五章 失礼し〼
5-1
白いカラスが、僕の方を見ていた。その一瞬、目が合ったのを最後に、白いカラスは飛び去った。両親が死んだ時の光景と、全く同じ物を僕は見たのだった。白いカラスは死を告げに来る。今、僕の近親者が死んだのだ。つまり今度死んだのは、僕の祖母という事になる。白いカラスは間違えることをしない。「お遣い」の正確性。それに基づく白さなのだから。両親が死んだ時のことを思い出す。そして両親の死体が、祖母のものに置き換わる。顔の見えない誰かの下敷きになって、祖母が虚ろな目を見開いて死んでいた。祖母の首にも、ぱっくりと裂けたような傷があった。
「何で? どうして……?」
見えていた風景の音と色が抜け落ちて、静かなモノクロの世界になる。カラン、という鉛筆が床に転がった音がやけに遠くて大きく聞こえた。僕は椅子から崩れ落ち、意識を失った。顔を見合わせていたダルマとこけしが二人同時に、床に伏している僕を見た。クラスの皆が僕を取り囲んで絶句していた。「貧血?」と心配そうにする声もあがるが、「でも、椅子に座ってたよね?」とすぐに疑問の声がする。ダルマとこけしが皆を落ち着かせるように声を張った。
「皆、自分の席に戻りなさい!」
「早く、戻れ。授業中だぞ!」
そんな怒号にも似た声をかけられても、皆は時が止まったかのように動かず、それを掻き分けるようにしてダルマが僕を抱えて、保健室まで運んだ。この時、巡だけが教室から姿を消していたことに、誰も気が付かなかった。こけしは黒板にすがりつくように白いチョークで「自習」と書いて、ダルマの後を追った。ダルマとこけしは、まな板の指示で僕を空いていたベッドに寝かせた。白い糊の効いたシーツと布団カバーだったため、硬くて冷たい感触があった。僕はしばらくして目覚め、先生たちのひそひそとした会話を聞いていた。ぼやけた保健室の天上は、白骨のような白さで、蛍光灯だけが浮き上がって見えた。皆話に夢中で、僕が目覚めたことに気付かない様子だった。
「どうして、あの子の家だけ、こんなことに」
まな板の声が、涙にぬれている。泣いているのに苛立っているようにも聞こえる。
「また、ですからね。さすがに……」
「まるで呪われている……、いや、失礼」
しばらく、重い沈黙があった。普段なら使われないような「呪い」などと言う言葉が、僕に対してはそうとしか言い表せないと、先生方は思ったのだろう。
「どう伝えますかね?」
「どうって、正直に事実を伝えるしかないでしょう。どうせ、報道で知るわけだし」
山下と同じことを言っているようだったが、「どうせ」の一言が余計だった。
「児相ですかね?」
「もう、近い親戚もいないようだし、こんなことになっているから、誰も引き取ってはくれないでしょうね」
「警察の方も、もう待ってますし……」
「せっかくクラスに馴染めそうだったのに、また転校ですね。この町には児童相談所がありませんから」
僕は、その会話から改めて祖母が死んだのだと悟った。だから、保健室の真っ白な布団をかぶり、声を殺して泣いたのだ。最後に見た祖母の心配そうな顔と、声を思い出す。僕を引き留めようとしてくれたのだ。それなのに、僕はどうして学校に来てしまったのだろう。家にいれば、祖母を守れたかもしれない。僕に手を差し伸べてくれた寂しい人。毎日僕の世話をしてくれた母のような存在。ラケットをヘラと呼んだ明るい人。ラケットとロケットを間違えたのは、おそらくわざとだったに違いない。僕を笑わせたかったのだ。そんな人が、もうどこにもいないのだ。僕の帰る場所は、もうどこにもないのだ。僕はせき込んでしまい、先生たちに聞耳を立てていたことが露呈した。
「大丈夫?」
まな板が声をかける。まだ血が流れる傷口に触れるように、優しく、そしていたわるような声だった。
「祖母は、死んだんですか?」
わずかな戸惑いを含んだ沈黙が訪れた。言ってもいいのか。誰が伝えるべきか。言った後の責任は誰が取るのか。それらの戸惑いと責任の押し付けあいだ。無言のままのその空気は刃となって、僕を切り裂いた。山下刑事の物言いを思い出す。あれがどんなに優しく、懐が深い言葉だったのかを、今になって思い知った。
「どうして死んだんですか? 殺されたんですか?」
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