恋の終わり
知世
恋の終わり
彼の家にはじめて入った時、そのカビ臭さに不安になった。もしかしたら長く滞在できないかもしれないと思った。彼を傷つけないように、空気がこもっているから入れ替えをしたいとお願いした。
昼時になってお腹が空いたと言ったら、彼は自分が中華スープを作ることを提案し、私はそれを喜んで受け入れた。外食ができる店は徒歩で向かうには遠かったし、彼は私が宅配ピザを好まないことを知っていた。換気扇の隣の蛍光灯に照らされて、彼の青色のスウェットについた無数の毛玉がよく見えた。彼は床が冷たいからと私にどこからか持ってきたスリッパを履かせた。彼のスリッパは私のよりずっとへたれていた。私のせいで定員オーバーを起こしているキッチンのコンロには、干からびたパスタとインスタントラーメンのかけらと野菜クズが散乱していた。
出来上がったスープは白い中華どんぶりひとつに入っていた。もうひとつはどこかと聞くと、汁物が入る器はこれしかないから一緒に食べよう、と返ってきた。申し訳なさそうな顔をしていた。少しびっくりしたが、箸は2膳あったのでホッとした。うちの味ではないスープは新鮮で、美味しかった。私が食べている間、彼はほとんど手をつけずにニコニコと私を見ていた。具を先に食べ尽くしたことを言及されたので、春雨が好きだからだと伝えた。もっと食べたいとねだると、彼は嬉しそうにまたキッチンに立った。おかわりには春雨とわかめの煮物と言っても差し支えないくらい具が沢山入っていた。もう部屋の匂いは気にならなかった。
それから私たちは3年間付き合った。彼の家にはもうひとつ中華どんぶりが増えた。バス代をケチって3キロ先のスーパーまで歩いたり、人間テトリスみたいになりながら1人用の風呂に2人で入ったりした。私は彼の部屋に入り浸り、彼と一緒に完結させた狭いワンルームでずっと内緒話をしていた。私たちは、自分たちの恋を特別だと思っているありふれた普通の男女だった。
3年目の春、2人で閉じこもっているわけにはいかない歳になった。ドアが開いたワンルームは冷え、なんとか暖め直そうとお互いに努力したが、できなかった。それから半年ほどで別れた。
別れてから少しして、家に荷物が届いた。紙おむつのロゴが入ったあまり見かけないサイズの段ボールが、頑丈にガムテープで補強されていた。中身は、送ってほしいと頼んでいた彼の家に置いてあったものだった。服やメイク道具の隙間に茶封筒が入っていて、手紙かと開けたら無くしたと思っていたネックレスが入っていた。
畳まれた服を取り出して広げた時、彼の部屋のあの匂いがした。ぞっとするほど嫌な匂いだった。唐突に突きつけられた恋の終わりに、私は彼にもらったワンピースを持ったまましばらく動けなかった。
恋の終わり 知世 @nanako1123
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