5-5
僕は口に出して言ってみる。言葉は意外に簡単に口から出たし、重たくもなかった。しかしそれはそれだけ、現実離れしているということだ。僕は、泣きながら笑っていた。巡が「自由に使え」と言った六畳一間。真っ暗な部屋で、真っ黒に汚れた僕がいた。
「おい、入るぞ」
すっと、障子戸が開いて、一筋の光が現れる。
「障子、閉めろよ。電気つけっから」
「僕は、暗いままでいい。もう、夜明けなんて望んでいないんだ。僕の周りは、不幸だらけだ。だから、巡も早く僕を見捨てた方がいい」
「殴るぞ」
巡が暗い部屋に入ってきて、僕の横に立った。
「クラスの皆からも、離れた方がいいんだ。でないと、また、誰かが誰かを殺してしま……」
セリフの途中で突然、僕の頬に強い衝撃が走った。僕を巡が思い切り殴ったのだ。そして巡は、障子戸を全て閉めて、部屋の電気をつけた。僕は鼻血と切れた唇からの血を垂らして、畳を汚した。頬は赤く腫れあがっている。僕が驚いたのは、巡の拳も腫れあがり、血が出ていたということだ。巡はボックスティッシュを僕に投げつけた。
「飯が喉を通らねってのは、許すとしても、悲劇に浸るような奴はムカツクんず。人形が悪いんだべ! お前でねくて! だから、今日はもう寝ろ。話は明日だ。ちょうど明日は学校休みだべし。言っどぐげんと、うちの婆ちゃん、超怖いがらな!」
巡はそう言って、パチンと障子戸を閉めて部屋を出て行った。僕は自分の血を拭きながら考えた。こんなに真剣に怒られたのは、初めてかもしれない。そして、殴られたのも、これが初めてだった。歯にあたって頬の内側が切れて、鉄の味がした。殴られたところがまるで膨張しているようにジンジンと疼く。ティッシュは取り留めもなく赤く染まっていく。
(お父さん、お母さん。僕は本当に悪くないのかな?)
人形が悪いと、巡が言った。逆を言えば、僕は悪くないのだと、巡は言った。人形に悪い霊が憑いて、人を殺す。そんなことが、本当にあり得るのだろうか。ただの迷信にすぎないと、皆が笑うだろう。以前の僕もそうだった。しかし今は、僕にとってその考え方は最後の砦のように思えた。親族は、きっと、人形供養をしたからと言って、僕を迎え入れてはくれないだろう。それどころか、僕を「四人も殺した呪われた子」として見るに違いない。不思議なものだ。人は自分に都合の悪い迷信は信じないくせに、自分に都合のいい迷信は喜んで信じる。占いみたいなものだ、と僕は思う。
大吉は喜んで信じるが、大凶は木に結んで置いていき、内容などはまるで信じない。
「あれ? 大吉の時は何もしないけど、大凶は木に結んで……?」
僕の頭の中で、何かが引っかかった。つまり、悪い結果が出た時にだけ、対処法があるのだ。もし、今の僕が、占いの悪い結果と同じならば、僕にもきっと、対処法があるということだ。僕は一縷の望みを見つけたと思った。僕は胸に小さな希望を抱いて、床に就いた。
しかし、僕の見たその夜の夢は、最悪なものだった。僕が両親や祖母を殺したとして、山下刑事に捕まって、裁判で死刑が確定するというものだった。裁判所には、何故か白いカラスもいた。白いカラスは誰かの腕にとまっていたが、その誰かは、男なのか女なのか、見分けがつかなかった。
翌日、その夢は一部、現実となる。巡の家の固定電話が鳴り、その音で目覚めた僕を、巡の祖母が大声で呼んだのだ。巡の祖母は足が悪いので、二階まであがってこられないのだ。
「山下っていう、刑事さんからだ」
「ありがとうございます」
僕はそう言って、受話器を受け取る。耳に当てると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『元気か?』
「はい。まあまあ、元気です」
『お前の家系、変なことになってるじゃねぇか。マスコミは母娘関係のもつれ、だとか、DVの末に、だとか、呪われた一族だとか、好き勝手に書いてるけど、本当はどっちも動機不明のままなんだろ?』
「はい。よく御存じですね。というか、僕の話、信じてくれていたんですね」
『あ?』
「僕の両親が、とても仲良しだったという話です」
『お前に嘘をつく理由がないからな。で、俺の名刺、まだ持ってるか?』
「はい。祖母がお守りにしてくれました」
『そうか。何かあったら、何もなくても電話しろ。んでもって、俺を恨め。わかったな?』
不器用で乱暴な優しさが、今の僕には心地よかった。そして僕は、事件現場にいた女性はただの幻覚ではなかったと、山下に告げようとしたが、途中で止めた。僕がそれを言えば、山下は和服の女性について調べてくれるかもしれない。だが、何故か僕にはそれを言ってはいけない気がしていたのだ。
「はい。分かってます」
『お前、本当にあの天地海か?』
「そうですけど、どうかしました?」
『何か、吹っ切れたような声してるからよ。声も前みたいに貧弱じゃないし。お前、そっちに移り住んで正解だったのかもな』
「はい。両親に、もちろん祖母にも、感謝しています」
僕が泣きそうになったところで、「またな」と言って、山下は一方的に電話を切った。
僕は、朝食を食べることができた。巡と一緒に片づけをした後で、巡の祖母から、仏間に来るように言われた。巡が僕を案内してくれる。
「こっからは、お前一人で行け」
「巡は?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます