2-4
浜田君が広げた新聞は、全国紙だった。そしてその中に、僕たち家族が巻き込まれた事件が掲載されていた。全国ニュースでも小さく扱われていただけなのに、その新聞には割と大きく紙面が割かれていた。写真などはないが、興味を引く見出しがつけられていた。僕は悲鳴を上げそうになったが、そこを何とかこらえた。周りの皆は新聞に釘付けになっている。幸か不幸か僕の名前や顔写真は掲載されていなかった。『DVの果ての凶行』。その仰々しい題名の横には、両親の顔写真と名前があった。
「
「これってもしかして……」
誰かが何か言おうとした瞬間、僕は口を開いた。
「し、知らない」
僕はそう言いながら小さく頭を振った。冷たく、粘り気のある汗が、どっと噴き出す。僕はあの血まみれの映像を思い出しそうになり、必死で別のことを考えようとしたが、うまくいきそうになかった。そして、またあのどす黒いドロドロとしたものが、腹の底を熱くする。
「どうして?」
僕は浜田君を見上げて、そう言った。俯いた僕は、浜田君を睨みつける。その言葉は僕自身の物ではなく、腹に沈殿した黒いものの言葉だった。
「どうして、そんな、事件のことを知りたいの?」
今まで築き上げてきたものが崩れ落ちると思い、僕は焦る。今まで作ってきた笑顔や嘘で固めた両親の経歴、僕の現状。皆とうまくやるために、必死だったのに、と。そんな僕を、黒いものがせせら笑う。
(崩れたってかまうもんか。どうせ、全部虚構だろ?)
黒いものが笑いながら自信たっぷりに言うものだから、僕も本心ではそう思っていたのかもしれないと、思った。だから、現実の僕も笑っていたかもしれない。
「ねえ、どうしてそんな事件のこと知りたいの?」
僕の笑顔の醜悪さに、皆が引いていることが分かる。僕の卑屈な暗い声と、歯を見せながら笑っているのに、目はどこかを睨みつけているような表情だった。皆、僕とはかかわらない方が良いと本能的に察したに違いない。
「事件について聞きたいのは、他人の不幸に興味があるからだよね?」
その攻撃的な言葉に、人垣が崩れ始める。一人、二人……、もしくは示し合わせてごっそりと、僕の周りから人がいなくなる。ついには新聞紙を広げた浜田君だけになり、その浜田君も、新聞紙を何も言わず小さくたたみ始める。浜田君は顔を赤くして、目のやり場に困っているようなしぐさをしたが、やがて何かを決したかのように、長く溜息をついた。
「お前、そう言う態度、良くないよ」
「え?」
浜田君は僕の予想に反して皆のように逃げ帰らなかった。
「でも、ごめん。俺も悪かった。皆の前できくんじゃなかった。お前が必死で隠そうとしていたのに、苦しそうだったから、つい、悪い癖で」
浜田君は僕から目をそらさずに言う。その姿はどこか名刺をくれた時の山下に似ていた。僕の中の黒く煮えたぎっていたものは、すっかりなくなっていた。浜田君はつまり、悪意ではなく善意から新聞を見せてくれたということだ。これ以上、僕が皆に対して嘘をつかずに済むように、助けてくれていたのだ。
「
「ああ、天地だったな。そうだった。俺は
「僕も海でいいよ」
「ああ、うん。つかさ、海のそれ、気になってたんだけど……」
巡は僕のランドセルについている、エケコ人形を指さしていた。
「テレビで、言ってたんだろ? なんか、一時期女子が騒いでたから」
田舎でも都会でも女の子たちが興味を持つものは同じだという事を、僕は意外に思った。しかしよく考えてみれば、全国放送のテレビ番組で取り上げられていたのだから、当然と言えば当然なのかもしれなかった。
「うん。願いが叶う人形なんだ。本物なんだよ。エクアドルでお父さんに買ってもらったやつなんだ」
僕はそう言って気付いた。もう自分には父親はおらず、もう外国にも行けないということだ。皆へのお土産も、あの安いチョコレートが最後になってしまった。そして、僕は急に寂しさを覚える。果たして、有名企業に勤める両親の一人っ子であり、毎年海外でお土産を買い、珍しい物を見せながら異国の話をする僕に、本当の友達は何人いたのだろうか。
「ごめん。僕は浜田君のことを、巡なんて呼べないよ」
僕は今になって、自分がいかに天狗になっていたのかを思い知った。父から禁止されていたから、注意して控えめにしていたはずなのに、自慢話をしてばかりだった。僕は嫌な奴だ。巡と友達になる資格なんてない。それに、いつ僕の中の真っ黒なものがあふれ出して、他人を攻撃するか分からないのだ。僕は僕を恐れた。僕の中にあるモノ。僕であって僕ではないモノ。きっとそれは「悪意」と名付けることができるだろう。
事件前、僕はエケコ人形に紙幣と本のミニチュアを背負わせていた。しかし今は、鍵のミニチュアを背負わせている。「鍵」が暗示するのは「秘密」だ。S市であんなことになって、知らない場所に来て、もう、僕の居場所はどこにもない。それならせめて、事件のことだけでも秘密にしておきたかった。だがやはり人形はただの人形だった。僕の秘密は露呈してしまった。願掛けに少しでも期待した僕がバカだった。
「さよなら、浜田君」
僕はランドセルを背負い、踵を返した。
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