2-3

 なるべく自分の過去を隠そうとする自分がいた。自分の出自が明らかになると、良くないことが起きる、という確信にも似た予感があった。


 隣県のS市の小学校からの転校生であることは、みんな知っていた。そしてクラスの中には、S市で僕がかかわった事件のことを知っている子もいた。ただ、その事件と僕とをつなげる情報は、固く守られているはずだった。


「何でわざわざS市から、こんな田舎に来たの?」


 隣の席になった女の子が、不思議そうに言った。まるで「私ならS市からこんな場所には絶対来ない」と言いたげな口調だった。何故かこの町の人たちは、地元に対する自己評価が低かった。しかしその自己評価の割に、他者から低い評価を受けることは嫌っているように見えた。


「両親の仕事の都合で」

「え、何かそれってかっこいい」


 その言葉に僕は内心首を傾げる。「仕事の都合」が何故カッコイイのかが分からなかったからだ。後になって分かることだが、この土地の人々は農業や地元企業で働く人が多く、転勤も少ないため転勤自体が珍しかったのだ。


「お父さん、何の仕事してんの?」


 僕が父の職場の名前を口にすると、教室中がざわついた。僕は父の勤めていた会社名だけでどよめく皆に、驚いていた。そのざわめきとどよめきは、わずかに批判的な色がにじんでいて、僕は不安になる。


「変じゃね? なんでそんなでかい会社の社員がこんな所にくるんだよ?」


 僕は今になって気付く。皆「都会対田舎」の構図で「僕と自分たち」を見ていて、僕はその都会からの落ちこぼれだと思われていることに。僕は焦った。何とかして自分のことを隠そうと、必死に頭を巡らせる。じりじりと脳天を焦がす赤道近くの太陽が、今、僕の頭の上にあるように思えた。雪国だと聞いていたから、夏は涼しいという勝手な思い込みがあったが、ここの夏はSの夏よりも暑かった。


「新しく、こっちで事業を起こすんだって。ほら、こっちは水も空気もきれいだから、その方が新しい製品を作るのに適しているんだって。詳しくは知らないんだけど」


 僕は必死で頭を回転させ、嘘をつく。そんな自分が嫌いになりそうだった。一度嘘をついたら、一生その嘘を背負って行かなければならない。これは両親の教えでもあった。それなのに僕はその大切な教えを守ることができなかった。しかも「詳しくは知らない」という自分に「盾」まで作っておいて、僕は僕の嘘を守ろうとした。その卑屈さに、我ながら吐き気がした。


「そんな話、きいてねぇよ。お前は知らないかもしれないけど、Sとは違ってこっち

には職がないんだ。だからもし、そんなでかい会社がこっちで事業始めるなら、噂にもなるし、テレビでも新聞でも言うんだよ」


 僕は思わず口をつぐんでしまった。確かに、自分がかかわった事件に気を取られ過ぎていた。さらには、地方の事情や噂のことなど全く考えもしなかった。それに、企業の一事業所ができると言うだけで、そんなに話題性があるとは僕は全く知らなかった。Sでは父の勤める会社は、確かに全国的に有名な会社ではあったが、ごく普通の一般企業という認識しかなかった。


「で、今は誰と住んでるの?」


 最初に質問してきた隣の女の子が、剣呑な雰囲気になりかけた場の空気を和ませようと、会話を変える。その時僕は、敗北感でいっぱいだった。ここでは核家族よりも、何世代かで同居している家が多いと聞いた。僕が失ってしまったものを、ここにいる全員が持っているという事が、ひどく残酷で悔しく思えた。


「あ、婆ちゃんと、お父さんと、お母さん」


 危うく、両親を言い忘れそうになる。こうなってくると、クラス全員が僕の嘘を見破ろうとしているのではないか、と疑いたくなる。そして、本当は子安先生がクラスの皆に僕のことを既に話していて、わざと皆が僕に意地悪をしているのではないかという、被害妄想まで出てくる。


「お母さんは何してるの?」

「専業主婦」


 父の会社の名前を言ってしまったため、母まで大手企業に勤めているとなると、怪しまれるのではないかと、咄嗟に嘘をついた。もっとも母の場合は、短時間勤務のフレックス社員扱いだったが、父の話題の二の舞を踏みたくなかった。


「え、そうなの? 会ってみたい。遊びに行ってもいい?」

「駄目だよ」


 思わず、大きな声で即答してしまい、後悔する。


「どうして?」


 次にはそう言われることが分かったから、その前に手を打とうとした僕は今度こそ完全に墓穴を掘った。


「えっと、婆ちゃんが具合悪くて、お母さんが看病してるから」


 僕は早口でそう言った。すると皆は顔を見合わせたり首を傾げたりして、納得いかないような顔をあらわにした。僕は皆の雰囲気の急変を受けて、自分が明らかな間違いを犯したことに気が付いた。しかし何をどう間違ったのかは分からなかった。僕の杞憂であってほしかったが、当然のようにそうはいかなかった。


「何言ってんの? 俺の婆ちゃん、お前の婆ちゃんを畑で見かけたらしいぜ。元気に農作業やってたみたいだし、病院にも来てないって」


 この町には、病院が一つしかなかった。しかも開業医が一人でやっている小さな病院だ。つまりこの町の情報交換は、主にその病院の待合室で行われる。来たばかりの僕は、そんな町の事情を知る由もなかったのだ。


「お前、本当にS市から来たん?」

「うん。もちろんそうだよ」


 僕は今度は嘘をつかずに済んだことに安堵する。今の質問をしたのは、卓球部の男の子だった。確か浜田はまだ君と皆から呼ばれていた。座っていたために体の大きさは目立たなかったが、机や椅子のねじを一番端まで上げていたから、背が高いことが分かる。ボールを拾った時の得意げな表情はなく、目の鋭さばかりが目立つ。体育着と私服ではこんなにも印象が違うのかと、感心してしまった。皆は浜田君が突然話に入って来たことに、驚いているようだった。


「じゃあ、お前、この事件知ってるか?」





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