2-5

「おい」


 浜田君はそんな僕の腕をつかんだ。汗で滑りそうだったのに、浜田君はそれすらも許さない必死の表情で僕を引き留めた。


「その人形が、やばいんじゃねぇの?」


 思いもよらぬ言葉に、僕は目を見開いて立ち止まった。浜田君は僕の腕を放して、エケコ人形を手に取り、観察し始めた。


「テレビを見ながら俺が、これで勉強ができるようになるなら俺も欲しいって、言ったんだ。ほんの軽い気持ちだった。そしたら婆ちゃんがすごい形相で説教始めちゃって。ただのぬいぐるみや人形でも魂が入るのに、あんな呪物まじものを気安く欲しがったりするな、って」


「魂が、人形に入る?」


人形ひとがたって、悪霊とか、浮遊霊とかが憑きやすいんだって」


「ひとがた? まじもの?」


 浜田君は神妙な面持ちでうなずいた。僕は初めて聞く単語に、混乱していた。ただ初めは「悪霊」とか「憑く」という単語から、僕はオカルトだの迷信だのと考えたが、浜田君の目があまりに真剣だったので、僕まで神妙な面持ちになる。田舎だから、そういった迷信がまだ残っているのかもしれない。それとも浜田君のお婆さんというからには、年代的な問題で、浜田君のお婆さんは僕たちより信心深い性格なのか。


 西日が差しこんだ教室に、影が伸びる。こんな光景を僕は知っている。あの時僕は一人で、ベランダの手すりに白いカラスを見た。一番影の存在感が増すこの時間を父は「たそがれ時」と言うのだと教えてくれた。この世のもので無いモノと会う時間帯だから「逢魔が時」とも言い、気を付けなければならない時間だと。逆にあちらに引き込まれないようにしなければならないとも。これを初めて聞いた時には昔の人の想像力は長けていると、父と一緒に笑った。しかし今は、あの白いカラスがこの世のモノでなかったのかもしれないと思った。


 ふと、浜田君は部活に行かなくてもいいのか、と思った。だが、浜田君の顔はあまりに深刻だったそうだったし、僕と浜田君の間に流れる空気も緊張していた。とても、部活のことを話せる状況ではなかった。


「人形は、そのまま、人の形をしている物。呪物は呪いの物って書く。呪いの藁人形とか、そう言うヤツ」


 呪いの藁人形なら僕も知っていた。映画で見たのか、オカルト好きな女の子から聞いたのかはもう定かではなかった。ただ、女の執念の深さに慄いたのを今でも明確に覚えていた。丑三つ時に頭に金輪を被って、ろうそくを立てる。手には相手に見立てた藁人形を持ち、それを神社の木に五寸釘で打ちつける。その行為を誰にも見られなければ、呪いは成就する、といわれている。確か、人形の中に呪う相手の身体の一部や、身に着けていたものを入れると、効果的だと言う話もあった気がする。


 人の形をした物に、願いをかけて、象徴的なものを人形につけ、あることをすると、願いが叶う。



「似ている」



 僕は慄然とつぶやく。手足の体温が急激に下がっていくような気がした。


「なんだ。勘はいい方じゃん。そういうこと。呪いの藁人形とエケコ人形は似ているんだ。お雛様だって、人形の呪物の一つだってさ。まあ、全部婆ちゃんの受け売りだけどな」


 そう言って浜田君は笑ったが、僕は全く笑えなかった。それどころか、頭の中は真っ白になった。誰かからプレゼントされると効果がアップすると言われる、手作りの人形。市場で父から僕にわざわざ「プレゼント」の形で渡されたものだ。抜けるような青空と強い日差しの中で、微笑する両親。そんな幸せの象徴だった人形は、今や両親の形見となって、ここにある。それなのに、この人形が、両親に殺し合いをさせた。僕が大事にしているこれこそが、両親の仇だった。


 僕の体中の血液は突沸した。ランドセルを机に叩きつけるようにして置いた。他のキーホルダーがガシャンと大きな音を立てる。机の上にエケコ人形が他のキーホルダーと一緒に転がった。右手でエケコ人形をわしづかみにして、左手の拳を振り上げる。そんな僕の手を、浜田君が必死で止める。


「落ち着けよ、何するんだ!」

「これが、僕のお父さんとお母さんを殺したんだろ⁉ だったら、めちゃくちゃに壊してやる!」

「バカ! そんなことしたら、余計に憑いてるモノを怒らせて、何されるか分かんないだろ!」


 僕は浜田君の手を振り払い、振り返った


「だったら、どうすればいいんだよ⁉」


 僕は泣きそうになりながら、肩で息をしていた。そして僕は膝から崩れ落ち、床に四つん這いになった。夏でもフローリングの床はひんやりしていた。


「どうすれば……。僕はどうしたらいいの? お父さん、お母さん、どうしたらいいの?」

「供養だよ、供養」


 浜田君も肩で息をしながら気まずそうに言った。


「人形供養だよ。今なら寺や神社以外でもやってるだろ。ほら、最近やたら増えてきた、葬式代行業者。一体いくらくらいかは知らないけど」


 浜田君は吐き捨てるように言った。一瞬、浜田君の瞳の奥に、軽蔑の色を見てとった気がした。僕は夏休み前の、女子たちの、ひそひそとした会話を思い出した。僕はあの時、その女子たちを軽蔑していた。しかし今となっては、もう少しきいておけばよかったと、後悔した。僕はいつまでも泣いているわけにもいかず、立ち上がった。


「それ、高いの?」


 僕にはお金がない。両親の遺産と生命保険はかなりの額になったが、今後大学まで進学するとなると、厳しい。それに加え、僕の財産は今、全て祖母が管理していて、家賃や食費などを月に五万ほどとられ、挙句、僕の月のお小遣いは千円だ。


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