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 祖母の家を含めて、こちらではほとんどの家で地方紙を取っていた。そのため、事件のことは小さな記事にしか載っていなかった。この頃、国際的に問題となっているテロ組織による大規模なテロ行為があったし、こちらの県では動植物の食害の方が大きく取り上げられていた。


 だから僕は安心して、ただの転校生として、転入する小学校を見に行った。教室や部活を、僕の新しい担任になる子安こやす先生と見て回る。子安先生は頭でっかちで極度のなで肩。こちらの名産品だというこけし人形に似ていた。髪の毛が所々にしかないのも、目が細くておちょぼ口なのも、こけしそっくりだった。校舎のこじんまりとした様子や、生徒の少なさ、窓から見える風景に、僕はいちいち驚いていた。山裾まで田んぼが広がり、家々の間隔が広く、畑も大きかった。クラスは三十人ずつで、二クラスしかなかった。つまり五年生は全員で六十人ほどしかいないのだ。窓からは山々が重なり合って遠くまで見えていて、建物が邪魔をしない。どちらも都会育ちの僕にとっては信じがたいものだった。ビル群がないせいか、青い空がやけに高く感じた。そして新聞や社会で見聞きした「少子化」という言葉は、まさにこういうところを指すのだと実感した。


 そして僕を不安にさせたのは、ここの訛りの強さだった。一つ一つの言葉を耳で拾うが、その意味がさっぱり分からない。どこで切れるのかさえ、分からなかった。まるで飛行機にも乗らずに、外国に来てしまったようだ。うまくコミュニケーションが取れるのか、自信が持てない。海外では父や母が現地の言葉を訳してくれていたから、僕は何も知らなくても良かったが、一人で言葉も文化も違う場所で生活するのは、ひどく恐ろしい。


 体育館で部活を見学していた時に、卓球の球が僕の足元に転がってきた。僕は咄嗟に拾い上げ、取りに来た男の子に放り投げた。男の子は手を使わず器用にラケットでそれを受け止め、ちらりと僕の方を見て、得意そうな顔を見せてから「ありがとうございます」と、大きな声で言った。僕はそのお礼の言葉が全国共通であることに、安堵した。父から「ありがとう」だけは現地語で話せるようになれと常々言われてきたからだ。父は言った。他の所に行けば僕たちは部外者で、何かをしてもらうことが多くなる。そんな時、感謝の意を相手に示さなければ、困った時に誰も助けてくれなくなる、と。そんな言葉の端々にまで両親との思い出が溢れていて、僕は何度も下唇を噛んだ。


「どう? 入りたい部はあった?」


 子安先生は廊下で僕にそう話しかけた。この小学校の校是は「文武両道」である。小学校の内から学業はもちろん、スポーツにも力を入れているとのことだった。僕の小学校にも高学年にだけ、クラブ活動としてスポーツをする時間があったが、ここまで本格的ではなかった。


「大変、そうですね」


 僕はここでやっていけるのか、すっかり弱気になっていた。ランドセルには、今では両親の形見となったエケコ人形が揺れていた。僕が置かれている状況を先生たちは知っていたが、生徒たちは知らないということだった。それが少しだけ、後ろめたい気がする。


「大丈夫。ゆっくり、少しずつ慣れていったらいいよ」

「はい」


そう言って、僕はうなづいた。ここから僕は新しい僕になって、本当のゼロから始まるのだと思った。


 しかし、僕の化けの皮は、すぐに剥がれることになった。




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