2-7
「おお、卓球部が。あ、違った。卓球部か」
子安先生は訛りに気付いて、訂正した。この県では濁点がよく使われることぐらい、祖母と話していればわかる。クラスの皆も、僕と話すとき以外はそうだ。僕は皆に気を遣わせてしまっているから、早く言葉に慣れようと思った。ちなみに、子安先生は陸上部の顧問をしている。僕は苦笑しながら首を振る。
「先生、こちらの言葉でしゃべって下さっていいんです。僕も早く慣れて皆と一緒に遊んだりおしゃべりしたりしたいんですから。父がよく言っていたんです。郷に入っては郷に従え、って。それから何でも勉強で、何でも経験だって」
先生が仮入部届を受け取りながら、眉をひそめる。同情なのか、優しさなのか、僕には見分けがつかないが、あまり気持ちのいいものではない。
「天地は敬語も使えっし、礼儀も正しいし、そういうとごろは花丸だにゃ。卓球はやったごどあんのが?」
語尾の「にゃ」に気を取られつつ、僕は首を振った。
「んだら、はずめでだがした。なしてこさ入ろうど、思ったなや?」
「え?」
僕は子安先生の言葉を、全く聞き取ることができなかった。初めの音が「ん」だったと思うのだが、これが正しければ、しりとりが永遠に終わらなくなるのではないか、という余計な心配をしてしまう。
「あの、初級編でお願いします」
僕のこの言葉に、職員室中が爆笑の渦にのみ込まれた。子安先生も、本当に腹を抱えて笑っている。
「先生?」
「ああ、悪かった。天地、お前面白いな。まさか初級編と来るとは思わなかったな。さっきのは、初めてなのか、どうしてここに入ろうと思ったのか、ときいたんだ」
「何だ、そうでしたか。それは、見学の時楽しそうだと思ったのと、浜田君がいる部だから、友達になれればいいな、と、思いまして」
「浜田君? 浜田巡のことか?」
「はい」
子安先生は驚きを隠せずにいる。
「あいつとしゃべったのか?」
「はい」
首を捻って心底意外そうな顔をした子安先生は、不審そうに僕を見る。
「少し、ですけど」
「まあ、あいつもいろいろあるからな。それにしてもすごいなぁ。教室ではあまり皆の輪の中に入って話さないタイプだから、天地がそう言ってくれるとあいつも嬉しいんじゃないかな」
「話さない? 今までずっとしゃべってましたけど?」
「浜田が? それは本当に珍しいよ。信じられないくらいだ。今度先生も混ぜてくれよ」
「それは、どうでしょうか……」
「ん? なんだ?」
「秘密のことでしたので」
頭を深々と下げた僕は、急いでドアに向かった。「失礼しました」と、もう一度礼をして振り返った僕の背中に、「大人びた子」とか「しっかりしてる」という声がぶつかった。しかし、ドアを閉める寸前、「ショックじゃないのかしら」という声も聞こえた。
僕は肩にランドセルをひっかけて、下駄箱まで走った。
黒く伸びた僕の影が、言葉を発する。
(ショックじゃないわけ、ないだろうが!)
僕は涙をこらえて乱暴に靴を履きかえる。外履きをコンクリートの地面にたたきつけると、靴の周りから生きよいよく埃が飛び出した。
(僕は悪くない。それなのに、何なんだ。まるで大人びていることや、しっかりしていることが、悪いことみたいな言い方をして! 責めるような言い方しやがって。大人のくせに、教師のくせに、子供と大差ない反応しやがって!)
僕は涙をこらえたまま、走って家まで帰った。
暑い夏。入道雲が青空に映えていたが、僕はそんなことに気付くことさえできなかった。目から次々に涙が流れるのを僕は両手で拭きながら、がむしゃらに走った。向日葵が僕を見下ろしていた。噛みしめた下唇が震え、嗚咽を飲み込むとしゃっくりが出た。僕はまだ、蝉の鳴き声の中にいた。
そして僕はやはり思う。あの現場にいた和服の女性は、幻覚などではなく実在している、と。そして両親の事件に何らかの形で関わっているのだ。黒い靄を纏った爬虫類のような目をしたバケモノ。誰も信じてくれなくても、僕だけはまだその存在を信じていた。
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