3-4

「まあ、本当は部活も変えさせてぇけど、もう、入ったがらしかたねぇな。浜田の方も、自分ば分ってべし、わぎまえるべ。人形は、大事さすろ。お前にはお守りがあっべ」


 祖母は仮入部届を本提出と勘違いしていたが、仮提出を取り消さなければそのまま本提出となるため、結果的には同じだった。


「うん、そうだね。そうする。ありがとう、婆ちゃん」


「風呂さ入って、寝ろは」


「うん」


 もう、僕を起こしてくれる母はいないし、この家には目覚まし時計もない。だから、早寝早起きの習慣をつけなければならない。母も、そうすべきだと言っていた。僕が独り立ちした時に、僕が困らないように母は躾けてくれていたのだと、今になって分かる。まさか母自身がこんなにも早く子離れしなければならないとは、思ってもみなかったはずだ。それを思い出して、僕は一人合点する。エケコ人形は、祖母にとっても娘夫婦の形見なのだ、と。僕はお守りをランドセルに付けた。エケコ人形が何らかの悪影響を及ぼしても、お守りの力が、それを相殺してくれると思ったからだ。


 僕はいつものように一人で起き、一人で朝食を食べ、家を出た。畑にいる祖母に「行ってきます」と声をかけると、「気ぃつけろなぁ」と大声が返って来る。この毎日の日課が、ずっと続いていくのだと、僕は思った。


 僕は一人で学校に向かう。学校と家までの距離があるので、早めに出てきても早歩きする習慣がついた。もっと早起きすればいいのだが、なかなかできない。


 校門の前で、偶然浜田君と会った。


「おはよう」


 思い切って、僕の方から声をかけてみる。浜田君は無反応だったが、しつこくもう一度挨拶すると、浜田君は小さく「おはよう」とつぶやいた。


 教室でも浜田君は一人で自分の席に座って、本を読んでいた。漫画本でも流行のライトノベルでもない昔の本のようだ。表紙がなく、染みが目立つ。上の部分は切りそろえられておらず、黄ばんで黒く変色していた。肝心の題名は浜田君の手によって隠されている。浜田君の節ばった大きな手は、まるで子供の手とは思えなかった。完全にクラスの中で浮いた存在と化しているのだが、浜田君本人は気にする様子もない。僕が浜田君に近づこうとすると、横から伸びてきた手が、僕のTシャツの裾を引っ張った。見ると、クラスの学級委員の遠藤健夫えんどうたけおとその友人たちがいた。いつも一緒に行動する三人組で、クラスで中心となる優等生たちと言った具合だ。


「ちょっと来いよ」


 僕は廊下に呼び出された。この町は木材が有名で、校舎にもその木材がふんだんに使われている。廊下にも教室にも、木の匂いがしているのが、僕は好きだった。前の学校では「呼び出し」は「告白」か「宣戦布告」を意味していた。「宣戦布告」はいわゆる「イジメの合図」だった。だから僕はすっかりこれからイジメの標的になるのだと思っていたが、三人の様子は告白前の女の子の様子に似ていた。三人とももじもじと体を動かし、「お前が先に」とか「いや、お前が」などと互いに話しかけることを譲り合っている。


「あのさ、昨日はごめんな」


 遠藤君が頭を下げると、その取り巻きの佐藤さとう君も伊藤いとう君も頭を下げた。三人とも名字に「藤」が付くため、クラスメイトからは「三藤みふじ」などとあだ名をつけられ、三人まとめて呼ぶときには重宝していた。まるで日光東照宮で有名な三猿のようだ。


「何のこと?」


 僕がきょとんとして言うと、遠藤君が眉をひそめて続けた。


「だって、初めての転校生を質問攻めにして、そんなの失礼だよ。俺、学級委員だから、本当は皆のことを止めなくちゃいけなかったのに、興味に負けて、盗み聞きしちゃった。本当にごめん」


「何だ、そんなこと。いいんだよ。僕も嘘をついていたんだから、おあいこだよ」


「じゃあ、天地君は本当にあの事件の関係者なの?」


「うん、そうだよ」


 僕はもう、嘘で自分の首を絞めるのは、やめようと思った。昨日のことで、クラスのほとんどの人が僕のことを知ってしまっただろうし、家の人から聞いた人もいるだろう。ここの噂はSNSの情報網より恐ろしい。クラスの皆がよそよそしく感じるのは、僕があの事件の関係者だと知ってしまったからなのだろう。


「こういう時、何て言えばいいのか分からないけど……、大変だったね。学校が無理そうな時は、遠慮なく言ってけろ」


 ばつが悪そうに遠藤君がそう言うと、佐藤君と伊藤君もうなずいた。僕は逆にすっきりとした感覚を覚えていた。こんなことなら、初めから嘘なんてつかなければ良かったと反省する。


「謝ってもらうより、友達になってもらった方が嬉しいな。実は僕、Sの小学校では、裸の王様だったんだ」


「裸の王様?」




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