4-5

 僕は卓球部でも選ばれた強い選手しか台に入ることができないということに、衝撃を受けた。台に入ることができないという事は、ラケットも必要ないという事だ。浜田君が体育館に向かう途中で言っていたことが、僕には重くのしかかった。


「しんどいか」

「はい」

「そうか。おい! ちょっとラケット貸してやれ」


 ダルマは満足したように笑いながらうなずく。ちょうど球拾いにステージに上がってきた部員に、ダルマが声をかける。その部員は僕の顔を見て、あからさまに嫌そうな顔をしたが、ダルマの命令では断れないらしく、いかにもしぶしぶといった様子で、バックの中からラケットを取り出した。ビニールのようなものを剥がしてから柄の方を持って、僕に差し出す。


「ラバーの所はあんまり触らないで。それから、台にぶつけるとラバーが破けちゃうから、気を付けて使ってね」

「ラバー?」

「球を打つ面の所だよ。表面の赤と裏面の黒の、ゴムみたいになってる所」


 言い方こそ丁寧に教えていたが、口調には憤りがにじんでいたので、僕は咄嗟に謝り、礼を言って、ラケットを受け取った。だが、持ち方を教えてもらう前に、その部員は球拾いに戻ってしまった。


 僕がラケットを握ったまま、ラケットの裏表をしげしげと見つめていると、ダルマが自分のラケットで握り方を教えてくれた。


「シェイクハンドは、人差し指を斜めに立ててラケットを安定させる。裏表両面が使えて、ラバーが二種類選べるから、最近はこっちの方が多いな。黒いほうには突起があるだろ?」


 僕がそう言われてラバーを見ると、赤いほうはつるつるしていたのに、黒いほうはイボのような物がラバー全体にあった。


「卓球はただ球を打つんじゃなくて、球に回転を鋭くかけたり、それを無回転で返したり、それを秒単位で計算して攻防するんだ。もちろん、コースはどうするか、手前に落とすか、奥に引き付けるか、そんなことまで計算する。なかなか奥が深いだろ。そんな時、このイボイボが役に立つんだ。まあ、最初はただのラリーができるようなることが、先決だけどな。台はそんなに広くないから、球のスピードはかなり速く感じるぞ。それに、ただ台の近くで打つわけでもない。スマッシュされた球を遠くでカットで返したり……。どうだ、一回入ってみるか?」

「え? いいんですか?」


 僕は思わず笑顔をこぼして声を弾ませた。ダルマが卓球の印象を変えるような話を聞かせるものだから、僕はすっかり卓球が好きになっていた。もちろん、初心者の僕がまともに返せるとは思っていなかったが、やってみたいという好奇心はくすぐられた。


 しかし、先生が相手に選んだのは、件の細谷君だった。


「お、お願いします」


 台に入ったのはいいが、緊張しないわけがない。相手は僕の一つ下でも副部長まで務める実力者だ。僕はさっきラケットを持ったばかりのランク外。何だか細谷君に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「細谷、ゆっくり、普通のラリーでな」


 ダルマが叫ぶ。


「はい、いきます」

「はい」


 細谷君はゆっくり球を弾ませて、優しく打つ。しかも僕が球を外したり、変な所に寄せてしまっても必ず僕の打ちやすい所に、同じ高さで返してくる。後になって知るのだが、僕が借りたラケットは赤が表で、それを使って打つ打ち方を、フォア・ハンドと言い、裏面で打つ打ち方を、バック・ハンドと言うとのことだった。細谷君はずっと、僕がフォア・ハンドになるように返し続けたのだ。僕にしてみればそんな芸当は、もはや匠の技の域で、小さな細谷君が大人に見えた。


「止め!」


 僕と細谷君のラリーを見ていた東条コーチが、「ふむ」と息をついた。


「細谷、駄目じゃないか。相手から左右に振られ過ぎだ。振られた後の戻りも遅い。大きく振られてバックにスマッシュ入れられたら、一本取られるぞ。相手が初心者だからって、お前まで気を抜くな」

「はい。すみません、気をつけます」


 僕はこのやり取りを、別次元の話として聞いていた。あんなに技術を持っているのに注意されるだなんて、信じられなかった。そしてその注意に納得して頭を下げる細谷君は、やっぱり大人だと思った。




 夕暮れ時の部活の帰りに、巡と歩いていた僕は、校門の前で細谷君に会った。家から学校があまりに遠く、しかも小学生が一人で山道を行くのは危険なため、家の人が送迎しているのだという。細谷君のランドセルにはよく鳴る大きめの鈴がぶら下がっていた。動物に人間の存在を知らせるための鈴で、首部落の人や山菜取りなどで山に入る人にとっては必需品なのだという。


「あ、天地さん。さっきはどうもっす」

「す、は敬語だぞ」


 巡がさりげなく方言の解説をする。


「ああ、そうなんだ。ちょっとびっくりした。今日はありがとうございました」


 僕が深く頭を下げると、細谷君が慌てて手を振った。


「やめて下さいよ、学年上じゃないっすか」

「それで、白いカラスは見つかったか?」


(え? 白い、カラス……?)


 僕は目を見開いた。



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