3-3
僕は台所のテーブルに腰を下ろし、祖母が着替えてくるのを待った。多めのご飯と漬物と、濃いめの味噌汁が定番だ。そこに焼き魚とだし巻き卵が追加されていた。魚が出るときには、しょっぱい鮭を焼いたものだと決まっていた。卵焼きには器用にほうれんそうのおひたしが巻かれていた。ほうれんそうのおひたしは、朝食の残りだ。祖母は食べ物を無駄にしないので、アレンジメニューが得意だ。そして驚くべきは卵の頻度である。毎日のように、何かしらの玉子料理が出る。にわかには信じがたいことだが、この辺りでは卵が十個入り一パックが百円以下が当たり前で、近くの店同士で卵をいかに安く売るかを競っているのだという。だから冷蔵庫には、祖母が買い集めた卵が四パックほど常備されていた。
「何だ。先さ食ってでも、いがったのさ」
祖母が台所に来て、意外そうな顔をする。そして、「これ」と言いながら、白いカードを僕に差し出した。
「危うぐ、洗濯すっどごだっけ。今度からはちゃんとポケットの中ば、見でがら脱げな。それがら、これもお前さ」
白いカードは、山下の名刺だった。そして祖母が出してくれたのは、その名刺より少し大きなお守り袋だ。器用に紫の袋に白い布が縫い付けてあり、そこに黒い糸で「御守」と刺繍されていた。
「世話さなった人だべ。Sの刑事さんが今さら、ども思ったけげど、お守りぐらいさはなるど思って、こへでみだ。入れどげ」
祖母の言葉は相変わらず難解だったが、何となくのニュアンスで、祖母が僕のために手縫いでお守り袋を作ってくれったのだと分かった。名刺をお守りにしろ、ということだろう。忙しかっただろうに、いつの間に作ってくれたのだろうと、感動しながら感謝する。そして僕はポケットに入れていた名刺をすっかり忘れていたことに、気付く。我ながら薄情だ。僕は紫色のお守り袋を開けて、中に山下の名刺を入れ、再びしっかりと口を閉じる。
「ありがとう、大事にするね」
「んだが。学校はどがいだ? 部活さは、入ったが?」
「学校は、うん。まあまあ。授業は問題なさそう」
授業は正直に言うと、S市の頃よりも今の学校の授業のほうが遅れていた。そのため、ここに来てからの授業は僕にとってほぼ復習状態だった。どうやらこちらでは、皆の理解が一定のレベルになるまでゆっくりと授業が進むらしい。僕は毎時間退屈だったが、そんな様子を見せたら皆につまはじきにされそうなので、真面目に授業を受けていた。
「部活は卓球部にした。同じクラスに友達になれそうな子がいて、その子と一緒の部活にしたくて。駄目、だった?」
僕は上目づかいで祖母の機嫌を推し量る。怖いし、不安なのだ。祖母の気に障るようなことを言ってしまったのではないかと心配したのだ。この家の主である祖母に嫌われたら、僕は本当に帰る場所を今度こそ失うのではないか、と。
「駄目なんねべした。で、どごの子だ?」
「ごめん、もう一回言って」
祖母と話すのは楽しいのだが、こういう時はもどかしさを感じていた。
「どごの、子、だ?」
「どご」が「どこ」を指しているか分からずにいたが、ようやく「どこの地区から通っているのか」と質問されていると分かり、僕は首を振った。
「どこに住んでるかまでは、分からないよ」
祖母は白米を咀嚼しながら、うん、うん、と二度三度とうなずいた。
「それでさ、人形供養って、どのくらいかかるんだろう?」
「しゃねな。なして?」
「え?」
「なして、そげな話ばすんなだ?」
「その子に勧められたんだ。ヒトガタには魂が入りやすいから、僕のエケコ人形も供養した方が良いんじゃないかって。エクアドルから帰国して、すぐだったんだよね。お父さんとお母さんがあんなことになったの。だから……」
祖母は何も言わず、漬物を咀嚼しながら食器を片づけ始めた。僕も慌てて食事を済ませ、食器を流しに持っていく。
「その友達は、やめでおげ」
祖母は僕の方を見ず、強い口調で言った。洗い鉢に水がザーザーと音を立てて溜まっていく。
「どうして?」
意外なことに僕は素直に「うん」とは言えなかった。しかも祖母に対して反抗的な色が、声ににじんでいた。
「その人形は、お前の両親の形見だべ。
「部落って、婆ちゃん、それは差別用語だよ」
僕は苦笑して祖母が洗った皿を拭く。
「浜田どいうなんねが? その友達って」
僕は小さく「え?」ともらす。
「何でわかったの?」
「ヒトガダだのなんだのって言う奴は、出部落って決まってんなよ。んで、今、出部落から通ってる小学生は、浜田のどごの男の子しかいね」
「そうなんだ」
僕はこの時初めて、この県では「部落」という言葉が通常用語だと知る。そして田舎の情報網のすさまじさを思い知った。ここでは誰がどこの出身で、その地区に何人の子供がいるのかまで情報が共有されているのだ。そして家族仲の良し悪しさえも知っている。特に出という地区は特別で、その中でも浜田家は有名らしい。
「でも、同じ部活で、同じクラスなんだから、仲良くした方がいいと思うんだ」
僕は冷や汗をかきながら、純朴さを演じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます