がる賊兵の死体を見れば、誰がやったかは明らかだった。
「もし、そちらの豪傑殿」
玉英が声を掛ける。
「うっぷぁー……あん?」
信じ難いことに既に甕を空けたらしく、ぶらぶらと逆さに持ちながら、思い切り眉根を寄せた
「邑をお救い頂き、感謝致します」
丁寧に礼を述べる。
「礼ならもう貰ってラァ」
ぶっきらぼうに答えに、
「それでも、感謝致します」
頭も下げた。
「オイオイ、なんだか気持ち
単なる
「
「ここ以上に大きな東の邑が、三日後、滅ぼされようとしているのです」
失礼は承知で、やや被せ気味に、訴えた。
「あん?」
男の左眉と
「何百という民の命が、懸かっているのです。どうか、ご助力を願えませぬか」
玉英は地に膝を突き、上体も倒そうとする。
「オォッと、そいつァ待ってくれ。そコまでさせちまったら、俺ァ恥ずかしっくってどうにもならなくナっちまう」
慌てて止める男。
「東の大きな邑ってぇんナら、俺の兄貴もそコに居るはずナんだ。民のため、っテェのも気に入った! これも縁、ってぇことで、一緒に行コうぜ、ナァ?」
男は玉英を助け起こしながら、裏表を感じさせない笑顔で言う。
「俺ァ
やはり、酔っているらしい。
「申し遅れました。玉英とお呼び下さい、突雨殿。よろしくお願い致します」
玉英も、鏡映しのように笑った。
三日、駆けた。
通常ならば四日の距離だった。
身体の小さな琥珀と叔益等九名、そして話を聞いて新たに加わった黒猫族――で良いらしい――の十五名には
玉英は西王母に鍛えられた甲斐あって、まだまだいけるという程度には力を残せている。
子祐と突雨は、余裕
玉英は目標の邑を、西に傾き始めた日を背にして見つめた。
最後に斥候へ出た子祐の報告から状況は動いておらず、まだ襲撃はされていない。
「地形は、どうじゃ?」
肩で息をしながら、琥珀が登ってきた。邑を一望出来る、丘の上である。
各情報の正誤と程度の組み合わせを幾通りか想定してあったが、そのうち最も理想に近かった地形が、目の前に広がっていた。
「うん、思った通りだよ。……これなら、大丈夫。突雨殿や
仲権とは、黒猫族を率いる者である。やはり『琥珀様』で
「それなら、良かったのじゃ」
微笑む琥珀に、
「ただ、時間は無いだろうからね……皆に、無理をしてもらうことには、なる」
やや眉根を寄せつつ、微笑みを返す。
「それは織り込み済みじゃろ?」
更に口角を上げる琥珀。
玉英は目を丸くしてから今度は素直に微笑み、深呼吸。
「……ありがとう、琥珀。お陰で、落ち着いてやれる」
「ならば、妾も任を果たしに行くのじゃ」
邑に
まずは話を通すことが第一。白虎族の支配領域において――西王母を除けば――『琥珀様』以上の適役はなかった。
「気を付けてね」
いくら策に自信があろうと、万が一、を考えないわけにはいかない。
「いざとなれば『力』を使う。大丈夫じゃ」
不敵に笑う琥珀。
「でも、限界はあるんでしょ?」
食い下がる玉英。
「こことて
琥珀は不敵な笑顔を崩さず、数瞬、見つめ合う。
「……わかったよ。じゃあ、行ってらっしゃい」
「うむ。行ってくるのじゃ!」
三方を山に囲まれてはいるものの、南の山は
北の山は邑へ迫るようにして
東には、周華の大地を
残る西側も概ね山だが、邑の近くでは丘が南北に二つ連なっており、その麓を通る北西及び南西から伸びる二本の道を、合流点である邑西側の門を含め、見下ろす形になっていた。
「まともな軍同士の
無論、想定通りに
数こそ多い――六隊相当、百五十は居るものと見えた――が、夕刻に差し掛かろうという時間帯、南西から続く道を歩調も隊列も整えず
移動中、突雨にも確認したが、今のところ接触した賊軍は
即ち、ただの弱兵である。
「油断こそが死を招く、か」
玉英は自らに言い聞かせつつ、長く延びた賊軍の先頭が邑の
賊軍の
賊軍にも一応の指揮官が居るのか、一部は
無論、散開した賊兵とてそのまま逃がすわけではない。
戦における数の優位は、あくまでも集団としての力が発揮されてこそのものだ。散開してしまえば、圧倒的な個にも、容易に敗れる。
北寄りの丘から駆け下りた子祐がそのままの勢いで賊軍へ
邑の門が開き、遠目には突雨と似た偉丈夫が、
南西の道は山間としてはそれなりの広さだったが、北西の道は、
最後に欲しかった一手……その隘路を
「おお、玉英、もう終わりか」
突雨は当然のように無傷であり、弓を手に、辺りを
「はい。ありがとうございました」
深く頭を下げる。
「なぁに、この程度。
圧倒的な自信と、信念。身体や武芸だけではない、強さを
「はい。正しく」
「では、お先に邑へどうぞ」
背後を右腕で示す。
「あん? どうして一緒に行かねぇ?」
突雨が片眉を上げる。不機嫌、ではない。単なる疑問だ。
「賊の死体を、片付けてから、と思いまして」
「カーッ、
「ですが」
「なんだ、俺が、たかだかこれだけのことで参っちまうように見えるのか?」
玉英より
「いえ、とんでもない」
「なら皆でやりゃあいいじゃねぇか。隣にゃあ居なかったが、俺
身体を起こし、また、裏表を感じさせない笑顔。
「では、お願いします」
玉英の口調も、当初よりいくらか砕けたものになった。
「頼む、でいいんだ、頼む、で」
「頼みます、突雨殿」
「ったく、どうしても
まだ丁寧過ぎる、と言いたいらしい。
「すみません、癖なもので」
玉英は、眉尻を下げて笑う。
突雨は、玉英の左肩を右手で軽く叩きながら笑った。
「はっはっは、なら、しゃあねぇか」
気持ちの良い笑い方をする男だ、と思った。
賊軍の
「玉英っ!」
琥珀が玉英に飛び付いてきた。
「無事で何よりじゃ」
玉英の右首筋に顔を擦り付けている。
「琥珀も、無事で良かった」
しっかりと抱き締める。
邑には指一本触れさせていないはずだが、それでも、万が一、ということはある。
隠密行動の賊兵が入り込む、ということも想定の中にはあって、それも琥珀には邑へ伝えてもらった、はずだ。
「こちらは全て順調じゃった。そちらも、手は足りたんじゃろ?」
「ああ、当初の想定よりも、随分と
最初は、玉英と子祐だけで、と思い詰めていた。
茶猫族の九名、突雨、黒猫族の十五名、突雨の兄と灰猫族……彼らの円滑な参戦は琥珀の功績でもある。
仮に灰猫族達が自力で襲撃を察知していたとしても、あそこまで引き付けることなく戦いに入ってしまっていれば、少なくない犠牲を払っていたかもしれず、また殲滅出来ずにいくらか取り逃すことにもなっていたかもしれない。
もしそうなっていれば、今後この地域にどれだけの
殲滅したところで、最終的には賊軍からの報告の
その刻がどれくらいになるかは、捕虜から無理矢理にでも情報を聞き出して――
「よう、お熱いねぇ
背後から声を掛けられた。
玉英は最後に邑へ入ったつもりだったが、まだ外に居たらしい。
「突雨殿」
玉英の声よりも早く、琥珀は飛び退こうとしたが、玉英は腕の力を緩めなかった。
「ま、止めはしないが先に行くぜ、友よ。俺は酒が飲みてぇ!」
左の口角を上げる突雨。
「はい、すみません」
目でも謝る玉英。
「なぁに、家族は大事だ。そうだろ?」
軽く言っているようで、心からの言葉。そう思えた。だから、
「はい、誰よりも」
真剣に答えた。まだ密かに暴れていた琥珀が、静かになった。少し、首筋が熱い。琥珀の尾が立っているのも見えた。
「はっはっは、じゃあ、あとでな」
「はい」
突雨が背中越しに右手を振って去ったところで、琥珀が抗議の声を上げる。
「どうして離してくれなかったんじゃ」
玉英からでは近過ぎて顔は見えないが、唇を尖らせているのは、想像に難くなかった。
「ごめんね琥珀。私は少し……怖くなったんだ」
玉英は、
「うむ?」
琥珀が顔を動かしたのがわかった。
「この先、私の手がどんなに汚れても、一緒に居てくれる?」
突雨に声を掛けられる前、何を考えていたのか。
害為す者、道を外れた者は斬る。そこに疑問は無い。
しかし、
自分が道を外れていないと、言い切れるのか。
「今何を考えておるのかはわからんがのう」
琥珀はいつになく落ち着いた声で、優しく言う。
「玉英がしたことは、妾が全て共に背負うのじゃ。家族とは、
頬と首筋に熱を感じながら、しばらく、琥珀を抱き締めていた。
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