三章 お守り貰い〼
3-1
S市はバスや電車といった公共交通機関が発達していた。電車は新幹線も在来線も常に動いていたし、何台ものバスが五分から十分おきに、あらゆる場所を巡っていた。しかしここでは新幹線は一日に数回。在来線ですら一時間に一本だった。バスは一日に一本か二本出ているか否かの世界だった。そのためここは極度な車社会だ。だからと言って、車で送迎してもらうという贅沢はできない。学校の登下校ももちろん徒歩だ。学校から祖母の家までは、走っても三十分かかった。祖母は、畑に出て農作業をしていた。先祖代々の広い田畑を、一人で面倒を見ている。野菜は畑から取れるし、主食の米も田んぼから取れる。畑仕事は体力勝負で祖母一人では畑が精一杯だったため、田んぼは他人に貸していた。借りた人は収穫した米をお金の代わりに置いていくのだそうだ。つまり、店に行って買うのは肉や魚をはじめとする生ものと、菓子などだけだった。
学校から帰ると台所のテーブルに、菓子が用意されていた。広告の裏に書かれた祖母からの伝言を読む。
『食べたら宿題。夕食まであとは我慢』
その書きなぐったように乱雑な文字は、祖母特有のものだったが、書いてある内容は母と同じだった。いつも母はケーキの横にメッセージカードを添えていた。
『これを食べたら、宿題を済ませておいてね。その後は夕食まで我慢よ』
字は母の方が各段に上手で丁寧だったが、書いてある内容は祖母に育てられた人が書いたものだ、と分かる。母も子供の頃、祖母にしつけられてきたのだと思うと、何だか笑えた。母にも子供の頃があり、祖母と母は親子なのだという当然のことが、僕には嬉しかったのだ。そっくりなメッセージを見ていたら、母を思い出し、涙が出てきた。皿の上のビスケット三枚を泣きながら食べる。ビスケットはぱさぱさしていたし、味は薄くて妙に乳臭かった。幼稚園の頃のおやつを思い出す味だった。
僕は涙を腕で何度も擦って、僕用に祖母が空けてくれた部屋に向かう。八畳間に、机と椅子、タンスしかない部屋だ。机は学習机ではなく、普通の机に電気スタンドを置いただけのものだった。タンスは年代物で、開けるときに力がいる。ベッドや本棚がないだけで、こんなにも殺風景になるとは考えてもみなかった。そしてベッドが便利で懐かしく思える日が来るとは、夢にも思わなかった。今、僕は押入れから布団を出し入れして、眠っている。もちろん、朝にはたたんで戻さなければならない。初めて押入れを見た時は、某国民的アニメを思い出し、押し入れの中で寝ようとして、祖母に大目玉をくらった。
S市の家を出るとき、僕の荷物は当然制限され、学用品とわずかな服以外は持ち出せなかった。本もゲームも、アルバムも、僕の部屋に残されたままになっている。全てを持ち出そうとした僕は、「後で取りに来ればいい」とか、「送ってもらう」とか、そう言う大人たちの言葉を信じて、置いて来てしまったのだ。無論、そんなことは一切できるはずもなく、僕は人一人が生きるために最低限の物で生活をすることになった。自動の鉛筆削り機はもうなく、スマホはどこへもつながらない。基地局やWi-Fiの問題ではなく、僕は両親以外の誰ともつながっていなかった。平たく言えば、僕には事件後も連絡を取り合うような友人はいなかったのだ。しかしこの生活に慣れてからは、つまらない物に執着していたと気付いた。
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